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映画評4 ドン・シーゲル『ダーティハリー』(上)

1 刑事映画の記念碑的傑作

 もう十数回は見ている刑事映画の金字塔、『ダーティハリー』(1971)をDVDで見直して、傑作とは何度でも見たくなり、見るたびに新たな発見のある映画だという、当然といえば当然のことを、あらためて思った。ともあれ今回は、なぜ『ダーティハリー』はこれほど面白いのかを、具体的に考えてみたい。

 クリント・イーストウッド扮する敏腕刑事が連続殺人鬼を退治する、という筋立ての本作は、空前の大ヒットを記録した。結果、それまで二流のアクション映画の監督とされていたドン・シーゲルは、実力派の名監督としての地位を確立した。また、人気はあったがキワモノ扱いされていたマカロニ・ウェスタン/イタリア製西部劇のガンマン役に甘んじていたイーストウッドも、一躍ハリウッドの大スターにのし上がった。

 だが、サンフランシスコ市警殺人課のハリー・キャラハン刑事/イーストウッドの、連続殺人鬼サソリ(アンディ・ロビンソン)に対する手荒い捜査が違法であり人権侵害であるとして、本作は「良識派(進歩的文化人)」による非難の的になったが、こうした点を含めて、以下では、物語の大まかな流れを記しつつ、いくつかの注目すべきポイントに触れてみたい(部分的なネタバレあり)。

 サンフランシスコのとあるホテルの屋上のプールで泳いでいた若い女が、ライフルで射殺される。狙撃地点に残されていたメモで犯人はサソリ(スコルピオ)と名乗り、市警察に10万ドルを要求し、応じなければ、カトリックの司祭か黒人を殺すと予告(いわゆる劇場型犯罪の開始だ)。市警察は支払いを拒み、市内の高層ビルに警察官を多数配置する。そして、警戒中のヘリコプターが不審者を発見するが、その姿を見失ってしまう。

 そんななか、サイコパス/精神病質者のサソリは、10歳の黒人少年を殺害し、さらに14歳の少女を誘拐し、10万ドルの身代金を要求。市は支払いを決め、金の引渡しをハリーに命じ、彼の相棒のメキシコ人刑事チコ(レニ・サントーニ)が車で彼を追尾しサポートする(この一連は夜のシーンであるが、ドン・シーゲルの巧みな演出に加えて、というかそれと一体化した、名手ブルース・サーティーズのカメラも冴えわたる)。
 
 ハリーはサソリに指示されるままに、市内のあちこちの公衆電話へと走らされる。金の引渡し場所に現れたサソリは、拳銃を捨てたハリーを繰り返し殴打する。駆けつけたチコが、サソリに向けて発砲するも、サソリのマシンガンで撃たれ負傷してしまう。
 
 が、金の引渡しのさいにハリーは、一瞬の隙をついて隠し持っていたナイフをサソリの左ももに突き立てる。サソリは狂ったように絶叫し、足を引きずりながら逃走する(両者ともに手負いになるわけだ)。

 まもなくハリーは、サソリが傷の手当を受けた夜間病院の通報により、サソリの居所がスタジアム内の施設であることを突き止める。そしてついに、煌々(こうこう)とライトに照らされた無人のスタジアムにサソリを追いつめたハリーは、サソリの左足を拳銃で撃ち、出血しているその刺し傷と銃創を踏みつけて、少女の居場所を吐かせるが、すでに少女は死んでいたーー。

 このように前半のあらすじを記しただけでも、『ダーティハリー』のすさまじい展開の一端がうかがわれようが、これだけでは、映画の生命線であるドン・シーゲル演出の凄さは見えてこないので、前半の重要なディテールをやや詳しく見ていこう。

2  痺(しび)れるオープニング

 まず、オープニングが素晴らしい。ーーサンフランシスコ市警の殉職警官記念碑の映像ののち、いきなり、高層ビルの屋上でライフルを構えるサソリが映される。次いでカメラはサソリの視線に重なり、ライフルに取り付けられた照準器の円形のショットで、斜め下方のホテルのプールで泳ぐ黄色い水着の若い女を、窃視症的にとらえる。と、次の瞬間、銃が発射され、哀れなターゲットはプールの水を血に染めて息絶える(空間の高低差を活かした、見る/見られるという権力関係の優劣を示す場面でもある)。

 この冒頭の強烈な「つかみ」に続いて、黒いサングラスにツイードのジャケット姿のハリーが、現場検証を終えてビルの外階段を上り、巨大な換気扇上の金網の通路を伝い、屋上でライフルの薬莢とサソリのメモを発見するまでが、緩急自在の編集でクールに描かれる。

 ほとんどセリフなしの、これぞハードボイルド、という痺れるシーゲル・タッチだ。またそこでは、物語には直接関係のない、ブルース・サーティーズのカメラが短くとらえる、換気扇を下から見上げる極端な仰角ショットや、彼方に広がる、薄青く霞んだサンフランシスコの碁盤目状の市街や湾岸の映像が、強く目をとらえる。

 作劇上で重要なのは、冒頭まもなく、サソリの狙撃と狙撃場所を突き止めるハリーが映されることで、『ダーティハリー』がミステリー/謎解き=犯人探しではなく、ハリーと殺人鬼との闘いを描く活劇であることが、説明ではなく画面の力によって、速やかに告げられる点だ。事実、この一連のタッチは、以後全編の主調音となり、ハリーはあくまで言葉少なに行動し、「己れの正義」を貫くためにサソリとの死闘を繰り広げる。
          (「中」へ続く)

補説

●ハリーがサソリの指示で市内を引き回される夜の場面でも、ブルース・サーティーズのカメラは絶品だ。とりわけ、赤と青のネオンーーイエスは救い給うと書かれたーーがけばけばしく輝く教会の広告塔や、公園にそびえ立つ巨大な十字架を、鋭い仰角で見上げるショットのソリッドさ! そして直後、サソリが、その下にハリーが隠れた広告塔に向けてマシンガンをぶっ放すと、ネオン管が火花を散らして砕け散る、という凄絶な展開になる。



















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