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「ありがとう」ですら物足りない

どうも。まず、更新遅れてしまってすみません。

昨日は井上尚弥氏のボクシングに熱中していたのと、ここ最近目まぐるしく日々が続いており更新できずにいました。

2階級で4団体統一ですよ。クロフォードと並ぶ鬼神・井上尚弥。まじとんでもない。ボクシング知らない人こそ絶対観てほしい。マジでえっぐいことしてますから。誇張抜きで世界のボクシング史に残る選手です。日本じゃありません。世界です。大事なことなんでもう一回言います。世界のボクシング史に残る選手です。
…伝わってるかな?もう一回言います?

はい、誰か止めてください?

ともかく、自分で決めたことなのに、自分で首を絞められ、なんか勝手に自分で落ち込む。というnoteの名前である「ひとりで」に相応しい状況に陥っていました。

とはいえ、その間にも周りの方と忘れられないやり取りをしたりして、きっちりストックはしていました。

今日は一年の振り返りと、タイトル通り「ありがとう」ですら足りない2023について書いていきます。

まずは、今年の9月にあったことから振り返っていきます。
この瞬間から僕の1年が始まったと言っても過言ではありません。


9月から2023が始まった

このことについての詳細は伏せますが、まあ簡単に言うと「思い描いていた理想から遠く離れてしまった」出来事がありました。

これに関しては僕の責任が大きい。能動的に人生を動かそうと努力をしなかったからだと思う。

誰かに期待をして自分から動くことを最小限にしていた結果として、当然のように降りかかった。

その時にまず、「俳優という仕事を本当にやりたいか?」という原点的な問いに立ち返ることになり、それはそれは地獄のような時間だった。

「何のために生きているのか?」「何のためにこの仕事を選んだのか?」「本当にやりたいことは他にあるのではないか?」という究極の問いって、実は意味がないというか、考えれば考えるほど今まで信じてきたものが陳腐に思えた。

よく世界が灰色に見えてしまうほど追い込まれた人の話を聞くが、僕の場合は「世界の時間が止まった。」という表現が正しかった。

他人に動かしてもらおうとしていた時間を、次は自分の手で動かさなければいけないという自覚が芽生えたのはその出来事から、数日後だった。

…我ながら切り替え早いですね。

大体こういうやつって数ヶ月の葛藤を経てやっと立ち上がるものだと思うんですけど、僕の場合は72時間以内でした。

時間に換算するとえっぐいポジティブ人間に思えます。なんか怖いです。そのうち「一番大事なのは人脈でしょ!」と言いながらテキーラのショットを煽って、「あいつは自分が育てた。」と豪語する大人になる可能性を秘めている気がします。

いや、本当にその人が育てたパターンもあるから一概に悪くは言えませんね。
もう少し思慮深く生きていきます。すんません。

まあそんな感じの出来事があって、急に人生ハードモードになったわけです。

それまでの時間で手元にあると思っていた色んな経歴や人は、砂のように僕の手から落ちて、また一から人生を組み直さなければならなかったわけです。

そして、その中でわかりやすく他人の悪意に触れる機会がやたら増えました。

大きく理想から離れ、色んなものを失った人間の目の前に現れる最初の敵は
「人間性全否定者」です。

覚えておいてください。他人の人生を簡単に切り捨て、挙句踏みにじって唾をかける大人は世の中に当然のようにいます。

僕が何かを持っていたら、こんな仕打ち受けなかったよな。と思うことが多々ありました。誇張じゃなくて本当にあったんです。

しかし、これも裏を返せば人間の本質的な部分と向き合うのを避けていたから感じたのかもしれません。仲間と未開の地に足を踏み入れる時に猛獣や毒虫がいても、協力して逃げたり退治できるかもしれませんが、単独でほぼ真っ裸で踏み入れた先に猛獣や毒虫がいたら、そりゃあ「ひええ」となりますし、そんな猛獣や毒虫に積極的に噛みつかれてしまったのが9月や10月頃の話です。

うまい例えが出てこなくてよく分からない密林に行ってしまいました。

おかえりなさい。

そういえば、タイトルは ”「ありがとう」ですら足りない” と書いているのに、今のところとんでもなくネガティブだなと思われるかもしれませんし、このままこのnoteを終えたらマジのドMでした!ってなるだけなんで、ここから先月今月での出来事を書いていきます。えっぐい巻き返しが起こりました。


自分のために生きる


よく年齢を重ねると、1年短いなってなることが多いようですし自分もそんな数年だったのですが、今年は長い。

つまり、自分ですべきことが増えて「時間が足りない。」という感覚に陥ることが増えました。

それをきっかけに起きる出来事が前年比70%増になり、1日の時間の流れが遅くなって、長いな。となったのかもしれません。

実はつい数日前まで9月にあった出来事が、7月だったと勘違いしていましたし、そこに約2ヶ月分のラグがあるくらいには濃密な時間を過ごしています。

そんな時間の中で、気づいたら人から「ありがとう」を言われることもなぜか増えました。

自分のために様々な人と出会って、色んな繋がりを増やしている過程で、誰かから感謝されているというよく分からない構図です。

今までの方が寧ろ「誰かのため」に何かをやっていたし、「自分のために」というのは割と後回しにしていた気がするんですけど、実は以前noteで書いたように「誰かのために」の裏にある自己犠牲って健全じゃないと思うんです。

よかったらこちらも。

「誰かのため」にやっていることの裏にあった「不健全さ」で人に気を遣わせていたことに原因があるのかもしれません。

9月からまず自分の人生をどうにかしなきゃ、と自分のことをまず第一優先にしたことで、純粋に「誰かのために」が発動できるようになったのかなと考察しています。

自分のことを後回しにして誰かのために動く。って言葉にするとすごく健全なんだけど、献身の先に見返りを求める自己犠牲に思えてしまうのかなと。逆にさらっとしてる純粋な助けによって人に感謝されるようになったというか。

しかし、いざ友人に純粋に「ありがとう」と言われると

言葉に困る。

心の中では、「いや、こんなしんどい時に助けてくれたのはあんただからな!俺何もしてないよ!いや、でも、とりあえず」と思いつつ

「いや、こちらこそありがとうだよ。」と返すのだが

やはり腑に落ちない。

「ありがとう」以上の言葉をどうにかして発明したい。

こう思えるほどに今年の11.12月は満ち足りていた。

なぜこう思えたのかというと、人との繋がりも増えたし、仕事も順調に決まり始めているし、自分の思いを話せる場面が増えたし、心動かされる瞬間が何度もあったし、笑顔も増えたし、純粋に他者を愛おしいと思えているし、という変化があったからだ。

手を差し伸べてくれた友人たちに「ありがとう。」なんて言われても、いやあもうこっちのセリフすぎて!ってなって

寧ろ腹立たしいくらい、喧嘩腰になりそう。

「君たちのおかげでこうやって楽しめてるんだからな、ふざけんな💢 」

とめっちゃ思う。

「ありがとうの大きさに関しては俺の方が大きいからな!!!

と、ここにきちんと書いておきたい。これは絶対譲れない。


ありがとう以上の言葉


ありがとう以上の言葉じゃないと伝えきれない感情がある数ヶ月でしたが、だからどうしても「ありがとう」以上の言葉を知りたいと、とある人に言ったら

愛してますじゃない?

と言われた。

だから僕も、性別や年齢や属性や人種も全て飛び越えて、今年お世話になった全ての人に

愛してます。

と伝えたい。

それを教えてくれたのは今年出会った超絶魅力的なLacoちゃんぴです。よかったらこちらも。

あの、まあ年末なので、これくらいの感謝と愛は伝えさせてください。

そして来年、2024年はこの時間で得たものを具体的に進めていく年になりそうです。

無茶苦茶面白いことたくさん準備しているので、ハードルガン上げでも大丈夫です。それ超えていくので。

いや、あげ過ぎか。

まあ、あの、ゆるーく待っててくださいね。

あと、こちらのnoteも来年からは隔週更新にしようかなと思っています。勝手ながら。というのも、毎週書く時間が取れていないのと、一回に書く文章の質が低下するのを避けるためです。どうかご容赦いただければ。

そちらも決まり次第きちんと書きますね。とりあえず当分は週1かな。

では、良いお年を。

じゃなくて

愛してます。

か。

いや、「愛してます」は破綻してるか。そもそも良いお年を、は未来に向けている言葉だし、ありがとうの場面で使う「愛してます」は過去の行為に向けられてるし、破綻してるな。いやでも締めの言葉としての「愛してます」だったら成立はするんですかね?うーん、難しいすね。

というかそもそもなぜ感情を言葉にしようと思ったんですかね人類って。そもそ…



山本篤士




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