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リキッド・オセロットに宿る二つの意志



はじめに

 MGS4でスネークとBIGBOSSの対峙シーンで明かされるリキッド・オセロットの真相。オセロットにリキッドの意思が憑依したものだと思いきや、実の所リキッドの人格そのものがナノテクノロジーとオセロットの自己暗示による産物であったと明かされる。
 故に、リキッドの人格自体オセロットが愛国者達を欺く為の自作自演であったと解釈される。

………果たして本当にそうなのだろうか?
 確かにリキッドを模造して再現された人格である事自体に間違いは無い、しかしリキッド・オセロットというこのキャラクターには、リキッドの意志(センス)でないと説明がつかない言動、行動が多く散見された。

 また、MGS4のテーマの1つとして「センス」が挙げられる。技術や言葉は人から人へ伝授する事は出来ても、精神の根底であるセンスは人から人へは移らない。それが一人一人が魂に秘めた“個”の証明であるからだ。

 黄泉の国から死者が蘇るはずはない。しかしそこに死んだはずのリキッドの魂は存在している。オセロットの身体に宿るリキッドの意志、この世の理から外れた存在でもあるが故、リキッド・オセロットという存在はメタルギアのキャラクターでも特に異彩を放つ。今回はそれを踏まえて書いていく。


リキッドの意志(センス)

 先も述べた通りこのリキッド・オセロット、明確にはリキッドとは別人のはずだが、作中ではリキッドを連想させる行動を一貫させている。そもそもの目的が、BIGBOSSとその世代の人達が遺してしまった愛国者達という負の遺産を断ち切り、原点を越える事にある。

 しかし、自身が作り上げたPMCの力のみでは愛国者達を葬るのは難しい、そこでスネークとの対立軸を作り出すことで、愛国者達の目を欺く事に成功。ウイルスを作る為にサニーやナオミに手を回し、引導をスネークに託す必要があった。 

 愛国者達を消そうとするリキッド、それを止めるスネーク、二人の因縁が愛国者達を抹消した。スネークを利用したのは二人の関係性がカモフラージュに便利であるという合理的な動機もあるが、それ以上にリキッドがスネークを認めていた為であるという可能性も高い。そう、二人は対立したまま愛国者達と戦っていたのだ。

 本来は光と影、一方が一方を憎み、殺し合う運命にある呪われた兄弟だが、愛国者達を前に因縁の関係性を維持しながらも持ちつ持たれつの関係に昇華したのが4におけるリキッドとスネークであると私は思う。

 ザ・ボスとその世代が遺してしまった呪物を断ち切り、BIGBOSSが築こうとした秩序に囚われない世界を実現することでリキッドはBIGBOSSを越え、自身の人生を束縛してきた遺伝子という十字架を完全に断ち切った。

 さて、ここまでは壮大な前振りであり、真価を発揮するのはこれからだ。
親父を倒したスネークに打ち勝つ事で自らが頂点に立ち、その存在意義を確立させる。それだけでは足りなかった。

 遺伝子に刻まれた呪いから解放する事でスネークと対等な存在となり、その土台の上で決着をつける事に真の意味がある。全てが終わった時、この時を待ち望んだかのようにスネークに決闘を申し込む。

 スネークとの決闘に臨むリキッド・オセロット、今度こそ因縁の相手を乗り越えるべく、己の全てを出し切るその姿は、まさしく1で打倒スネークに執念を燃やし続けるリキッドそのものだ。模擬人格であるリキッド・オセロットがリキッド本人の理念を完遂してスネークとの真の決着に白黒をつけることにより、欠けていたリキッドの人生を完成し、己の存在の矛盾を覆したのである。

 忌み子として生まれ、遺伝子に束縛された人生だったが、肉体を越えて自身の人生に答えを見つけることでその穢れを払い今度こそ成仏したのである。

 彼が最後に見せた表情は、どこか満足気であったが、BIGBOSSを乗り越えた事実に誇りを持ち、対等な立場として臨んだ決着に満足したのであろう。


オセロットの意志(センス)

 本作におけるオセロット本人の登場シーンは最終決戦のみであるのだが、その短い時間の中からオセロット本人のBIGBOSS基ネイキッド・スネークに対する敬意が十二分に伝わってくる。(例のハンドサインが出た暁に思わず声を上げたのは私だけではないはずだ)

 スネークに呼応し、50年前の戦いの続きを実現しようとするかの如く覚醒したオセロット。ここで疑問なのは、何故BIGBOSS本人ではなくわざわざスネークと対峙する必要があるのかということである。それはスネークがBIGBOSSではなく、ネイキッド・スネークとしての血を濃く受け継いでいるからだ。

 ネイキッドがBIGBOSSとしての道を歩まずに蛇の運命に立ち向かったifの存在がスネークであり、その生き様にBIGBOSSを越えたネイキッドに近い意志(センス)を見出したに違いない。

 オセロットは誇らしげであった。戦いを通し、対立関係であったはずのソリッド・スネークとの間にも、時代を超越した友情が芽生えていた。かつて師であり宿敵であり戦友でもあるネイキッドを追いかけてきたオセロットの青春も、時を越えて完成されようとしている。BIGBOSSに人生を捧げた男の行き着く先が、若き日の青春への帰結なのだと思うと目頭が熱くなる。

 最後に残したオセロットからスネークへの最大の敬意であり感謝ととれるセリフ。

「いいセンスだ」

 思えばこの謳い文句がオセロットの人生の原点であった。50年の時を経て、オセロットはこの言葉をネイキッド・スネークに返す事が出来た。
 彼の人生はこの言葉に始まり、この言葉に終わったのだ。

人生最高の10分間

 全てが終わった時、リキッドとオセロットの人生は原点に回帰する。彼らがそれぞれ持つスネークとの因縁が重なり合った結果、時、肉体、遺伝子を越えて展開される男同士の戦い。個が統制される時代の終わりを告げる戦いであると共に、個が解放された新しい時代の始まりを意味する戦いである。

 リキッドもオセロットもこの戦いをする為に全てを捧げたようなもので、彼らにとっての人生最高の10分間といえ、メタルギアシリーズを総括する最終決戦に相応しい。いわば彼らの人生の到達点であるものである為、私はリキッドの魂の存在を否定する事は出来ないし、どちらの魂が欠けていても成立しない戦いであると思う。


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