親は知らなくても、子は育つ
「1円玉を100個数えて、ポケモンの指人形を買うのが楽しかったんだよね」
・・・・????
えっ? 何のこと?
私は成人した娘が何のことを言っているのか、全くわからなかった。
聞いてみると、
近くのコンビニエンスストアに行き、100円の指人形を買うのが楽しみだったらしい。
その100円をどうしたかというと、ブタの1円貯金箱から100枚数えて、それを店に持っていったようだ。
コンビニのおばちゃんとは顔なじみになり、1円玉を100枚数えるのは大変だったらしく、10枚ずつの束にして数えていたようだ。
「そんなことしてたの?」
「数を数えられたということは、小学生になっていたんだろうね。」
父親にも聞いてみた。
「ね、うちの子が1円玉100枚もって、コンビニでポケモンの指人形買ってたの知ってた?」
「いや、知らなかった」
どうにも、暢気すぎる両親である。
父も母も全く知らなかったのである。
我が子は、一人っ子で、小学生になってからは学校が終わってから学童保育でお世話になっていた。
ところが、学童保育では、保育園時代と違いおやつが美味しくない・・・
子どもたち同士の中で、ちょっとしたトラブル
保育時間の融通の利かなさ(親目線ですけどね)から
小学校1年生で、辞めてしまったのである。
娘は、2年生からは、いわゆるかぎっ子になったのである。
小学2年生といえば、まだまだ幼くて、親の帰りを待ちわびていたのだろうと思います。
当時の私の勤め先は、山の中で、携帯電話のアンテナが立たないところでした。定時に帰るようにしていましたが、携帯電話がつながる場所に来ると、車を運転しながら、私の携帯電話の着信がバババ・・・と連続で入ることが度々ありました。
聞いてみると、
「おかあちゃん、何時に帰ってくるの?」
「おかあちゃん、いつ帰ってくるの?」
「おかあちゃん、(だんだんイライラしている様子が伝わってくる)早く帰ってきて!」
「おかあちゃん、(叫んで)早く帰ってきて!!!」
一人で寂しかったのだろう。
あれ? 電話は・・・どうしたのだろう?
今更ながら娘に聞くと
「家電にきまってるじゃん」
「お母さんの番号知ってたの?」
「メモしてあったんだよ」
ほんとに、間抜けな母親である。
そんなことを知ったのは20年もあとになってからである。
そんなだったので、娘は一人で過ごすことが苦でなくなったようで
自分一人で楽しめることを探し出したんだと思う。
それが、ポケモンの指人形・・・
お店で、どれがいいかを選ぶのが楽しかったとのこと。
今、思えば、近くとはいえ一人でコンビニに行き、コンビニの店長は快く?
娘を迎え入れてくれたこと、本当に感謝である。
もうひとつ。
後になって知ったことがある。それは
”秘密基地”
秘密であるから、親に言うはずもなく、近所の子供たちと一緒に
いらなくなったガラクタを集め、近所の裏庭に基地を作って遊んでいたようだ。
娘が言うには
「ある時、秘密基地を作って次の日遊びに行ったら、基地が撤去されていた。」とのこと。
基地を作られてしまった家の方が、撤去したのだろうが、文句ひとつ言わずに許されていたのだ。
本当に感謝なことである。
娘は、ポケモンの指人形の事も、秘密基地の事も、とても楽しかった思い出となっているようだ。
今でも、趣味をもち、いろんなところに出かけている。
一人でいることを楽しんでいる。
あ~、馬鹿な親、何も知らなかった親だけど、子どもは日々成長しているんだな~と実感した出来事だった。