あの人がなにを背負ってるのかは僕は知らない 笠原周吾
あの花みたいなタイトルにしましたが道歩いてると色んな人いてわらってるカップルなんかは多分人生楽しいんだろうなと思うけど謎の発作する青年やめまいきつい歩き方してるおじさんなどいろいろいる。
まあ結局自分のこと書きたくて書いたのだけど、僕は左の脳の血管の形がおかしいって言われてから常に怯えてる。まともに散歩できるのも起きたばかりの寝ぼけてる時にウォーキングする。常に脳梗塞の前みたいな雰囲気で常に怯えてて、ヘルパーさんとかには誤解されやすいから来てもらってない。スカスカ頭で基本帽子かぶってるから薄毛でやる気のないやつと間違われてる気がする。なるべく脳を見られたくないという思いもあり基本帽子である。まあ僕は脳梗塞に怯えて脳に集中すると首が悪くなって自律神経失調症になる。整形外科とか言っても気持ちやでとか言われていやそうじゃないんやけどと思うけど今まで死んだ人も基本人には言わなかっただろうし、ドクター以外いう意味ないしな。
僕らは基本人の憂鬱なんて知らずに大抵生きてる。
僕は脳のことで情緒不安定になって精神科に行くのもギリギリだし、命に関わることは最新の薬では聞かないことを知る。ただ結構リラックスしてゲームしてるとかもある。
たまに街行く人色々いると思うけどなに一つ知らず生きてる世の中変わってて孤独そうなおじさんに優しい人もいたりしてそう悪いものでもないなと思うようになった。5年前までなにも考えずワックスで遊んで半笑いで走り回ってただけなのに。
また父親なども死んで、憂鬱だなと思う。
どうせ死ぬからなるべく頑張るみたいな人は羨ましいと思うけどこっちは今死ぬような気がするから体が動かなくて生活保護で家で寝てるしかない。
区役所行くとクズでも見るような目つきで見てくる人もいるような気がするけど常に死ぬような気がしてる。
まぁ世界は広くて余命宣告されても笑ってるおじいさんもいるしな、だいたい年寄りの時点で半分余命宣告である。まちなはいろいなひとがいるけど、あの人がなにを背負ってるかはなに一つ知らず僕たちは生きている。アニメあの花っぽく書いてみました、
やっぱり基本人って元気な人を見るのが好きなんだなと言う気持ちになる。僕だって青年の頃何も考えず走り回ってたときは人に笑ってもらえた。
ただ憂鬱な人を見て見ないふりをするのも違う気がするけどそれは自由。昔精神科行ってたときずっと発狂してる人のことを面倒に感じてしまったこともあった。
まあ変な挙動してる人見てると不安な気持ちにはなるけどみんな死ぬんだと思うと早いか遅いかの問題で似たようなものなのかと思う。僕は半分狂いながら生きれるまで生きていきます。それでは。