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砂漠雑感#070 アラビア文化の遺産

アラビア文化に世界文化歴史の中の正当な位置を与えようとする本書は珠玉の名著。牟田口義郎が「地中海歴史回廊」(2004年)で紹介したので、読んでみた。誤解されがちだが、アラビア文化=イスラムではない。アラビア文化の担い手は、ムスリムだけでなく、キリスト教徒であり、ユダヤ教徒もその役割を担った。
メルトダウンしつつある欧州と対照的に、化石燃料というエネルギーをほぼ独占し、世界で台頭しつつある中東諸国を理解する上で、新鮮な視座を与えてくれる書であった。
「アラビア人の世界は、1300年もの間、ヨーロッパの門の真前にあったにもかかわらず、わわわれの間では概してそれについて知られていることは、多くの没落した民族や文化についてよりも僅かでしかない。しかもその僅かなことですら間違っている。(中略)これまで、ヨーロッパ人の意識にとっては、世界史はいうにおよばず、あらゆる文学史、芸術史、科学史は、皮相にも古代エジプトとバビロンに始まり、ギリシアとローマに長く思い耽り、ビザンチンを一瞥し、キリスト教的中世を経て、近世に移るという具合であった。(中略)アラビア人がすぐ隣り合わせで、750年もの間、地上の指導的民族であったこと、またギリシア人よりも2倍近い全盛期を誇ってきたということ、いやさらに、彼らがギリシア人よりも直接的かつ多様にヨーロッパに影響を与えてきたのだということ、これらについて、何人が知り、かつ語ってきたであろうか。われわれは、これまで彼らの意味をただギリシア人のために認めてきたのだ。つまり彼らは古代の宝を仲介したにすぎないのだ、と。これがヨーロッパのための彼らの功績として評価されるべき唯一の積極的なものなのであった。つまりヨーロッパは、実に、アラビア人がギリシア人の郵便をヨーロッパの戸口に挟んだ配達人だったとばかり、彼らの役割を押し下げてきたのである。(中略)アラビアの天才がーかつてモンゴル人やトルコ人やヨーロッパ人によって何回も弱められたり、植民地化される依然にー当時まだ「未発達」だったヨーロッパに光をもたらした強大な影響に深く基づいている」

アラビアの人たちは、自分たちでギリシア、ローマの栄養を摂取し、自家薬籠中のものとして、さらに、独自のものを育んだ。
9世紀のバグダードで活躍した数学者アル・フワリーズミーの著書「ALGEBRA」は、そのまま代数学を意味する。イブン・シーナー(アビセンナ)の「医学典範」はスペインのトレドで翻訳され、400年以上にわたり、西欧の大学の教科書となっていた。欧州はアラビア文化の恩恵をいかに受けているか。
そういえば、サウジアラビアで訪問した歯科クリニックの名前は、AVICENAであった。意味が良く分かったいなかったが、そういう訳だったのか。

AVICENA歯科・皮膚科センター(サウジ アルコバール)


「このような超天才たちの学問、芸術を発表した言語は全部アラビア語であった。そこで私は、アラビア文化というのだ」(フンケ女史)


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