ご冥福をお祈りいたします。(同時に拭えぬ違和感)

先日、JRA騎手の角田大河さんが亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたしますとともに遺族の方の心中お察しします。

はじめに

あらかじめお断りいたしますが、この記事は故人、その擁護をされている方には少々気分を害する内容になると思いますのでこの後の記述を読まれる方は自己責任でお願いいたします。
色々な意見があるのは当然の件とは思いますのであくまでも私個人の見解であり、他人様と論議する気はありませんのでご理解下さい。

本題

ことの始まり

先日、亡くなられました故角田大河騎手が函館競馬場の走路に車を乗り入れ走行する行為が確認されました。これに端を発してJRAからの聞き取り調査の後線路に侵入、電車と衝突し亡くなられました。

世の中(SNSの世界)に対する違和感

当初、世間では大多数の意見として
『許される行為ではない』『追放(剥奪)しろ』
の声が広がっていました。
しかし、時が経つにつれ
『安否ぐらい発表して欲しい』『生きてて欲しい』
との声に替わり、ニュースで既に報道されていた電車との衝突事故で亡くなられていた方が角田大河さんと分かると
『悲しい』『他に相談出来ていれば』
とかの意見がちらほら、挙げ句の果てにはJRAに対して
『厳しく追及し過ぎたんじゃないのか』
『隠蔽したい何かがあったから発表してなかった』
『同乗者がヤバい関係の人間じゃないか』
との批判などに発展しました。
ここからが私個人の見解です。
まず、大前提として亡くなられたことについては心よりご冥福をお祈りいたします。
しかも21歳の前途ある若者が亡くなられたことに対しては悲痛な思いです。
その上で、私は自ら命を絶つことには絶対的に反対です。例え理由があったとしてもです。
勿論、いわゆる『いじめ』によりそこまで追い詰められてその選択をされる方も悲しいかな一定数います…それは、追い込んだ側は絶対許されるべきではないと当然思います。では…今回は?
元々、函館競馬場の走路に車を乗り入れ走行するという前代未聞の事案が発端です。


陰謀、隠蔽説

そこに陰謀説や隠蔽要素を唱える…いや、噂する人が居ますが本当にそうでしょうか?
まずご本人に関しては誰かにはめられただの誰かの指示で仕方なくやっただの言われてますが、結論は分かりません。ですが、『だから何?』と思ってしまいます。そもそもこんな蛮行とも言われているような行為をしますか?それこそ誰かに言われたなら相談すればいいことです。それが反社会的な人物なら警察に相談すればこと足ります。相談出来ないなら、反社会的な人間ってのは甘言を用いて最初に美味しい思いをさせてからつけこんで来るのが普通で、だとしたら何か見返りをもらったことがあるのか?という話です。ならば、それは社会的に許されない不適切交際であり厳罰の対象ではないかと思います。
次に馬主関係者やその家族との説がありますが、それはどうでしょうか。仮にそうだったとして資格を剥奪されないまでもその世界から白い目で見られることになり不利益しかありません。その家族は…もはや一般人と言ってもいいと思います。これに関しては積極的に報道(発表)されなくても仕方ないと思います。そこは個人的交際の範疇で周りがとやかく言うことでもなく、となると個人の判断で今回の行為に及んだことになります。


何故、JRAを批判?

角田大河さんの死去が明らかになった途端に
『追及が厳し過ぎたんじゃないのか?』
『ほんとはもっと前に分かってたのに発表しなかった』
等の声が出ましたね。

厳しい追及?

何故ですか?追及が厳しい?当たり前の話でしょ。やったことは前代未聞、許されない行為です。聞き取りをして本人が自認しようが否認しようが行為が確定されれば言い方は分かりませんし知りませんが
『相当厳しい処分になると思え』
『騎手免許剥奪もある』
ぐらいなことは言われて当然です。以前、話題となった『スマホ事件』の時も前代未聞の文字が踊りました。今回で2回目…というか、合わせ技1本どころか1本負け2回に等しいと思ってます。なので、仮に本人が否認していてその追及が厳しいとしても当然じゃないですか。


発表遅れは隠蔽?

次に『もっと前に分かっていたはず』との声ですが、それもだから何?と思います。
プロスポーツ選手は公人ではありません。ですから、必ずしも死去について発表する必要はないのです。ただ、騎手というのは免許の関係がありますから必然的に発表となるでしょう。
今回、JRAの発表では『連絡が取れていなくて知ったのは9日』とのこと。これは理にかなった説明であると思います。
今回の不幸な事故は列車事故です。この情報社会という現代ではご存知の方も多いと思いますが、列車事故で亡くなれた場合、見た目での人物の判定はほぼ不可能です。おそらく、現場の遺留品に免許証等の身分証があり、そこから推定しDNA鑑定などを行い人物特定をするという流れになります。それを待ってとなると時間は掛かりますし、そもそも連絡を受けるのはご家族(ご遺族)ですので更にタイムラグは発生するでしょう。
これを隠蔽というのはお門違いも甚だしいかと思います。それならば、仮説の域を出ませんが身分証があって鑑定の協力依頼を受けたご家族が一番最初にその可能性を知る訳ですし、ましてや衣服等から察しはつくと思います。ならば、『早く発表しろよ』の声はご家族にされるべきかと思いますが…(決してご家族(ご遺族)を責めろという意味ではありません)
それをJRAに矛先を持っていくのは論点のすり替えでしかないのでは?と感じます。


これで精算?

残念ながら命を絶たれた角田大河さんのご冥福をお祈りいたします。しかし、それで競馬場の走路に車を乗り入れ走行したという行為をうやむやにするのは違いますよね。ましてや、『藤岡康太騎手の件もあったのに…』との声がありますが、何故同列なのですか?故藤岡康太騎手の場合はレース中の事故、言わば職場、戦場で亡くなられた殉職です。
では今回は?自らが過ちを犯し、その全てから背を向けたことです。これを同列に扱うなら藤岡康太さんが報われないのではないでしょうか。
死人に鞭を打つことはしたくありませんが、逃げたと言われても仕方なくないですか。
そもそも命の選択をすることはとても腹立たしいことです。それは世の中生きたくても生きられない方がたくさん居るからです。勝てない病気に負けてしまう方、犯罪の被害に遭われる方、戦争により犠牲になる方…そんななかで自らの命を捨てることは許されるべきではないことであり、全てから逃げることです。
与えられた命を大切にしなければなりませんし、生きている限りなんとか、いや、なんとでもなります。騎手免許剥奪されても生きてはいけますよ。ですが、競馬『村』と揶揄される世界だけで生きてきた方にとってはそれが全てだったんでしょうか…違う世界を知ることも大切だったのではないかと角田大河さんは自らの命と引き換えに教えてくれたのではないでしょうか。


終わりに

色々書きました。厳しい?お見苦しいことも書きました。繰り返しになって申し訳ありませんが、亡くなられたことについては本当に残念でなりません。
ですが、それに関連して亡くなられた途端悲劇の主人公のように扱われること、扱うSNSの世界の人達に違和感を覚えてしまいました。
今後、色々な意味で悲しい出来事を繰り返してほしくありません。
最後になりましたが、ご遺族の方がどうか1日でも早く前を向けるよう、そして、角田大河さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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