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[連載]ラット -嚆矢- 1



男は走っていた。
夜の港は思っていたよりも街灯が少なく、夜目が効かないとどこを走っているのかすらわからない。ただ無茶苦茶な姿勢でがむしゃらに走っているのである。だが男は必死に叫んだ。全速力で走りながら叫んだのだ。
「誰か!誰か、助けてくれ!」
無論、反響するのは自身の声だけである。
どうして、どうして……反芻するだけ無駄なのはわかっている。
なぜなら彼自身、どうして追われているのか、分かっていないからだ。
ああ、くそ。
心の中で舌打ちする。走りにくいサンダルが、彼の怒りを助長した。
バン!!
聞いたこともない大きな音が近くで鳴る。男はそれを聞くや否や、恐怖から彼の足は加速する。
「誰か!…そうだ、警察に。…いや、ダメだ!誰か」
出しかけたスマートフォンをポケットに突っ込み、街頭無き道を走り続ける。走れども走れども、後ろの脅威が消え去ること気配がない。
走っていくうちにT字路に差し掛かる。一瞬だが、彼は迷った。右に行くか、左に行くか。
その瞬間を闇は見逃さなかった。
バン、という大きな音を立て銃弾が男の右のふくらはぎに命中したのだ。
気がついた頃には、男は倒れ痛みに悶えていた。
「あがあああ、ぐうう!はっはあああ」
 声にもならない絶叫。ふくらはぎに空いた穴から赤い血が大量に噴き出す。
コツコツ、と脅威の靴音がどんどん近づいてくる音が聞こえる。壮絶な痛みを受けているはずの男は、あろうことかまだ逃げようとする。男はこの壮絶な痛みの中で、激痛よりも恐怖が勝るのだと理解した。
 脅威が街頭の光に照らされる。黒いスーツに臙脂色のしゃれたネクタイ、手にはピストルが握られている。そして張り付いた不気味な笑顔が、男を静かに見つめている。
男は懇願する。
「頼む!俺が悪かった!改心する、まっとうな人間になるから!!だから」
闇は一言二言、男に発した。あまりにも無慈悲で、しかしどこか慈悲深い言葉だ。
闇は手にしたピストルで男の頭に狙いを定め、躊躇も慈悲もない指が引き金を引いた。

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