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桃太郎伝説を行く(1) 2023.01.08

スクナヒコナのひとりごと


桃太郎の伝説が山梨県大月にある? 私は、はじめ 信じていませんでした。

桃太郎と言えば、岡山県。そのことに関しては、作られたウソだと考えていました。
それは、第七代考霊天皇の第二皇子である吉備津彦命。岡山県一宮の神様である吉備津彦命が、桃太郎のモデルだとされているからです。
 
母は、天皇の妃 倭国香媛。 桃から生まれたなど、本人にとっては失礼な話しだと思いますね。 もちろん、母君には、侮辱的なことをしていると思います。 桃太郎は、庶民から生まれないといけないですね。そのあたりのことを まるで考えていない。失礼なことだと思います。

この原因は、昭和のはじめころ。難波金之助という方が、「桃太郎の史実」なる出版物を出したことに始まります。

彼は、瀬戸内海で悪さをしていた温羅(うら)と呼ばれる悪者退治と。征伐した吉備津彦命を桃太郎と結びつけてしまったのでした。 さらに、黍(きび)という穀物と。岡山県の名産 吉備だんごを結びつけてしまいます。 
元々の黍は、お餅などをつくる穀物ですから 吉備だんごと特定していないのですね。
戦前では、桃太郎の話しが岡山県だなんて、誰も信じていませんでした。

この岡山桃太郎が知られるきっかけは、昭和37年、岡山県での国民体育大会によるものでした。
当時の岡山県知事の三木氏は、国体開催に対して、何かアピールするものがないかと探していたところ。この難波さんの記事を見つけてしまい。岡山県のシンボルとして利用できないかと考えていました。
そんな背景を知らない行政側も これは良いぞ! と全面的に支援。 吉備津彦命は桃太郎のモデルとされてしまったのです。

江戸時代の桃太郎はと言うと。川から桃を拾いあげた説と、特別大きな桃を採ってきた説がありますが。 桃を家に持ち帰って、おじいさんおばあさんが分けあって食べたところ。若返ってしまい、ハッスルしておばあさんの桃尻から生まれたのが 桃太郎となりました。今の桃太郎の話しとかなり違うのです。

元気に育った桃太郎は、一旗挙げようと考えて。 狙いを定めたのが、鬼の宝物。 鬼を退治した英雄の話しではなく。鬼が集めた宝物を奪うのが目的なのでした。
この鬼退治の話しは、後半がありまして。家に帰る途中から 分け前のいざこざがあったのです。猿と犬は仲が悪く、間を取り持つ鳥。それぞれが、一番の功労者だと思っていますから たいへんです。 
吉備だんごひとつで、命懸けの仕事を 動物たちがするわけがありませんからね。

山で会ったヤマドリ。この後、おそわれました。

大月桃太郎にたどってみた。

大月桃太郎は、上野原生まれらしく。鬼退治の場所は、大月にあります岩殿山だそうです。 どちらもJR中央線の駅近くと楽な旅路かと思いきや?
どこを通って鬼退治に向かったのかを予想しなければいけません。三匹のお供に出会った場所が何処なのか?
さいわい、大月桃太郎では。お供の名前の付いた宿場町があるのですね。 間違いなく、桃太郎の歩いた道は、古くからあります甲州街道。
問題は、上野原駅から甲州街道に出て。駅からかなり離れた 長い長い道のりとなること。 とくに 犬目宿が遠いのですね。
いちかばちかで歩いてみて。長過ぎてダメなら辞めて帰るつもりの始まりでした。

2023.0108  正月明けの朝6時08分
真っ暗な冷たい朝のJR上野原駅。大月の桃太郎は、上野原生まれとのことで、ここからスタート。
厳しい冬の朝でした。
わすかに 日があけていない夜明け前の駅前。知らない土地の真っ暗な道を慎重に歩いていました。
ありがたい甲州街道の案内図。東海道の宿場町のように有名な宿場はないから ピンときませんね。目標は、犬目宿です。
07:11  だいぶ明るくなりました。
鶴川宿
08:17 野田尻宿
09:20 犬目宿
手前に この地の英雄 犬目の兵助のお墓がありました。
実は三匹のお供は、動物ではなく、人だったという説があります。昔は、姓名がない時代ですから 村や土地の名前で呼ばれていました。 
たとえば、松の木のそばにすんでる松木さん。橋の下にいるから橋下さんとか。
飢饉で苦しい時に一揆をした兵助。村のためでも 一揆を主導したものは、死罪となります。英雄として、称えられていますが 命懸けの行動です。
犬目宿案内板
02:27 その先にあります宝勝寺さん。
桃太郎伝説の御朱印巡りがあります。
電車と歩きだとかなり厳しい御朱印巡りです。
10:33 鳥沢宿 鳥沢の名前は、犬と猿の間から付けられたそうです。ちょうど、干支の順番で。ひつじ、さる、とり、いぬ、い。ですからね。


11:27 猿橋に到着。日本三大奇橋のひとつだそうです。
両端の付け根の部分に注目。
浮世絵にもなっています。
模型を見ると分かりやすいですね。
木製のため 腐食防止のために屋根があります。
猿が何匹もつながって、向こう岸へ渡る姿を見てヒントを得ました。
実際に渡ることはできないようです。
12:26 大月駅が近くなりました。
おそらく、あの山が岩殿山。
大月駅もあと少し。途中に気になるお寺がありました。
厄王大権現。
桃の石像。
駒橋宿となります。
桃は、邪気を払うのですね。
13:03 大月駅の手前を曲がり川を渡ります。
岩殿山の東側麓にありました円通寺跡
円通寺跡にあります 鬼の盃
円通寺跡にありますお地蔵さん。 左手に持っているのは、桃?
船に乗っているような?
その先に神社がありました。
神社手前にあります 鬼の血
鬼は、桃太郎との戦いで。股がさけて死んでしまったそうです。
13:44 円通寺跡と神社の間に登山口があります。
岩殿山の中腹にあります 鬼の岩屋
鬼の岩屋 
鬼が隠れ住んでいたところだそうです。
隠れ住んでいたのは、赤鬼一匹だけ。鬼は、南の山にたくさんいて。赤鬼一匹だけが、岩殿山にいたそうです。
大月駅に戻って、コンビニにいきました。
ローソンは、桃太郎仕様です。山梨きび団子がありました。
ローソンの向かい側にあるのが、桃太郎神社。
中には、鬼や桃太郎についての資料でいっぱいです。
入場無料です。
大月桃太郎の説明。
大正時代、猿橋名物として桃太郎もちが売られていたそうです。
明治時代の絵本の挿し絵に富士山が?
御朱印。無料です。
15:43 9時間37分33キロの旅路でした。

      考察

様々な言い伝えや伝説。昔話は、何かを意図して作られたと思って良いと思われます。

そこにあるのが何なのか? 桃太郎の場合は、たくさんのメッセージが隠されているようです。

鬼の存在

誰も見たことがないであろう鬼の存在。
間違いないのは。平安時代には、現在のような鬼の姿は存在していませんでした。残っている絵画や仏像から判断しても 鬼に角があるのは室町時代からです。
そのあいだに 鬼とはこういう感じの姿や形をしているもの。時間をかけて、形付けられてきたのだと思います。
桃太郎が作られた目的は、鬼というものの固定概念を作り出すこと。 そのために 全国各地の言い伝えを集めて創作されたのが、桃太郎だと思われます。 
なので、桃太郎伝説の正解の場所はないと思いますね。

今回のメッセージは、

 邪気を払う 桃 でなければいけない。 

 鬼の通り道を追いかけること。つまり、東の丑寅の方角(鬼門)から 西の方角(裏鬼門)に行く必要が、あります。 今回の場合は、上野原から大月ですね。

 そして、 鬼とは、牛のような虎柄のパンツをはいている。(丑寅の方角=鬼門)

 それに対して、裏鬼門の方角は、ひつじ、さる、とりの方角なのですが。 角があるひつじを避けて さる、とり、いぬ とした。 と考えられます。 特に 馴染みある忠犬は、どうしても取り入れたかったと思われますね。
 
さるとりいぬを 去る盗り居ぬ と解釈できますが、桃太郎は捨てられた子供ではありません。子供を間引いた悲しい話しは、この物語にはあてはまらない。と私はみています。

まだまだ、秘密のメッセージが隠されているような桃太郎。
次回は、大月の南に位置する九鬼山と百蔵山に焦点をあてたいと思います。 

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