伊勢神宮へ
念願のお伊勢参り。
念願と言っても、伊勢へ行きたいという気持ちが湧いたのも、
多分昨年10月に思い立って
一人で高尾山へ行った後からでした。
あの時自分の想いからの行動を実行に移し、一人で夜が明ける前に山へと登る事が出来た事。
道すがら私はもう一人の私と共にあるという
俯瞰した視点で自分と対話をした事がとても特別な経験として心に残っていました。
その後の熊野の旅でも心が踊り
未知なる場所へと足を進める事
美しい景色や人との出逢い。
今までの神社参拝とまた違う
自然の中にある静けさと厳かな佇まいに感動を覚えたのでした。
そして段々と
“伊勢”へ
という想いが高まっていた時に
旅へのお声掛けを頂いたのです。
出発の前々日あたりに
『天河大辨財天社と伊勢神宮の神様にお伺いのご挨拶をしておくといいよ』と言われたので
心を込めて想いを送りました。
そもそも外宮、内宮と呼ばれている事、祀られている神様か違う事も旅の前に調べて知りました…そんな私なのです(笑)💦
外宮の正宮、豊受大御神様が祀られてるお宮での事。
人出も多く列を作って順番を待ちました。
緊張の中頭を下げ手を打ち
また頭を深く下げる。
そのままの姿勢で自然と目は開き、目線の先にいらっしゃる豊受大御神様にご挨拶とこちらに来れた想いを伝えると
何だか解きほぐされた感じでした。
同時に御幌(みとばりといわれる白い布)が少し上がり向こう側を見せてくれたのです。
"やっと来れた"
と、瞳はじんわり、内側(ハート)からは感情が一瞬のうちに全身に波打ち、頭のてっぺんまで抜けた感じを覚えました。。
「見て。すごい上げてくれてるよ」と。
隣で手をあわせていた友人が言う。
その声でこれはただ事ではないのだな…と感じる。
見る見る間にその布は不思議なくらい上がって行き、
私は顔を上げ前を真っ直ぐみつめていました。
"すごい‥すごい
応えて下さってる”
たまっていた涙は滴となって落ちていきました。
感じたまま私達はハグしました。
宇治橋を駆け足で渡りながら
横目で宇治川を見る。
キラキラとしてる。
あぁ。いつか朝陽が昇る時を見れたらな…等と思いながら足を前に進める。
そしてやっぱり内宮でも
天照大御神様が同じように御幌を上げて下さいました。
どれ位の時だったろう。。
それをどう捉えるかも人それぞれだと思います。
でも、今まで伊勢に来ず
このタイミングで訪れる機会を与えて頂いた事も、やっぱり私にはこう思えるのです。
『この想いの中で味わう感情
が最善だった』
という事。
今の私だから感じられたもの。
そして、それはやはり伊勢だからこそ。
そんな心の機微とも言えるものは忘れられないものとなりました。
今でもその感覚、感動はしっかり残ってます。
私の今までの想いは
神様に全てわかってもらっているのだと感じたのです。
私がそう思えたらいい。
自分の感覚を信じてあげられない事ほど悲しい事はない。
私は私を、自分を信じてる。
この時をこの瞬間を与えて下さる全ての人、もの、コトに感謝します。
ありがとうございました。