うまく生きれなかったなそれでも明日はやってくる 40歳生活保護 笠原周吾
僕は元々人とうまく距離おいて関わるのが無理で高校出たら大体引きこもってた。そして適当な生活だからすぐハゲてさらにこもるハゲループ引きこもりだからいきなりハゲ親父やんの無理やし元々社会はいられへんうわーーと引きこもる。ただひたすら眠る。一応発毛剤を使ってたら生えたのでまちかどにでてひゃっはーっのりで街角ぶらぶらする時期もあった。
父親の事情で狭いアパートに引っ越し。
父親は当時55くらいでわしの居場所があらへんやろ。。おれをだれやおもてんねんと狭いアパートで叫びつづけぼくはまたはげて人とさらにうまく関わらなくなった。まあ色々あって人相がくたばりかけだけど。
持病に毎日怯えてるから怖い時に父親急死。
もう僕はナマポだったけど父親に1ミリでも仏教知ってもらえればとおもたな。歳食って怒り亡くなる前も怒り、そのまま生きて行った人だったなと思った。
少し街角で人間観察でもすれば色々な人がいるし病院いけば毎日人は死んだる。僕はハゲとかは40でもうどっちでもいいかと思ってるが〈大体帽子かぶってる
死ぬは父親より発狂するかもしれない。
引きこもりでも少年の頃もあれば若ハゲの頃もあり順々に生きてきた。まあ父親に関してはやしきたかじんがあかんかったんじゃないかなと思う。60超えて尖ってたらあかんねん。
ナマポになった今も脳に持病があるから毎日死なないか憂鬱。5年早くナマポになれてたらまた違ったかもしれない。それでも死ぬまで明日はやってくる。忍空の主題歌のたいとるです。それでも明日はやってくる。
人とうまく関わらないから一人が多いけど孤独死するだけだ。僕はそもそも向上心とか野望なんてあんまりなかったら怯えながら暮らすだけ。
普通の家庭みたいに人間讃歌みたいな生き方したかった。えんがわにはおじいさんとおばあさんがいて俺は適当にソーメンでも食べて兄の家族なんかもいてみんな生きてるみたいな感じで行きたかったけど大黒柱のお父さんが見えはるからな。おわりだよ。どうせネット記事とかでちょいワル親父とかで服買っておかしい。
なんかこのじいさん最近おしゃれしてるなとかみたらわかるもんな。
まあ人生難しい男だったら何歳で禿げてもバリバリ働かなあかん。冷静に考えたらどうやってハゲで働くんやと少し思うがいっぱいいる。死を意識してからはまあ見た目なんてどうでも良くなったね。
まあ人生うまくいった人も死んでいくし孤独な生活保護者もなんかで死んでいく。まあ色々あったけど死ぬだけやからみんな適当に仲良くすればいいと思うよ。
難しいことはわからないけど。
精神のナマポだから多分永遠行けるんだろうなと金の心配はないけど、何で生きてるんと言われたら適当に映画みながらコーヒーのんでたばこすうためにうまれてきただけだ。まあガチ一人ならボロ泣きでこんな日記も書いてない。近くにまだ70の母がいるから正気保ててる。
ファーーまぁ心残りはないけど死ぬのは怖いなと思うだけ。父親が死んでも世界は1ミリも変わらなかったように俺が死んでも何も変わらない。それでもあしたはやってくる。