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自己紹介✨
小さいころキャンディ♡キャンディに憧れて
私は小さいころおてんばで一度目はブランコの柵の上に乗って落ち、二回目はススキを取りに崖の斜面から落ちて左の腕を骨折し2回も入院した経験から身近に看護師さんがいる感じでした。当時流行っていたキャンディ♡キャンディに憧れがあり、けがや病気をして苦しんでいる人たちの気持ちがわかる看護師になりたいとナースキャップを作って遊んでいました。大人になると更にお給料もいいし、これならお金のない男の人と結婚しても大丈夫と思っていました。そしてどうしたら早く看護師さんとして働けるのか自分でたくさん調べて衛生看護科の高校で准看護師免許取得後、衛生看護専攻科2年で学んで最短の20歳で正看護師の国家資格を取得し都内の大学病院で働いていました。
夕方になると勝手に涙が・・・
働き始めて2年になるころ、夕方になると勝手に涙が出てきてその時はなんで涙が出てくるのかがわかりませんでした。しばらくして自分の患者様に対する思いと病院の求めるナース像のギャップで身も心も限界になり、病棟移動を言われた次の日から出勤できなくなりました。そのころ、家族との関係や両親の問題で明るくふるまい、両親は両親、自分は自分だと割り切っているつもりでした。自分が必死になっているときは自分がどんな状態なのか全く気付くこともなく、ほとんど覚えていないものですね。精神科を受診し、担当医に話を聴いてもらい、お薬をもらって治療していましたがなかなか治らず、とうとう入院に。自分の気持ちをすべてに捧げ、それでも外からの要望に応えようと必死でやってきた自分が壊れてしまったのだと気づきました。あの頃、自分の思いがうまく伝えられない私だったのだと今は思います。自分よりも他人。私さえ我慢すればそれでいいんだと本気で思っていました。感情にがっちり蓋をしました。そして両親にも随分と心配をかけたと思います。
入院して気づいたこと
入院すると、とにかくわがままな自分でした。嫌なことはしないし、やりたいことをやる。祖母に「美穂ちゃんは本当は優しい子なのに・・・」と言われましたが、その自分は本当の自分じゃないと訴え続けました。感情も爆発したんでしょうかね。本当はこうじゃない!違うんだ!と一枚づつ鎧を脱いでいく感じでした。毎日その鎧と戦い続けていました(笑)!!
ふと周りを見ると同じぐらいからちょっとお姉さんぐらいの年齢の入院患者さんたちとお友達になっていました。彼女たちは蓋を開けたら既婚者と付き合っていて体調を崩していたり、家族との距離を上手く創れなかったりと本当に心底自分より人のために行動できる優しいい人たちばかりでした。みんな感情に波がありますが、社会に出ていくために訓練中のような楽しい時間を過ごしました。私も段々と溜まっていたものが解けていき、とうとう退院の日を迎えました。既に私は半年以上もの時間を病院で過ごしていたのです。
社会復帰!
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そして体調を崩してこれ以上休むと病院を辞めなければならないところまで来ましたが、何とか病院で働けるようになったのです。
当時はまだナースキャップをしてもしなくてもよい時代でしたので、私は自分のナースキャップ姿を院内の鏡に映して看護師である自分を誇らしく思いました。新しく生まれ変われた気分でした。
でも、一つだけ自分で守り通してきたことがありました。それは新しい勤務場所で自分自身の入院したことや病気のことを一切言わないということ。復帰してもまだ夜眠れない日も度々あったのですが、精神科の先生へ相談して睡眠薬を使用したり、話をして落ち着きを取り戻して寝たり周りに知られないようにするため本当に必死でした。
陽子ちゃんとの出会い
私はそのころ3人のナースと仲良くなりました。その一人が陽子ちゃん!カラオケに行って歌を歌ったりおいしい食事を食べたり、180(ワンエイティ)とロードスターに乗って出かけたり、彼氏たちと夜星を見に行ったり私が結婚して退職するまでの間本当に楽しい時間だけが流れて・・・
もちろん、私が病気で入院していたことも、まだ夜眠れない日があることも内緒だった。今でも彼女たちが結婚祝いにくれた木製のジュエリーボックスを大事にしています。(オルゴールがならないわー)
グランドファーザーズ♪
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感情セラピーとの出会い
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私は結婚して第一子を出産してからしばらくは専業主婦でした。人生一度は専業主婦になってみたいと思っていました。何年かして知り合いがデイサービスを立ち上げるので声がかかり、看護師として再び働くようになります。営業も初めてでしたし、長男のママ友も一緒に働いてくれることになり楽しくなっていきましたが、経営の勉強もする中で自己啓発も学ばせていただいたのですが、どんどん自分のダメなところが目立つようになりました。それでも介護業界に10年弱を過ごしました。その中でいくつになってもみんなが健康でありたいと思う気持ちが強くなり、42歳の時に自宅でサロンを開業。それから3か月後に突然父が倒れて救急車で運ばれましたが三日目の朝天国へ旅立ってしまいました。
父の仕事は電気工事業でした。店舗などの新店や改装など照明から空調設備、高圧工事などありとあらゆる電気の工事に携わっていました。大きな会社ではありませんが、仕事が回っているなかで辞めるのはいつでも辞められると思い、とにかく妹と二人しかいない姉妹だったので私が代表取締役として後を継ぐことに。従業員の人たちにも協力してもらい、その日その日を過ごしました。いいといわれるものには何でも参加して話を聴きにいったり、組合にも参加したり、自己啓発や研修などにも積極的に参加しました。
仕事の内容は何を言われているのか全く分からず、3年間は泣いていました。コミュニケーション能力も必要で毎日クタクタ・・・悔しくて悔しくて本当に嫌だったので、電気工事士の資格を取得して少しでも理解できるように頑張りました。しかしいくら学んでも、資格を取ってもやればやるほどダメダメな自分に気づいてしまい心にぽっかり穴があいていました。
私がこの仕事について6年ぐらい経ったころ、ナース時代に遊んだ陽子ちゃんをFBで見かけるようになりました。彼女はオーストラリアに住んでいて、ナースをしていました。凄いなぁと思いつつもちょっとしたジェラシーもあったりしたのですが、何と27年ぶりの再会を果たすことができたのです。陽子ちゃんは私の近況を知って満里子さんに頼んで本を送ってくれました。私は感情コンサル®️押野満里子さんの「社長はメンタルが9割」の本を一気読み!!感情セラピーに出会いました。
陽子ちゃんはこちら↓↓↓
感情セラピーを受けて
私は感情がなかなか見られませんでした。
ガッチリと重い蓋をしてきましたから、なかなか蓋が開けられなかったのですね。感情だと思っていた事は、頭で考えた思考で、ちっとも感情に触れてないのです。それでもセラピストの陽子ちゃんには本当に熱心に向き合って貰いました。
すると、少しずつ感情を感じ始めたのです。
私も多くの人に感情セラピーで幸せになってもらいたい
以前の私は、頑張ってるね、凄いね。大好きだよ。という言葉を周りから求めていました。相手のために行動したら、感謝の言葉が返ってくると思ってました。でも思えば思うほど、なんで私はこんなにやってるのに!!という気持ちが沢山出てきて、相手からの見返りを常に求めていたことに気づいたのです。私は自分自身にとても厳しい人でした。私をそっちのけで、常に相手のことしか考えてなかったのです。自分を大切にする事をしていませんでした。
今の世の中はSNSを通して沢山の情報が溢れています。本当の情報がなんなのかわかりづらいですが、これからは自分に嘘がつけなくなる時代になり、人に流される人と自分で何かしたいと求めている人に二分化されていきます。自分の人生は自分が主役です。誰かのせいにしたり、誰かに依存する人生ではなく、しっかりと自分自身の幸せな人生を歩もうと感情セラピーと出会って思ったのでした。
自分を大切にして、これからの幸せな人生を手に入れるためにあなたも感情セラピーを味方にしてみては…
私と同じ様に悩んでいる人たちに1人でも多く楽になって楽しい人生を送って貰いたいと思ってます。