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私の働き方〜幼稚園教諭時代の11年〜

Beauty Japanへの挑戦を通して
これまでの働き方を振り返りながら、綴っていこうと思います。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。
前回の投稿にたくさんのスキをいただき、読んでくださっている人からのエールを感じてジーーンとしています♡
そして、私の言葉が少しでも何かの力になればと思います。

幼稚園教諭デビュー
さて、私が幼稚園の先生になりたいと思ったきっかけは、子供の頃の担任の先生がとっても優しかったんですよね。記憶の中の先生はいつも笑っていて、手をつないでくれたり一緒に遊んでくれたり、大好きな存在でした。
今でも写真で見た場面がうっすらと蘇ります。

そんな私は地元大学の教員学科へ進学し、倍率10倍の採用試験に合格して晴れて憧れの母園に就職することができました。

かわいい子どもたちとの夢の幼稚園生活を思い描いていた1年目は、自分の力の無さを知る一年。大学で習った教科書通りに行くはずもなく、子どもたちに指示が行き渡らない、周りの先輩の先生に助けられ励まされながらの毎日でした。

今でもよく覚えているのは新任の4月当初、年中組28名の子どもたちのクラス写真を撮るときに私は子どもたちを四つの列に並べようとしていたんですが、一列並べると次の列がなだれる。なだれている列を整えていると、もうさっき並べた列が崩れている・・。
いつまでたっても集合写真が撮れないのを見兼ねた先輩先生が、地面にサッと2本の線を引き、『みんなー!この線の前に並んで〜!』と笑顔で一言。

散っていた子どもたちが一瞬で整列した時に、衝撃が走りました!
今なら分かることも、当時の新米な私は必死だったんですよね。

私が勤務していた園は遅くまでの残業はありませんでしたが、朝と帰りの園当番・日々の保育や園行事の準備・保護者との連絡など毎日が体力勝負。
一年目は何事にも全力投球しすぎて声が枯れたり疲弊することもありつつ、28人の名前が今でも全員言えるくらい濃厚な時間でした。
(ただ得意だったのは、若さゆえに外遊びでの全力鬼ごっこと行事でのピアノ伴奏。)

仕事の中での学び

幼稚園時代に一番学んだのは、社会人としてのマナー。
当初の私は、本当にルーズな性格で自覚が足りなくて、『これだから新人は・・』と先輩から言われてても仕方のない部分がたくさんありました。女性の職場で特有の空気を読みながら発言するのも、不得意なスキルだったと思います。

また仕事の中では、年少・年中・年長と学年ごとに発達の特徴と、それぞれの先生の強みがあって一つの行事ごとにクラスの結束が強まっていくのを感じるのもやりがいの一つ。
クラス運営はうまくいけば達成感ですが、まとまらないと本当に情けなくなります。毎年試行錯誤しながら、これが自分の保育なのかなと気づいたのは8年目あたりだったような気がします。

また自分の保育を見つけるまで、書き切れないくらいの失敗をしながらも続けることができたのは本音で話せる同期がいてくれたおかげだと思います。
やっぱり何事も仲間がいるって心強い。

ライフステージの変化と退職

実習生や後輩の教育も任されることが増え、だんだんと保育が楽しめるようになりつつ、私を慕ってくれる子どもたちが本当に可愛かったです。
苦手だった行事練習の進行や司会にも少しずつ慣れてきました。お遊戯の振り付けや子どもたちの製作活動を考えるのも楽しかったです。

そしてプライベートでは結婚と妊娠を経験した11年目。高い所の作業やバスの添乗は配慮してくださり、クラス担任をさせてもらいながら、出産と子育てに専念するために退職を選びました。


私の人生の糧となっている幼稚園時代でした。
次回は私の働き方の母親編を書いていこうと思います。
フォローやスキが続ける励みになります。
最後まで読んでくださってありがとうございます。


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