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価値観。

岡田斗司夫って方の動画で、フランス人の"友達"についての捉え方の話がされていたのを観て、自分の母親が頭に浮かんだ。

その動画内の話を端的に書くと、ステレオタイプとしてフランス人の価値観のイメージを"友達の人数"で分かりやすく説明されていたんだけど、

その話の中で、フランスの小学生が学校から帰ってきて「自分は孤独だ」と母親に言うと、その母親が

それはあなたが人と違うからで当たり前。偉いことよ。
人間というのは人と違うから、自分と違うことを認め合える友達をたった1人だけ作ってきなさい。

と答えた、って例え話があって、まんま同じことを私の母もよく言うので、嗚呼…私の母はフランス人だったんだなって思った。(めちゃ純日本人)


その話の続きで、

❝違いを認め合えるその子とだけ仲良くすればいいだけで、友達をいっぱい作るということは馴れ合いばっかりをしていて個人がない人間だ。❞

と親に教えられる、って話をしていて、また、

❝その結果、フランス人は3人集まると喧嘩になる。その理由は、ありとあらゆる事が議論で延々決まらないため。ただ、孤立というのは皆当たり前の感覚としてある。❞

とも言っていた。

その"友達多いことが馴れ合いばっかり"って部分には違和感を覚えるし、孤独が"偉いこと"だとも思わない。


私の母を例えに出すと、
どちらかというと母もそのフランス人寄りの考え方だけど、私が子供の頃に、

"色々な人が居て、色んな考え方がある。"

って母から教わって今でも大好きな考え方で、そこに付け加えて、

"だから、色んな考え方があっていい。"

ともよく言っていて、その考え方を私も基本とするように大切にしている。

その"友達"に関しても、岡田斗司夫氏の動画を観る以前から、互いの捉え方を話し合ったことはやっぱり何度もあるんだけど、最終的に2人とも『多いに越したこともないだろうけど結局個人の好みだよね』ってなってた笑。
考え方/捉え方なんてのは、その時々で変わるし、変わっていいとも思ってるし、それが生きているということだとも思ってる。

ま〜確かに、多いと馴れ合いにもなりやすかったり自己がないと振り回されやすくもなるけど、振り回されながら時間と共に考え方が形成されていく場合もあるし、どっちかに良し悪しなんて本当ないなって考えてる。

凄いな〜とかイイね!とは思っても、〜の考え方や価値観が"偉い"なんてのは思わないし、また、強い/弱いとかも、自分にも誰かに対しても当てはめなくてもいいんじゃないのかなって。
ま、当てはめたほうが安心できる時もあったりするから、生きづらくなるくらいなら、それで自分も含め誰かを傷付けてしまいそうになるくらいなら、固執せず本当その時々でいいや♪っていつからかその考え方になった。服みたいに考え方も着せ替えてもいいよねって。
その考え方のほうが自分には合ってるし楽しくて好きだから♪
色々言われて(´;ω;`)ウッ…ってなる時もあるけどね!笑

以前は、流れに身を任せるなんて考え方は自己がないみたいでもってのほかだったけど、今は変幻自在に対応することも考え方が変化することも楽しんでいて、それも私の自己であり、また生きる術の1つなんだと捉えている。=生きてきた証、みたいなね。


なんか最後、友達の話からズレてしまってるけど、大切にできる距離感ってのも人それぞれ違うから、相手のことも自分のこともおざなりになってしまわないように毎日を過ごそう♪

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