小説  ランプーン

             ラムプーン

第一部 ドーク

 ドークマイは膝が抜けた細身の黒っぽいジーンズを身につけ、くたくたの黒革のサンダルをはいていた。白地に桜色の細かい縞柄のブラウスの裾を外に出し、両袖を肱の上までまくり上げ、蝶結びにした黒いリボンを襟元から垂らしていた。ブラウスは胸で切り替えになっていて、上が横縞、下が縦縞だった。縞目がにじんでいた。身幅が広すぎるのか、だいぶゆったりして見えた。
 遭遇した日のことは鮮明に記憶している。三十数年前の一月初旬だった。
 この季節のタイ北部は天候に恵まれ、日ごと晴天が訪れる。もやっていた朝方の空は、太陽の光が満ちあふれるにつれて青みを帯び、ほどなく日本の晩秋そのままに澄み渡る。寒い朝は一二、三度まで冷え込むが、昼は三〇度以上の熱地に急転する。一帯は海抜三〇〇メートルの盆地である。
 
 昼すぎチェンマイの白象門からラムプーン行きのバスに乗った。三十人も乗れば満員になるバスだった。白いビニールカバーが破れたシートに着席して五分、運転手の真横にすわっていた若い女が尻を上げてやって来た。ラムプーンと行き先を言って十バーツ札を渡すと、五バーツ硬貨を戻してきた。切符は切らなかった。一バーツは六・一円である。
 女車掌に訊ねたところ、この路線は十五分間隔で運行されており、終点は市場の南のバスターミナルであることがわかった。道端で腕を挙げて合図すればどこでも乗せてくれる気楽な乗り物だったが、降車は停留所に限定されていた。バスは国道106号線を下った。
 ラムプーン警察署前で下車した。路傍の標石にはチェンマイから二十六キロと記されていた。バスは白い車体を震動させながらその行程を四十分で走り抜いた。床板の葉巻型の穴から、滑走する路面が見えた。車内はすいていて座席がふさがることはなかった。
この国には安直な売春屋がいたるところに伏在している。タイ人がひそかに『ソン』と呼んでいる悪所がそれである。現状を見定めようと、先月は東北部をへめぐり、新年になって北部に手を付けたばかりだった。
ソンを見学するときめた日は原則として明るいうちに下見を済ませることにしている。所在を確認し、周辺の地景を頭に入れ、建物とその四辺など数点の写真を撮影しておく。ソンは繁華街のはずれにかたまっていることが多い。警察署の前でバスを降りたわけは、たまたまそこが市街のとば口だったからである。
 ラムプーン県の面積は四千五百平方キロ、日本の京都府とほぼ等積だが、北部十七県の中で最小の県である。伝説によれば、このあたりは七世紀から十三世紀まで、モン人が支配するハリプンチャイ王国の領土だった。モン人はインド・ビルマ系の先住民である。
 ラムプーン市はその王城の地だったが、今や往時の面影は跡形もない。古都チェンマイより古い歴史を秘め、旧跡を市中に散在させているにもかかわらず、観光客の注目が集まることもない。人口一万三千を擁する県都でありながら、にぎやか好きなタイに不釣り合いな、日がな一日ひっそりした史都である。
 目ざとく客を見つけて寄ってくるはずのサムローがいなかった。サムローは自転車の後部を改造し、二人分の座席を連結した幌つきの人力三輪タクシーである。ペダルを漕ぐ筋力さえあれば誰にでもできる現金商売なので、どんな辺地でも供給がだぶついている。十分後、やっとサムローをつかまえ、黄色いシャツを着た若い男にいつもの口上を伝えた。
「安いソンへ行ってくれ」
サムローはバス通りをチェンマイ方向へあと戻りした。五分走って大きな運動場の手前を右折した。左手に校舎が見えた。広めの交差点をへて、寺の先を再び右折した。十字路を直進した。左角に雑貨屋が見えた。砂利道に変わり民家が飛び飛びになってきた。
左に曲がって野中の一本道に入った。幅が三メートルもない小道だったが、アスファルトで簡易舗装されていた。道の両側は高さ四、五メートルの自生のバナナが乱立し、根方を身丈に近い雑草が取り巻いていた。二百メートル前方に、上枝を四方に伸ばした巨木が立ちはだかっていた。その先に道は見えず草藪が一面にひろがっていた。見渡すかぎりの青空だった。
左側に十五センチ角のコンクリート電柱が四本ひょろりと縦列していた。二台の空車のサムローが見えた。突き当たりでサムローを降り、車代の十バーツを支払った。
右側に二軒のソンが隣り合っていた。どちらも数百平方メートルの地積があり、二棟の長屋を鉤の手に配していた。下草を踏みながら奥まった方のソンの裏手に回り込んだ。枝に渡されたロープで四枚のブラジャーが風にひるがえっていた。木漏れ日がまぶしかった。
デイパックからカメラを取り出してシャッターを切った。概略がつかめたので、道ぎわで待機していた運転手に最寄りのバス停まで引き返すよう指示した。
「ソンに来たのに、女と遊ばないのですか」
 運転手が異をとなえた。
 まだ平日の日盛りなのだ。私の調べでは、地方のソンは通例夕方六時か七時に開店し、深夜一時か二時に閉店している。
 空車のサムローの脇で二人の運転手が談笑している。自分たちが乗せてきた客を待っているのだ。少なくとも二人の客が遊んでいる。ここは日中も店を開けているのだ。
「夜は客がいっぱいですよ。今ならいい女を選べます」
 親切が半分、チップ目当てが半分といったところだろうが、私には私の都合があった。 けさは五時前に起床してチェンマイ近郊を飛び歩き、とっくに油が切れていた。一刻も早くホテルに馳せ戻り、シャワーを浴び、冷たいビールを飲み、冷房のきいた部屋で昼寝をむさぼりたかった。
「悪いけど、今は遊ぶつもりはない」
 運転手に不承知を告げていると、背後でかすかな足音がした。
 ショートヘアの小柄な若い女が、空手で歩いてくるのが見えた。草食動物ににじり寄る黒豹を思わせる足づかいだった。反射的にレンズを向けてシャッターボタンを押した。
 彼女は三台の空のサムローに一瞥をくれてから、こちらにくるりと目を向けた。額をおおっていた髪がイチョウの葉形に割れ、黒々とした太い眉がのぞいた。前髪を眉毛の下で切りそろえ、横と後ろの髪を襟足に沿って水平に切り下げている。緋色の口紅以外に化粧っ気はなかった。
北の女の三大特徴は、色白、丸顔、アーモンド型の眼である。ところが目の当たりに見る女は、小麦色の肌、細面、明眸の持ち主だった。とがった鼻と華奢な顎に目が行った。
この娘の面立ちは、連綿とつながったモン人の血がもたらしたものかもしれない。
右手首がにぶい光をはなっていた。幅五、六センチの銀色の腕輪で、まるでツナ缶の蓋と底を切り取って手首をくぐらせたような見てくれだった。中指に赤い石の指輪をはめていた。左の手首と肱の中間に男物のデジタル腕時計をとめていた。金の光り物がどこにも見当たらなかった。
金は政変やインフレに左右されない貴重な財貨である。多くの売春婦が貯金をはたいて純金のイアリングやネックレスを手に入れ、耳や胸元をキラキラさせている。金のアクセサリーを所持することは、おしゃれをかねた蓄財になっているのである。
鼻先に立っている娘は、過去に接したことのない変種だった。見目だけではなかった。売春婦の大半は人生をなかば見かぎってしまったかのようなふてぶてしさとだらしなさをただよわせているものだが、この娘は瞋恚というか憂憤というか、ある種の怒気を放散させつつ一身をよろっている。
素人女がこんなところに立ち入るわけがない。ましてここは袋道だ。疑いなく売春婦のはずだが、目違いもありうるのでさぐりを入れてみた。
「こんにちは。ちょっと教えてくれないかな。ここはソンだよね。安いのかな」
「三十バーツ。あたしは五十バーツ」
 真率な即答が跳ね返ってきた。まっすぐな声音だった。背筋が伸びている。上背は一五〇センチあるかないかだ。
 茶色の瞳だった。下の目縁に沿ってぷくっとした隆起が走っている。深い二重瞼だった。強い眼で私を見ている。この娘は気おくれすることなく私に立ち向かっている。私は姿勢を正した。真っ昼間の路上で娼婦と差し向かいで立ち話をするのはこれがはじめてだ。
「あなたの名前は」
「ドークマイ」
ドークマイはタイ語で「花」である。
「ここの地名は」
「グーチャーン」
「あなたの年齢は」
「十九」
この国には十九歳を娘ざかりとする通念があるらしく、十人の売春婦がいれば六人以上が十九歳と言い立てるのである。ドークマイが私の左手のカメラに目を落とした。
「あなた、あたしと遊びたいの」
「いいえ。今はとても疲れています」
 ふっくりした紅唇の両端がえくぼ状に落ち込んだ。
「どこに泊まっているの」
「チェンマイのアノダードホテルです」
「何時に来るの」
 腕時計を見ると二時だった。
「そうですね、六時半に来ます」
 ドークマイは黙したまま奥の方のソンに消えた。
 四十路をこえたというのに、たかが小娘に翻弄された自分がふがいなかった。サムローに揺られていると、いら立ちが声になってはじけた。
「遊びに来るなんて勝手にきめるなよ。ここには来ないぞ」
 学校前からバスに乗った。すわったとたん、総身が熱くなってきた。疲れ果てているのに非常な怒張が起きている。あの女の眼にとろかされたのか、鼓膜の奥で脈打つ音がとどろいている。あの女を抱かなければこの情火はしずまらない。
 バスを飛び降りて会いに行こうか、迷いつつシャツの袖をつまんでみた。汗まみれの体は悪臭を発していた。断念するしかなかった。
 五分たたぬうちに埋み火が燃え立った。幾度か座席から腰を浮かせている間に、ミニバスはチェンマイ市内に入っていた。
 シャワーを浴びて待望のビールにありついたものの、さっぱり味がしなかった。二本目も苦いばかりで酔いが回らなかった。昼寝をあきらめ、英字新聞を買いにホテルを出た。
 四時十五分、コーヒーをがぶ飲みし、再度シャワーをつかった。すみずみまで洗いきよめ、入念に歯を磨いた。
 四時四十五分、宿をあとにした。薬局に立ち寄って、日本原産のリポビタンDとタイ国産のM100〈エムローイ〉という強壮ドリンク剤を一本ずつ立ち飲みした。どっちも十バーツだった。ビールくささを消すためにガムを噛んだ。
 グーチャーンに到着すると同時にピンクの螢光灯が点灯し、東屋がぱっと明るくなった。
「わあ、いらっしゃい」
 きっかり六時だった。籐の長椅子に腰かけていたおかっぱ頭の三人の娼婦が、私を見上げて笑いさざめいた。見るからに山出しの娘たちだった。
 娘たちは農村から出稼ぎにやって来る。仕事といっても野良仕事くらいしか経験していない。おぼこ娘が一足とびに住み込みの売春婦に転身するのである。
 胸にあるべき番号札がなかった。首をめぐらしたが、飾り窓も遣手婆らしき中年女の姿も目に触れなかった。
 飾り窓は売春婦たちが居並ぶショーウィンドーである。大部屋がガラス窓や格子で仕切られていて、ひな壇に十人ばかりの女が黙座している。ピンクの螢光灯が女たちの満面を照らし出している。光が強すぎるせいか、顔の凹凸が飛んでどの女も似たり寄ったりに目に映る。
 女たちは円形または楕円形のプラスチック製の番号札を胸元にとめている。札の色は赤、青、金などである。色によって料金が異なるのだ。七、八人がテレビに見入っている。二、三人がレース編みをしている。扇風機が首を振って人いきれを撹拌している。
 向かい側の客席はほの暗く、縁台に腰を下ろした男たちが前のめりになって物色している。好みの女が見つかったら、飾り窓の前で手ぐすね引いている遣手婆に番号を伝え、代金を前払いするのである。
 一般のソンでは女は飾り窓に隔離され、客との会話は禁じられている。誤解を招く言い回しかもしれないが、このソンは放し飼いのような雰囲気をかもしている。
 目前の娘たちは口紅をさすこともなく、地顔のままで就業している。服装も客商売の身じまいにそぐわない、洗いざらしたTシャツやタンクトップなどの普段着を着用している。
 飾り窓も番号札もない。遣手婆もいない。女は素顔で接客している。これでもしピンクの照明がなかったら、ここがソンであることを見すごしてしまいそうなたたずまいだった。
 もちろんこの国でも売春は非合法だが、どこのソンももっとおおっぴらに営業している。なぜ人目に立つことをはばかっているのだろう。当局に睨まれているとか、何か面倒な事情をかかえているのか。
 前夜出向いたチェンマイ市内中心部の売春街も三十バーツだった。スラムの一隅に七軒のソンが軒を連ねていた。地方でのショートタイムの通り相場は五十から六十バーツであり、三十バーツというのは十年以上も前の値段である。それまでの最安値ではあったが、鳥小屋のような飾り窓に座していたのは、売り値に見合った売春婦だった。
 発育不全の女や年増が多かった。聾者や知的障害者も詰めていた。それでも各人が顔をつくり、よそ行きで盛装し、円形の赤い番号札を胸に、静かに客を待ち受けていた。金色の札を付けた十代の女が一人、最前列で遊客を挑発していた。五十バーツの妖花だった。
 三人の娘の丸い顔とむっちりした体つきが血続きを思わせた。姉妹が同じソンで仕事をしている例は稀有ではない。
「きみたちはきょうだいかい」
「これが妹、これがいとこ。あたしは十九歳、この二人は十六歳。みんな三十バーツ。あなたは三人の中で誰が好き。ほら、そこにすわりなさいよ」
 姉が目の前の縁台を指さした。
「ありがとう。きょう、ここで会った女に会いに来た。六時半の約束だ。名前は……」
 名前が出てこなかった。茶色い眼の痩せた女だと付けたすと、娘たちはそれならドークだと声をそろえた。ドークはドークマイをつづめた呼称である。
「ここで働いている女は何人」
「六人」
 十六歳の妹が手にしていたタバコを口にくわえ、マッチで火をつけながら応じた。今までで一番小ぶりなソンである。姉が膝を乗り出してきた。
「あなたはどこから来たの」
「日本だよ」
 客を送り出した十七、八の娘が私の隣りに腰を据えた。いとこが素早く話に割り込んだ。「この日本人、六時半にドークと遊ぶんだって」
「ドークは出かけてる。帰るまで時間があるから遊ぼうよ。三十バーツでいいからさ」
「どうもありがとう。だけどそれはできません」
 四人の娘たちに冷やかされながら、ドークを待ち続けた。
 空腹を刺激する温気が流れてきた。横手で若い男が幅広麺を湯がいていた。テーブル一つに椅子四つの屋台食堂だった。ことを終えた客がプラスチックの丸椅子を尻に当てていた。ソンの来客を当て込んだ小あきないである。
 短冊に献立が書き出してあった。これくらいのタイ語ならなんとか読める。麺類と焼き飯が十バーツ、ビールが五十バーツだ。ビールは盛り場の冷房レストランなみの高値である。価格と店構えを見合わせると、どの料理も割高だった。ビール一本とドークの肉体が等価だったことに気づいてはっとした。
 六時二十五分、ドークが帰ってきた。昼間と同じ服装だった。心なし歩き疲れたような足つきだった。目が合ったがドークは表情を変えなかった。
「こんばんは、ドーク」
 ようやく笑顔を見せた。左の口角から数センチのところに胡椒粒大のホクロがあった。
「こっちに来て」
 ドークは長屋を通りすぎ、奥のバンガローの前で立ち止まった。この娘は特別待遇を受けているようだ。どうやら売れっ子であるらしい。一人だけ接待料が高いのもそのあらわれなのだろう。かたわらで十四、五歳の少年が焚き火をしていた。ドークは少年を呼びつけ、ノーンだと言いたして引き合わせた。
「元気かい」
 タイ語の「ノーン」は「弟」あるいは「妹」という意味である。飲食店でボーイやウェイトレスを呼ぶときにも使われている。だから実弟とは限らないのだが、この少年が本当の弟だとしたら、こんな状況下で、どんな挨拶がふさわしいのだろう。
「元気です。ありがとうございます」
 少年がはきはきと受け答えした。
 バンガローとはいっても、コンクリートブロックを積み上げて四壁とし、上に草屋根を載せた仮小屋だった。ドークが扉を引き開けて左手を伸ばし、頭上をまさぐっている。ぱちんとスイッチの音がして部屋に明かりがともった。
「先に入って待っていて」 
 靴を脱いで室内に入った。ドア枠の上の一本の螢光灯が唯一の照明だが、電圧が二二〇ボルトのせいかけっこう明るかった。螢光管がじいじいと音を立てている。
 六畳余の部屋だった。床に上敷きが敷きつめてあった。藍色の地に八角形の白い絵皿のような文様を散らしたビニールカーペットだった。椅子はなかった。
 作り付けの寝台があった。マットレスの上に鶯色の敷布がかかっていた。寝枕と抱き枕が曲尺のように直角に配置されていた。二つの枕は共布で色は濃紺、タップを踏む白いミッキーマウスがプリントされていた。寝枕の真向かいに、芥子色の毛布と空色の掛け布団がたたまれていた。
ドアの右に薄緑色のビニール製衣装ロッカーが据えてあった。日本ではファンシーケースという商品名で流通していた、若者向けの組み立て式家具である。七、八枚のTシャツやトレーナーが収納され、数本の針金ハンガーが遊んでいた。
 衣装ロッカーの脇に縦横八十センチの板張りの窓があった。壁のコンクリートブロックを四角形に抜き取って、そこに木製の窓枠を組み込んでいる。左側に開く押し窓だった。ガラス窓ではないので外は見えない。バスの車窓から家並を眺めていて見知ったことだが、窓ガラスはいまだ普及品ではないのである。
 窓板のベニヤがキャンバスになっていた。中ほどの桟を境にして別々の絵が描かれていた。上が一羽の青い鳥ととぐろを巻いた赤い雲、下が高原の夕景だった。上の絵は心象を描出したものと推察できたが、絵組みといい配色といい、どこやら妖気をはらんでいた。
 窓枠に打った釘から、ぴかぴか照りはえる栗色のひょうたんが一つぶら下がっていた。上のふくらみはチューリップのつぼみ程度だが、下は優に一リットルは入りそうなひょうたんだった。その左に深紅、浅紅、淡黄など四枚の薔薇のポスターが見えた。
 正面右の壁に真っ赤な木箱が固定されていた。A3判ほどの大きさの飾り箱で、周縁に象形文字様の筋彫りが施されていた。ガラス板が引き違いにはめられていた。内部は三段に等分されていて、下段に一葉の写真が立てかけてあった。
 青いジーンズをはいた十歳ぐらいのドークが、どこかの遊園地で巨大なビニール模型のビール瓶にもたれてにこにこしていた。ガラス板の上で銀色の十文字がきらめいていた。タバコの銀紙を切り貼りしたものだった。
飾り箱にベージュ色のポシェットがかけ渡してあった。バッグの左下に赤い絵の具がべっとりついていた。朱肉をたっぷり付けて押した指紋のように見えた。
左隣りに四〇号の大きな絵がかかっていた。木枠の上に画布を張り、白い顔料で塗りつぶし、上から絵の具を塗り重ねた風景画だった。
コルゲート歯磨きの赤い空き箱が立体のまま壁上部にとめられていた。一メートル左に厚紙でこしらえた実物大の朱色の郵便箱が取り付けられていた。日本でも見受ける縦長の郵便箱だった。上に郵便物を出し入れするための蓋が付いている。部屋奥の郵便受けに手紙が配達されることはない。あの娘は誰からの便りを待っているのだろう。
ベッドの頭側の壁に、田の字形に穴のあいた透かしブロックが六個はめ込まれていた。通風のための換気口だった。そのすぐ上に二〇号の絵が、四〇号の絵と向き合うようにかかっていた。前者は川辺の暮景、後者は早朝の湖畔の風色を写し取っていた。
壁紙は四種類の薄地の取り合わせだった。布地や色柄からしてシーツの端切れらしかった。隙間風でまくれないようコンクリート壁に接着してあった。
壁面が三十点を越えるポスターやコラージュの類で埋め尽くされていた。室内が騒々しいくらいの多彩であふれかえっていた。
タイの娼婦の個室は意外に簡素で殺風景である。目につく物品といえば、必需品である扇風機、出立前に親兄弟と撮った写真、接客数をメモしたり帰省までの日数を見たりするカレンダーくらいだ。
この部屋には雑多な壁飾りが山ほどあるのに、家族の写真がない。カレンダーは名刺大のものが十二枚まとめて郵便箱の横に貼ってあるが、今年の暦でも去年の暦でもない。
 ドアを閉める音に振り向くと、若い娘がコアラの縫いぐるみを胸に抱いて、ドークの背後で微笑をたたえていた。ドークが扉の掛け金を掛けた。
「きれいでしょう。眼がかわいいの」
「これは日本人でキクチ・モモコという歌手だ。歳は多分きみと同じで、十八か十九だ」
「日本人だったの」
 ドークはドア裏のポスターの美少女が日本人だと宣告されて唇をとがらせた。
壁と寝台の間隙に縦三十センチ、幅一メートルの縁台が挟まっていた。桃色の布がかかっていた。横に長いサイドテーブルだった。制汗パウダー、角型の裁縫箱、プラスチックの赤いざる、モノラルのラジカセ、カセットテープの山、スケッチブック、陶器の一輪挿し、青い羽根に花のシールをびっしり貼った扇風機などが整然と並んでいた。
扇風機の横で身長二十センチのソフトビニール製の人形が壁にもたれていた。手編みの王朝風ドレスで正装した金髪碧眼の人形だった。若草色のスカートは褪色し、裾がほころびていた。柿色の豚が寄り添っていた。中空の成型品で背と腹に穴があいていた。
 裁縫箱の上でべっこう色の丸い目ざまし時計が時を刻んでいた。ざるの中で、2Bの鉛筆、ミニサイズの赤色電球、櫛、手鏡などが折り重なっていた。
「カセットは百本持ってる。音楽が好きなの」
 この娘を写真に残しておきたくなった。私はおりおりに飾り窓や娼婦の部屋を盗撮してきた。本人の了承を得て売春婦を撮影したこともある。けれども、それらはあくまで資料の収集のためだった。
「きみの写真を撮る」
 カメラを向けるとドークはすかさずポーズをとった。左肱を曲げて壁につけ、手の甲を耳に当てた。レンズを見据えている。ストロボが放電し、白銀の膜がドークに貼り付いた。「もういいの」
「ああ、終わった」
ドークはミニサイズの赤色電球を豚の腹にねじ込み、プラグをコンセントに差し込んだ。柿色の豚が淡紅色の光をはなった。白く冷えていた夜気に血の気がさした。ドークは螢光灯を消し、豚の電気スタンドをあちこち置き換えながら、陰影の出来具合をさぐった。豚は衣装ロッカーの上に落ち着いた。
ドークは髪を二分し、黒いゴム紐で左右に束ねた。ブラウスとジーンズを脱いで背を向けた。石鹸の移り香がかおり立ち、細づくりの背中があらわになった。私はブラジャーをはずし、ショーツに手をかけた。ドークは私の指を払いのけ、自らの手で抜き取った。これから実践される出来事は、自分の意志によるものだと我を通しているのだ。
ドークは煮詰まったおんなのにおいをたぎらせていた。こちらがしっかり欲情していなければ力負けしそうな動物的なにおいだった。
この期に及んで尻ごみしてどうする。私はこの女を抱くためにここに来たのだ。深く息を吸い込み、肉欲に鞭を当てた。
オレンジ色の炎がゆらめいていた。透かしブロックのあいだから焚き火をしている少年の後ろ姿が見えた。ベッドとのへだたりはほんの数メートル、現場の状況が音や声になって届く距離だった。
「弟がそこにいる」
「気にしないで」
 耳を疑った。ドークには弟を遠ざける意思がない。私一人が気を散らせているのか。ドークは膝を開いて誘っている。観念し、息をとめてドークの躯に分け入った。
 時を移さずドークは反攻を開始した。すでに極限に達しているのに、さらに深く迎えようとからだをぶつけてきた。ドークは瞬時もじっとしていなかった。私の髪を握りつぶし、耳たぶをかじり、耳の穴に息を吹き込んだ。両膝を屈曲させて乳房を押しひしぎ、もっと奥を突けとけしかけた。だがそれ以上の接触は無理だった。
 じれたドークは密着したまま身体を横ざまに半回転させ、両手をベッドについて尻を突き出した。汗ばんだ腰にすがりつくと、ドークは肱を折って上半身を沈め、はずみをつけて後退してきた。力まかせの律動が連続した。ドークが胴をひねって唇を求めてきた。
 呼気に発情のにおいがこもっていた。この女は五体をまるごと性の感官に転じ、ほしいままに使い尽くしている。生まれてはじめて体感する自在なセックスだった。
 ドークが肉食獣のように躍りかかってきた。仰向けにした獲物の双肩を両前脚で押さえつけるような体勢をとって、全身を打ち下ろしてきた。深部に突き当たるごとにドークは小さくうめいた。躍動に非情が重なり、身ごなしが自虐の色を帯びてきた。甘美な感覚が消し飛んだ。ドークは小刻みな息づかいを繰り返している。
 快楽がほしくて女とまじわるわけではない。だから快感など些事にすぎないが、私が感じ取っているのは手に余る鈍痛だった。女の官能がいかに複雑多岐をきわめるとはいっても、ドークはこんな荒々しい身動きで性感を深められるのだろうか。
 何がドークを駆り立てているのだろう。望まぬ妊娠をしているのか。処置に困って堕胎を画策しているのか。この場合それがもっとも妥当な解釈だろう。それでもなお私はこの判断にくみしたくなかった。実利的な動機にしては、響いてくる切情があまりに根深かったのだ。
 ドークは男という暴虐な性にいどみかかっている。幾重にも鬱積した悲憤を投げつけている。ずうっと犯されるままだった、女というやりきれない性にいきどおっている。肉穴になり下がった女体を折檻している。
 心火にあおられるままに憎むべき男根を内奥に打ち込み、女の性の根源を突き崩そうとしているのではないか。天敵を道連れにしようとするたくらみもあるかもしれない。
 ドークがどんな形相になっているのか、見届けたくて上体を起こしたが、逆光で見えなかった。狙いが何であれ、私に白羽の矢が立ったのだ。ドークが一体なぜ私を選んだのか見当はつかないが、抜擢にむくいるためにもドークの胸の炎が燃え尽きるまで好きにさせるしかないと腹をくくった。
 目ざまし時計が目に入った。ベッドに入って三十分がすぎていた。痛みがいや増すにつれ終結は遠のいている。といって終わったなどと嘘はつけない。ゴム膜にへだてられてはいても、ドークのなかで射精するよりほかに、この情炎を消し止めるすべはないのだ。
 時間の経過とともに不安がつのってきた。ドークは粗暴な動きをやめようとしない。それどころか凶猛になっている。このままではドークのからだがそこなわれるかもしれない。私だって無傷では済まないだろう。
 私はやすやすと変節し、終止符を打つための焚き付けを掻き集めにかかった。作業は思いのほかはかどった。間もなく、熱血を噴き上げるような灼熱感が精管を突き抜けた。ドークが崩れ落ちてきた。ぐにゃぐにゃになった肉塊が腹の上で肩息をついていた。
 ドークのわななきが間遠になるのを待って、両腕で抱き込んで脇におろし、枕をあてがい毛布をかけた。音を殺して身じたくを済ませ、腕時計をはめた。百バーツ札を一枚テーブルに置き、忍び足で外に出た。いつしか焚き火は消え、少年はいなくなっていた。
 国道を行きかう車のヘッドライトがまばらになっていた。八時を回ったばかりだった。バス停で二十分待ったがバスは来なかった。この町にタクシーは走っていない。どうやって二十六キロも離れたチェンマイまで帰ったものだろう。途方に暮れているところにピックアップが寄ってきた。荷台に二列の座席を据え付けた乗合トラック、ソンテオだった。
 幌でおおわれた荷台に入ると八人の先客がいた。大方が若い女だった。娘たちはよそ者に冷ややかな目を向け、ひそひそ話をはじめた。数人が眉をひそめた。私は最前の淫らな所業を見抜かれているような弱気にとらわれて顔を伏せた。
 車が振動するたびに股間がずきんずきんうずいた。ドークはどうしているだろう。出血していなければよいが……、一晩だけでも同衾すればよかった。後悔が津波のように押し寄せてきた。
 並木道に差しかかった。フタバガキの老木が道の両側に十キロにわたってつらなっているところだ。トラックが速度を上げた。106号線は片側一車線で道幅にゆとりがない。車は巨樹を避けて道路の中央を疾駆している。対向車が来るたびに運転手は急ハンドルを切って衝突を回避している。そのつどタイヤが悲鳴をあげている。
 娘たちの顔色が変わった。私が最年長だったので是非もなくその場を代表するかたちになった。四十代の運転手に大声で呼びかけた。
「もうすこしおそく運転してください」
「俺の運転を見せてやろう」
 運転手は首をねじ向け、薄笑いを浮かべ、アクセルペダルを踏み込んだ。
 チェンマイのバスターミナルに展示されていたモノクロ写真が現実になろうとしていた。交通事故の凄惨な光景だった。十人の犠牲者が路肩に横列させられていた。まさに魚市場の冷凍マグロだった。
 ソンテオが衝突横転し、乗客が荷台から投げ出されたのだ。すべての遺体が少量の鼻血を流していた。目を引く外傷はなかったが、打撲のためか全体がアザラシのようにむくんでいた。死者が責めを負うことではないけれど、どの顔を見ても人間らしい知性の残照が認められなかった。
 私は車による事故死を殺意なき殺戮ととらえている。過程をなおざりにした臨終、藪から棒に魂を引き抜かれる最期などまっぴらごめんだ。私はあんな死に方をしたくない。
 九時、ソンテオはチェンマイ市内へ帰着した。運賃の十バーツを払ってトラックを降りると、押しやられていた鈍痛がたちどころに再発した。
 ホテルの自室にたどり着き、ほっと息をつきながら放尿した。手を洗い、ふと洗面台の鏡をのぞくと、口や頬や耳にドークの口紅が残っていた。それらが目に飛び込んできた瞬間、ドークが六時二十五分に戻ったわけが呑み込めた。
 私は六時半に来ると言い残した。もしドークがあのまま従業していたら、私の到着前に別の客に指名されたかもしれない。ドークはそれを避けるために外出し、ぎりぎりまで時間をつぶしていたのだ。私がいるのをたしかめたくて、時間の五分前に戻ったのだ。
 ドークは私の片言を信じ、さらの肌身のままで私を待つと思い定めていたのだ。焼き印を押されたような、ひりひりする熱感が身内にあふれてきた。
 ドークは心も身も疲弊しきっていた。今夜はもう客を迎えられる状態ではあるまい。せめてあと百バーツ払うべきだった。

 あくる日の昼、ドークは椰子の繊維を束ねた手箒でバンガローのごみを掃き出していた。七分袖の白いトレーナーに柄物の赤いベストを重ねていた。黒いジーンズはそのままだった。直毛を真ん中で分けていたが、地髪が密なせいか分け目がはっきりしなかった。洗ったばかりらしく髪の毛がつやつやしていた。
「元気かい、ドーク」
ドークが顔をあげた。不意の来訪だったが、驚いた気振りはなかった。
「元気よ」
 本当の心がかりはドークのからだが健在かどうかにあった。私の鈍痛は依然として糸を引いている。タイ語で女性器を「ヒイ」というのは知っている。できることなら蛮勇をふるい起こして「ヒイは元気かい」と問いかけたかった。
 ドークがゴム草履を突っかけて出てきた。ベストの絵柄は薄紫の猫が同色のネズミに向かって尻尾をぴんと立てている漫画で、地はつつじ色だった。猫の下にみかん色のアルファベットが浮き出ていた。Tom&Jerryではなく、Tom&Catだった。
 トレーナーの広い襟ぐりから長細い首と鎖骨が出ていた。撫で肩ではなく、角張った肩だった。着痩せするのか胸のふくらみは目立たなかった。
 危惧していたよりずっと色つやがよかった。女のからだが想像以上に頑健であったことに脱帽した。夕べの余燼なのか、着衣の色がうつっているのか、眼の下から頬にかけてほんのりと赤みが差している。それを目にしてもう一度ドークを抱きたくなった。
 しかしここで情欲を口外すれば、ドークをけがしてしまうような気がする。ドークは私を拒絶しないだろうが、この場は劣情を押しつぶすしかない。
 前夜は屈託が見え隠れしていたが、きょうのドークは生気が充溢していてまばゆい。
「きみの写真を撮る」
「どこにしようか」
「外がいい」
 私たちはバンガローを一周した。外壁はコンクリートブロックを十一段積み重ねたもので、壁面が白と水色に塗り分けられて横長の市松模様になっていた。地面から屋根のてっぺんまでの高さは二メートル五十センチだった。
 ブロックが不足したのか節約のためか九段しかない箇所があった。横降りのときに雨が隙間から降り込みそうなのが気にかかった。
 ドアのすぐ右手に割れたブロックで囲ったささやかな花壇があった。五弁の黄色い花が咲いていた。ポーチュラカの一種だろう。
 壁に三〇号ぐらいの絵があった。これもベニヤ板のキャンバスで、薄紅を主色とした春の色感に満ちた絵が描かれていた。枝ぶりのよい樹木と、枝先でたわむれる二羽の尾の長い鳥を活写している。どこか日本の花鳥画を思い起こさせる色調だった。右端のちょうつがいが目に入って、それが押し窓の外面だったことに気がついた。
「これ、きみの絵かな」
「そう」
「じゃ、ここだ」
ドークは絵の左側に立って、レンズに目を合わせた。
私はカメラを縦に構え、ゆっくりとシャッターボタンを押した。
「見たいものがあれば言って」
「なんでも見せてもらえるのか」
「なんでも見せてあげる」
 ドークの先導で構内を見て回った。バンガローの脇に紺青のスレート屋根とクリーム色の壁の平屋が立っていた。床面積は六十平方メートル強、モルタル塗りの堅牢な家だった。ホンダの赤いミニバイクが立てかけてあった。ここの経営者が住んでいるのだろう。
 棟割り長屋はコンクリートブロックの壁の上にトタン屋根を固定した構造になっていて、部屋数は二棟合わせて八間あった。このソンで仕事している女はドークを含めて総勢六人だから、三人の欠員が生じていることになる。
 どの部屋も四畳半の広さで窓がなかったが、上方の切り窓から外光が差し込んでいた。この小間が女たちの仕事場兼寝部屋である。ソンの個室の大多数は三畳以下であり、普通は窓のない閉鎖空間だから自然光は入らない。それを思えば上の部類に入る部屋だった。ただドークのバンガローと見比べると色彩に乏しく、娘らしい装飾や小物が見えなかった。
 半数のドアに大判の印刷物が貼ってあった。半年前に実施された下院総選挙のポスターだった。「前進党」の三人の立候補者が一枚の上質紙に仲良くおさまっていた。女郎屋に選挙ポスターを貼り出す政治家と掲出を承諾するソン、そこにはいかにもこの国らしい断面が露呈していた。当選のためにはなりふり構わぬ地元の有力者と、ちゃっかりと権勢を笠に着ている業者の姿である。
「これ写真を撮っていいかな」
「どうぞ」
 白いペンキで「WELCOME」と書き記したドアがあった。
「誰がこの英語を書いたの」
「あたし」
 タイの小学校では高学年に初歩の英語を教えているのである。もっともここに外国人が来遊したことはないそうで、せっかくの「歓迎」もこれまでのところ役に立っていない。
「これはあたしの部屋」
「えっ、そうだったの」
 きのうのバンガローはドークの仕事部屋ではなかったのだ。
「あっちの家のドアにもウェルカムと書いてあるのか」
「いいえ、あたしの絵。行きましょ」
 先着したドークが勢いよくバンガローのドアを閉めた。風圧で山吹色の花が一斉に首を振った。扉の絵に目をやった。全面に椰子、緩流、雌雄の鹿、飛鳥が描かれていた。高さ一メートル七十センチ、幅八十センチの大作だった。
「部屋のなかの絵も見て。どうぞ入って」
 私たちは四〇号の絵の前にたたずんだ。
「じょうずだ。きみは絵が好きなんだね」
「大好き。あたしにはとても大事なこと」
「四枚ある」
「窓の裏にもあったでしょ。だからここにあるのは五枚」
「絵ひとつに何日かかるの」
「時間をかけてかこうとするんだけど、小さい絵は一日。いっぱいかきたい。でもこのごろはお金がないから……」
 ドークの絵には共通した事物が表現されている。彼方にそびえ立つ連山、ゆるやかな流れ、深緑の大樹、咲き誇る花、岸辺の草屋。構図もどことなく似かよっている。どの絵にも鳥が登場するが、人物は一人として描き出されていない。
「これはラムプーンじゃない。どこだろう」
「当てて」
 四〇号の絵の下に三枚のポスターがとめてあった。鬱蒼とした樹海、深山に点綴する高地民の茅屋、渓谷を洗う谷川の写真だった。ドークはポスターの景観を下敷きに、思い描く世界を絵にしているのだ。
「わかった。このなかにある景色だな」
 そう言いながら、ドークのこめかみを軽くこづいた。何とはなしに胸騒ぎがした。ガイドブックの囲みが脳裏をよぎった。タイ人の頭に手を触れてはならぬという内容だった。この王国では頭部は神聖な部位と見なされているらしい。年がいもなく浮かれたおのれをののしった。もののはずみとはいえ、どう申し開きすればよいのか。
「どうしてわかったの」
 ドークは私の肩に頭をもたせかけ、声をはずませた。胸を撫で下ろしたときだった。窓が外から引き開けられ、黄ばんだ顔の小太りの中年女が半身を乗り出してきた。挨拶もないまま不行儀な視線を浴びせてきた。十二、三歳の少女をともなっていた。
 ドークがぽつりと言った。
「メェーです」
 この女が遣手婆だったのか。かつての日本の遊廓がそうであったように、タイの売春宿でも女主人を「お母さん」と呼ばせるのだろう。
「あたしの母です。あそこの青い屋根の家で暮らしています。そこにいるのは妹です」
 眼前にいる女が実母とは、首肯しがたい話だった。反面これでこの部屋に家族写真がない謎も解けるし、ドーク一人が仕事場以外に私室まで与えられている特恵も腑に落ちる。
「あんた日本人だってね。娘はいい女だろ。どこに連れていってもいいよ。チェンマイでもトーキョーでも」
 好色な日本人に高く売りつけようとする下心と、思い通りにならない娘に手こずっている気配が察せられた。ドークは口をはさまなかった。黙殺しているとメェーは苦笑いを残し、妹娘の手を引いて引き上げた。妹は唇を噛んだまま、ずっと私を睨んでいた。
 古い三面記事を思い出した。十五年前、ある中年日本人がチェンマイ警察に逮捕される事件があった。少女を含む複数の女を囲った案件が罪に問われたのだ。愛人の一人がたしかラムプーン出身だった。このあたりはその噂話で持ちきりだったに相違ない。日本の男は漁色家だという評判はその頃に定着したのだろう。
「きのう麺をゆでていたのが兄です。木を燃やしていたのが弟です」
 ドークだけがこのバンガローで寝起きしている。ドークは父親の消息に触れなかった。死別したのか離別したのか、父なし子だったのか、虫が動いたが質問は自制した。
 絵解きができた。何もかもがドークの夢境なのだ。ドークが描いた鳥は、天空を飛びかける、もう一人の自由奔放なドークだ。
 家内経営のソンは全国各地にある。たとえば妻が遣手婆で夫が元締めなど、夫婦で取り仕切っている業態は珍しくないが、ここは母子総がかりで娼館のやり繰りに当たっている。母が遣手婆、兄がソン附属屋台食堂の料理番、ドークが現役の売春婦、弟が雑用係だ。妹が姉の轍を踏むのも時間の問題だろう。
 げせないことがある。売春婦の調達はさしたる難事ではない。店の女が休暇で里から帰るおりに近所の娘を連れてくる事例はよくあるし、周旋屋を介した雇い入れも可能なのだ。だのになぜ、あの母親は自らが切り回しているソンで、実の娘を切り売りするのか。ドークには客をとらせないで、自分の後釜に据える手立てだってあったはずだ。売春がただ一つの行き道だったというのなら、なぜよそへ送り出してやらなかったのか。
 赤の他人が経営するソンで苦労をさせたくないという親心だったのか。ほかのソンを儲けさせることはないという打算だったのか。あるいはここ数年、売春婦のなり手が見つからないほどのじり貧が続いていたのか。
 同僚は数年後に帰村し、古傷をいやし、百姓の娘として再生する。けれどドークの帰郷はかなわない。グーチャーンが故郷なのだ。歳月を重ねても、この泥沼から飛び立つ夜明けはやって来ない。少女のとき、ドークは自分の未来をどう胸に描いていたのだろう。
 これは断言してもいい。あの母親は売春婦だった。それが一切の素因になっている。
 ドークが裁縫箱の下から大学ノートを取り出し、読んでくれと甘えた。日記らしかった。
「ごめん、タイ語は読めない」
「それでもいい。あなたに見てほしい」
 手に取ってページをめくった。三分の二がイラストで埋まっていた。
 私は十年前にサラリーマンをやめて雑誌記者になった。編集のアシスタントもした。多種多様な挿絵に接してきたから、巧拙や才能の有無は見分けられる。全般的に少女趣味を感じさせる点が惜しいが、ドークにはイラストレーターとしての素質がある。ここが日本であったならば、腕に磨きをかけるなら、どうにか腕一本で食べていけるはずだ。
 記念切手サイズの写真が出てきた。黒と青のセーターを着たドークが、真紅の薔薇に囲まれて地べたに片膝をついている。目先のドークより髪が長く、毛先が肩に触れている。
 一見微笑のつぼみがほころびかけているが、レンズを見つめている両眼からは傷心と放心がのぞいている。眼下に薄いくまを宿している。焼き付けの加減かもしれないが、貧血を思わせるくらい顔が生白い。ドークは誕生日に撮った写真だと言い添えた。
 一時しのぎでもいい、ドークの気晴らしになるものが何かないだろうか。ゆうべドークは音楽が好きだと言った。ショルダーバッグにカセットテープが三本入っている。モーツァルトの弦楽五重奏曲三番・四番とバッハのブランデンブルク協奏曲だ。
 クラシックに親しむ機会はなかったと思うが、ドークはきっと好きになる。買ったばかりのヘッドホンステレオもつけてやろう。金に困ったときはこれを売ればよい。タイではまだ品薄の上品だから、質屋に行けば二千バーツにはなるだろう。
 ドークの手のひらにヘッドホンステレオを置いた。
「サンヨーね。きれいな色。赤は大好き。ありがとう」
 ドークは小学一年生のような神妙な表情で、操作法の説明に耳を傾けている。この餞別が傍観者の感傷の押し付けであることは承知していた。流麗な旋律で傷口を洗ったとしても、ひとたび客をとればたちまち鮮血がほとばしるのである。
 寝台の下にビールの空き瓶が三本並んでいた。ビールの小売値は一本三十五バーツだ。一回の売春でドークが得る分け前は二〇バーツ、一日の客は前より減って三、四人だという。ドークが気軽にたしなめる嗜好品ではない。この部屋でビールを飲んだ男がいる。
「喉が渇いているのね。ビールを飲もうか」
 ドークは私の妬心を見落とした。
「ビールか、いいね」
 雲一つない空は絶好のビール日和だった。
「あたしがビールとつまみを買ってくる」
 ドークは母屋に立てかけてあったホンダの赤いミニバイクにまたがり、エンジン音を響かせて出て行った。
 英字新聞が目にとまった。昨晩私が捨てていったバンコクポストだった。四半分に折りたたまれてテーブルに載っていた。時間つなぎに読み返すことにした。
 十分後、ドークは底が凍りかけたビール二本とバナナの葉で巻いたちまきの束をさげて戻った。私たちは床にあぐらをかいた。バナナの葉をほどいてみると、中身はちまきではなく一口サイズのネームだった。ネームは生ソーセージを醗酵させた食品で、ビールに最適のつまみといわれている。どの製品もそれなりに酸いのだが、これはとびきり酸味が強く、一噛みして全身が縮み上がった。
「酸っぱいのね。おいしいのに。ほら見て」
 ドークは笑いながら左手でネームを口にほうり込み、いかにもうまそうに咀嚼した。
「すこし酸っぱいけどうまい。冷たいビールは最高だ」
 負け惜しみを返した。ドークはビールが苦手らしかった。タイで圧倒的な市場占有率を誇るシンハービールの飲み口はすぐれて重厚なのだ。
「ドークはビールが嫌いだな」
「ビールは苦いからあんまり好きじゃない。それより、さっき英語の新聞を読んでいたでしょ。どんなニュースだったの」
「面白くないニュースだよ」
「あたしにも教えて」
 タイと中国の外交折衝に関する記事だった。タイが中国にセコハンの潜水艦を譲ってほしいと申し入れているが、タイ側の希望は無償という条件なので、交渉が難航しているいきさつを報じていた。
 私のタイ語ははなはだ頼りない。専門の語学教育を受けたこともない。すぐに言葉に詰まるので片時も辞書が手ばなせない。ドークが相手のときは対話も順調に進行するが、実際は片言の域を脱していないのである。
 そこで手振りをまじえた意訳を試みた。中国が水の中を走る古い軍用船を持っている。それをタイ国がほしがっている。でも値段が高いので買えないと解説した。
「全然知らないニュースだけど、とってもわかりやすかった。あなたは英語も読めるし、タイ語も話せる。頭がいいのね」
 二本目のビールも空になった。
「冷たいビールと酸っぱいネームがうまかった。どうもありがとう」
 三百バーツ手渡した。ビールが二本で七十バーツ、ネームは二十バーツくらいだろう。「チェンマイに帰る。今夜、バンコクへ行く」
「待って」
 ドークは日記帳からあの小さな写真を剥ぎ取って、私の胸ポケットにすべり込ませた。「あなたにあげるものが何もないの。これを持っていって」
 誕生日のページにぽっかりと空白ができた。
「大切な写真なんだろ。これは受け取れない」
 ドークは私の辞退を無視して、立ち上がった。
「チョーク ディー ナ」
 英語の「グッド ラック」と同じように、立ち去ろうとする人間を前に、前途のさいわいを願うタイ語である。
〈幸運を祈ってます。お元気で〉
 余韻が消え残った。ドークは自身に向かってこの一言を発したのではないかと思った。
 ソンを出たところであやうく自転車にぶつかりそうになった。客が集まる場所を狙って移動する三輪の屋台店だった。ジュースやコーラなどの飲物から、西瓜やパイナップルなどの果物、キャンディーやえびせんなどの駄菓子を満載していた。グーチャーンからにぎわいが消えたわけではないのだ。
 角の雑貨屋の店先で小僧が飛び跳ねていた。黄衣をまとった十歳ほどの少年僧が、天井からハエ取りリボンのように垂れ下がった商品に飛びついていた。私も愛用している一袋一バーツのタイ産シャンプーだった。
 僧侶がシャンプーで頭を洗うとは夢にも思わなかった。私は一袋を一回の洗髪で消費してしまうが、小僧なら何回洗えるのだろう。豆粒大のハゲが散らばった坊主頭を眺めているうちに、ゆがんだ笑いがこみあげてきた。
 ドークに本物の絵を見せてやりたかった。バスを降りた足でチェンマイの本屋を捜し回ったが、画集といえるものはまるで見い出せなかった。
 
 帰国した翌朝、書棚から画集を引き出した。十五年前に押し売りされた英語の百科事典についてきた、十巻の分厚な別冊付録である。そこからルネサンス以降の西欧絵画をまとめた三巻をより出した。午後は横浜に出て、駅前の百貨店でイラストレーションの教本二冊と絵の具のセットを買い求め、画集と一緒に段ボール箱に詰めて船便で送った。

第二部 ノク

 早朝から強雨が吹き付けていたが、昼前に上がった。午後一時、低く垂れこめた雨雲の下に小道が一直線に伸びていた。一年八カ月ぶりの、心せく眺めだった。ここ一年半は仕事に忙殺される日が続いたが、それも先月末で終了した。
ソンに走りこもうとしてつんのめった。場景がことごとく食い違っていたのだ。前景と記憶の画像を擦り合わせたが重ならなかった。袋小路の入口に取って返し、一歩ずつ歩を進めながら全景を点検した。林立していたバナナが切り倒され、住家がちらほら出現しているが……、まさしくグーチャーンだった。巨木も正面にそびえていた。
ドークの姿を求めてそこらじゅうを駆けずり回った。ぬかるみにはまり、スニーカーが足首まで泥に沈んだ。人の気配がなかった。ドークのバンガローがどこにもなかった。WELCOMEと大書してあったドアがうせていた。二棟の棟割長屋が掻き消えていた。
目の当たりにする建築物は、古い材木で改築した一棟の裏長屋だった。ドアというドアに錠がかけられ、板がすじかいに打ち付けられ、人の出入りができないようになっている。ドアに選挙ポスターが貼ってあるのは同じだが、前回のものとは図柄が異なっている。
 二カ月前に実施された総選挙のポスターだった。ということは、このソンは数カ月前まで営業していたのだ。
 かつての長屋は頑丈なコンクリートブロック造りだったから、素人目にもあと五、六年の耐用年数はあった。わざわざ建て替えまでして、なぜ休業を余儀なくされているのか。
 もしやと思って隣りのソンへ走っていった。はたして人気は皆無だった。どのドアも大型の南京錠で施錠されていた。何か容易ならぬ事件が突発したのだ。
 二軒のソンが家宅捜索を受け、業務停止処分が下されたのではないか。一軒は見切りをつけて店をたたんだが、ドークの母だけはどうにも承服できなかったのではあるまいか。
 というのもこの国には売春業者と地元の警察が気脈を通じている悪例がごまんとあるからだ。警官を無銭で遊ばせるとか、茶代の名目で月ごとに鼻薬をかがせるなどの因習がはびこっている。ふだんの気配りを怠らなければ、摘発されても名義変更や改装などの便法で、早ければ数日後の出直しが見込めると取りざたされている。いかにも世知にたけていそうなメェーのことだ。そのあたりの小細工に手抜かりがあったとは思えない。
 メェーは既存の屋舎を取り壊し、長屋を再築することで延命をはかったのではないか。だが再び官憲の手が入り、施設が閉鎖され、ドーク一家は放逐されたのではないか。
 ドークにはもう会えそうもない。どうか元気でいてほしい。
 バンガロー跡らしき場所に凝立し、頭を垂れてドークの無事を念じているときだった。
 耳にさわる音が接近してきた。道に出て音の方向を見やった。十メートル向こうで男がバイクをとめ横合いの家に入ろうとしていた。電気か水道の集金員らしき制服を着ていた。
 あの男なら定期的にこの区域を回っている。きっとドークの消息がつかめる。
「待ってください」
 大きく手を振りながら全速力で駆けた。挨拶もそこそこにショルダーバッグからドークの小さな写真を引っ張り出し、この女を知らないかと詰め寄った。
男は一目して首を横に振った。この場は引き下がれない。何としてもこの男から情報を引き出すのだ。そのためにはドークが売春婦だった事実を伏せておくべきではない。
「名前はドークです。去年あのソンで働いていました。私はこの女に会うために日本から来ました。もう一度よく見てください」
人のよさそうな三十代の男だった。写真を見直している。
「やっぱり知らない顔です。でもソンで働いていたのなら、そこの家の人が知っているでしょう。この写真を見てもらいます。ここにいてください」
男が一軒のぼろ家の前に立って呼ばわった。扉が開き、痩せた老婆が顔を出し、写真を見てうなずいた。矢も盾もたまらなくなって飛んでいった。
「これはノクじゃ」
「ノクではありません。ドークです。どこにいますか」
老婆は私の顔に見入りつつ、無言で右腕をゆるりと東へ伸ばした。その方角には低木と草むらが群生しているばかりで人屋も野道もなかった。
老婆が男に耳打ちしている。
「どこかわかりました。遠くないようです。あなたを乗せていきます」
バイクはけたたましいエンジン音とともに北に向かって快走した。国鉄ラムプーン駅前で一時停止し、駅員を呼び止めて道順を訊ねた。そこから東進し、川の手前を右折した。土手道になった。線路を渡って、しばらくしてブレーキがかかった。
 道路の左が低地になっていた。雑木のあいだに人家が点在していた。男はトタン葺きの大家に指を向けた。屋根の向こうから川音がきこえてきた。中庭で中年の女が洗濯物を取り込んでいた。男が大声を出した。
「おーい、日本からお客が来たぞー」
玄関先から白いTシャツの女が顔をのぞかせた。視線がバイクの運転手から私に移った瞬間、まさかといった思案顔に転じた。そろそろ歩いてくる。一歩近づくごとに微笑が深まっている。ドークだ。走れ、ドーク。
 ドークは走らなかった。駆け寄った私の手を取って「キッ・トゥン」「キッ・トゥン」「キッ・トゥン」と言った。
 キッ・トゥンは気持ちが相手に行ってしまう心情をあらわす複合動詞である。友人間では「会いたかった」になる。女と男なら「好意を持つ・恋慕する」になる。執着の対象が人とは限らない。キッ・トゥンのあとにバーン〈家〉を置けば言意はホームシックになる。
 エンジン音がした。男が私たちに手を振ってバイクを発進させた。私は彼に一礼した。
 口紅を塗っていなかった。しとった髪が心持ちにおった。
「覚えてるかい、ドーク」
「二年前よね。会いに来てくれたのね」
張りのない声だった。顔色が悪かった。
「風邪ひいているのか」
「ううん、べつに」
 手を引かれて母屋に入った。平屋だが天井が高く間仕切りがないので部屋がだだっ広く見えた。左奥に三台のベッドが並び、その上空に三つのハンモックが吊ってあった。
 入口のたたきに草色の冷蔵庫が据えられていた。三菱のダイヤマークが光っていた。取っ手にタオルが縛り付けてあった。
 上がりがまちに腰かけた。ドークがタオルを引っ張って冷蔵庫を開けた。プラスチックの大瓶がぎっしり詰まっていた。水道水を冷やしておいて遊客に供するサービスである。 ドークがコップに冷水をそそいで差し出した。私はコップごとドークを引き寄せ、思い切り抱き締めた。
「キス ミー」
ドークの発言であるはずがなかった。ぎょっとして振り向くと、今しがた庭で洗濯物を取り込んでいた大年増が私の背中に触れんばかりに立ち、目を細めて唇を突き出していた。間近で見ると案外に若かった。三十前かもしれない。薄ら笑いが浮かんでいた。
「ファック ミー」
女は恥骨を押し出して下半身をゆらゆらさせている。
「ねぇ、タバコ持ってる」
ドークの声だった。
「私はタバコを吸わない」
「タバコのお金をちょうだい」
ズボンの前ポケットをさぐると、小銭が二十四バーツ出てきた。ドークは受け取った金を女に渡し、引き換えに二箱のタバコを手にした。一バーツは五円である。
「ドーク、きみがタバコを吸うのか。去年は吸っていなかった」
ドークは口をつぐんだままセロファンを破り、タバコを一本引き抜いてマッチで火をつけた。胸をいっぱいにふくらませ、鼻の穴から紫煙を漏らしている。十年前の私と同じ、ニコチン中毒者の喫煙だった。
「二年前はドークだったけど、あたしはノク。ノクの部屋へ行きましょ」
 ノクはよくある女の愛称で、語意は「鳥」である。タイの愛称は、新生児のすこやかな成育を願って親が命名する素朴なあだ名だが、通常は成長後もそのまま常用されている。
土手道に接続する路地の右側に長屋が一棟立っていた。突風が吹けば飛ばされそうな薄っぺらな家だった。扉は五つあった。
「二年前はグーチャーンにもうひとりノクが入ってきて、いやいや名前をゆずってやったんだ。もともとあたしはノク。ドークじゃない」
 ドークは、いやノクは、短くなったタバコを泥土に投げ捨て、左から二番目のドアを開けた。床はなく、紅土が裸出した土間のそこかしこに石ころがころがっていた。
三畳に満たない個室だった。廃材を再利用した寝台と、柱の釘から垂れ下がった黒ずんだバスタオルを除いて、何も目に触れなかった。タイの売春婦はベッドに入る前に全裸になる。バスタオルは、そのさいに裸身をおおう商売道具である。
絵はおろかカレンダー一枚なかった。窓も換気口もない小暗い部屋は蒸し暑く、じっとしていても汗が噴き出た。扇風機はなかった。ノクの沈んだ声がした。
「ここがノクの部屋」
ありったけの力でノクを抱き込んで唇をむさぼった。ノクはぐにゃりとなったまま反応を示さなかった。胸をまさぐった。Tシャツの下にブラジャーの感触はなく、りんごのような隆起をじかに感じた。
 Tシャツをたくし上げようとした手をノクが制止した。媚態も躊躇もなかった。痛いほどの硬直は伝わっていないのか。それともここでまじわるのがいやなのか。
 どうころんでも私は通りすがりの客でしかない。特別扱いを受けるいわれも資格もない。ゆえにこの部屋を忌避することはできない。いや、それでは言葉がたりない。
 ノクがどうあれ、あるがままのノクをいとおしむ。それしかできないのだ。ノクは今この陋室で客を迎えている。場をあらためようなど、姑息な無分別ではないか。私はこの小間に屈しない。私がこの空間を浄化してみせる。
 胸底は通じていない。これでいいのかもしれない。ノクにはノクの情意がある。どこにするかは、ノクにまかせればよい。
 それもちがう。そうじゃない。するもしないも、すべてはノクがきめることだ。
ノクのズボンに目が行った。何となく目覚えがあった。灰色に見えるが、これは黒が色落ちしたものだ。
ノクの一張羅のジーンズだった。はいて何年になるのだろう。膝から腿にかけて厚地が擦り切れ、そこここに裂け目ができている。手前勝手な痴情が吹き飛んだ。
「泊まり料金を払う。チェンマイへ行こう。三、四日ホテルに泊まって、美しい自然を見て、うまいものを食べよう」
「きょうはどこのホテルに泊まっているの」
「スリラムプーンホテルだ」
美麗なるラムプーンホテルというたいそうな名称だが、実体は冷房も温水シャワーもない木賃宿である。チェンマイの政府観光局で、ラムプーン市内には三軒の中華旅舎以外にホテルはないと教えられ、その中で一番ましな宿屋を推薦してもらったのだ。
「知ってる。そこへ行きましょ」
「いいホテルじゃないんだ。チェンマイにはもっといいホテルがある」
「チェンマイはいや。ノクはラムプーンが好きなの」
すげない拒絶だった。ノクはなじみの生活空間から一歩も出ようとしない。よそびとの無遠慮な視線をおそれて殻にこもっているのだ。もどかしさのあまり、バッグから写真を取り出し、ノクに突きつけた。
「これを見ろよ」
「誰なの、この女」
「どうしたんだ。ノクだよ。きれいだろ」
「ほんとにノクなの」
「わからないのか。誕生日の写真じゃないか」
「あなたにあげた写真ね」
ノクは写真を持って母家に駆けていった。
「見て見て。これ二年前のノクよ」
「ふーん、そうなの。きれいだね」
相手構わず見せびらかす声が聞こえてきた。
 バイクで来た道とは別の裏道をたどっている。雲間から太陽が現れた。左右の青田はそよとも動かなかった。ときおり行きかう通行人はタイ人娼婦と日本人の道行きに好奇のまなざしを投げてきた。知り顔でにやりと笑う男がいた。ノクが負けん気を出し、胸を張り背筋を伸ばして腕をからめてきた。
十分後、ノクは古びたバラックの前で歩みをとめた。竹柵で囲まれた七十平方メートルほどのトタン屋根の平屋だった。玄関先にベニヤ板の表札が掛けてあった。ノクは門柱の裏側のうろから鍵をつまみ出して玄関のドアを開けた。居間の緑のリノリウムにうっすらと土埃が積もっていた。床のすみに毛布がうっちゃられていた。
「ここは父さんの家」
「えっ何と言った」
「ノクの父さんの家」
「きみの父さんはここにいるのか」
「前はそうだった。誰もいないみたい。出ましょう」
 父さんの家を出て間もなく、怒声が耳に飛び込んできた。
 若い男が道なかで怒鳴っていた。腋からしなびた胸乳をのぞかせた老婆が、男の腕を押さえてなだめすかしていた。
 ノクの姿を認めた男が老婆の手を振りほどき、千鳥足で寄ってきた。
「ノク姉さん、お金をくれ」
「おやめ。ノクだってお金はないんだよ」
「うるさい。邪魔するな」
若者は充血した眼を私に向けた。
「二、三バーツでいいです。お金をください」
 ノクはものも言わずに裸足の青年を睨みつけた。あの晩、ノクのバンガローの前で焚き火をしていた弟だった。
 この老婆にはどこかで会ったような気がする。そうだ、ついさっきノクの行方を教えてくれた婆さんだ。
 五バーツコインを一つ弟の手のひらにのせると、彼は丁重に手を合わせた。これほど泥酔していながら酒くさくなかった。
ぬかるんだ細道に入った。左右からせり出した枝葉を掻き分けながら進んでゆくと、上方に見覚えのある大木が立ち現れた。袋道の突き当たりに屹立していた巨木だった。ノクは長屋の裏を擦り抜け、青いスレート屋根の家の前で立ち止まり、ドアをノックした。
「メェー、メェー」
この建物は覚えている。ノクの母が住んでいた母屋だ。一時間前にくまなく捜したつもりなのに、どうして見落としたのだろう。タイにいるときの私は、ややもすると足が地に着いていないような違和感に付きまとわれ、妙に上っ調子になり粗相が多くなる。
「メェー、まだ寝ているの」
ノクは粘り強く声をかけ、ドアをたたいた。
玄関の空気がゆるゆる動いて扉が開いた。鼻の頭をあぶらで光らせた中年女が生あくびを噛み殺していた。ノクの母はますます贅肉をつけ、地肌の黄みを増していた。
「具合がよくないんだよ」
メェーはノクの背後に突っ立っている私に目をつけた。
「おや、この人はあの日本人だ。ノク、お前はしょっちゅうこの人の話をしていたね。会えてよかったね」
出会いがしらに殺し文句が飛んできた。
「入ってもらいなさい。暑いからドアは閉めないで」
外壁と同じクリーム色の壁だった。居間に応接セットが据えてあった。小ぶりのテーブルを挟んで三人がけのソファーと四脚の安楽椅子が向かい合っていた。テーブルはデコラ貼りで薄茶色、ソファーと椅子はビニールレザー製でよもぎ色だった。どのシートにもスプリングの渦紋が下肢静脈瘤のように浮き出ていた。
右奥が寝室になっていて、白い蚊帳に包まれたベッドが見えた。病室と同質の重たく湿った臭気が停留していた。ベッドのそばにテレビと扇風機があった。
サイドボードの上に二枚の写真が飾ってあった。一枚は写真館で撮影した大判のカラーポートレートで、髪をタニシ状に巻き上げた二十代後半の女。もう一枚は二十歳ぐらいの若い女のスナップで、キャビネ判の白黒写真。二人とも十人並みの容貌だった。
「どちらもメェーよ。きれいでしょ」
ノクが誇らし気に言いはなった。その母はソファーに横ずわりになって、往時の女っぷりに見とれている。
「二百バーツちょうだい」
 ノクが手を出してきた。泊まり料金の相場はショートタイムの四倍から五倍である。ちょうどその額だったので迷わず手渡した。ノクは母親から鍵を受け取って外に出た。バイクのエンジンをかける音がした。
 去年も見た赤いホンダのミニバイクだった。後ろ影を見送りながらひとりごちた。
「かなりの貧乏暮らしと見受けたが、この家にはまだバイクがある。現金で買ったのなら、あれは売り物になる。一万バーツにはなる。無一文というわけではなさそうだ」
 ノクと入れ違いに、さきほどの老女が入ってきた。幼児を片脇にかかえていた。
「この子は喉が渇いているようだよ」
目の前で幼児が銀色のアルミカップを両手で支え持って水を飲んでいる。涎と水が混じり合って口元からだらだら流れ落ちている。
男児だった。幼児が飲みかけのカップを私に差しつけた。「おじさんも飲みなよ」と勧めてくれたのだ。私がじっと見つめていたので、喉が渇いていると思ったのだろう。
 声を呑んだ。ひょっとして、この幼児はノクが堕胎に失敗して産んだ子ではないか。
 あの夜のノクの一挙一動は、掛け値なしに激情の火花だった。私は今なおその判断が正しかったことを確信している。だが同時にノクが流産をくわだてていた可能性が絶対になかったとも言い切れないのだ。
 突飛な強迫観念が貼り付いた。鼻先にいるおさな子が、私の子どもであるかのような錯乱だった。あのとき私はコンドームを付けていた。破損した痕跡はなかった。ノクを妊娠させるなんて、九分九厘ありえないのだが……。
 手足が一瞬にして凍りついたような異常感に襲われつつ、この幼児が何歳くらいなのか、懸命の推測を試みた。私は子どもがいないので的確な判定は下せないが、発育状態からみて乳児の段階はすぎている。一歳半から二歳前後ではなかろうか。
 あの夜から二十カ月たっている。ヒトの妊娠期間は正味九カ月だ。私の息子だとすると生後十一カ月になる。よって十中八九は私の子ではない。では他の男の子どもか。
 あのときノクの腹部はすこしもせり出していなかった。体つきもふっくらしていなかった。かりに妊娠していたとして、まず四カ月未満だろう。妊娠三カ月だったとすると、出産まで残り七カ月だから、当時の胎児は現在生後一歳一カ月の幼児に成長している勘定になる。妊娠四カ月なら生後一歳二カ月だ。ノクに似ているといえば似ているかもしれない。よくわからない。
「お母さん、この人はノクに会いに来た日本人」
「あっ、はじめまして。どうぞよろしくお願いします」
動悸をおさえられぬまま、私は初対面の挨拶をした。
「もう会ったよ」
「そうです。間違えました。許してください」
「えらくきちんとした人だね」
祖母はあきれたような口をきいた。味方を得たメェーが攻勢をかけてきた。
「ノクはあんたを慕っていたんだよ。なぜ二年もほうっておいたのさ。あんた奥さんがいるのかい」
「はい、います。日本人です」
婆さんがひょいと口をはさんできた。
「ひとりきりかい。あとひとりいてもいいね」
外見は枯れ枝のようだが身のこなしがすばしこかった。一番の特徴はしわで形づくられた顔立ちにあった。手漉きの和紙をもみ込んで卵形にととのえ、目鼻口などの部品を貼り付け、仕上げににかわを塗ったような質感があった。光の当たり具合では象皮のようにも見えた。
メェーの強気が軟化し、つぶやくように切り込んできた。
「ノクは日本へ行けるかしら」
「パスポートとビザがあれば行けます」
「あんたが一緒なら大丈夫だね。ノクを日本へ連れていきなさい」
押し付けがましい物言いは相変わらずだった。
 祖母がソファーから尻を浮かせて腕を伸ばし、私の肩を二度たたいた。
「ノクの名前と住所を書くから、お金を送っておくれ」
ショルダーバッグからノートとボールペンを出してテーブルに置いた。祖母がペンをとった。メェーが脇からのぞき見て、誤記がないことを確認した。金釘流の文字だった。崩し書きでないのがさいわいして、どうにかこうにか解読できた。
  スワンニー・オーンドゥアン ☆ノク
  51000 ラムプーン県ラムプーン市カーン・テーサバーン9
 このときはじめて、私はノクの本名を知った。
「いいね、ノクにお金を送るんだよ」
同行するしないに関係なく、孫娘とかかわりを持った日本人には送金の責務があると信じているらしく、おもねるような響きは感じ取れなかった。老女はちょっと出てくると言って、座を立った。気がかりが生じた。
「去年の一月、日本から本を送りました。ノクは受け取りましたか」
「来てないよ」
ノクへの贈り物をメェーに横取りされては何にもならないので、換金可能な品は段ボール箱に入れなかった。かびくさくて重い画集を古本屋に持ち込んでも無駄足を踏むだけだし、日本語のイラストの本や絵の具をたたき売っても、はした金にしかならない。そこまではよかったが肝心な点でぬかったようだ。
 ドークが本名だと思い込んでいたので、宛名をドークマイ・オーンドゥアンとした。宛先はたしかカンティ・サバーン9とつづった。ノクに姓と所番地を訊ね、アルファベットに直して書きとめ、本人の前で姓名と住所を読み上げ、ノクもうなずいたのだが……、あの画集はノクの手元に届いていない。
「今夜はここにノクと泊まりなさい。あんたも高い宿賃を払わなくてすむだろ」
スリラムプーンホテルの宿賃は一泊六十バーツである。
「もう払いました。だからホテルに泊まります。ありがとうございます」
ノクが帰ってきた。両手にぶらさげたビニール袋が重そうにふくらんでいた。ノクの視野に幼児が入った。母親なら瞳の大きさが変化するはずだ。どんな小変も見のがすまい。私はノクの目を見据えた。
目色は変わらなかった。ノクは袋からインスタント麺や果物をつかみ出し、メェーに小声で語りかけながらテーブルの上に並べた。母親に食べさせるために買ってきた食料品のようだった。バナナの房に目をとめた幼児が両手を振ってはしゃぎ声をあげた。
ノクの視線がサーチライトのようにめぐってきた。幼児に目をそそいだのは数秒だった。ノクが生母であれば、本能的に抱きかかえるとか、バナナを一本ちぎって握らせるくらいはするだろう。どこから判じてもノクの実子とは断定できなかった。
ノクの子でないとすれば、老女が頼まれて親類または近所の子の世話をしているか、メェーが産んだかだ。メェーの血色の悪さや大儀そうな様子は、産後の肥立ちの悪さに見えないでもないが、それは胸が悪くなる想像だった。
「お疲れのようですね。どうぞベッドに戻ってください。行こう、ノク」
おためごかしを言って、やっとのことで退出にこぎつけた。玄関口を出て数歩進んだところで、ノクが私の二の腕をつかんだ。
「ノクはあなたのフェーンよね」
 フェーンは英語の「FAN」から来た外来語で、原義は熱烈な支持者だが、タイ語では「恋人」のことである。状況によっては夫や妻をさす場合もある。
「そうだ。きみは私のフェーンだ」
「じゃ、テレビを買って。うちのは故障しているの。新しいのを買って」
唐突な要求だった。
「何と言ったんだ」
「あなたがテレビを買って、ノクにくれるのよ」
「テレビって、カラーテレビか」
ノクが首を縦に振った。チェンマイのデパートで見かけた十四インチの日本製カラーテレビは七千五百バーツの値札を付けていた。日本円で三万七千五百円、米ドルに換算して三百ドルである。旅行小切手の現在高は六百ドル、帰国は二十日後だ。月刊誌の取材もこなさなくてはならない。一日十五ドルの予算ではとてもやっていけない。
 この国には日本人は金持ちだという誤信が蔓延している。ノクもそれを真に受けている一人だろう。フェーンであることを認めさせておいて金品をねだる。巧みな作戦だが、ノクは致命的な読み違いをしている。私は金づるにならない日本人なのだ。
「七千五百バーツは払えない」
「新品でなくてもいい。古いのなら二千バーツで買えるよ」
中古で八十ドル、日本円なら一万円。それならなんとかなる。いや、金額の多寡ではない。買ったとしても置き場はメェーの家にきまっている。テレビを見て楽しむのはもっぱらメェーなのだ。あの女のために献金するなんて、乗り気になれない。
ノクが私の顔色を読んでいる。
「いくら払えるの」
「大体五百バーツだ」
「それだったら修理代を払ってちょうだい。テレビ屋に寄ってから、ホテルへ行きましょう。サムローを呼んでくる。ここで待っていて」
ほどなくノクはサムローに乗って戻ってきた。後ろにもう一台のサムローをしたがえていた。座席を見ると、東芝の十八インチ・コンソール型テレビが鎮座していた。
テレビ屋が出した修理費の見積もりは六百バーツだった。内金として五百バーツ預けると、店主は五時までに直しておくと確約した。
テレビ屋の隣りの食堂でおそい昼食をとった。私はおきまりのビールとラーメン。ノクは壁の品書きに目を通し、小首をかしげてからスープ付き鶏飯を注文した。ラーメンも鶏飯も同じ十バーツだった。
 左手に持ったアルミのスプーンを気だるそうに口に運ぶさまは、昨年のノクとは別人だった。若い女の肉感がすがれ、肌が白い粉を吹いていた。
「どうしたんだ。食べないのか。きょうはまだ食べてないと言ったじゃないか」
「食べられないの」
ノクは鶏飯の半分を残した。肉には手を付けなかった。
五分歩いてスリラムプーンホテルに到着した。帳場にいた初老の男がノクを下目で見たが、何も言わなかった。西陽が二階の角部屋に照り込んでいた。再会して二時間が経過していた。ノクに会えたらその場で押し倒してやろう。それ以外に私の熱情を伝える方法はない。そんな場面を思い描いて舞い上がっていた私は、とんでもない極楽とんぼだった。
私はベッドに腰を落とし、上半身を投げ出した。
ノクが窓のカーテンを引こうとした。
「やめろよ」
「明るいところじゃいや」
私たちの発情は初手から擦れ違っている。だがもしノクが求めるのなら私にはしりぞけられない。ノクの意図しているセックスが、さっさと済ませたいビジネスなのか、それともフェーンとして情交したいのか、今となってはどっちでも構わなかった。嘆息しつつ天井に目をやったときだった。女の子の張り切った声が部屋中に響いた。
「グラップ バーン カ」「グラップ バーン カ」
隣接する小学校から流れてくる校内放送だった。声の主は低学年の児童だろう。
「グラップ バーン カ」「グラップ バーン カ」
〈家に帰りましょう〉〈家に帰りましょう〉
ノクはカーテンを握り締めたまま校庭を見やっている。
「グラップ バーン カ」「グラップ バーン カ」
ノクが女児の口調をなぞっている。表情が稚気を帯びてきた。ノクが通学していた母校かもしれない。数十秒後、ノクは追懐を振り切るようにカーテンを閉めた。室内が薄暗くなり、下校を告げる少女の声が遠ざかった。
「水浴びしなくちゃ。バスタオルはどこ」
「このホテルにはないんだ」
「買ってくる。三百バーツちょうだい」
三十分たってもノクは帰館しなかった。ホテルの近くに小ぢんまりした百貨店がある。ノクはそこで久々のショッピングを楽しんでいるのだろう。ほしい品を手に取って、あれこれ迷っているありさまが浮かんだ。
四十五分がすぎた。ノクは家に帰ったのではないか。それならそれでいい。私に気兼ねすることはないのだ。やり残した職務のために、あえて帰任する義務はない。
 戻らなくていいからな。祈るような気持ちで、ドアを内側からロックした。
六十分後、ノックの音がして、ノクが三個の紙袋をかかえて舞い戻った。バスタオルをひらりと投げてよこした。カナリア色のひまわりが浮き織りになっていた。
「さっきサムローに乗っていたとき、あなたは道端の花をさして、黄色い花が大好きだって言ったでしょ」
ノクは次の袋から白いジーンズと紺のポロシャツを取り出した。胸ポケットに平仮名の白い縫い取りがあった。
「これ日本語よね」
「そうだ。ひなげしと読む。花の名前だ。赤い花だと思う」
三つ目の袋から、CUTEとロゴの入ったサンダルが出てきた。ノクはキュートの意味を知っているのだろうか。袋をさかさまに振ると、白いブラジャーがふわりと落下した。つまみ上げるノクの顔に愉悦の色が差し、若い女の色香が復活した。
 今からキュートな娘に変身するシーンを披露してくれるのだ。私はベッドにすわり直し、わくわくしながら待ち構えた。
 ノクは衣装を手早くたたみ、紙袋に戻した。
ノクは椅子を浴室の前へ引きずっていって、背中を向けてTシャツを脱いだ。両の親指を引っかけてジーンズを押し下げた。ねずみ色のぼろきれが見えた。ゴム紐が露出したショーツだった。ノクは脱衣を椅子に載せ、バスタオルをつかんで扉を閉めた。
 シャワーの音がやんで、ぬれ髪のノクが出てきた。黄色いバスタオルで身体を巻いている。シャンプーの匂いが部屋に満ちあふれた。前からほっそりした体型だったが、さらに細くなっている。鎖骨のくぼみが一段と深くなっている。ノクが自分の手首を握った。
「すこし痩せたかな」
 痩身に視線をはわせつつ、私はノクがこの二十カ月に味わった困窮を思い重ねた。
 ノクが鼻声を出した。
「アメリカの映画みたいに、ノクをベッドにはこんで」
軽さにしょげこまないよう、力を抜き気味に抱き上げた。持ち重りで足下がふらついた。ノクがかわいた笑いをはなった。ノクを慎重にベッドに横たえた。
水浴を終えて寝室へ折り返すと、ノクはベッドに寝そべって深緑色の小さな丸い缶を鼻に近づけていた。自転車のパンクを修理するときに使う接着剤の缶だった。
 ノクが横目で私を見て警告した。
「そばに来るとくさいよ」
ノクは鼻を缶の縁に当てて深々と蒸気を吸った。胸がせり上がりタオルがずれた。
「シンナーじゃないだろうな」
思わず日本語でとがめていた。私の声が聞こえないのか、ノクは夢心地で深呼吸を繰り返している。
「それはよくない。やめろ」
目前の光景に疑いをさしはさむ余地はないのに、それでも私は何かの悪ふざけだと思いたかった。何食わぬ顔で接近し、シンナーの缶を引ったくろうとした。ノクが全力で抵抗した。あばれた拍子にタオルがはだけ、乳頭がこぼれ出た。顔が憎しみでゆがんでいた。
「それはだめだ。マリファナにしろ」
「なによ、いい気になって。あなたには関係ない。ほっといてよ」
 ノクはバンガローの内窓に一羽の青い鳥を描いていた。ノクの絵はどれもが風景画であるのに、あの一枚だけは異質で薄気味悪かった。あの絵がずっと胸に引っかかっていた。
闇空に四片のちぎれ雲が浮かんでいた。青ざめた小鳥は血紅色の雲のすれすれを舞いながら、くちばしを全開にして声を振り立てていた。雲形は明らかにタイ文字だったが、図案化されていて判読できなかった。後日、タイ人の友人に写真を示して読んでもらった。
ノーン、妹だった。当初はあたしのようにならないでと実の妹に呼びかけているものと解釈したが、写真を眺めているうちに、青い小鳥と雲のノーンは、どちらもがノクの分身であることに思い至った。ノクは闇に惑わないでと自身に向かって叫んでいたのだ。
あのバンガローはノクの孤塁だった。ノクは自らの絵を並べてバリケードを築いた。
ノクは画中の鳥のように飛翔し、心身をむしばむ売春という魔物から身をかわそうとした。赤い飾り箱のガラスに貼ってあった銀紙の十文字は、魔除けの十字架だったのだろう。
ノクがバスタオルを脱ぎ捨て、シンナーくさい唇を寄せてきた。
「何度もやめようとしたの」
 もう語調が乱れていた。両目がとろりと光った。全身を投げてきた。私はノクを抱きとめ、生乾きの髪を撫でた。ノクが耳元でささやいた。
「ノクが上になる」
ノクらしくない、不活発な動きだった。ときおり不規則な休止がまぎれこんだ。薄目を開けると、ノクがまさに小さな缶を鼻先へ持っていくところだった。かっとなって缶をもぎ取り、床にほうり投げ、ノクにのしかかった。
「ジェップ」
絶叫が耳をつんざいた。
 何が起きたのか。乱暴な行為は控えている。くやしまぎれのヒステリーだろう。気を回すには及ばない。ゆっくりと動作を再開させた。
「ジェップ」「ジェップ」
〈痛い〉〈痛い〉
 ノクは私の胸を双手で突きまくった。私がひるんだすきにからだをずらし、下腹部を指さしてわめいた。ノクの躯から血が湧き出ていた。
 重傷かもしれないが、致命傷ではない、それくらいの見きわめはついた。一息ついたあと、おのれとノクに対するうとましさが交錯した。
 過度の交接を重ねていれば、女性器もまた疲労し、傷つきやすくなるのだ。性行為感染症以外に、膣や前庭部の擦過傷や腫脹なども売春婦の隠れた職業病になっている。
 十七年前、私は九州・博多で半年間トルコ風呂の支配人をした。働いていたのは二十人の二十代後半から三十代の女だった。そのときに気づいたことだが、彼女たちの多くが性器の不調に悩まされていたのだ。子宮附属器炎と書かれた診断書をそっと手渡されたこともある。子宮附属器炎は、外陰部の炎症が膣を通じて内性器に波及する疾患である。
 ノクの膣は無数の鞭に打たれて劣化していたのだ。内壁は無量の濁液を浴びて腐食していたのだ。膣壁を破ってしまったのか。自分がしでかした不始末に愛想が尽きた。使い古された器官だが、これだけがノクに残された元手だというのに。
「病院へ行こう」
 ノクから目をそらさずに口を開いたが、声がくぐもった。医療機関にノクの身柄を預けてしまえば当座の責任は果たしたことになる。この重荷からのがれられる。治療費がどれほどかさむか予測できないが、よしんば入院したにせよ公立病院なら高くても数万バーツですむはずだ。もし所持金でたりなかったら、気は重いが妻に電話して、有り金を盗まれたと言って必要額を急送させればすむことだ。
 いや、課題がそれで片づかないことは明白だった。婦人科医の診察を受ければ、患者が売春婦であることは露顕する。ノクが私のフェーンである事実を否認するつもりはない。 そこまではいいとしても当然のなりゆきとして、ノクをどうしたいのか、ノクとの関係をどうするのか、どこまでかかわってゆく覚悟があるかを問われることになる。たとえ医師が口に出さなくとも、自問は避けられない。言葉が続かなかった。
 ノクが私の手首をつかんだ。
「プラジャム・ドゥアン」
 ノクがきっぱりと宣言した。
 月経、それはおかしい。生理中にセックスしたからといって、あんな激痛を訴えるはずがない。それにこのあざやかな血の色だ。経血はもっと濁った色だときいている。ノクは私の心中を読み取って、嘘をついたのではないか。病院へ行って医者の前でみじめな思いをしたくないという意地もあるかもしれないが……。
「病院へ行かない。きょうかあす、はじまると思っていたから」
 ノクはそう言い捨てて水浴室に閉じこもった。十センチほど開いた扉の隙間から、片膝を上げ、太ももを洗っているノクが垣間見えた。赤い水が渦を巻いて排水口に吸い込まれている。取り乱した気色はなかった。
 最前の狂乱は現実だったのだろうか。げすな勘繰りが頭の片すみを去来した。ノクが痛みと出血で気が動転したことは疑えない。だけどノクは大した怪我でないことに感づいていながら、シンナーを強奪された腹いせに荒れ狂ったのではないか。
 女の生理のありようがさっぱりつかめぬことへの焦心と無力感。怖じ気と自嘲。鏡を見なくとも浅ましい面つきになっているのがわかった。
 身づくろいを終えたノクが青白い顔を私に向けた。ベッドでうなだれている私をまっすぐに見下ろしている。ふてくされているわけでもない。怒りを心の底に押し込めているわけでもない。悪感もないかわりに愛着もない。私の手の内を見すかした冷眼だった。
「痛いんだろ。病院へ行こう。いやなら、早く家に帰って横になれよ」
ノクは押し黙ったままだった。
「五時半だ。テレビが受け取れる。これはテレビ屋に払う百バーツとサムロー代だ。バスタオルもいらない。みんな持っていけ」
 ノクは黙したまま百二十バーツを受け入れた。接着剤を拾って蓋をしめ、ズボンの前ポケットにねじ込み、三つの紙袋をかかえ上げた。ドアを出かけたところで振り返り、思い出したように「テープ」と口走った。
「テープって何だ」
ノクはベッドに駆け上がり、私の目をのぞき込んだ。
「テープよ。音楽のテープ。うんとほしい。これくらい」
ノクは両腕を一八〇度にひろげた。紙袋がころがり落ちた。
「今はない」
「あとで送って。お願い。聞いてるの」
「聞いてるよ」
「テープ。テープ。いつ送ってくれるの」
ノクはしつこく言質を取ろうとした。
「バンコクから送る。大体十日後だ」
「ほんとね。バンコクから十日後に送るのよ。約束だからね」
ノクは私の頬を両手で挟んで前後に揺すり、荷物を拾い上げて部屋を去った。階段を踏み降りるゴム草履の音が遠のいていった。
もう電器屋に着いてテレビを引き取っている時分だ。ザックから免税品のバーボンウィスキーを引き出して瓶ごとあおった。いつものジャック・ダニエルズの味がしなかった。喉が、食道が、胃が順々に焼けていった。
テープ。音楽。そうだ、クラシックのカセットテープだ。ノクはモーツァルトとバッハを聴いたのだ。ノクの魂はまだ息がある。今すぐ底なし沼から引き上げ、母親との悪縁を断てば、蘇生する見込みがある。
 だがメェーとノクを結ぶ絆は強固だ。あれは仲のよい母娘というより腐れ縁だし、密着というより癒着と評すべきもたれ合いだ。ノクがどれほど自覚しているかわからないが、ノクは奥底であの母親をうらんでいる。にもかかわらず同時に強く依存している。切り分けは一筋縄ではいかない。
 シンナー中毒を克服しないかぎりノクの更生はありえない。とはいってもシンナーは手ごわい敵だ。ノク一人では勝ち目が薄い。途中で逆戻りしないよう誰かが寄り添って親身に見守らなければならない。しかしノクのまわりには、手を貸すどころか、骨までしゃぶりかねない面々しか見当たらない。
 ノクがシンナーをやめ、健康を取り戻したとしても、売春を復活させたのでは振り出しに戻ることになる。再就職がまた難儀だ。絵心を生かせる仕事があればいいのだが……、それは夢物語だろう。就職口は限られている。工事現場や農作業などの肉体労働は体力的に困難だ。できそうな職種といえば、麺類や総菜を売る屋台店の販売員か家政婦くらいか。どれも薄給だ。世間並みの収入を得るには、職業教育が必要になるかもしれない。
 私にできることといっても、小口の仕送りがせいぜいだ。毎月二千バーツ送金するとして、それがノクの救済につながるだろうか。答えは否だ。その金がシンナーの購入に流用されるか、母親に巻き上げられるかだ。いずれにせよ、依頼心だけがふくれ上がり、吸入量が増え、体調は悪化する。私はノクを救えない。器量も心意気も欠如している。
 カーテンを引き開けた。斜陽がベッドを照らした。中央部がノクの肉身そのままにくぼんでいた。シーツに鶏卵大の暗い赤が四つ、直線状に連なっていた。それらは赤ん坊がよちよち歩いた足跡によく似ていた。
 三歩まではしっかりと大地を踏みしめ、四歩目はかかとの部分を残して虚空へ踏み出していた。鼻を寄せてみた。ノクが流した血は乾きかけていて、何のにおいもしなかった。
 ノクはどんな応急手当てをしたのだろう。ノクは無事に帰宅できただろうか。
 
熟睡できないまま四時半に目がさめた。二日酔いで吐き気がしたが即座に宿を引き払った。ノクの朝駆けがこわかったのだ。リュックをかついで外に飛び出した。
夜はまだ明けていなかった。通りかかった乗合トラックを拾い、チェンマイの長距離バスターミナルに行き着いた。構内にバスがずらり整列していた。ベンチに腰を下ろしてこれからどこへ行くか一考した。雲の切れ間から青空がのぞき、朝日が照りつけてきた。
心の雲は晴れなかった。このままではあまりに見苦しい潰走ではないか。ノクから逃げを打つのだったら、せめてラムプーンから高飛びすべきだろう。
 チェンマイ市内を循環するバスをつかまえて白象門に向かい、白いミニバスに乗り換えた。九時にラムプーンのバスターミナルに立ち戻った。長距離バスはバンコク行きと東北のコーンケーン行きがあった。どちらもチェンマイ始発だった。切符売り場の係員は、バンコクまでは九時間半、コーンケーンまでは十一時間かかると説明した。私は肉体を徹底的に酷使したかったので冷房のないコーンケーン行きを選んだ。
 出発までの六十分間は、ただただ浮き足立っていた。ノクが今にも登場しそうな予感がしたのだ。そのときはそのとき、そう叱咤して我が身に活を入れたものの、細身の若い女が目に入るたびに心拍数が倍加した。
深夜にコーンケーンに安着した。ホテルの客室でズボンの裾の隠しポケットをあらためると、八つ折りにたたんで入れておいた二枚の五百バーツ札のうちの一枚が消えていた。 バスの中で落としたのかもしれない。きのう私がスリラムプーンホテルでシャワーを浴びているあいだに、ノクが黙って持っていったのかもしれない。ノクの仕業であってほしかった。五百バーツあればあと一、二回買い物が楽しめる。

十日後、バンコク中のデパートとショッピングセンターを奔走した。クラシックのカセットテープは品ぞろえが乏しく、ノクに聴かせたい作品が少なかった。ようよう六本を見つくろい、これに手持ちの二本を加えることにした。問題は日本から持ってきたモーツァルトのレクイエムだった。これを送るかどうかで最後まで思い悩んだ。
 ノクの耳はあなどれない。これが死者に捧げる音楽であることをたやすく聴き分けるだろう。むごすぎないか。
 いや、この曲はノクの胸奥までしみ渡り、いっときの安息を与えるはずだ。
 日タイ辞典を引き引き、拙劣なタイ字を並べた。タイ語は文法が平易なので作文自体は難しくないのだが、唐草模様のような表音文字を辞書から引き写すのが一苦労だ。
        *
  ノク、元気ですか
ゴムの油をやめてください
ゴムの油はノクのこころとからだをこわします
私のこころをこわします
  200年、300年前のヨーロッパの音楽です
  チョーク ディー ナ
  追伸 手紙を書いてください
私の名前と住所を書いておきます
  同封の11バーツは切手代です
        *
 返事は来なかった。

第三部 死病

 二年半ほど前、タイの売春が四百枚の原稿にまとまったが、見聞きしたことを列挙した文章は平板だった。ノクと再会して焦点が定まり、『娼館に映ったタイ社会』という観点から書きあらためた。脱稿まで一年余を要した。その後、六百枚のノンフィクションは私の初作になった。出会いから三年九カ月の月日が流れていた。
 刊行の翌月、私は真新しい本をたずさえて男性月刊誌の編集部を訪れた。タイのエイズを特集してはどうかと売り込んだのだ。企画は採用され、身分証と取材費が支給された。
 この年、タイでは麻薬静脈注射と男性同性愛による感染が半減した。取って代わるように男女のセックスによる感染が累増し、発生の六〇パーセントを占めるまでになっていた。売春を媒介とする感染爆発がはじまったのである。前年にタイに入国した日本人は五十五万人、そのうち男が三十八万人、多人数が買春したものと推測された。タイのエイズは対岸の火事で終わらないかもしれない、日本人が不吉な予兆を感じはじめた時期だった。

 二年三カ月ぶりのタイだった。バンコクではエイズ国際会議を傍聴し、エイズ予防・支援担当大臣と公衆衛生省感染症局の責任者に面会し、複数のNGO関係者と面談した。あいだをぬって、エイズ汚染がもっとも深刻な最北部四県の保健所を駆け回った。その四県にラムプーンが入っていた。
 国立チェンマイ大学医学部免疫学科の主任教授に取材したとき、無惨な数字を突きつけられた。一年半前に同教授が地元チェンマイのソンで働く下級売春婦三十六人を血液検査したところ、うち二十六人がエイズウイルス陽性と確認されたのだ。
 エイズにむしばまれた女たちというのは、売春婦になって半年から一年にしかならない新入りであり、十五歳から二十歳のほんの小娘だった。大多数が淋病などの性感染症に感染していた事実も判明した。性病に罹患しているとエイズに感染する危険が桁はずれに高くなるのである。
 ソンで自主的にコンドームを使用する客は一握りだった。チップをもらえることもあって、女の側も強く装着を求めなかった。売春婦の大部分はピルを常用していたので妊娠の心配はほぼなかったのだが、エイズを含む性病に対してはすこぶる無策だったのだ。
 教授によれば、下級売春婦の定義は一回の売春料金が三十バーツから五十バーツまでの割安な売春婦だという。ノクの売り値がその五十バーツだった。
 ラムプーンの現況について教授にただした。
「ラムプーンはチェンマイより良好な段階にある。我々はラムプーンの下級売春婦の約四〇パーセントがヒト免疫不全ウイルスに感染していると推定している」
 ノクの売春歴は少なく見積もっても四、五年になる。性病をうつされたことも再三だったにちがいない。エイズウイルスに襲われればひとたまりもないだろう。
 陽性と判定された売春婦は保健所に監視され、執拗に廃業を勧告される。仕事を強行するにしても、秘密が暴露されれば客は逃げ、店からは解雇され、残るものは失業と絶望と死の恐怖しかないのである。
 他方でエイズ感染者や患者に対する偏見とパニックは底なしの様相を呈している。売春でエイズに感染して帰宅した娘が、家内感染をおそれた肉親によって家からたたき出された実例がそこここにあるのだ。
 チェンマイ保健所の医官はインタビューのおりにこんな内実を明かした。
 我々は感染者全員に告知している。不本意なことだが、エイズに感染したことを告げられて、シンナーや麻薬に手を出したり、自殺したりする売春婦がかなりいる。タイのエイズ患者の大半は結核で死んでいる。骨と皮に痩せ衰え、垂れ流し状態になって死んでいる。売春婦は商売柄エイズに対する関心が高い。不治であることも、悲惨な終末を迎えることも知っているから、おそろしさと孤立感に耐えられないようだ。

 あしたでノクに会ってちょうど四年になる。ノクがショッピングを楽しんだ百貨店の前で通行人に声をかけ、エイズに関するタイ語のアンケート用紙を配った。二時間で十人の回答が得られた。
 すぐさまサムローを飛ばしてノクの病状を見届けたかったが、実行は思いとどまった。病み衰えたノクに接すれば、その先の取材に支障をきたすのは必至だった。二都市が手つかずで残っていたので、急ぎラムプーンをたち次の目的地に向かった。
 チェンラーイとパヤオを走り回った。医療関係者に面会し、売春婦に質問をぶつけ、街頭でアンケートを集め、写真を撮った。五日間で情報収集は完了した。
 とりあえず材料もそろったし、データも入手できた。あとは日本に帰って原稿を仕上げればよい。それもこれも、忌まわしい悪夢におそわれたからである。病にふせ、一人身もだえするノクの姿が繰り返し思い浮かんだのだ。ノクを救出することはできないが、時間の許すかぎり枕元にとどまるまでなら私にもできる。多少なりともノクの苦しみを軽減してやれるかもしれない。
 六日目の午後、ラムプーンに帰り着いた。帰国は一週間後だ。それまではノクに付き添えるのだ。二年前と同じスリラムプーンホテルに投宿した。二階の角部屋はあいにくふさがっていた。前を通るとドアが開いていて、ドイツ人らしい白人の青年がキングサイズのリュックの紐をほどいていた。
 その隣りの客室の扉を開けたとたん、汚臭が鼻を突いた。便器のひび割れから漏出した水が浴室の床をぬらしていた。寝室天井の扇風機はスイッチを入れても回らず、摩耗した
毛布に多量の人毛がからみついていた。それでいて宿泊料を六十バーツから百バーツに値上げしている。一バーツは五・三円である。
 怒りがこみ上げてきた。ただちにフロントに行って宿賃を取り戻し、チェンマイへ折り返し、もっと衛生的なホテルで心身を休めるべきだろう。とはいえこの程度の逆境で泣き言を並べるようではノクに合わせる顔がないとも思う。ぐずぐず思い迷ったあげく、この部屋を死守することを決断した。
 大急ぎで外に出て北に歩き、大運動場の手前を右に折れた。雑貨屋から道なりに進み、枝道を左折した突き当たりがグーチャーンだ。
 迷い道を歩いているような感覚が生じた。原っぱだったところに家が建ち、路地ができている。ときたま見覚えのある立ち木を目撃するのだが、家並みが激変している。新参の住人が移住してきたようだ。七百年間眠り続けていた旧都が都市化の奔流に洗われたのだ。開発の渦に巻き込まれたラムプーンは、二年あまりでいちじるしい変貌をとげていた。
 ラムプーンの東郊に大規模な工業団地が新設されたことは存知していた。チェンマイからスーパーハイウェイを南進すると、三十分も走らぬうちに近代的な工場群が現出する。 日系メーカーが数多く進出している。日系の会社は給与や福利厚生など待遇がよいので人気を集めている。従業員の大部分はうら若い女子工員だ。空調完備の工場に就職できれば、身を落とさずにすむのである。
 ただし、あらかたの企業が採用を中卒以上にしぼっている。ノクが就学した当時、この国の義務教育は小学校の七年間のみだった。ソンで就労する女の九割が小卒または小学四年中退である。狭き門どころか、門前払いを食う境遇に置き去りにされている。小学校が六年制になり、中学校の三年間が義務教育に追加されたのは四年前のことである。
 袋道の入口を求めて一時間歩き回ったが、どうしても糸口がつかめなかった。方向感覚を失い、野原に迷い込み、石につまずいてころんだ。膝をさすりながら首をめぐらすと、白い尖塔が目に入った。かよい路のどこかで何度か見かけた石塔だった。
グーチャーンから遠くない地点に立っていることはつかめたが、このうえ堂々めぐりを続けてもらちがあかない。遠回りでもほかの道筋を当たる方が確実だ。ひとまず106号線に取って返し、国鉄ラムプーン駅前に出ることにした。そこから以前バイクで走った道を逆行してみよう。
 国道を北上し、小さな案内板にしたがって右折した。道の両側は畑地だった。路肩に大量のプラスチックごみが投棄されていた。小型トラックが赤い土埃を巻き上げながら追い越していった。小豆色の切り妻屋根の駅舎が見えた。その左手に朱色の郵便ポストと青い公衆電話ボックスが添うように立ち並んでいた。構内はがらんどうだった。
 駅からはつとめてゆっくり歩行した。頭をあげて右前方を見向くと、落日が地平線に触れ、逆光で色を失った野草が黒々とそそり立っていた。薄い煙がたなびき、枯れ草の燃える臭いが立ちこめていた。太陽がいぶされて熟柿色に染まっていた。
 草をなぎ倒した跡を見つけた。野薮の中に隠れ道が伸びていた。風が出て気温が下がってきた。丈の高い雑草を両手で払いながら歩を運んでいると、子どもだった時分の情感がよみがえってきた。半球になった夕陽を直視したとき、孤絶感に胸がふさがった。
 あたりがどんどん暗くなってきた。きょうはこれで切り上げて、あすまた出直そう。くるりときびすを返した瞬間だった。大木が視野に飛び込んできた。グーチャーンを見守るようにそびえていたあの巨木だった。
 ノク一家の地所は、高さ一・五メートルの白々としたブロック塀で囲い込まれ、夕闇に新家がほの白く浮かんでいた。この場所は来るごとに外貌が一転し、建築物がすり替わる。四年前はノクのバンガローがあった。二年前は閉塞された裏長屋があった。この目まぐるしい変転はどうしたことなのか、自分の目を疑った。
 コンクリート造りの新居はソンにしては金のかけすぎだし、売春に結びつく独特の臭味が感じられなかった。工業団地に勤めるビジネスマンか役場の管理職のマイホームといった風情だった。横手に回り込んでひとわたり検分した。平屋だが三十坪の建坪があった。
 詳しく調べようと、塀に両手をかけて跳躍した。塀から上半身を乗り出してのぞき込んでいると、勝手口に明かりがともり、この家の主人らしい中年男が出てきた。事情を訊ねるには好都合だと思って、地面に飛び降りてこちらから男の方に近寄っていった。
「ここに……」
 私が問いを発するのと同時に、男が塀越しに棒を振りかざしてじりじり肉薄してきた。満身から問答無用の殺気が奔出していた。心ならずも逃げ去るしかなかった。
 今度こそノク一家はグーチャーンを立ちのいたのだ。ノクにつながる糸はすべて絶たれてしまった。見返ると、袋小路はすっかり闇に包まれていた。
 十分ほど歩いたときだった。背中に轟音がぶつかってきた。驚いて振り向くと、北の空が間断なく変色しながら揺らいでいた。つい今しがた通りすぎた巨刹の上空だった。寺門の両側に屋台が集結しているのが見えた。四、五人の警官が出て交通整理に当たっていた。界隈は人波でごった返していた。
 寺祭りは土地っ子が心待ちにしている年中行事である。ノクがまだラムプーンにいるなら、病に倒れていなければ、きっとこの寺に来る。急ぎ足で国道を横断した。
 境内の中庭の左側に組まれたステージの上で、四人編成のバンドがエレキギターをかき鳴らしていた。アメリカのポップスが数曲続いたあと、赤いミニスカートの歌手が登場して甘く悩ましい声でタイの歌謡曲を熱唱した。旅回りの楽団のようだった。
 十歳から十二歳ぐらいの二人の小坊主が、老木の枝に腰かけて高みから舞台を見下ろしていた。肩をつつき合ってはくすくす笑っていた。
 庭の右側では、中空に張られたスクリーンに香港のカンフー映画が投射されていた。左右から襲来する大音響で鼓膜が引き裂かれそうだった。
 寺内を捜し回った。ノクはいなかった。ノクはラムプーンに根を下ろした女だからこの地を離れられないはずだ。ノクが息災でいるような気がした。もう就業時刻にかかっていて外出できないのかもしれない。そこまで思い及ぶと居ても立ってもいられなくなった。人垣を押し分けて寺を飛び出し、サムローを呼び止めた。
「ソンへ行ってくれ」
「ソンはありません」
「うそをつくな。ラムプーンの男は遊ばないのか」
「スアン・アハーンで遊ぶんです。いい女がいますよ。そこへ行きましょう」
「スアン・アハーン」はまっとうなタイ語で「庭園レストラン」を意味するのだが、この場合は売春機能を付加した野外料理店に転義している。地方都市で増殖している業種であり、涼風を受けながら食欲と性欲をいっぺんに充足させようという欲張りな商売である。値は張るがソンより若い女をそろえているという定評を得ている。
 ソンのような地味で安価な売春が低迷を続けている。「ソンはエイズの巣窟だ」「安い女を買うとエイズになる」といった口コミがタイ国中を駆けめぐっているのである。ラムプーンに工業団地ができて数年、庶民の懐具合が一挙に暖まる道理がない。
「日本人をなめるなよ」
 運転手が睨み返してきた。別のサムローに当たった。この運転手もソンが消えたと言い立てた。場所を移動しながら四台のサムローに聞き回った。彼らは口うらを合わせたように、ソンがなくなったと力説した。
 宿に戻ってシャワーを浴び、しばしまどろんだ。
 ラムプーンのソンはたしかに絶滅したのだろう。ただ、ここでくすぶっていてもノクは見つからない。スアン・アハーンへ出向くことにした。
 サムローが案内してくれた店は、国道を西に百メートル入ったところにあった。柵板塀の隙間から光が漏れていたが、庭木が邪魔になって内部は見通せなかった。表門の飾り付けが微風に揺らめいて、ぴかりぴかり光っていた。
 ゴールドのプラスチック箔にメタリックなレッドで「HAPPY NEW YEAR」と印刷したぺらぺらの暖簾だった。英語だがとくに外国人観光客を意識したものではなく、商店の店先や民家の軒先を飾り立てるありきたりの正月用品である。
 門をくぐると内庭に東屋が散らばっていた。正面にジュークボックスが据えてあった。奥の東屋で二人の客が酒盛りをしていた。鉢植えに豆電球を飾り付けたクリスマス飾りがあちらこちらで明滅していた。
 二十代なかばのママさんがタイプで打ったメニューを差し出した。五十種以上の品目が四ページにわたってタイ語で列記されていたが、私の読解力では歯が立たなかった。あてずっぽうに料理を選んで告げると、ママさんは如才なく水を向けてきた。
「ほかにご注文は」
 それが合図だった。どこから現れたのか、十五人あまりのウェイトレスが寄り集まり、ぐるりと取り巻いた。薄手のブラウスとミニスカートを着用していた。ブラジャーが透け、太ももが剥き出しになっていた。数人が冬風に身をすくめていた。胸に番号札はなかった。
 なりかたちがソンとまるでちがう。飾り窓で露出の多い服装を見ることはまれにしかない。ましてミニスカートなんてついぞお目にかかったこともない。ソンという在来型の娼家では、脚を見せたり、肌をあらわにしたり、胸の谷間をのぞかせたり、女体の曲線を強調するなど、客の気を引くための手管は不熟なままなのである。
 学校の制服を除けば、タイの地方に住む娘が積極的にスカートをはくことはまずない。ちなみに制服のスカート丈は例外なく膝下である。ラムプーンの街角でミニスカートに行き合う機会は絶無だから、この店も開店当座はたいそう評判になったことだろう。
「一時間二百バーツです。気に入った女を指さしてください」
 ソンのショートタイムが二十分から三十分である。ここなら時間を気にせずに遊べるというのが売り物なのだろうが、二百バーツはいい値段だった。ラムプーンの最低日給が七十四バーツである。割高感はいなめなかった。
 女を一人一人見回した。年恰好は十五歳から二十歳前後の小娘だった。ノクがいるはずもなかった。スアン・アハーンは落ち目の年増を拾ってくれる職場ではないのだ。
「悪いけど女はほしくない。今夜はビールを飲みに来た」
「かしこまりました。ご注文はいつでもできます」
 八人の女が居残り、前方二メートルに横一列に立ち並んだ。ビールとつまみが到着した。私がコップのビールに口をつけるたびに、女たちが交代でつぎたしにやって来た。「どうもありがとう」と言いながら顔を見つめると、全員がはにかみと困惑が混和した微笑を浮かべた。耳元でこっそり売り込んだりする娘はいなかった。
 個人差が大きく出ることなので皆がノクのように悩みわずらうわけではないが、売春が心を涸らす仕事であるという本質はゆるがない。この娘たちの魂が干上がってしまう前に、無難な帰還がかなえばいいのだが。
 爆音が接近し、三台のスポーツタイプのバイクがジュークボックスの前に颯爽と乗りつけてきた。女たちが五人の若者に向かって移動を開始した。それをしおに腰を上げた。
 会計はビール一本とつまみ一品で八十バーツだった。牛のすじ肉のあぶり焼きは美味だった。時刻は十時を回っている。本来なら書き入れどきなのに、主役の売春部門がこうも低調では娘たちの実収もたかが知れている。飲食の料金は妥当なのだが、接客代がソンに比べて高すぎること、価額のわりに女が垢抜けしていないことが影響しているのだ。
 テレビ・ラジオでエイズのおそろしさが喧伝されてからというもの、遊客の足はじわじわ遠のいている。女たちの拘束日数は長くなる一方である。うそ寒い夜風に吹かれて歩いた。満天にあまたの星が低くまたたいていた。流れ星が天空を切り裂いた。

 夜明けを待ち、ウィンドブレーカーをはおって散歩に出た。街全体が朝もやにけむっていた。野菜や魚などの食料を満載したサムローがときおり大通りを行きかっていたが、歩行者はまばらだった。
 小公園があった。中ほどが一辺数メートルの壇になっていて、豊かな胸の女性が大理石の台座の上で直立していた。彼女は半身に構え、左手に握った長剣の刃先を地につけ、右腕を斜め下に突き出していた。真っ黒な彫像の右半身に黄金色の朝日が差していた。千三百年前に即位したと伝えられる、ハリプンチャイ王国の初代王・チャーマテーウィーの勇姿である。
 十四、五歳のおかっぱ頭の少女が、女王の前で端座していた。両の掌をぴたりと合わせ、指先を額に押し当てたまま、身じろぎ一つしなかった。 
 市場に出た。着ぶくれた人びとが白い息を吐いていた。そこそこの人出だが、活況とはいえなかった。ピンクのセーターを着込んだ体格のいいおばさんが、寒気に肩をすぼめていた。棚板の上の商品は、白菜・キャベツ・大根・きゅうり・にがうり・たまねぎ・トマト・白なす。野菜は総じて日本のものより小さめだった。
 右隣りは赤と緑の唐辛子を地べたに並べていた。左隣りは卵専門店だった。白色があひるの卵、茶色が鶏卵である。
 工業団地が開設され市内に落ちる金は急増したはずだが、市場の広さや活気を観察するかぎり、ラムプーンは県庁所在地というより格下の郡都のレベルで足踏みしているように見えた。 
 広い十字路に行き当たった。交差している道はスーパーハイウェイに接続する新しいバイパスである。中央分離帯で赤いランプが点滅していた。ラムプーンで最初に目にする信号機だった。
ハリプンチャイ寺院の前に出た。北タイ随一の古刹は、濠に囲まれた旧市街の真ん中に位置していた。グーチャーンからは徒歩で二十五分くらいの道のりだろう。
 ハンドベルを伏せたような形状の仏舎利塔が屹立していた。九輪が紺青の空に突き刺さっていた。全面に金箔を押した塔の高さは五十メートル、まぶしくて五秒と目を開けていられなかった。
 青銅の柵が塔を真四角に取り囲んでいた。数箇所に扉が切ってあった。施錠された扉に赤い札がかけてあった。タイ語と英語による警告だった。タイ語は読めなかったが、英文は「WOMEN NOT ALLOWED」〈女人の立ち入りを許さず〉と書かれていた。
 舎利塔のあっちこっちから涼しげな音が降ってきた。視線を上向けると、地上十メートル付近の棚場で、鋳物の風鈴が風に揺れていた。
 昼すぎチェンマイに出てバンコク行きのボーイング737に乗った。飛行機は離陸してすぐにラムプーン上空を通過する。小窓から下界を凝視していたが、どこがラムプーンなのかはっきりしなかった。
 ノクに私のはじめての本を手渡すという願いはかなわずじまいだった。

第四部 廃屋
 一日目

 七カ月が経過した。この路線バスに乗るのは、上り下り合わせてこれが十一回目になる。現在チェンマイ・ラムプーン間には白バスと青バス、二種類のミニバスが走っている。どっちも甲乙つけがたいおんぼろだが、いつ乗車してもすわれるし、車体を小刻みに震動させながら力走する姿がけなげで気に入っている。
 窓の外に目を転じれば、どのあたりを走っているか見当がつくまでになった。沿道の庭先で咲きこぼれる熱帯の花々には毎回目を奪われている。
 三日前からチェンマイの豪華ホテルに宿泊している。冷房完備の広い客室にテレビと冷蔵庫がつき、朝食こみの一泊五百四十バーツは泊まり得だった。透明な熱湯が噴出するバスタブは申し分なく、一日に数回入浴している。一バーツは五・五円である。
 六月下旬に入国してから五十五日がすぎ、アンケート調査は終盤にさしかかっていた。英文の質問表を手に全国の四年制大学をめぐってきた。タイ人大学生の価値観とライフスタイルを数値とグラフで浮き彫りにして、二冊目の本を上梓しようという企図だった。予定の九割は消化できたが、このところの蒸し暑さも手伝って、疲労が頂点に達していた。我が身をねぎらう意味で一週間の優雅なホテル暮らしを特認したのである。
 五時半に目ざめた。バスタブに熱めの湯を満たし、全身を沈め、手足を思いっ切り伸ばした。昨夜は土砂降りだったが、けさは上天気だ。ラムプーンへ行ってみよう。ノクがどこでどうしているか、あと一度だけ調べてみよう。
 まずはグーチャーンに行って現場をじっくり見る。次に記憶をたぐってノクの祖母の家を捜し出す。家が見つからない場合はノクが働いていた川岸のソンまで足を運ぶ。それで手がかりがつかめないときは、あす月曜日に役所へ出向いて住民登録を閲覧する。そこまでやって結果が得られなければ、ノクの一件はそっくり忘れることにする。
 学校前でバスを降り、進行方向に五十メートル進み、大運動場の先を左に折れる。学生たちがサッカーに興じている。喚声が耳に入る。
 この道の名をジャッカム通りという。二百五十メートル歩くと四つ角に出る。交差する大道はサンパヤン通りである。ここを左折すると保健所を経てラムプーン駅前に出る。
 電飾看板があった。英語でミュージックホールとつづられていた。タイにストリップ劇場はないし、演芸場とも思えなかった。表構えからみてカラオケクラブかナイトクラブに相違ない。どちらも女性歌手やホステスが爪を研いでいる魔窟であり、女たちの大部分が買春に応ずる遊所でもある。その真向かいに「84ホテル」の看板が掲げられていた。建物はバナナの葉陰に隠れて見えなかった。
 番号ホテルの本場はバンコクである。入口で二桁または三桁の数字のネオンが光っている。どのホテルにも正式な名称があるのだが、そちらの方はさっぱり知られていない。
 客室はエアコンがききすぎていて肌寒い。中央に特大ベッドが鎮座している。毛布の類は常備されてない。壁と天井に大型の鏡が貼ってある。浴室には温水シャワーとビデがある。ボーイがテレビをつけると、欧米製のハードコアポルノが映し出される。
 内庭に駐車スペースがある。タイ人はこの種の施設を「モーテル」と呼んでいる。モーテルといっても車で乗りつける客は少ない。男女同伴での利用も可能だが、客の主目的は買春にある。大規模なモーテルは五十人以上の売春婦を擁し、昼から店開きしている。
 時代に取り残されていた史都に、ミュージックホールとモーテルがお目見えした。首都の流行を模倣した新手の業種が参入してきた。これもまた都会化の一面であり、経済発展の副産物なのだろう。
 左に背丈ほどのブロック塀が立ち続く。右折し十字路の雑貨屋にさしかかる。目的地はもうすぐだ。そのとき前から走ってきたサムローが私を見て急ブレーキをかけた。
「どこへ行くんですか。乗りませんか」
「いらないよ。近くなんだ」
「誰の家ですか。わたしはこのへんの人をみんな知っていますよ」
 三十がらみの実直そうな運転手だったので、訊ねてみる気になった。役所に行ったときのために用意しておいたメモを男に示した。
「ああノクね。知ってます」
 紙片にはノクの実名と住所しか記されていないのに、この男はノクという愛称を速答した。本人を見知っているのだ。あっけなく確報がつかめて、かえって拍子抜けがした。
「ノクがいた場所に白い家がある。ノクはどこへ行ったんだろう」
 運転手がけげんな顔をした。
「白い家の先を右に曲がると小さな小さな家があります。それがノクの家です」
 どんどん早足になった。半信半疑のまま白い家の先で制動をかけ、右側に目を向けた。
 息を呑んだ。雪白のブロック塀が囲い込んでいたのは、ノクのバンガローが立地していた一画ではなく、隣接していた手前のソンの跡地だったのだ。前回は夕暮れどきだったとはいえ、私は一体どこを見ていたのだろう。
 ノク一家の土地には身の丈を越える草が繁茂していた。見通しはきかなかったが、白いブロック塀に沿って、道幅四十センチの草道ができていた。まるで狸か狐の獣道だった。肩を斜めにして草間を十メートル進むと、にわかに眼界が開けた。
 前方に高床式のちっぽけな廃屋があった。床面の高さは地上一メートル、家を支える四本の支柱のうち、後部の二本が中ほどで折れ、小象が尻餅をついた恰好でかしいでいた。右すみに階段がもたせてあった。三段あるはずの踏み板のうち、中間の一枚のみが残っていた。階段の手前に物置があった。
 まさかこれではあるまい。が、もしかしてということもある。庭草を踏みしだきながら距離を縮め、真正面に立った。扉の絵が目に飛び込んできた。
 川が流れている。河畔にココ椰子の大樹が二本並んでいる。山の端に夕陽が沈みかけている。空に大鳥が舞っている。岸辺の木立の下でつがいの鹿が立ちつくしている。雄鹿は対岸を見やっている。水辺に立った雌鹿は後ろを振り向いて雄鹿に語りかけている。
 ノクの絵だ。熱帯の風雨と炎熱にさらされて色変わりしているが、あのバンガローの扉に描いてあった絵だ。これはノクの家だ。
 左隣りに青いスレート屋根の平屋があった。メェーが住んでいた母家だ。玄関に錠がおりていた。以前この母屋の隣りにあった建物は封鎖された長屋だった。一別以来三年になる。したがって眼前の高床小屋は築三年以内のはずだが、とめどなく荒廃していた。
 屋根のトタンが一枚飛んでいた。外壁が雨に打たれてふくらみ、あちこち破れていた。壁材はコンクリートブロックでもトタンでもなく、薄く削った竹を編んだ網代だった。
 大股で階段を昇ると板敷きの手狭なベランダがあった。床板の過半が朽ちていた。傾斜がことのほか急で、まっすぐ立っていられなかった。足下に釣り竿がころがっていた。
 左に七輪と鍋、ひびだらけのホウロウの洗面器が出し置きにされていた。洗面器といっても洗顔に用いるものではなく、野菜や魚などの食材を入れておく容器である。直径三十センチのまな板、尿素樹脂の青いどんぶりと黄色い皿、アルミのスプーンとフォークが四散していた。どの器物も久しく使われた形跡がなく、埃をかぶっていた。
 右に幅百二十センチ、奥行き三十センチ、高さ四十センチの作り付けのベンチがあった。上に容量八リットルくらいの寸詰まりの水甕が据えてあった。水甕に長さ六十センチの樋が立てかけてあった。この樋で屋根から落ちてくる雨水を集め、甕に貯水して飲用にするのである。しかし甕の内部は乾ききっていた。
 汚れたポリ袋が何枚もベンチの座板の空き目に押し込まれていた。輪ゴムと竹串が散らばっていた。ノクはここに腰を下ろして、屋台で買ってきたスナックや果物を食べたのだ。
 ほかにも多様ながらくたが載っていた。青・桃・茶・白のアイシャドーと三色の頬紅が入ったカマボコ型の黒い化粧ケース。メイク用の刷毛。ヘアブラシ。赤い針金ハンガー一本。空色のサンダル一足。マッチ箱。ざら紙で巻いたタバコの吸いさし一本。これはおそらくマリファナ入りのタバコだろう。
 葉書大の鏡が柱に寄りかかっていた。口紅が二本置かれていた。底の口金を回してみた。二本ともスティックの部分は摩滅していて、繰り出し部の内側が深くえぐれていた。
 アイシャドーと頬紅が引っかかった。昔のノクは口紅以外つけなかった。今のノクは厚化粧が不可欠な情況にまで堕してしまったのか。
 ノクはこの小屋で個人営業を続けているのか。どうやって客にありついているのだろう。チェンマイやバンコクといった大都会なら街頭で客を拾えないでもないが、こんな田舎町ではおよそ無理だ。ラムプーンにタクシーは走っていないから、新規の客は懇意にしているサムローに連れてきてもらうしかない。なるほど、さっきの運転手か。
 ちゃちな南京錠が扉からぶら下がっていた。掛け金のひじにダリアのような房飾りが結び付けられていた。オーディオテープを束ねた花だった。チョコレート色の造花をめくると、柱に固定されているはずの止め金具が浮き上がっていた。
 ノクは錠前の鍵を紛失し、やむなく掛け金の釘を引き抜き、カムフラージュのために自作の花をくくり付けたのだ。カセットテープをばらしたのだろう。モーツァルトのレクイエムかもしれない。念のためにノックしたが応答はなかった。
 ドアを五センチ引き開けて額を押し付けた。部屋は三畳の広さがあり、寝台が半分を占めていた。脱ぎ散らかした肌着や衣類でベッドが埋もれていた。床は床で廃物やごみが山積し、足の踏み場もなかった。南と東に木の押し窓があり、東側の窓が開きっぱなしになっていた。寝台を包むように灰色の蚊帳が吊ってあった。網目がほつれていた。
 ノクは正気を失ってしまったのか。そればかりではなさそうだ。さらに五センチ開けて鼻を差し入れ、こわごわ室内の温気を吸い込んだ。腐臭は嗅ぎ分けられなかった。ベッドの下に目を走らせた。ミイラも白骨も見えなかった。
 待ってみるしかなかった。日曜日の午前十時だから出かけているのだ。ベンチに腰かけてノクの戻りを待ち受けることにした。空模様が気になって上空を見上げた。トタン屋根の欠損部はさいわいベンチの反対側だった。雨が降ってもこの位置なら多分大丈夫だ。
 藪蚊が飛びかっていた。首と両腕がこぶみかんのようにはれ上がった。
 釣り竿を手に取って見た。細竹を切って天日乾燥させた一本竿で、釣り糸が竿にぐるぐる巻き付けてあった。全長三メートル、浮子はなく釣り針の二十センチ上方におもりがとめてあった。針先に赤錆が浮いていた。
 主食のもち米は収入があったときに買い置きしておけばよい。五十バーツあれば六、七キロの徳用米が買える。小食のノクならこれで一カ月以上は食いつなげる。食用になる野草は近場に生えている。不足する栄養素は動物性蛋白質である。
 ノクが釣り竿をかついで階段を下りてゆく。十五分も歩けば川幅十メートルのグアン川にぶつかる。ココア色の水がゆったりと流れている。どこか近くに沼もあるだろう。
 釣り針の大きさから類推するに、ナマズか雷魚を狙っているらしい。いずれもタイ人の大好物である。一昔前までタイの湖沼や河川には無尽の魚類が棲息していた。近年は乱獲のために個体数が急減している。この釣り道具では半日ねばっても一匹釣れるかどうかだ。空手で帰る日が多いのではないか。
 尿意を催してようやくノクの家に便所がないことに気がついた。ノクはどこで用をたしているのだろう。階段を降りて裏手に回ってみた。下草を卵形に踏み倒した一角があった。南と西の塀が目隠しになっていた。
 ここがノクのトイレなのだ。私はそこに立って小便をした。
 緑葉を擦り抜けてきた日射に目がくらんだ。屋根におおいかぶさるように立っている高木はマンゴーのようだ。片脇にパパイアの木をしたがえている。パパイアの木は紡錘形の青い実を五個、幹から吊り下げている。
 腹の虫が鳴いた。一時をすぎていた。国道に出て界隈を捜し回ったが、レストランはなかった。どうにか飯屋を見つけ、ビーフンの細麺を注文した。私の好きなラーメンが品切れだったのだ。具の焼き豚をつまみにビールを飲んだ。
 二時に持ち場に立ち返った。ノクはまだ帰宅していなかったが、まわりの空気がわずかに変質していた。人の気配を感じて向き直ると、物置の戸が三十センチ開いていた。
 土踏まずがこちらを向いていた。何者かが縁台の上でうつ伏せになっていた。右手が奇妙な動きを見せていた。奥は暗くてよく見えなかった。
 地面に触れた右手の指先が渦巻き状に回転していた。ときおり親指と人さし指でごく小さな物体をつまむようなしぐさをした。虫でもいるのかと指のあいだを注視したが、蟻一匹挟まっていなかった。その人影は同じ動作を機械のように反復した。
 足の裏と右手がはっきり見えた。足の裏で男女の判別をするのは難しいが、手の甲の骨張りと指の太さは九分通り男のものだった。戸口に忍び寄って目を据えていると、腰布一枚をまとった男の像が薄ぼんやりと浮かび上がった。
「こんにちは。ノクはどこですか」
 指の動きはやまなかった。
「あなたに話しているんです」
 男の後頭部に声をぶつけた。手ごたえがなかった。壁のトタンをノックした。効果がなかった。拳を握ってトタンを殴りつけた。錆がぽろぽろと剥がれ落ち、土色の金くさい埃が舞い上がった。
 声が届いてないのか、聞こえていても反応できないのか、受け答えしたくないだけなのか、指先の円運動は停止しなかった。背筋が寒くなってきた。ノクはこんな手合いに取り巻かれて日を重ねているのか。
 ベンチにすわったまま、うとうとした。腕時計に目を落とすと三時を回っていた。小一時間居眠りしたことになる。物置の戸は閉まっていた。きょうのところは引き上げることにきめた。
 母家の前を通ったとき、玄関の南京錠が消えているのが目にとまった。誰かが帰ってきたのだ。ドアをがんがんたたいた。
 若い男が顔を出した。しきりに目をこすっている。ノクの弟だった。
「ノクが家にいないんだ。どこにいるか教えてくれないか」
 弟は真っ赤な眼を私に向けた。焦点が定まっていなかった。さきほど縁台の上で正体をなくしていた人物はこの若者だと直感した。
「ノク姉さんはここにはいません」
「遠くなのか」
「いいえ、そこをまっすぐ行って左に曲がればいいんです」
 そんな大ざっぱな説明では不充分だ。私には土地勘がない。正確な住所がなければたどり着けない。弟に歩み寄り、メモ帳とボールペンを突きつけた。
「住所を書いてくれないか」
「書く必要はありません。もう一回言います」
「いや、住所を書いてくれ」
 弟はペンを走らせようとして首を横に振った。
「書くより、あなたをそこへ連れていきます」
 弟は玄関を出て、左の通路を進み、両側から低木が張り出した泥深い細道を歩き、突き当たりを左に折れた。その家はすぐ右手にあった。
「ここで待っていてください。ノク姉さんを呼んできます」
 弟は私を前庭に押しとどめ、裏口に回っていった。
 黒犬が尻尾を振りながら私のズボンの裾をかぎ回った。左に高さ二メートルの木が立っていた。テニスボール大の薄緑の実を四個つけている。表層が螺髪様の突起でおおわれている。ノーイナー〈釈迦頭〉だった。甘美な果物らしいが私はまだ口にしたことがない。
 竹柵と門柱にどことなく覚えがあった。これはノクの父さんの家だ。
 家の中から言い争う声がした。
「会いたくない。ノクはいないと言って」
「ノク姉さんがいると言ってしまったんだ。たのむ、出てくれよ」
「いやだー。いやだー」
 女が絶叫した。
 弟の懇願が怒号に変わった。
「ノク姉さん、出るんだ」
 どたばた暴れる音がした。
「ぎゃー」
 女の叫喚が聞こえた。弟が裏口から黒い影を引きずり出そうとしていた。両手首をつかまれた小猿が、尻を地に落として必死に抵抗していた。豚のような悲鳴をあげていた。
 ノクがどんなにむごたらしい姿になり果てていようと度を失うまい。見るに忍びない相好に変わり果てていようと顔をそむけまい。平生ならとてもできそうにない心構えが、このときはまたたく間にかたまった。
 ノクがこちらを振り向いた。弟の手を振り払い、躍り上がるように駆け寄り、私の腕のなかに飛び込んだ。がたがた震えていた。ノクは私の胸に顔面を押し当てて五体を痙攣させた。野獣のように咆哮した。涙が胸板までぬれとおった。ノクの無念が伝わってきた。
 きついにおいがした。シンナーの漬け物を抱き締めているようだった。
 老女が顔をのぞかせた。門口に立ったまま心配そうに裸足のノクを見つめた。視線を感知したノクが振り返った。
「あの日本人が来たの」
 孫娘のかすれ声を聞き届けた祖母が顔を引っ込めた。
 引きつけが徐々におさまってきた。ノクが私に見入った。私もノクに見入った。三年ぶりに見るノクだった。
「ディージャイ」「ディージャイ」
 ノクはうわ言のように繰り返した。
〈うれしい〉〈うれしい〉
 白目が黄色みを帯びていた。相貌が一変していた。顔が一回り小さくなっていた。顔色がどす黒くなって、頬骨が浮き出ていた。髪が刈り上げられ、両耳が丸見えになっていた。意外なことに三年前より子ども顔になったように見えた。もし左の口角に胡椒粒ほどのホクロがなかったら、近親の誰かと取り違えたことだろう。
 ノクは少年に変態していた。女から遁走したのだ。女を抹殺してしまえば、もう犯されずにすむ。ノクは安全地帯に退避したのだ。この貧弱な少年に食指を動かす男はいない。
髪を切り落とした張本人はおそらくノクだ。 
 ラガーシャツに似た赤と緑の横縞の半袖ポロシャツと紺の化繊の体操ズボンを身につけていた。上も下もぶかぶかだった。兄か弟のお下がりなのだろう。
「ノク、元気かい」
 ノクは下腹を押さえた。
「元気じゃない」
 舌先がもつれていた。
「どうぞ入って」
 居間の緑のリノリウムはそのままだった。よもぎ色のソファーと安楽椅子に見覚えがあった。メェーの家に置いてあった応接セットだ。母親がここへ移ってきたのか。
「メェーは今どこにいる」
「メェーホーンソーン」
 メェーホーンソーンはミャンマーに接する山岳県で、メェーホーンソーン市はラムプーンから西北西に三百五十キロ離れている。
「そこでメェーは何をしている。働いているのか」
「よくわからない」
 ようやっと母親から解放されたというのに、このありさまでは、もはや手遅れだろう。
 向かいの安楽椅子に祖母がすわっていた。老女の面の皮はより地厚になっていた。象の肌に、ワニ皮のような深い亀裂が縦横に走っていた。
「十時からノクを待っていたんだ」
「バンコクからけさ着いたのね」
 実際はチェンマイに滞在して四日になるのだが、ノクの思い違いをことさら訂正するまでもないと即断した。
「ここに横になって。くたびれたでしょ」
 冷房のない長距離バスはいつでも混雑している。ごわごわのビニールカバーがかかった座席は窮屈で、ところどころスポンジがはみ出している。天井の扇風機が車内の熱気を掻き回している。とりわけ夜行バスは寝苦しいので体力の消耗が激しく、下車したとたんどっと疲れが出てくるのである。
「必要ない。くたびれてない」
「遠慮しないで。ノクの好きにさせて。ほら」
 ノクは抗弁に耳を貸さず長椅子をたたいてうながした。不承不承仰向けに横たわった。
「ハンカチを出して」
 尻ポケットからハンカチを引き出してノクに渡した。ノクは部屋を出てハンカチを水でしめらせてきた。目尻を拭き、耳を丁寧にぬぐった。ノクの指の運びは的確だった。
 うっとりと目を閉じた直後、ソファーから跳ね起きた。ハンカチを巻いた指が鼻の穴に侵入してきたのだ。
「どうしたの」
 この国では三時間もバスに乗っていると、髪も耳も鼻も窓から吹き込む土埃で赤茶けてしまう。でも私が利用する長距離バスのほとんどはエアコンバスだから、窓を閉め切って走行する。料金は冷房のないバスの五割増しである。
 ノクの小指が鼻の中で錐のように転回した。私は歓待を受けているのである。
「ありがとう。気持ちよかった」
「喉が渇いたでしょ。飲み水を持ってくる」
 ノクがすり足で戻ってきた。私は起き上がろうとした。
「動かないで。頭を起こしてあげる。さあ飲んで」
 口の脇で柄杓がぶるぶる顫動し、水が私の胸にこぼれ落ちた。飲もうとして柄杓に顔を近づけた瞬間、揮発油の異臭が鼻を刺した。
 仕方なく口に含んだ。とりたてて言うほどの異味は感じられなかった。シンナー臭は、水をくんだときにノクが毒味したせいだろう。
「こっちに来て」
 ノクの接待は途切れなかった。今度は部屋の中央に立つようにという指示だった。ノクが壁の緑色のボタンを押した。頭上で三枚の大きな羽根がぱたぱた回りはじめた。
「いいものがあるね。涼しいよ」
 半袖シャツの前をはだけて風を通した。ノクはにこにこ顔で見守っている。
「テレビ見る。このテレビ、覚えているかしら」
 三年前に修理した東芝の脚付きテレビだった。スイッチを入れてから映像が現れるまでが長かった。白黒の画像が浮かび出た。私は今までカラーテレビだと思い込んでいた。
「ノク、きみにききたいことがあるんだ」
「なに」
「きみの歳はいくつ」
「二十二」
「これを見ろよ」
 誕生日の写真を手渡した。ノクは花盛りだった頃の自分に見とれている。
「これを撮ったときはいくつ」
「二十一」
「いいか、これは四、五年前の写真なんだ。二十一がほんとうなら、きょうのノクは二十五をこえているじゃないか」
 ノクは苦い笑いを浮かべて押し黙った。シンナーが記憶中枢を混線させているのか、それとも女らしい虚栄心が言わせた出まかせなのか。
「結婚したことはあるか」
「ない」
「子どもは何人」
 三年前にメェーの家で目撃した幼児がノクの実子でないことは見定めた。だからといってノクが一人の子も産んでいないと断じるのは早計だろう。客とのあいだで望まぬ子ができることだってありうる。子どもがいて何の不思議もない。それが念頭にあったので、あえて「子どもはいるか」といった真っ正直な問いかけを避けたのである。
「いない」
「ゼロなのか」
「そう。ゼロ」
 他人事のような突きはなした声だった。きょうは意思の疎通が円滑に運ばない。私のたどたどしいタイ語を理解するのに手間取っている。かつてのノクは標準語でわかりやすくしゃべってくれたが、今は北部なまりが丸出しなので聞きとりにくい。
「シャツがぬれてる。吊るしておくから脱ぎなさいよ」
 とうとう私は上半身裸にされた。ノクはTシャツに鼻を当てて顔をしかめた。朝から何度となく汗を吸った肌着はすえた臭気をはなっていた。
「水浴びしたら。さっぱりするよ」
 水を浴びているあいだは爽快かもしれないが、着替えを持っていないし、この家にはバスタオルもなさそうだし……、気が進まなかった。けれどもノクの勧めでは、浴びるしかなかった。
 水浴室は裏口の横手にあった。三畳の空間に裸電球が薄暗くともっていた。床全面にコンクリートが打ってあった。右に大甕が据えてあった。裸になって甕から手桶で水をくみ、ざぶざぶと両肩にかけた。
 すでに十杯はかぶったし、ノクにも水音は聞こえたはずだ。そろそろ切り上げるとして、その前に水道の栓を開いて、甕を満水にしておかなくてはいけない。
 周辺を見渡したが、案の定タオルはなかった。何で体を拭いたらいいのだろう。頭をひねっているところに、全裸のノクが躍り込んできた。
「ノクも水を浴びる」
「水をかけてやろう」
「きゃー冷たい」
 ノクがはしゃいだ。
 目の前でノクが股間を洗浄している。余分なものを剥ぎ取るように、ぐいぐい洗っている。中指を挿し入れて内部の手触りをたしかめ、しこった箇所を揉みほぐすような指づかいをした。最後に表面を数回撫でつけて一連の作業が完了した。
 ノクは両の手のひらで胸乳をすくい上げた。肋骨が透けた胸に乳房が盛り上がった。
「ここに水をかけてちょうだい」
 水が胸の谷間を洗い、臍を下り、女陰を伝い、肉のそげた腿のあいだを滑り落ちた。
 ノクが私の手を取って、乳房に、躯に、触れさせた。しぼんだ男根をつかみ、前かがみになって尻をぶつけてきた。
「いやだ。ここではしたくない」
「ノクが嫌いなのね」
「そうじゃない。そばにおばあさんがいるじゃないか」
「気にしないで」
「ここではいやだ」
 ノクは情の深い女だったがけっして蓮っ葉ではなかった。ノクがおさえがたいほど欲情しているはずはない。男をつなぎとめておくための、計画的かつ捨て身の実力行使かもしれない。心尽くしのもてなしの一端かもしれない。とはいうものの、ノクにそぐわないあけすけな振る舞いだった。シンナーの濫用ではじらいまでむしばまれてしまったのか。
 いやそんなことより、コンドームなしで性交すれば、エイズがうつるかもしれない。ノクを感染者ときめつけるわけではないが、恐怖を拭い去ることはできなかった。ノクを押しのけ、ぬれた体のままあわただしく下着とズボンをつけ、浴室を出た。
「行っちゃいやだー」
 ノクが金切り声をあげながら追ってきて私の右腿にかじりついた。ノクはとっさの間に身ごしらえしていた。私は重くなった脚に力をこめ、ふざけ半分で一歩踏み出した。私自身驚愕した。一人の大人の女をぶら下げたまま、居間まで歩けたのである。
 ノクは私の膝の上にのったり、後ろから抱きついたり、ひっきりなしにまつわりついた。真ん前でなりゆきを静観していた祖母が席をはずした。
「ねぇ、今いくら持ってる」
 ポケットを残らずさらってテーブルの上に積み上げた。二千バーツ強あった。
「バス代とホテル代をくれないか。あとはノクのものだ」
 小銭の山から七バーツ分の硬貨を拾い、赤い紙幣を二枚抜いた。ノクが残金をポケットに入れた。
「ちょっと出てくる」
 ノクは赤い自転車にまたがった。赤いホンダは消えていた。祖母が居間に戻ってきた。
 壁に手札版の白黒写真が貼ってあった。壮年の男が写っていた。顔の輪郭や鼻のとがっているあたりがノクに似ているが、写真の黄ばみが年代を感じさせた。父親ではなさそうだ。祖父か曾祖父かもしれない。
 集金人がやって来た。祖母が「金はない」とはねつけると、彼は訴えるような目を私に向けた。私は素知らぬふりをして視線をはずし、室内を見回した。質草になりそうな代物はなかった。集金人はあっさりしりぞいた。
 かれこれ五十分待たされている。あと十五分でチェンマイ行きのバスがなくなる。
「あすまた私はここに来るとノクに言ってください」
 祖母に伝言を託しているところにノクが帰ってきた。
「おばあさんにも言ったけど、きょうは帰る」
「だめ。帰らないで」
「あす来る」
「行っちゃだめ。ノクがいいと言うまでは行かないで」
 私は玄関をあとにしてさっさと歩きだした。ノクが素足でころがり出てきて、シャツの袖をわしづかみにした。鬼女の形相に変わっていた。
「ぜったいに行かせない」
 ノクが大声で制止した。
「いいか、私はノクに嘘はつかない。あすの昼、私はこの家に来る。これは約束だ」
 強面がじわじわとゆるんだ。ノクは私にしがみつき、胸に顔を埋めてすすり上げた。どこか作って見せたようなあと味が消え残った。
「さっきのお金はなくなった。まだまだ借金があるの」
「そうか。あす会おう」
「わかった。待ってる。握手して」
 ノクが右手を差し出した。軽く握ったら、渾身の力を込めて握り返してきた。
 バスに乗ると同時に大粒の雨がたたきつけてきた。天井がばたばたと鳴った。乗客たちがあわてて窓を閉めようとしたが、大半が閉まらなかった。
 道辺の花がはたかれ、花びらが散らばった。歩道が山吹色に染まった。だが、一切が散ったわけではない。まだ咲き残っている花がある。
 夜、チェンマイのレストランでがむしゃらに散財した。ペッパーステーキ、ビーフサラダ、野菜スープそれにビール。痩せこけたノクを思い浮かべると後ろめたかったが、滋養になりそうな食べ物を摂取することで、どうにかして心の持久力をつけようと考えたのだ。 料理が出てくるまでの二十分、休まずメモを書き散らした。何かしていないと情意の均衡が崩れそうで心細かった。
 皿の上に野菜くず一つ残さず平らげた。ホテル代の二百バーツはきれいさっぱりなくなった。贅沢は今夜で千秋楽にする。

 二日目

 七時半に朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトした。疲れが抜けたわけではないが、あの小屋を目の当たりにして私一人が豪勢なホテルに泊まり続けることは不可能だった。
 北の濠を渡った路地裏で手頃なゲストハウスを見つけた。冷水シャワーと卓上扇風機の小部屋で一泊百六十バーツは安くなかったが、ラムプーン行きのバス停まで徒歩三分という地の利が何よりだった。
 十時半にバスを降りた。数分歩いたところで、路傍の畑から出てきた小柄な老人と目が合った。一面識もない人物だったが、一応の礼儀として目礼した。
 老人がからんできた。言葉がなまっているうえに血相を変えて怒鳴るので、何を言い散らしているのかさっぱり理解できなかった。語気からして私が非難されているのは間違いないのだが、思い当たる節がなかった。棒立ちになっている私に、老人は三十秒余の罵声を浴びせ、それでもまだ言いたりないといったふうに肩を怒らせて立ち去った。
 老人のせりふを再生しているうち、「バー」という単語が浮かび上がった。バーは形容詞で「狂った」という意味である。老人はバーの前に「プーイン」と言った。プーインは「女」だ。日本人という語句も耳に入った。そこから大意がくみ取れた。
《あんたはあの日本人だな。気がふれた女にちょっかいを出して、一体全体どういう魂胆なんだ。あんたは自分のやっていることがわかっているのか》
 二つの情報が読み取れた。周辺の住人がノクを頭のおかしい女と見なしていること、一人の日本人があれこれ噂されていることだ。私は心を病んだタイ娘をもてあそぶ、ふらちな日本人である。
 角の雑貨屋に入り、ノクへの手土産にもっとも高価なタバコを二箱買い求めた。商品棚のすみっこに小さな深緑色の丸い缶が並んでいるのが見えた。自転車のパンク修理用の接着剤だった。五バーツの値札が付いていた。
 きょうは父さんの家に直行するので、雑貨屋の前を左折する。地方都市にしては華美な新しい家が目についた。高床式の家は一軒も見当たらなかった。ワイン色の屋根の邸宅から、ぽつりぽつり弾くピアノの音が漏れてきた。
 ノクは戸口で待ち構えていた。上はきのうと同じ赤と緑の縞のポロシャツだったが、下は紺一色のトレパンを脱ぎ捨て、真紅の地に青の側線が入ったジャージに着替えていた。裾を十センチほどまくり上げていた。
 ノクが幼児のように笑いこぼれた。
「来てくれたのね。ありがとう」
 手を引かれて居間に入った。テレビの前で若い男が寝そべっていた。
「兄さんよ」
 その昔、グーチャーンの屋台食堂で料理をしていた兄が起き上がり、追想するような表情を浮かべて手を合わせた。合掌を返していると、ノクがうなりながらむしゃぶりついてきた。椅子にすわれば背後から首に腕を回し、ところ構わず頬を押し付けた。膝の上で子猫のようにじゃれついた。ノクの身体は柔らかく、重さを感じなかった。あれほど肉が落ちているのに骨がぶつからなかった。妹の狂態にひるんだ兄がテレビの前を離れた。
「ノクの家へ行こう」
「ノクの家はすごく小さいの。ノクはこの家がいい。扇風機もあるし、テレビもある」
「小さくても、何もなくても、私はノクの家が好きなんだ」
 父さんの家を出て、ぬかるみを歩いているとノクが私の腕をとった。
「こうやってあなたと歩いたね。何年前だったかな」
「三年前だよ」
 ノクの家までほんの数分だった。
「ここで待って」
 ノクは階段の手前でサンダルを脱いだ。それを見て思わず頭を掻いた。きのう私は土足のままでベランダまで上がってしまった。高床式家屋に入るときは、上がり口の前で履き物を脱がねばならなかったのだ。
 ノクは三分で応急処置を終えて手招きした。とりあえず前日の狼藉は収拾されていた。ベッドに駆け上がったノクは蚊帳の吊り紐をはずし、南と東の窓をつぎつぎに押し開けた。陽光が流れ込み、浮遊した塵埃がきらめいた。
 きのうこの小屋をのぞいたとき、東の窓は開いていた。ということは、ゆうべノクはこの家に帰宅し、あの窓を閉め、このベッドで眠ったのだ。これは廃屋ではない。ここはノクが寝起きしている自宅なのだ。
 ありあわせの材木でこしらえたにしてはがっしりした寝台だった。マットレス、シーツ、毛布、寝枕、抱き枕などの寝具はそろっていた。寝台の下に汚れた衣類とがらくた物が押し込んであった。
 ノクがベッドの端に腰かけ、哀訴した。
「ノク ジョン」
〈貧乏なノク〉
 財産といえそうなものは、金網ガードが脱落して羽根が剥き出しになった扇風機とカセット収納部のプラスチックカバーが脱落したモノラルのラジカセだけだった。どちらもあのバンガローにあった時代物で、埃にまみれていた。
「扇風機もラジオもカセットも動かないの」
 ノクがプラグを柱の下のコンセントに差し込んで、扇風機のスイッチを入れた。
「ほらね」
 扇風機が作動しなかったことに別段の驚きはなかったが、水道も便所もない破れ屋に電気が引かれていたことにはびっくりした。それでいて部屋に照明器具がないのだ。もちろん電気スタンドもない。明かりが必要なときは蝋燭をともすのである。
 ノクが屋根裏に人さし指を向け、ベッドを顎で示し「雨」とつぶやきながら肩を震わせ、大仰な咳を連発させた。トタン屋根の欠けた部分が心持ち室内に食い込んでいる。さいわい寝台の足側なのだが、横雨に見舞われた場合、風向きによっては寝床がぬれて風邪をひくと表現したのである。そんなときは父さんの家へ走っていくと付け加えた。
「ほらあそこ。見て、きれいな家でしょ」
 ノクが南の窓の外を指さした。はるか向こうに一戸建ての住宅が軒を並べていた。
「白い家だ。屋根が赤い。どの家も新しい。みんな同じだ」
「ほんとにきれい。そうよね」
 ノクらしくない濁った声だった。寒風に首筋を逆撫でされたような悪寒をおぼえ、まじまじとノクの横顔を見た。
「ノクもあんなきれいな白い家で眠りたい」
 私自身が木造のアパート住まいである。
「ねぇ何を考えているの」
 ノクが私の顔色をうかがっている。
 ひと頃の利かん気が影をひそめていた。息が詰まってきた。狭苦しい部屋にこもって、ノクのいじけた声に接していると気がふさいでくる。
 新鮮な空気が吸いたくなってベランダに出た。釣り竿を手に取った。
「これは」
「魚を釣るための道具よ。ときどき釣りに行くの」
 これが水を貯める甕。あれが七輪。それがもち米を蒸す鍋。薪は枯れ枝を拾ってくる。米がないときは父さんの家でもらってくる。
「このごろは父さんの家で食べてるけど」
 ノクが私の方を向き、左中指を曲げてポロシャツの襟先に引っかけ、一気に引き下ろした。あばら骨と胸骨が露出した。
「見て。ネックレスがないでしょ。ノクは何も持ってないの。ネックレスを買ってちょうだい。腕輪を買って。指輪も時計もほしい」
 願望とも要求ともつかぬ品目が次々と口をついて出た。ノクは私という日本人がどれくらいの金持ちなのか、ちっともわかっていない。私から大金を引き出そうとしても骨折り損に終わるだけなのだ。ノクを不憫に思うと同時にいとう気持ちが湧いた。
 部屋に戻った。二枚の絵が目に入った。ノクのバンガローにかかっていた四〇号と二〇号の風景画だった。四〇号は早朝の湖水の風光を、薄い青緑を基調に墨絵のような濃淡で描いている。朝霧にけむった湖畔に、小さく古風な高床のかや葺きの家が立っている。階段の手前に円形の花壇がある。白い花を中心に赤・桃・黄など温色の花が配されている。
 花壇の中央にT字型の白い門標が打ち込まれている。家のサイズと見比べると奇異なほど寸法が大きい。黒々とした字で「プラトム ノーン ノク」と書いてある。直訳すれば「ノクの妹の山小屋」、本意は「もう一人のノクが暮らしている山小屋」である。門標の上で一羽の瑠璃色の鳥が翼を休めている。
 二〇号は空の色が黄金から茜にうつろう夕刻を描き出している。小川に木橋がかかり、かたわらに竹林がある。竹枝にとまった二羽の鳥が寄り添って夕陽に目を向けている。
 絵の下の余白に一語、黒い書き込みがあった。「サムラップ」と読めた。サムラップは前置詞で、英語の「FOR」である。その次に置かれるはずの目的語がなかった。
「このサムラップは、何のため。誰のため」
「あなたにきまってるじゃない」
 予想通りの、曲のない答えが返ってきた。
「ノクは口がうまいな」
「ほんとだってば」
 ノクが口元をほころばせた。とってつけたような微笑にうつった。
「ノクを見たい」
 ノクはズボンのゴムに両親指をかけて数センチずり下げ、腰骨をくねくねと左右に突き上げた。映画やテレビで見かけるストリッパーの型通りの嬌態だった。目が笑っていた。
「冗談を言ってるんじゃない」
「アーイ」
「恥ずかしくない。早くしろよ」
 ノクは目を閉じ、ポロシャツをたくし上げた。乳首が現れた。トレーニングパンツを脱いだ。ショーツがなかった。ノクは貝になったままベッドに横たわった。
 肌が乾燥して、きめがあらくなっている。ノクの皮膚はしっとりしていたから、肌荒れがきわ立つのだ。黄疸は白目以外に出ていない。エイズウイルスがもたらす皮疹やしみがないか、目を澄ませた。それらしい異状は見つからなかった。
 衰弱が全身に及んでいた。肋骨の一本一本が骨格標本そのままに浮き出ていた。乳房は半減し、なだらかな隆起に変容していた。骨盤が皿状に突き出し、みぞおちから臍にかけて窪地のようにへこんでいた。
 大腿部の肉のそげようは、引き返し可能な地点を越えているように見受けられた。生理はとうに途絶したことだろう。
 恥毛が消えていた。以前は少ないながら恥部を飾る柔毛があった。背景を失ったノクの外陰は、無防備であっけなく、痛々しい傷口にしか見えなかった。
 ノクが私の目を見た。うなずくと、ノクは両眼を見開いたまま、ロボットのように脚を開いた。男をとりこにしてきた性器は、干からびていた。内陰は、人の往来が絶えた砂漠に孤立する、干割れた墓標を思わせた。
 きょうもシンナーがひどくにおった。このままの生活を続けたら、ノクはあと何年生きられるだろう。私はノクのありのままを見きわめるために脱衣を言い渡し、ノクの健康状態を観察したつもりだった。
 おのれの酷薄と陋劣を黙過できなくなった。傍観者でしかない私が、医者でもない私が、ノクの容態を見届けてどうなるというのか。しかも私はノクの痩躯に目を配りながら、内心を高ぶらせていたのだ。
 同じ裸にするのでも、のぼせ上がった男が女にわがままを言うように、ノクにからだを見せてくれと甘ったれるべきだった。なんとか場をつくろいたくて、ノクの乳首を口に含み、躯を愛撫した。
「くすぐったい」
 ノクが小声であらがった。
「ごめん、ノク」
 ノクが跳ね起きて、枕元のズボンとシャツをつかんだ。
 数十秒の沈黙が続いた。
「もうお昼よ。お腹がぺこぺこ。何か食べに行こう」
 ノクが助け船を出してきた。
「そうだな。うんとうまいものを食べよう。高くてもいいぞ」
「行きたいところがあるの。サムローを呼んでくる」
 ノクは口紅の繰り出し部に小指の先を差し入れて、唇を赤く染めた。
「こことここに色を塗らないのか」
 ノクの瞼と頬を指で示した。
「塗らない。メェーがくれたんだけど、古いからいい色が出ないの」
 ノクが立ち上がった。
「すぐだからここにいて。どこにも行かないでね」
「うん」
 数分後、ノクが息をはずませて帰ってきた。サムローが到着した。ノクは先に乗り込んで背筋を伸ばし、運転手にてきぱきと道順を指示した。
 狭い道の両側は昔ながらの高床式の家並みが打ち続いた。五分走って自転車が停止した。ノクは右側の屋敷に目をやった。
 中央に庭、左に高床の本館があった。右手の平屋は厨房らしかった。井戸の横で十七、八の娘がアルミのたらいに入った食器を洗っていた。本館の床下に折りたたみ式のビニールベッドが据えられ、中年の女がごろりと体を横たえていた。太り肉を茶色の筒スカートとオリーブ色の袖なしブラウスで包んでいた。
 ノクはまっすぐその女に向かった。丁重な合掌をしてしきりに話しかけている。ぞんざいな応対からみて、ノクは歓迎されていなかった。レストランにしては様子がおかしかった。女がじろりとこちらを睨んだ。
 戻ってきたノクが耳打ちした。
「あの女の人に合掌して」
「ここはレストランじゃないのか」
「そんなことはどうでもいいの。ちゃんと挨拶して」
 私は女の前に進み、胸高く合掌し、言われた通り丁寧に挨拶した。
「はじめてお目にかかります。どうぞよろしく」
 女はベッドから身を起こそうとせず、合掌も返さぬまま、中古車を査定するような目で私の上下左右をねめ回した。腹に据えかねたが、ノクの手前どうにか辛抱した。
 次は別棟で竹の籠を編んでいた若い男に引き合わされた。再度合掌し、同じ口上を述べた。彼は苦笑いのみを返してきた。三人目は井戸の脇で皿を洗っていた娘だった。彼女はどう対応したらいいのか苦慮していたが、しまいまで合掌を返そうとはしなかった。
 私はタイで千回以上の合掌をしてきた。相手に無視されたことは一度もない。細かな礼法は別として、合掌には合掌で答礼する、それがこの国の不文律になっているはずだ。
「誰なんだ」
 ノクの表情が曇った。
「あの女の人はメェーの姉さん。そこの二人はあの人の子ども」
 身内までが鼻先でノクをあしらい、ないがしろにしている。
「ノク、ここを出よう。町一番のレストランへ行こう」
 我々は待たしておいた自転車タクシーに飛び乗った。サムローは数分走って停車した。
「ここよ」
 屋台に毛が生えたくらいの食堂だった。ペンギンのような体型の店主が目いっぱいの営業笑いで客を迎えた。メニューはなかった。ノクは迷わず幅広麺を注文した。奥から店主の細君が出てきて、ノクを一瞥して眉間にしわを寄せた。つづいて私の風体を値踏みし、ややあって麺を煮ざるにほうり込んで熱湯にひたした。
 横柄で現金な女房への不快感、みすぼらしいレストランへの落胆、そして先刻の伯母たちに対する余憤が渦巻いて、私の食欲は消し飛んでいた。
「ユー ライク スペチャル フライライス」
 店主が英語で売り込んできた。特製の焼き飯もラーメンも、何も食べたくなかった。
「あなたの大好きなビールを飲みなさいよ。この店のビールはすごく冷えてるの」
 ノクが気づかいを見せたが、大好きなビールさえ飲みたくなかった。かといって何もたのまないわけにもいかなかった。
「コーラでいい。ペプシを一本ずつ。悪いけど私は食べない」
「エムローイを飲もうかな」
「うん、それはいいね。二、三本飲みなよ」
 私の目の前で、ノクがM100をちびりちびり飲んでいる。黄色いラベルも茶色の小瓶も、あのときのままだ。四年七カ月前の夕間暮れだった。グーチャーンに行く途中、私はこのドリンク剤を立ち飲みし、そのあとノクを抱いた。いや、あの空間を支配していたのはノクの情念だった。むしろノクが私を抱いたと形容すべきシーンだったかもしれない。
 冷えたペプシが歯にしみた。料理が運ばれてきた。豚肉と鶏の内臓がふんだんに入っていた。ノクはコーラをストローで吸いながら、麺をゆっくり噛みしめた。十分ほど顎を動かして箸を置いた。
 どんぶりをのぞくと、麺の半分が残っていた。タイの麺の一人前は日本の半量以下である。具にはほとんど手を付けていなかった。食べたくとも胃が受け付けないのか、それともはなから食べたくなかったのか。
 六十なかばの小づくりな運転手がサムローの脇で膝を折っていた。年寄りを待機させていると思うと、尻が落ち着かなかった。
「いくら」
「タウェンティーエート」
 女房が英語で答えた。幅広麺が八バーツ、コーラが二本で十バーツ、エムローイの値段は当時と変わらず一本十バーツだった。私が百バーツ渡すと、ノクが釣り銭の七十二バーツを受け取り、自分のポケットにしまった。
 帰路のノクは見惚れるくらい凛としていた。私は深く腰かけ、背中を丸めないよう心がけた。これはノクの示威行進なのだ。主人公を引き立てるのが陪席者の責務である。沿道の住人の目に貧相に映ってはいけない。地元の人たちがいくらかでもノクを見直すよう、挙措に留意しなければならない。
 実際のところは、いくら田舎だからといって、たかが一人の中年日本人を随伴させただけで肩身が広くなる時勢ではないのである。タイでは押し出しが重大視されている。きょうはたまたま身ぎれいな軽装をしているが、どうひいき目に見ても高位や財力を具備した大物には見えない。そもそも私には荷が重すぎる役回りなのだ。だが、弱音を吐いてもいられない。こんなことでノクの役に立てるのならお安い御用だ。
 こうしたノクの強がりを心さみしく感じないでもない。しかし、多少でもノクが自尊を取り返せるのなら、私は進んで片棒をかつぐ。きょうはノクの晴れの舞台だ。たとえ観客はいなくとも、私は終幕まで見通し、手のひらが痛くなるまで拍手喝采を贈る。
 何軒かの家から横矢が飛んできた。冷淡な目といぶかる目だった。ノクは隣人たちの視線を撥ね返し、微動だにしなかった。
 ノクの家に帰り着き、老運転手に二十バーツ払い、自転車のパレードが完結した。サムローを降りたとたん、疲れが押し寄せてきた。
「ちょっと横になっていいかい」
「どうぞ」
 寝床で体を伸ばしてみた。傾きは気にならなかった。ベッドの台の下に木片を挟み込んで傾斜を相殺してある。眠っているあいだにずり落ちる心配はない。
 頭を起こすと二〇号の絵がよく見えた。またまた余白のサムラップが目にとまった。最初にこの絵を見たとき、ここに書き込みがあっただろうか。もしあれば気づいていたはずだ。私があのバンガローを去ったあと、ノクがわざわざ書き加えたのだ。
 左に寝返りを打つと、四〇号の絵が視野いっぱいにひろがった。寝ながら見るのに最適の位置だった。ノクはこの風景画を窓からの朝景色に見立てているのかもしれない。
 南の窓から身を乗り出して下を眺めた。下草の中で薔薇色の花が一輪咲いていた。使用済みのコンドームだった。
 いつの仕事なのだろう。あの肢体では値引きをしても客がつくとは思えない。報酬はいくらだったのだろう。落花の薄紅色と夏草の濃緑色のコントラストが目にしみた。
「ノクの写真を見せてあげる」
 ノクが左手をマットレスの下に差し込んだ。ぎらりと光る物体が落下した。果物ナイフだった。刃こぼれからみて料理には無用の品だった。横になったまま手を伸ばせば届く場所にあったから、護身用の武器だろう。
 ノクは何事もなかったかのようにナイフを拾い、もとのところに押し戻した。ノクは何かにおびえているのだ。あるいはシンナー常習による被害妄想や幻視・幻聴に悩まされているのか。夢魔にうなされているだけなのか。
 五葉の名刺判のカラー写真は色あせていた。十二、三歳のノクを撮ったもので、顔も身体もふっくらしていた。みずみずしい肌からは、この時期の少女特有の猫のようなしなやかさと可憐さがにおい立っていた。これから長い人生を迎えようとする少女の、生意気と心もとなさがのぞいていた。
 メェーと一緒に写った写真が二点あった。一枚はしかつめ顔のノクと笑顔のメェーがぴかぴかの母屋の前で直立している写真、もう一枚はノクとメェーと幼い妹の三人が鉄橋の橋桁に寄りかかり、大口を開けて笑っている写真だった。
「このどれかと、あなたにあげた写真を交換して」
「悪いけどそれはだめだ。あれは大事な写真なんだ」
「そう。わかった」
 ノクはさらりとあきらめた。
「ねぇ、グーチャーンへ行ってみない」
「グーチャーンって、ここの地名だろ。何かあるのか」
「象のお墓よ。ラムプーンの名所なの」
 グーという単語は知らないが、そういえば「チャーン」は象である。
 グーチャーンは父さんの家の横手にそびえていた。円形台座を階段状に五段重ねた上に、円筒形の塔身を載せた供養塔だった。
「これがグーチャーン。大きな象の古い古いお墓」
 基底部の差し渡しは六メートル、台座の厚みは五段合わせて五メートル、遠目には円錐台のような体裁だった。その上に直径三メートル、高さ十メートルの円柱が屹立していた。先端が丸くやや先細りになっていた。たとえて言えば、五段重ねの鏡餅にすりこぎを突き立てたような外形だった。
 外層の大部分が剥げ落ち、焦げ茶色の日干し煉瓦が露出していた。荘厳な雰囲気はなかった。不敬かもしれないが、どこから見ても勃起したペニスだった。
 グーチャーンの前に体高三メートルの石の彫象が凝立していた。これが在りし日の巨象の雄姿であるらしい。黒紫の戦闘象は黄金色にかがやく皇子を背中に乗せ、金色の祭壇の上で鼻を振りかぶって敵勢を威嚇していた。足下の花瓶に黄色い花が生けてあった。
 主役の象の手前に一対の無人の石象が対置されていた。二頭は一段低い赤い祭壇の上に立っていた。露払いの象らしく花は供えられていなかった。まわりを見渡したが、ラムプーンの名所というわりには売店もなく見物客もいなかった。
ノクが右の石象の前で合掌している。瞼を閉じ、何かを祈っている。私は信仰心がいたって薄く、初詣でにも行かないし願かけもしないが、ここで祈願するとしたらノクの行く末しかない。私も同じ象に向かって手を合わせた。
なにとぞノクが持ち直しますように。でなければ早く楽になれますように。
 父さんの家に立ち寄り、家人がいないのを見澄まして千七百バーツ渡した。けさ両替した一万円のほぼ全額だった。
「扇風機を買ってよ。テレビもバイクもほしい」
 欲望が堰を切ったようにあふれ出てきた。私は全力をふるい起こし、声を引き絞った。「できない」
 暮色が迫ってきた。長い一日だった。心身の疲労が骨身にこたえていた。おのれの無力を思い知らされるのも、欲心をあらわにしてくるノクを正視するのもつらかった。
「もう帰る」
「えっ、帰るの」
「六時半にチェンマイ大学の先生と会うんだ」
 この教授には四日前に面会しており、取材は終了していた。大学の先生と聞いてノクが私の素性に興味をいだくのではないかとひそかに期待したのだ。そのときは私がどんな仕事をしているかを打ち明け、本が出版されたことを報告し、すべてはノクのおかげだと感謝を伝え、無断でノクを題材にした非礼を詫びる心づもりだった。
「わかった。あしたは何時に来てくれる」
 もくろみは空振りに終わった。タイは峻烈な階層社会である。上層と下層がまじわることはないし、下積みはいつまでたっても下積みのままでいる。ノクと大学には何らの接点もない。大学教授などは異界の人だろう。無頓着で当然なのだ。私という人物についても、もう関心が薄れたのかもしれない。
「うーん、そうだな。昼ごろかな」
「何時なの」
「じゃ、正午ごろだな」
「十二時ね。約束よ。それまであなたの時計をあずかる。ノクはあなたの時計をつけて、あなたを待ってる」
 宿の机の上に予備の腕時計が置いてある。目ざまし代わりに使っているデジタル時計だ。これを渡してもあれで用はたりる。
「いいよ。ほら」
 ベルトの穴を一番内側にして締めてやったが、時計は手首をくるくる回った。男物にしては見た目が華奢なので、ノクによく似合った。
「すてきな時計。カシオね。日付けが出るのね」
 ノクが琥珀色の文字盤に見とれている。
「雨が降っても平気かしら」
「なに、雨がどうしたって」
「水にぬれても故障しないのかな」
「ああそのことか。水浴びしても平気だよ」
「今夜ためしてみよう」
 私は電池の寿命に思いをめぐらしている。この時計の銀電池を交換したのは先週だから、あと一年はもつ。出費は六十バーツだった。次回、ノクはその六十バーツを持っているだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。私は別の凶夢にとらわれている。電池の余命と、ノクのいのちと、どちらが早く尽きるのだろう。
「短い針が12に来るとき、あなたもここに来るのよ。わかった」
「うん」
 ノクの眼に射すくめられてうつむきそうになった。
 見送ると言い張って、ノクは門の外までついてきた。
「ここでいい。戻っていいよ」
 ノクがしゃがんで膝に取りすがった。
「やめてくれ。ノクは子どもじゃないんだ。たのむよ」
 肩先に手を置き、ノクを引き剥がそうとした。
 ノクががぶりと股の付け根を噛んだ。痛みは感じなかったが、衝撃だった。
 ノクの唇がズボンに取り付いた。カーキ色と口紅の取り合わせは目を引いた。すぐさまハンカチで拭いたが落ちなかった。ノクは傍観するばかりで、一切手伝わなかった。それどころか、憤然とした顔つきで私を一睨みして、ぷいと家の中に入ってしまった。
 こんなズボンでどうやってチェンマイまで帰ればいいのか。不運にもきょうはショルダーバッグを持ってきてない。なるべく人目を引かぬよう左手で前をおおって歩いてみた。これはかえって通行人の注目の的になった。こうなれば、開き直るしかない。嗤いたい奴は嗤うがいい。どっちみち、ノクが押した烙印は消えないのだ。
「アー ユー ハピー」
 部屋の鍵を手渡しながら、ゲストハウスのボーイがはやし立てた。
「なぜそんな質問をするんだ」
 英語でたしなめた。ボーイがうろたえた。
「いいえ、そうではなく、チェンマイが気に入りましたかという意味なんです」
 ボーイに鬱憤をぶつけたところで、それが八つ当たりであることはわきまえている。こんなズボンの男を目撃したら、誰だってからかいたくなる。
「アイ アム ノット ハピー」
 ボーイが目を伏せて何回も首を縦に振った。
 深夜にスコールが来襲した。ノクの家には傘がなかった。ずぶぬれになる前に、ノクは父さんの家に避難しただろうか。

 三日目

 四時半に目がさめた。昨夜来の豪雨はまだ衰えを見せていなかった。東の空が明るくなるのを待ってゲストハウスを出て、長距離バスターミナルに急行した。ドークカムタイに行くバスは七時四十分に発車した。
 ドークカムタイはパヤオ県ドークカムタイ郡の郡都である。パヤオ市はチェンマイ市から東北東へ二百二十キロ、バスで四時間弱の道程になる。ドークカムタイはパヤオ市から東に十二キロ入った辺地だが、年齢・性別・階層を問わずこの地名にうといタイ人はまずいないだろう。
 ドークカムタイの名を高めた要因は美人の本場という世評である。しかし真因は別にある。それはここで生まれ育った娘たちが離郷を重ねてきた現実だ。この現象は休みなく繰り返され、年々はずみがついてきた。今では「ドークカムタイの娘」と聞けば、誰もが高級娼婦を連想するまでになっている。
 ドークカムタイの娘は在所では働かない。彼女たちははるばる首都バンコク、国際観光地であるパタヤ海岸やプーケット島、マレーシア国境に近い商業都市ハートヤイなどへ出向く。バンコクの壮麗なマッサージパーラーに入館すれば、色白のドークカムタイの娘が冷房のきいた飾り窓の中で客の指名を待っている。海外に雄飛する者も珍しくない。
 ドークカムタイは住民が五千人前後の町である。そこに七軒のソンが店を構え、五十人強の女が居並んでいる。人口と比較すると、売春婦の数が多い。
 女たちの過半はチェンラーイ県出身者で占められている。町の娘が去ったあとの空隙を隣県の女が埋め、家を出た娘からの送金が買春に回っているのである。何と皮肉な女と貨幣の対流だろう。
 タイの売春をあつかった文献の大半は、農民が売春を躊躇しない背景として以下の文化的しがらみを指摘している。
 一つはタイの農村部における女系相続の伝統である。なかでも東北部と北部はその旧習を色濃く残す地域と目されている。その伝承は次第にすたれつつあるのだが、依然として娘は親にとって家計のにない手であり、老後の頼りのままでいるのである。
 一つは国民的な価値観である。タイ人は恩返しを重視している。受けた恩は必ず返さねばならない。わけても親から授かった恩は深遠なものと受け止められている。どこにいようと、いつになろうと、この大恩からは逃げられない。とりわけ北の娘はこの信義を重んじている。家が貧しいほど孝心は厚くなる。親の重恩にむくいるためには売春をも辞さない。かつての日本にも実在した孝養の図式である。
 学術的な要説としてはこれで過不足ないのかもしれないが、私に言わせれば今一つ食いたりない。ありていに言えば、経済発展の分け前にあぶれた小農の一部が、人類最古の職業を再認識したのである。消費情報がテレビの画面からなだれ込んでくる。ほしいものは山ほどある。手っとり早い現金がほしい。
 手軽い儲け口がある。近隣がこぞって熱を上げている商売だ。気に病むことはない。実践した家は目に見えて豊かになっている。本人もいやがっていない。金のめんどりに金の卵を産ませて何が悪いのか。
 娘にとっても得分や安堵があるのだろう。新築した家も、買いたした田畑も、買いそろえた家財も、いずれは自己の財産に帰するのである。
 私が最初にドークカムタイを訪れたのは前月末のことだった。売春が一つの生業として容認されている僻地がどのようなところなのか、自らの目で確認しておきたかったのだ。
 このときはパヤオ市内に宿を取った。ホテルの前がバス停になっていて、ドークカムタイ行きのバスは三十分おきに運転されていた。黄土色のミニバスは国道1号線を南下した。十分間は民家と店舗が混交した退屈な眺めが連続したが、大きな四つ角を左折し数分走ったあたりから景色が入れ替わった。
 水田が山の端まで延びていた。肥沃な農地がひろがっていた。おりから田植えどきで、十数人の男女が横一線になって腰をかがめ、ぴんと張った太糸に沿って苗を植えていた。褐色に日焼けした皮膚と寒素な身なりからして、東北部からの出稼ぎ農民らしかった。
 灌漑用水もととのっていた。もっぱら雨に依存する東北部の天水田とはちがって、旱魃の心配はなさそうだった。遠くのたんぼでは黄金色に実った稲穂が刈り入れられていた。
 ドークカムタイを串刺しにするように県道が横貫している。西に行けばパヤオ、東に行けばナーンに出る。どちらも人口二万数千の県庁所在地である。この道は最近になって拡張整備された舗装道路で、車の行き来もまだ盛んではない。
 道々で色とりどりの花が咲き乱れていた。通りすがりの老人にドークカムタイのありかを訊ねた。ドークカムタイという地名が花の名に由来することを何かの記事で読んで、どんな花なのか実物を見たかったのである。老人は首を横に振りながら、その木は息が白くなると黄色い花を咲かせると答えた。
 町を南北に流れる小川に沿って緑濃い樹木が立ち並んでいた。葉陰から小鳥のさえずりが降ってきた。ヒバリに似た鳴き声だったが、姿は見えなかった。ところどころに欄干のない木の細橋がかかっていた。
 河畔に東屋があった。本箱に古雑誌が詰まっていた。若い男が二人、コンクリートのベンチに寝ころんで漫画に読みふけっていた。私もベンチに腰を下ろしてみた。川風が吹き抜けて涼しかった。
 野犬とモーターバイクが過多であることを除けば、北タイによくある農村風景だった。 歩き回っているうちに、この町の家並みにしっくりしないものを感じた。たびたび御殿を目撃したのである。敷地にフェンスを回し、住宅展示場から運んできたような目新しい家を置いている。バンコク郊外の新興住宅街よりよほど今風な家構えだった。
 方々で建築現場に行き当たった。ドークカムタイは水田に囲まれており、農業よりほかに特筆すべき産業はない。風説通りの娘成金が、そこかしこで誕生しているようだった。
 こんな田舎町に四軒のホテルがあった。映画館は全面改装されたばかりだった。美麗なレストランやけばけばしいナイトクラブがあった。貸しビデオ屋があった。流行の婦人服やアクセサリーを陳列したブティックが新装開店していた。
 仏寺の数が多かった。それも新しくてきらびやかな伽藍が目についた。帰郷した娘たちが先を争うように寄進した成果である。
 タイの善男善女は転生を信じている。来世の多幸を望む者は、生きているあいだに善根を積み上げ、可能なかぎりの功徳を備蓄しなければならない。積徳は、後世の幸福を保証する、通帳も満期も中途解約もない積み立て貯蓄なのである。
 功徳は在家が僧侶や寺院に金品を献納したときに授けられる暗黙の反対給付である。なかんずく仏閣を建立・修造するための喜捨は突出した功徳が手に入ると解釈されている。金銭の出所は問われない。
 その対極に位置するのが悪業である。悪業とは在家が遵守すべき五戒を破ることである。五戒とは、殺さず・盗まず・邪淫を行わず・嘘をつかず・酒を飲まずという戒律である。 邪淫の言意は男女間の不正な性行為である。どう言いつくろったところで、売春は邪淫のさいたるものだし、常習的悪業にほかならない。この罪悪感と不安感が女たちを寄進に走らせるのだ。
 早朝に素足でめぐってくる仏僧へ食品を供するのはもっとも身近な積徳である。ドークカムタイでは托鉢に差し出される食物も潤沢なのだろう。野良犬の数が尋常でないのは、寺から大量の残飯が出るからに相違ない。
 細流づたいに北に歩いていると、この近辺では見かけない高層ビルが視野に入った。下から勘定すると六階あった。外壁の色はベージュで、ベランダの手すりがモスグリーンだった。ビルは左側の寺の本堂の背後から突き出ていたが、あのモダンな高楼が僧舎とも思えず、境内に入って正面から眺めた。
 高層建築の左に井戸があり、洗い桶と固形石鹸がまとめられていた。干し場に黄衣がぶら下がっていた。明らかに僧坊なのだが、外面は修道のための寓居というより、都会の若者向けの瀟洒なワンルームマンションだった。
 初老の寺男が寄ってきて、大仏を拝んでゆくよう勧めた。私が日本から来たと知ると、日本人としゃべるのははじめてだと言って、案内役を買って出た。奥の御堂に全長十メートル余の涅槃仏が安置されていた。
 釈尊の入滅のときをかたどったにしては、なまめかしい姿態だった。金色の衣をまとい手枕をした色白の仏体は肉感的でさえあった。赤い唇といい、胸のふくらみといい、腰のくびれといい、女体そのものを感じさせた。
 ドークカムタイは売春婦たちのふるさとである。この妖艶な寝釈迦様は、苦界でしいたげられた女たちの苦しみを引き受けてくださるのかもしれない。
 新しい仏殿の建立がはじまっていた。生乾きのコンクリートから鉄筋がはみ出ていた。人夫は二人しかいなかった。のんびりとした歩調だった。現場監督らしい男に竣工予定を問いかけたが、見当がつかないと首をひねった。
 二人の若い女が工事を見学していた。自分たちの寄進が具体的な形をとりつつある実景を見届けていたのである。彼女たちは目を細めながら、足場に囲まれた仏殿を見上げては満足気にささやきあっていた。
 一人は肌が抜きんでて白く、服飾も物腰も洗練されていた。つい見とれていると、日本語で声をかけてきた。
 千葉で三年半稼いで今月帰国したこと、横浜で高くてまずいタイ料理を食べたこと、タイ人の同僚と東京ディズニーランドで遊んだことなどが話題に出た。
 彼女は簡単な日本語の読み書きができた。日本の小学生用の国語教科書を入手し、手すきのときに独習したのだという。両親のために立派な家も新築できたし、最新型のバイクも買ったが、次は車がほしいので、あと数カ月休養したらまた日本に行くと言った。
 ノクだって日本に行けば多額の仕送りができることを聞き知っていたと思う。日本への入国は年ごとに困難になってはいるが、私が保証人になればビザを取得しやすいことも心得ていたはずだ。しかしノクはせがまなかった。
 日本でなくとも、バンコクや国内の観光地で仕事をすればラムプーンの何倍もの金が稼げることも承知していた。ノクはなぜラムプーンを離れようとしなかったのか。病弱なメェーへの献身なのか、あるいはラムプーンへの愛着なのか。
 ノクも一度くらいは出稼ぎに行ったことがあるのではないか。売春は一生続けられる正業ではない。しかも現役でいられる時間は限られている。うまく立ち回って水揚げを増やし、蓄財に励まなくてはならない。
 ノクにも出稼ぎの経験があると考えるのが自然だろう。出先でホームシックにかかったか、人間関係で軋轢が生じたか、非道な客に出くわしたかで嫌気がさし、ラムプーンに逃げ帰ったのかもしれない。
 帰りがけに屋台に立ち寄って昼食をとった。木陰でビールを飲みながら、日本語がぺらぺらのタイ娘に出会って驚嘆したことを亭主に話した。亭主は、この町に日本語が達者な女がいても誰も不思議に思わないよと、軽く受け流した。

 十一時すぎにドークカムタイに着いた。小雨に変わっていた。
 稲田が様変わりしていた。一カ月間で稲は丈が伸び、緑が濃くなっていた。私は東京のサラリーマン家庭の育ちで、稲作には縁遠かったのだが、風にうねる青田に接すると、きまって陶酔感に誘われる。農耕民族の血がなせるわざだろう。
 宿に荷物を置いて手近なレストランに走り、タイ風ビーフサラダをつまみにビールを飲み、足早に目的地に向かった。
 十二時にはあの寝仏の前で佇立していなければならない。ノクをあざむいた罪はあがなえないが、あの仏像の前で雨に打たれる以外に、どうやって約束の時刻をやりすごしたらいいのか、妙案は浮かばなかった。
 十一時五十分、涅槃仏の前に立った。こぬか雨になっていた。昼休みなのか、工事が延期になったのか、建設現場に人影はなかった。境内は静まりかえっていた。
 十二時きっかり、仏像に向き直って手を合わせた。ノクは私の腕時計に目をやりながら気をもんでいることだろう。
 十二時二十分、雨がやみ、鳥が騒ぎはじめた。そのときだった。白い蝶が仏頭の裏から出現し、尊体に沿ってゆらゆらと飛び、仏足を経たところで空高く舞い上がった。
 我知らずひとりごちた。
「私の祈願の半分は聞き届けられた。持ち直すことはかなわないかもしれない。だけどノクは遠からず天国に行ける」
 一時に寺を出てホテルに戻った。部屋は手狭ながら冷房がきいて快適だし、電気温水シャワーが常時使える点はたすかるのだが、窓のない閉所なので神経が休まらなかった。
 町を徘徊することにした。県道の南側には豪邸や新宅が数えるくらいしかなかった。敷地内の家畜舎で豚や牛を飼っている家があちこちにあった。贅を競い合っている北側に比べ、地道に生計を立てているように思えた。
 七時に夕食を済ませて散歩を再開した。暗闇に目が慣れるにつれ、まわりの輪郭がだんだんはっきり見えてきた。稲波の上を数匹の螢が飛びかっていた。日本の螢より光量が乏しい種類だった。
 ドークカムタイ同様に、ラムプーンもまた美人の産地と称されてはいるが、両者のへだたりは大きい。ラムプーンには金ぴかの邸宅が並列している場景はないし、娘たちが足並みそろえて出郷している常況もない。ラムプーンでは、売春という泥水稼業がドークカムタイほど常態化していないのだ。
 売春婦はありふれた存在ではあるけれど、やはり蔑視の対象になりやすい。ノクが自分の家で売春していることは四辺に知れ渡っている。顔見知りが客になることもあるだろう。ノクは地元にいる分、隣人から後ろ指をさされたり、陰口をたたかれる機会が少なくなかったのではないか。
 大型トラックが地響きを立てて走ってきた。ヘッドライトが路肩の大木を照らした。浅黄色の花をびっしりつけていた。
 たんぼを飛び立った螢が大木に接近し、花房の間隙をぬって上昇し、木のてっぺんから暗黒の空へ飛び出した。勢いはそこまでだった。螢は徐々に高度を落とし、光跡は稲の波間に沈んだ。雲が切れて月が姿を見せ、螢は一層見えにくくなった。
 かまびすしい虫の音に混じって、牛蛙の胴間声が聞こえた。車の往来は途絶え、私の足音が響いていた。

 四日目

 寝ざめが悪かった。携帯電熱器で湯を沸かし、タイ産の甘いインスタントコーヒーを二杯飲み、おととい買った英字新聞をすみずみまで読み、きょうの行き先をどこにするか思案に暮れながら、ぱらぱらとタイ日/日タイ小辞典を繰っているときだった。
 タムマイという単語が目にとまった。「タムマイ」は「なぜ」を意味する疑問詞で、声調は中音である。そういえばおとつい、ノクはこの言葉を二度口に出した。その場の情景がまざまざと浮かんできた。
 あれは自転車のパレードが終了して、ノクの家に戻った直後だった。ノクは室内を見回して「タムマイ」と言った。そして正面から私を見据えて再び「タムマイ」と言った。
 私はノクの問いに答えられなかった。
「なぜ、あたしはこんなに貧乏なの」
「なぜ、あたしはこんな目にあわなくちゃいけないの」
「なぜ、あなたはあたしを助けてくれないの」
「なぜ、あなたはあたしをフェーンにしてくれないの」
 タムマイに続く主文は、これ以外思いつかなかった。
 タムマイは「なぜ」で間違いなかった。ところが、何気なく視点を数センチ上方にずらすと、思いがけない記述が飛び込んできた。
 タムマイを二つに分け、タムを中音、マイを低音で発音すれば、まるきり別の言葉になるのだ。「タム・マイ」は「もう一度やる・やり直す」という熟語なのである。
 ノクはもう一度やり直すと伝えようとしたのだ。それなのに私の耳はノクの決意を聞き分けられなかった。頭がかっと熱くなって、じっとしていられなくなった。
 悪かった、ノク。すぐそこへ行く。待っていてくれ。
 五分で荷作りを終えてホテルを走り出た。来合わせたパヤオ行きのミニバスに飛び乗ったまではよかったが、じきに気が重くなった。どの面さげて会えばいいのか。私は約束を破ってノクを置き去りにした。どう言い訳しても取り返しがつかない。
 バンコクにいたことにするのはどうだろう。昨朝私はバスでバンコクに向かった。到着は夜になる。友達に会って金を借り、その足で夜行バスに乗車した。チェンマイ着はきょうの午前になる。簡潔で無理のない筋書きだ。これならすっぽかした理由は問われない。借金の額は一万バーツでいい。ノクの家の修繕は千バーツもあれば充分だ。
 一万バーツを円に換算すると五万五千円になる。日本の会社員のポケットマネーに相当する金高である。日本人の金銭感覚からすれば小金の範疇かもしれないが、タイでは段違いの重みがある。国立大学を卒業しバンコクの中央官庁に十年勤続している友人の月給が額面で九千バーツだ。ラムプーンでの現金一万バーツは、日本でいえば二十五万円から三十万円の価値がある。
 旅行小切手は十二万円残っている。そのうち二万円は資料の購入にあてるので、実質的な所持金は十万円である。アンケートの回収はあと一週間で片がつく。十日後には帰国できる。今回の滞在では一日あたり五千円を支出してきたが、これを四千円におさえれば出費は十日間で四万円だ。差し引き六万円浮く計算になる。この金をノクに回せばよい。一日四千円の予算でもまあまあのホテルに泊まれるし、冷たいビールも飲める。
 タイ社会には日本人イコール金持ちという不都合な常識が定着しているが、一万バーツなら日本人が借金のために上京したといっても不自然ではない。問題は私の演技力だが、今からそれを心配してもはじまらない。
 このまま終点まで行ってバスを乗り換えるより、五キロ手前の交差点で下車し、そこでチェンマイ行きのバスをつかまえる方が効率的だ。二十分や三十分は短縮できる。
 十字路で降りた瞬間、北から大型バスが走ってくるのが目に入った。運転席に向かってしゃにむに腕を振った。緑のエアコンバスは五十メートル行きすぎて急停止した。全速力で駆けた。少年車掌がドアを開けて待ち構えていた。
「どこ行き」
「チェンマイです」
 喜びのあまり合掌が出た。
「早く乗ってください」
 車掌がほほえんだ。幸運の女神に心から感謝した。
 バスは山道を疾駆する。人家の見えない原野が引き続く。いつもなら見飽きない眺望が、索漠とした荒原と化して目に映る。窓外にひろがる鈍色の空に目をやって、ふと我に返る。 あのとき「タム・マイ」を正しく把捉していたとして、私の逃げ腰はあらたまっていたろうか。「なぜ」と「もう一度やり直す」は、どこがどれだけ異なるというのか。あの出口がない状況を考えれば、五十歩百歩ではないか。立ち戻ったからといって、大した力は貸せない。ノクを取り巻く環境が好転するわけでもない。
 だのに、私の心はほのかに浮き立っていた。闇の底を光芒が走り抜けた。目は微光を見落としたが、魂が感光していた。こんな些細な発見が、些細であるがゆえに、ノクの再起をあと押ししているような心強さを感じたのだ。春寒の野末を彷徨しているさなかに、咲きにおう菜の花の群落に行き合ったような高揚感があった。
 一時にチェンマイに着いた。銀行で六万円を両替すると、一万一千バーツ弱になった。一万バーツを銀行の白封筒にしまった。紫色の最高額紙幣が二十枚、今までこれほど多額のバーツを持ち歩いた経験はなかった。
 ノクの家の手前百メートルあたりで駆け足に切り替えた。下手くそな演技をするより、息も絶え絶えになっている方がずっと説得力があるからだ。重さ十五キロのバックパックを背負ってノクの家に向かって全力疾走した。たちまち息があがった。
 ノクは家にいなかった。そのまま父さんの家に駆けつけた。弟が、息を切らして立っている私を見つけた。
「ノク姉さん。あの日本人がここにいるぞ」
「うそはやめて」
 ノクの甲走った声が聞こえた。
「うそじゃない。あの日本人が来たんだ」
 ノクが裸足で飛び出してきた。両の拳を固めてどんどんと私の胸を打った。
「きのう、あなたは来なかった。ノクはかなしくて、かなしくて、一日泣いた」
 ノクが泣き叫んだ。
「私はバンコクへ行ってきた」
 打力が弱まった。
「私は友達に会った」
 乱打がやんだ。
「おそくなってごめん、ノク」
 両手がだらりと垂れた。ノクが私を見つめた。
「ノクのためなの」
「そうだ」
「知らなかった」
 ノクの着衣が二日前とちがっていた。赤いトレーニングパンツは相変わらずだったが、刺繍入りの純白のTシャツが目新しかった。おまけに銀色のネックレスまでかけて、ノクがめかし込んでいた。
「きょうはいいことがあったの。さっきメェーが帰ってきたの」
 あの母さんには会いたくない。ことにきょうのような日には。
「ノクの家へ行こう」
 道すがらノクは左手首の腕時計を示し、口をとがらせた。
「バンコクへ行くのなら、なぜ前にノクに言わなかったの」
「夜、寝る前にきめた。ノクといたときは全然考えなかった」
「それで……」
「ノクにお金をあげたかった。バンコクへ行って日本人に借りた。それからすぐにノクのところに戻ってきた」
「そうだったの」
 ベランダに渡したロープに、Tシャツとブラウスが干してあった。窓が開放され、床が掃き清められていた。室内は整理され、寝台の下の汚れた衣類が消えていた。
 ノクの家は暑かった。汗が滝のように流れ落ちた。見かねたノクが扇風機を私に向け、プラグを差し込みスイッチを押した。ぶーんと低い音がして、異臭が立ちのぼった。コイルが過熱したときの焦げくさい臭いだった。羽根がかすかに痙攣した。
「あら」
 ノクが爪先でモーターの部分をぽんぽん蹴った。青い羽根が回りはじめた。塵風が顔面を直撃した。大きなくしゃみが出た。
 ノクの顔がほころんだ。私も気持ちがはずんで、口が軽くなった。
「パットロム タム・マイ ノク」
〈扇風機がやり直したんだよ、ノク〉
 ノクが私に視線を向けた。たおやかなまなざしだった。
「このTシャツきれいでしょ。メェーのおみやげなの」
 胸に金糸の縫い取りがあった。鳥の図柄だった。うずらのような丸みを帯びた鳥だった。「ねぇ見て」
 ノクがTシャツをたくし上げた。真新しい白いブラジャーが現れた。
「すごい。セクシーだね」
 指で軽く突いてみた。カップがぺこんとへこんだ。腋の下がこすれて赤くなっている。
何年かぶりのブラジャーなのだ。サイズがぴったりしていないのだろう。いとおしい擦り傷だった。
「あなたがくれたお金で買ったの」
「そうか。とてもいいよ」
 きのう、ノクはこれをつけて私を待っていたのだ。
 独善的な物言いかもしれないが、私はブラジャーを色眼鏡で見てきた。どうにも好きになれなかった。女であることの過当な表徴であり、これ見よがしの虚構であることが鼻についたのだ。無論、つけるもつけないも女の自由だ。
 だが、こんな布切れ一枚が一人の女の感情を生き返らせたのだ。ブラジャーと女の自愛はどうやら表裏一体の関係にあるらしい。私はブラジャーを再評価しなくてはいけない。
 きょうのノクは白目が澄んで表情がくっきりしている。
「あなたの荷物が見たい」
「いいよ。では大きい方からどうぞ」
 リュックの紐をゆるめて内容を引き出した。大部分は衣類だ。洗濯済みは風呂敷に包み、これから洗濯するものは黒いビニール袋にまとめておく。洗面道具、電気カミソリ、薬、文房具、テープレコーダー、写真フィルムなどの小物類はそれぞれファスナー付きのケースに収納する。
 ショルダーバッグには英字の名刺、英文のアンケート用紙の束、ウォークマンとカセット三本、四色ボールペン一本とメモ帳二冊、タイ国地図、タイ日/日タイ小辞典、ポケット判英タイ辞書、文庫本一冊、自動焦点のコンパクトカメラ二台が詰め込まれている。
 文庫本はジョージ・オーウェルの短編集で「絞首刑」などが収録されている。カメラの一台はズームレンズ付きでスライド用フィルムを装填してある。あとの一台はコダックの高感度白黒フィルムを詰めたカメラでASA1600に増感設定してあり、ソンの内部を隠し撮りするときに使う。こちらは明るい広角レンズが付いている。
「この袋は」
「薬だ。開けていいよ」
 綜合ビタミン剤、アンピシリンなど二種類の抗生物質、下痢止め、胃潰瘍と痛風の錠剤、バンドエイド、化膿止め軟膏が入っている。
 ノクがケースのファスナーを引き下ろした。
「ヤードムがない。どうして」
 ヤードムはタイ語で「嗅ぎ薬」という意味である。人さし指の先ほどのプラスチックの容器で、先端に針穴があいている。そこを鼻の穴に押し当てて強く息を吸うと薄荷油の香りがつんとくる。つかの間、鼻が通り眠気がさめ頭がすっきりするような刺激がある。安いものは一個五バーツで売られており、タイ人にとっては旅の必需品になっている。私も物珍しさでためしたことがあったが、吸入後にかえって鼻が詰まるので捨てた。
 チェンマイのスーパーで買ったミントキャンディーが一粒残っていた。ノクは歯で割り、大きい方を私の口に入れ、小さいかけらをかりかり噛んだ。
 ひらひらとコンドームが舞い落ちた。ノクが私の肱をぴしゃりとたたいた。驚いて見向くと、ノクがふくれっ面で私を睨みつけていた。ノクは拾い上げた四角い小袋をベッドのへりに置き、指先で押さえつけた。
 私の指がベルトのバックルにかかるのと同時に、ノクが勢い込んでTシャツをまくり上げた。ブラジャーを丁寧にたたみ、体操ズボンを脱いだ。
 またしてもショーツがなかった。ブラジャーを買ってなぜショーツを買わなかったのか。買えないはずはない。数十バーツで買える商品なのだ。もともとショーツという下着に目が向いてなかったのか。それとも、ノクの感性はそこまで回復していないのか。
 ノクがベッドに身を横たえた。
「キッ・トゥン」「キッ・トゥン」
 食い入るように私を見ている。
「痛くないか」
「そんなことない」
 ノクが言葉を濁した。
「ほんとうに痛くないのか」
「すこしだけ。でも気にしないで」
 ノクが腰を押し付けてきた。
 よくよく手加減したつもりだったが、血がうっすらと付着した。膿と血塊が混じってきた。血の色がどんどん濃くなってきた。
「ノクに言うことがある」
「どんなこと」
「二日前、ノクはタム・マイと言った。そうだな」
「言った」
「たった今、古いノクがいなくなった。新しいノクが生まれた。きょうが誕生日だ」
「どうして」
「ノクはタイで一番、こころがきれいなタイ人だ。だからやり直せる。これで新しいノクになった」
「うん」
「ノクはひとりじゃない。私はいつでもノクを見ている。わかったか」
「わかった。ありがとう」
 ノクの両腕が私の首にからみついた。ノクは自力で立ち上がるしかない。私にはノクを救う力がない。金銭面でもあまり役に立てない。私にできる手助けといっても、ときたま顔を見せたり、遠くから見守るくらいが関の山なのだ。
 シンナーには言及しなかった。ことさら触れる必要もなかった。シンナーを手放さなければとうてい出直せない。それを誰よりも思い知っているのはノクだ。
 信じがたいことだが、きょうはシンナーの臭いがしない。ノクは私に見捨てられたと思ったはずだ。私がきょうここに舞い戻ることを予測できなかったはずだ。にもかかわらず、ノクはたまった洗濯物を洗い、部屋の掃除をし、そしてシンナーを断ち切った。
 私が逃亡しているあいだに、ノクは一人歩きをはじめていたのだ。ノクがたまらなく誇らしかった。いじらしかった。
 ノクが半べそをかいていた。芝居がかったせりふを口にしたことは気恥ずかしかったが、私は何が何でもノクを力づけたかったのだ。
「終わった。とてもよかった」
「ほんと。うれしい」
 ノクが半身を起こした。
「早くはずさないと汚れちゃうよ」
 ノクが手を伸ばしてきた。
「私がやる」
 ノクに取らせたら、射精していないことがばれてしまう。
「これ、どこに捨てればいいのかな」
「窓の外よ」
 遅咲きが花開き、薄紅色の花が一対になった。
 ベッドに並んで腰かけ、白い封筒を手渡した。ノクはちらりと内をのぞいたが、勘定はしなかった。
「これが最後だよ」
「たくさんあるのね」
「ノクの好きにつかいなよ」
「今度はいつ来てくれるの」
「わからない。当分は会えない」
「ノクのところに帰ってこなくちゃだめよ」
「働いてお金をかせがなくちゃタイに来られないよ」
「お金のことはもう気にしないで」
 ノクが言下に言い切った。私は航空運賃と滞在費の話をしたつもりだったが……、ノクの勘違いが胸に迫った。
「今年もあと四カ月。今年は多分来られないな」
 帰国したらアンケートを集計しなければならない。分析にも時間がかかる。順調に進めば来年の一月か二月には都合がつくかもしれない。ただ、フリーの雑誌記者という職業柄いつどんな注文が舞い込むか予想できないし、ここで安請け合いをしてノクを失望させたくなかった。
 ぽたぽたとしずくの落ちる音がした。ノクの涙だった。
「今年じゃなくても会いに来て。あたし待ってるから」
「約束する」
「苦しくなったら手紙を書く。名前と住所を書いて。前にもらった手紙がないの」
 困った。手紙で哀願されてもすぐには飛んでこられない。
「手紙を書けばよけいに会いたくなる。ノクはよけいに苦しくなる。だから名前も住所も書かない。ノクが手紙を書きたくなる前にここに来る。その方がいいだろ」
「うん。でもできるだけ早く来てね」
「わかった」
 あと一時間で日が落ちる。やれることはやった。
「もう五時すぎだ。きょうはこれからパヤオへ行く」
 今晩はチェンマイで一泊し、あすは四百キロほど南の高原まで足を伸ばし、そこで一日をだらだらすごすつもりだ。
 階段を下りたノクがあわてて部屋へ走った。ブラジャーをつけ忘れていたのだ。
「ひさしぶりだったから。バカみたい」
 ノクが笑いをこらえていた。私たちは顔を見合わせて吹き出した。
 父さんの家の玄関が開いていた。メェーが太い腰をかがめて、荷をほどいていた。
「あなたの時計、はずしたくない」
「いいよ。その時計はノクにあげる。すこしは元気になったか」
「元気になった。今度あなたが来るとき、あたしは別のノクになっているからね。もっといい家に住んでいるからね」
「よかった。でも、きれいな白い家はいらないよ」
「いじわる」
 ノクが笑顔で私の腕をつついた。
「チョーク ディー ナ」
「チョーク ディー ナ ノク」
 ノクは左手の白封筒を振りながら、居間に入っていった。全員が注目している。あーあ、隠せばいいのに。禿鷹の群れに腐肉の塊を見せつけるようなものじゃないか。
 だけど、あれはすでにノクの金だ。どんなつかい方をしようとノクの勝手。あとで宴会が開かれ、大甘な日本人をさかなに座が盛り上がるのかもしれない。
「夕食を食べていきなさい」
 祖母が顔を出した。
「パヤオへ行くんだって。時間がないの」
 ノクの声が小さく聞こえた。また雨が降ってきた。ぬれることをおそれてじたばたするのはもうやめた。一度びしょぬれになってしまえば、それ以上はぬれないのだ。
 きょうのノクは聞きとりやすいタイ語でしゃべってくれた。ヘビースモーカーのノクが、きょうは一本もタバコをのまなかった。私はノクの再生を確信した。

 八日後の夕方にバンコクに戻った。その夜、ホテル近くの中華レストランに入った。焼きそばを食べているとき、一人のウェイトレスに目が釘づけになった。夜も九時をすぎ、ほかの三人の少女従業員は眠そうな顔でしぶしぶ仕事をしているのに、彼女だけがきびきびと立ち働いていたのだ。横顔、面差し、肌の色、細づくりの体型がかつてのノクを思わせた。年齢は十六から十八くらいだろう。
 彼女は私の視線が気になったらしく、意を決したように近づいてきた。至近から直視すると、顔かたちは空似というほどではなかった。胸もノックより大きかった。
 それまでに鶏の唐揚げをつまみにビールを二本飲んで満腹だったので、何か軽いデザートをたのんだ。彼女はすぐにココナツアイスクリームを持ってきた。
 次の夜は彼女が注文を取りにきた。メニューから数品を選んで告げると、彼女はボールペンを左手で握って伝票に記入した。ビールを運んでくると、右手にコップを持ち、左手でビールをそそいだ。この娘も左利きなのだ。二本目のビールが空になったのを目ざとく見つけて早足で寄ってきた。
「きょうもアイスクリームを食べますか」
 ココナツアイスクリームを二皿たいらげた。きのうの倍量のピーナツが振りかけてあった。胃は重かったが心が軽かった。眼前の娘とノクの姿が重なった。私は浮き浮きした気分のまま通りに出てタクシーを呼び止め、バンコク国際空港に向かった。

第五部 火炎樹
 一日目

 八カ月余の月日がたった。年末に受注したエイズの単行本の仕事が長引き、入稿できたのが四月下旬だった。翌日、私はあわただしく日本をたった。
 きょうでタイに入国して十八日になる。今回はノクに会う以外に二つの目的があった。 一つ目はこの国のエイズに関する最新情報の入手、二つ目は回収したアンケートの集計結果を大学生にフィードバックして、彼らの反応と見解を取り集めることだった。
 ラムプーンに来る前に目鼻を付けておこうと、公衆衛生省を訪問し、全国のキャンパスを回っていたのだ。
 学校前のバス停で下車しサンパヤン通りを越えると、左側にブロック塀が立ち現れる。ノクの家まであと五百メートル、時刻は午前十一時だ。白い帽子をかぶっていても脳味噌が煮えそうに熱い。極小だが真っ黒な影が足下につきまとっている。
 このところ北部では最高気温が連日四〇度を上回っている。冷房のないバスが窓を閉めて走っている。熱風が車内に吹き込むのを避けるためである。
 火色が目に飛び込んできた。一本の火炎樹がブロック塀の内側から枝を伸ばし、道の上空で花を咲かせていた。青葉がないので、枝という枝が無数の炎の房を付けているように見えた。
 炎の花を振り仰ぎながら、紅蓮の花群の下を通り抜けた。とたんに足の運びがにぶくなった。先を急いでいるのに歩が進まなかった。後ろ髪を引かれるというのはこのような事態をさすのではないかと思った。わざわざ十数歩あと戻りし、カメラを引っ張り出し、レンズを火炎樹に向けてシャッターを切った。袋小路に入り、白い塀の先を右折した。
「やったじゃないか、ノク」
 ノクの家は見事に立ち直っていた。尻餅をついていた小象が、両足を踏ん張って腰を上げていた。背筋が通って決然とした気に満ちていた。ノクのきっぱりとした意志が伝わってきた。ノクはやり直したのだ。あの一万バーツが役に立ったのだ。
 折れていた後部の二本の支柱が副木で補強されていた。屋根に使い古しのトタン板が打ち付けてあった。壁の破れにつぎが当たっていた。一段しかなかった階段が三段に復旧していた。踏み板の一枚一枚に全体重をあずけてみたが、びくともしなかった。傾いていたベランダが水平になっていた。腐っていた床板が補修されていた。捨て置かれていた料理道具も釣り竿も、ベンチの上にあった化粧品も水甕も片づけられていた。
 扉が開いたままだった。両窓が半開きになっていた。室内が整頓されていた。壊れたラジカセも羽根が剥き出しになった扇風機も消えていた。ゴム草履がそろえてあった。
 床に藍色のビニールカーペットが敷いてあった。あのバンガローで使っていた敷物だった。部屋のサイズに合わせて切り詰めたのだ。あれから五年もたつのに、ノクはずいぶん物持ちがいい。
 浅緑色の蚊帳がベッドをおおっていた。くたびれた灰色の蚊帳を処分し、古物を手に入れたようだ。薄桃色の夏掛けが左側に飛んでくしゃくしゃになっていた。ノクの体温がそのままとどまっているようだった。数時間前の情景が手に取るように浮かんできた。
 ノクがあくびをしながら薄い布団をはねのけ、ベッドを下りてくる。ノクの寝起きの顔を想像したら、表情筋がゆるんだ。
 枕元に植木鉢に似た半透明のプラスチック容器が伏せてあった。なかにトイレットペーパーのロールが入っていた。底穴から必要な分を引き出してちぎり、ティッシュペーパーとして活用するのである。清潔を心がけている気配が読み取れた。
 ノクはラムプーンにしがみついて生きてきた。もし休暇が取れるなら、再起を祝してプラチュワプ・キリカンの海を見せてやりたい。潮の香りを胸いっぱい吸わせてやりたい。青海原に接すれば、絵心が刺激されるだろう。そのときは存分に絵を描かせてやりたい。
 プラチュワプはシャム湾に面した、タイ中部の静穏な漁師町である。太陽が真向かいの水平線から昇ってくる。西にそびえる山並みはタイとミャンマーの国境地帯である。弱体なノクに合計十五時間の長旅はつらいかもしれないが、寝台列車か座席のゆったりしたVIPバスを利用すれば疲労は少ないし、乗り継ぎ地のバンコクで一泊するのも一案だ。
 部屋は二つ取る。夜はノクを浜辺の屋台レストランに連れ出して、取り立ての魚介を食べさせる。潮騒がとどろくなか、私は前回ききそびれた質問をする。
「恋したことはあるかい」
 私はノクの初体験の相手が客だったと考えている。処女が五千バーツ以上の高値で売れることは売春業者の常識になっているからだ。ノクは一度も胸を焦がさぬまま、おんなになったのではないか。
 ノクは白馬の王子が実在しないことを知り抜いている。男に憎悪や幻滅を感じても、憧れや夢はいだけない。だが私はノックに伝えたい。できない相談かもしれないが、男に絶望しないでほしい。言葉と胸底が通じ合う若者に出会って、血潮をたぎらせてほしい。女に生まれたことをいとおしんでほしい。
「心配するな。ノクはタイで一番、こころがきよらかな女だ。だからノクを愛する男はかならずいる」
 床を見やると、長さ十センチの黄色い蝋燭が一本突っ立っていた。かたわらにマッチ箱が置いてあった。蝋燭の左にマッチの燃えさしが一本と長さ三センチの吸い殻が一本落ちていた。白いフィルターに口紅は付着していなかった。ポリエチレンの空瓶が一本横倒しになっていた。この容器には一リットルの飲料水が入っている。値段は一本五バーツ、一バーツは五円である。この時季、私は毎日二、三本を空にしている。
ノクはどこにいるのだろう。すでに就職していることも考えられる。とりあえずノクの父さんの家に寄って、ノクがいなければ家人に近況を訊ねてみよう。
「こんにちは」
 返答がなかった。裏口へ回り込んで呼んでみた。テレビの音がした。誰かがいるのだ。「こんにちは。ノクはいませんか」
 大声で何度も呼びかけたが応答がなかったので、サンダルを脱いで家内に忍び入った。あの白黒テレビの前で寝そべっていた中年男が、侵入者に気づいてのっそりと起き上がった。腰布一枚の裸だった。
「すみません」
 小声で詫びつつ、土間に引き返した。テレビの音声が切れ、男が姿を現した。
 上背は一七〇センチほど、体重は六〇キロ前後、私と同じくらいの体格だ。肩から胸にかけて筋肉がついている。右の二の腕に暗青色の筋彫りで「I LOVE YOU」と入れている。顔のしわや皮膚の張りから推測して四十なかばだろう。
 この男とは初対面だが、ひょっとしたらノクの父親ではないか。彫りの深い目鼻立ちが似かよっている。とはいうものの多少の疑点も残る。男の年齢を四十五と仮定しよう。私の記憶が正しければノクは今年で二十四だから、親子の年齢差は差し引き二十一だ。しかもノクには兄がいる。たしか二つ三つ年かさだった。
 ノクと兄が一腹一生の兄妹だとすると、この男は十八か十九で子持ちになったことになる。若すぎる父親という気もするが、タイの田舎では早婚は珍しくなかったし、ありえない話でもないだろう。
 ノクと兄はさほど似ていない。異父兄妹かもしれない。それならさらに合点がいく。
 実年齢より若く見える人間はどこの国にもいる。この男は五十すぎかもしれないし、私と同年配かもしれない。ノクは私の歳を知らない。きかれたことがないのだ。私は二カ月後に四十八歳になる。
「こんにちは。私は日本から来ました。ノクはいますか」
 男は無心の目を向けた。白目が血走っていた。
「ノクはどこですか」
 無反応だった。私の声が聞こえないのだろうか。私が目に映っているのだろうか。この感触には心覚えがあった。去年ノクの家の物置で、縁台にうつ伏せになった半裸の不審人物と鉢合わせした。あの男も腰布一枚だった。あれはノクの弟ではなく、この男だったかもしれない。
「ノクに会いたいんです」
 男は口を閉ざしたまま、あとずさりした。
「待ってください」
 土足のまま上がり込み男を追い詰めた。この男は私をけむたがっている。対面したくないのだ。だからといって黙って引き下がる気は毛頭なかった。
「ノクはここにいないのですか」
 男は片腕を振り上げ、裏口で待てという素振りをした。土間でじりじりしながら待った。
 彼はざら紙で巻いたタバコを吸いながら出てきた。枯れ草がいぶっているような強い異臭がした。
「ノクは働いているんですね。どこですか」
「サンカンペーン」
 彼がはじめて口をきいた。
「えっ、チェンマイのサンカンペーンですか」
 彼は問いに答えず、奥に引っ込んだ。
「サンカンペーンのどこなんですか。居所を教えてください」
 繰り返し怒鳴った。住所を聞き出すまでは帰るわけにはいかない。
 彼が再登場した。折り目のついたズボンを着用している。半袖の開襟シャツに腕を通し、胸のボタンをとめている。ノクの職場まで同道してくれるのだ。
 彼はサンダルを突っかけて中庭の向かいの小屋に入っていった。庭木のロープにノクの赤い体操ズボンが干してあった。
 五分たっても彼は姿を見せなかった。業を煮やして小屋に立ち入った。誰もいなかった。あの男は執念深い日本人を振り切るために背戸から脱出したのだ。
 サンカンペーンはチェンマイ県東部の郡の名称である。所番地がなければ居所は突き止められない。ここは一旦ノクの家に取って返し、手がかりを捜す方が賢明だろう。
 寝台の下に赤い木箱が置かれていた。バンガローの壁にかけてあった飾り箱だった。口紅が一本入っていた。キャップをとって底を回してみた。中身はほとんど減っていなかった。木箱の真横にノートが二冊重ねてあった。上の一冊はポケット判で紙質が悪く、表紙が破れていた。下は大判のノートだった。上のノートをめくってみた。
 縦と横に薄紫の罫線が入っていた。空白が目立った。ノクにしては雑な使い方をしている。中ほどのページが目にとまった。左上に4日という日付けが打たれている。何月の4日なのか、記載はない。上欄にユーピン、プラノーム、ノクなど五人の名前が列記されている。その下に数字が並んでいる。あらかたが50と100で、それ以外の数字はわずかしかない。
 これは何だろう。売り上げ簿なのか。数字は某月4日の水揚げを書きとめた手控えなのか。ノクは四人の女を束ねていて、自らも客をとっていたのか。4日以外の分がないのはなぜなのか。それともあの一万バーツを資金に、小金貸しでもやっていたのだろうか。
 最終ページに住所とおぼしき書き込みがあった。チェンマイ県サンカンペーン郡オーヌアン区ノーンホーイ村40/2と読めた。その上の数行の走り書きは判読できなかった。移転先とみてほぼ間違いない。ただ、ノクに日記を見せてもらったのは五年も前のことだし、ノクがどんな字を書いたか思い出せない。これがノクの筆跡かどうか、あの男に確認してもらうしかない。
 テレビの音声があたりに響いていた。私の睨んだ通りだった。
「こんにちは」
 またもや返事がなかった。ずかずかと敷居をまたぎ、横になった男の鼻先にノートを突きつけた。戻ったばかりとみえ、さっきと同じ服装だった。
「ここですか」
 男は肱枕をしたまま、ちらりとノートに目を移し、だるそうに首を縦に振った。
「ノクの家にあったんです。今からここへ行きます」
 ノートは借りていこう。ノクにはあとでことわればいい。
 サンカンペーンは絹製品、陶磁器、漆器の製造直売で有名な観光地である。郊外に温泉もある。北部の地図を取り出して調べた。チェンマイから十二、三キロの道のりだった。バスはラムプーン行きと同じ白象門バスターミナルから出ている。
 赤いミニバスは一時にチェンマイを出発した。ノクはサンカンペーンで何をしているのだろう。売春ときめつけるのは悲観的にすぎるのではないか。機織りをしているのかもしれない。絵付けや漆塗りも悪くない。どれもノクの資質が生かせそうな職種だ。
 一時半にサンカンペーン生鮮市場前に着いた。ラムプーンの市場より売り屋の数が多く活気があった。サムローの集団が客を待ち受けていた。野菜売場の脇にいた老運転手にノートを示した。
「この住所はどっちですか」
「あっちだよ」
 運転手はくるりと半回転し背中の方角をさした。
「乗せてくれませんか」
「二十バーツでどうかね」
 二十バーツといえば十五分はかかる距離である。自転車タクシーはバス通りを東に百メートル進んで左折した。表通りをはずれると商店の数が激減した。二百メートル走行し、道が二股に分かれた地点で停車した。
「ここだ。降りなさい」
「ここは家じゃない」
「ここで乗り換えるんだよ」
「もっと払うから、この住所まで行ってくれないか」
「遠すぎる。サムローじゃ無理だ」
「三百メートルで二十バーツは高い」
「まけろと言わなかったのはあんただよ」
 いつもの鉄則を破ったわけは、生まれ変わったノクに会う前にみみっちい真似をしたくなかったからだが、今さらそれを悔やんでもあとの祭りだった。
 停留所にしては様子がおかしかった。見回したがバス停の標識がなかった。バスを待っている客がいなかった。十分後、通りかかった男子高校生を呼び止めノートを見せた。
「ちょっと失礼。この住所は遠いのかな」
「そうですね、ここから大体三十キロです」
 三十キロも走ったら隣りの郡に突き抜けてしまうだろう。
「ほんとうかい」
「オーヌアンはずっとずっと先です。三十キロはないとしても二十キロはあります」
 この学生は明らかに土地っ子だし正直そうな顔をしている。私に嘘をつく理由もない。「そんなに遠いのか。バスで四、五十分かかるな」
「バスはありません」
「まだ二時なのにもう終わりなのか。あすまたここに来るけど、きみは朝一番のバスが何時に出るか知ってるかい」
「そうではありません。オーヌアンへ行くバスはもとからないんです」
 頭から冷水を浴びせられたような気分だった。それならば、ノーンホーイ村は一体どんな寒村なのか。
「私はそこへ行けるだろうか」
「行けます。ソンテオに乗るんです。ほらそこの食料品店、あの右にトラックがとまっていますね。あれです」
 喉がからからだったのでその食料品店で冷えた飲料水を求め、ついでにこのトラックがオーヌアンへ行くかどうかを訊ねた。口ひげをたくわえた若い店主は愛想がよかった。
「オーヌアンといっても広いんです。オーヌアンのどこへ行くんですか」
「ここです」
 私はノートを差し出した。
「ノーンホーイか。ここは遠いですよ。ソンテオのコースに入っているかどうか。運転手にききましょう。おーい」
 道の反対側の屋台で幅広麺を食べていた中年男が顔を上げ、こっちにやって来た。
「この人がこの住所へ行きたがっているんだ」
 運転手がノートに目を落とした。
「どれどれ。ここか、ここへは行かないな」
 二人が口をそろえた。
「日本人がなぜこんなところへ行くんですか」
「とても会いたい人がいるから」
「何だこれは」
 男たちが高笑いをはじめた。書き置きを盗み読みしたのだ。これはノクが私に宛てた私信なのだ。それなのに私一人が遠ざけられている。こんな理不尽な話があっていいものか。私の面前でノクが嗤われているようで、腹立たしかった。店主が言いはやした。
「これを書いた人はあなたのフェーンですか」
「友達です」
 二人は薄ら笑いを浮かべた。運転手が言いたした。
「気の毒だけど、ここはコースに入ってないんです」
「特別料金を払います。お願いです。その住所に行ってください」
「では、五十バーツでどうでしょうか」
「承知しました。五十バーツ払います」
「車に乗ってください。二時半に出ます」
 交渉が成立した。
 九人の先客は全員年配の女で、座下に大きな荷物を置いていた。市場帰りらしかった。竹籠からマンゴーとライチーがのぞいていた。どちらも今が旬の果物である。乗降台寄りの席にすわった。太陽がじかに照りつける場所だった。すぐに皮膚が熱をもった。首筋と足の甲が焼け焦げた。ほかに空席はなかった。
 気温は四二度を越えているだろう。時刻は二時十分だった。
 買ったばかりの一リットルの水は半量に減っていた。渇きはいえなかった。いくら水を飲んでも汗が流れない。汗腺からしみ出すやいなや蒸発するのだ。尿意を感じない。きょうは起きぬけに一回便所に行ったきりだ。
 客がこれ以上集まらないと判断したのか、トラックは定刻五分前に発車した。数分で周囲は典型的な農村の風景になった。乗客がブザーを押しては車を降り、運転手に五バーツ支払った。いくつかの村里を通過したが、工房や窯元のような建造物は見かけなかった。ノクの現職は機織りでも漆工でも陶工でもなさそうだ。
 ノクはソンで働いているのだ。この国では売春施設があまねく行き渡っている。立地に恵まれない在方でも、客の方からバイクを飛ばして遊びにやって来る。だけど、こんな奥地でどれほどの収入になるのだろう。
 道路の舗装が消えて悪路になった。家といえば農家ばかりになった。高床式の住居が大部分だった。農業といっても米作専業ではなく、床下で牛を飼っている農家が多かった。
 出発して三十分後に九人目の客が降車し、私だけが荷台に取り残された。トラックが加速した。四辺は水田と野原だった。走れば走るほど水田の割合が減少した。
 家と家の間隔が五百メートルになった。激しい上下動で尻が跳ね、脳天が頭上の幌を突き上げた。歯を食い縛っていないと舌を噛みそうだった。どうやら私の取り越し苦労だったようだ。こんな過疎地ではソンだって存立不能にきまっている。
 とはいえノクの窮状からして、転地療養など望むべくもない。残された選択肢は家政婦か農作業の手伝いあたりか。ノクは売春以外の職をこなした経験があるのだろうか。
 突っ走ること十数分、視界が開けた。数台のブルドーザーが黒煙を吐いていた。原生林が切り開かれ、新道が建設されているところだった。トラックは工事現場の手前を右に折れた。村落が見えた。よろず屋の前でブレーキがかかった。
「あのノートを貸してください」
 運転手が店番の少女に話しかけた。ノートの住所を指示した。すぐに引き返してきた。
「ここがノーンホーイですが、40/2という番地はないそうです」
「そうですか。でも、ここまで来てよかった。ありがとう」
「これを書いたのはどんな人ですか」
「ラムプーン出身の若い女です」
 運転手が首をひねった。
「大切な人なんですね」
「そうです」
「それでは、もう一回きいてみます」
 二人が話し込んでいる。少女が人さし指を南に向けた。運転手が大きくうなずいた。
「この先の家に行きます」
 トラックは砂利道を二百メートル前進し、豪壮な屋敷の前で停止した。門を入った左に大型の牛舎が二棟立っていた。ノクは牛の面倒をみているのだろうか。牛の世話は頑健な男でも体力をすり減らす荒仕事である。牛飼いの朝は早いし、牛舎の清掃は骨が折れる。 広やかな中庭の奥に洗い場があった。樋口から水がどうどうと流れ落ちていた。筧は山裾まで延々つながっていた。五人の女が筒スカートをたくし上げて水仕事をしていた。すすぎが終わり、たらいの中の洗濯物を絞っているところだった。
 右端でタオルを絞っている娘の後ろ姿がノクと瓜二つだった。髪が肩にかかっているあたりが食い違っているが、八カ月もたてば女の髪は見まがうほど長くなるものだ。
「あなたはここで待っていてください」
 運転手が女たちに近寄った。最年長の横太りした女に合掌し、ノートを提示した。脇からのぞき込んだ若い女が、ちゃかすような声調で走り書きを朗読した。女たちが一斉に笑い声をあげた。運転手が私を指さした。女たちの好奇の目が束になって飛んできた。彼女も振り返って私を見た。
 ノクではなかった。女たちが哄笑した瞬間に察しはついていたが、もし許されるのならこの場にへたりこみたかった。運転手が戻ってきた。
「ふとった女のひとは村長の奥さんです。40/2はありません。この村にラムプーンから来た女はいません。それに、こんな名前の人はいないそうです」
「そうですか。サンカンペーンに帰りましょう」
「大丈夫ですか。わたしの隣りにすわりませんか」
「大丈夫です。ひとりで景色を見たいので、後ろにすわります。どうもありがとう」
 トラックは土埃を舞い上げながら荒れ野の一本道を爆走した。往路とはちがう道だった。頬に当たる風が熱かった。ノーンホーイ村がみるみる遠ざかった。荷台から眺めるかぎり戸数二、三十軒の山村だった。
 あすあらためて父さんの家へ行って、今度は婆さんに会おう。あの男しかいないときは、この所番地がでたらめだったことを告げ、強腰で正確な情報を要求しよう。
 トラックは飛ばしに飛ばし、四時すぎにサンカンペーン生鮮市場に帰り着いた。運転手に百バーツ手渡し、謝意をこめて合掌した。
「あなたはとても親切な運転手だ。ありがとう」
「見つからなくて残念でしたね」
 運転手が合掌を返してきた。
 チェンマイのホテルにたどり着いたのが午後五時だった。フロントに駆け寄り、支配人にノートを差しつけた。一刻も早くあの走り書きの内容を知りたかった。
 支配人が英語で答えた。
「一種の詩だと思います。かわいそうな少年が書きました。おおよそこんな意味です」  〈ぼくは地べたのまんなかでねむっている〉
 〈ぼくは地べたのまんなかでじいっとしている〉
 〈ぼくはもう何もほしくない〉
「少年の名前はスプラニーです」
 タイ人の名には男女兼用が少なくない。たとえば「グラープ」の語意は「薔薇」だが、女性専用の名ではない。男にもグラープがいる。
「スプラニーという女ではありませんか」
「スプラニーは男の名前です。スプラニーという名の女はいないでしょう」
 彼らの笑いは二つの毒を含んでいたのだ。同性のタイ人の恋人を血まなこになって捜し回っている日本人と不可解な詩に対する憫笑である。
「これはスプラニーが書いた住所ですか」
「そうです。同じ筆跡です」
 頭が混乱してきた。ノクの客になった男が即興を書きつけたのか。あるいは、女から男に変成したノクが偶感を詩に託したのか。この住所は何なのか。ノーンホーイに住んでいたのは誰なのか。
 わからぬことだらけだが、何はともあれ、ノクはある程度まで健康を取り戻し、就労できるようになった。堅気の商売でなくてもよいではないか。ノクがなんとか働いている。今はそれで充分だ。ノクはサンカンペーンのソンにいる。でなければチェンマイのソンだ。夜になったらこのホテルの裏手の売春街をのぞいてみよう。
 冷たいシャワーを浴びて体熱をさまし、一眠りしようとベッドに入った。目をさまして時計を見ると午前二時を回っていた。ソンが店じまいにかかる時刻だった。空腹に目をつぶり、そのまま朝まで眠り通した。

 二日目

 朝七時にホテルの精算を済ませ、前回宿泊したゲストハウスに引っ越した。私が冷房のきいたホテルに寝泊まりしているかぎりノクは見つからないのではないか、そうした懸念を払拭するための冷気断ちだった。
とはいうものの、期待は持てなかった。たしかな情報は得られそうにない。サンカンペーンのソンをしらみつぶしに当たるしかないだろう。サンカンペーンは人口一万の大きな町だ。捜索はかなり厄介な作業になる。
 今回ノクの顔を見るのはあきらめるにしても、せめて私がラムプーンに来たことはノクに知らせておきたかった。ノクは先月のタイ正月の三連休に里帰りしたと思う。休暇の少ない職業だが今年中にあと一回くらいは帰省できるだろう。家人にことづてを頼んでも当てにならない。それよりノクの家に伝言を残す方がはるかに堅実だ。
 文案はすぐにかたまり、辞書を引きながら単語を並べた。出来上がりを読み直して気が変わった。返信がほしくなったのだ。一行でもいい、ノクが何か書いてくれればそれで安心できる。後半を書き替えることにした。
 文具店で航空便の封筒を求め、私の名前と住所を上書きした。チェックアウトしたばかりのホテルに立ち寄って切手を購入し封筒に貼った。手紙を封筒に折り込み、ノクのノートに挟んでみた。青と赤の縞模様は目を引く。目のいいノクが見すごすはずはない。
 バスを降りた。きょうもまた太陽をのろいたくなるほど熱い。上から烈日に押し詰められて、思いなし身長が縮んだような気がする。
「チェンマイとラムプーン、どっちが熱いだろう」
「空気が澄んでいるせいだろう。気温はラムプーンの方が高い。このあたりの日射は強烈だ。木の緑までが日焼けしている」
 よしなしごとをつぶやきながら歩いた。火炎樹を通りすぎた。十字路の雑貨屋が目に入った。店の軒下で日差しを避けていた男が私に手を振った。
「サムローに乗りませんか」
「近いから、いらないよ」
「ノクの家へ行くんでしょ」
「そうだけど……」
「わたしを覚えていないのですか」
 そうだった。去年、ノクの住まいを教えてくれたのはこの運転手だ。あのときは気がせいていて、うっかり礼を言いはぐれた。この場は断れない。
「思い出したよ。ありがとう。十バーツでよければ行ってくれ」
「オーケー」
 自転車が走りだした。
「あのう、ノクはいませんよ」
 運転手が声を落とした。
「知ってる。サンカンペーンで働いているんだ」
 やにわにブレーキが鳴った。運転手がゆっくりと振り向いた。
「ノク ターイ レーオ」
 この男は何を口走っているのか。聞き違いにきまっている。
「ノク ダイ」
 運転手が英語で言い直した。
「うそだ」
 サムローを飛び降りて運転手に詰め寄った。
「ほんとうです。ノクは死にました」
 ぐるりが無彩の世界に転じた。
「いつだ」
「二週間前です」
 二週間前ならば、私はバンコクにいた。
「何の病気だ。エイズか」
 運転手が言いしぶった。
「言ってくれ」
 彼は右手を軽く握って首を一周させ、うなじのところで吊り上げる手つきをした。
 視野の周縁がほの暗く茫漠としている。平衡感覚が消えうせ、自分がどんな姿勢で立っているのか、感知できなくなった。
 いや、この男は人違いをしているのだ。私は体勢を立て直した。
「ノクの本名を言ってみろ」
「スワンニー・オーンドゥアンです。とむらいも済みました。あっちです」
 運転手が北の方角を指さした。
 もう、ノクのあの眼に会えないのか。
「どこへ行きますか」
 行き先がなくなった。返事をする力がうせていた。とりあえず車代を払おうと、ポケットから十バーツ札二枚を引き出した。
「料金は十バーツです」
「いいんだ。取っておけよ」
「すこししか走っていないのに。じゃ、あそこへ行きます」
「そうか。あそこへ行こう」
 抜け殻になった中年男が同調した。
 サムローは道を引き返した。火炎樹の下を駆け抜け、サンパヤン交差点を右にUターンするような恰好で、四つ角に向かって開いている山門をくぐった。広大な境内の奥に見覚えのある白い尖塔がそびえていた。
 去年の一月だった。ノクの家を捜しあぐね、道に迷ったときに目にした尖塔だった。
 近くの大寺の別院だろうか。それにしては閑散とした眺めだった。伽藍もないし、参詣人もいないし、僧の影もない。堂舎といえば、高床構造の異様な建物が一つだけ。床面の高さは地上三メートル、すべてが石造りだった。
 別種の建築物を力ずくで接合したような外観だった。こちら側が高さ五、六メートルのパゴダをいただいた純白の東屋、向こう側は濃紺の切妻屋根から白色の角柱を突出させた小舎だった。尖塔に見えたものは、高さ十五メートルのオベリスク状の角柱だった。
 数箇所に大量の薪が積み上げてある。寺ではなさそうだ。焼き場ではないか。角柱の先端がすすけている。あれは煙突だ。死者の煙はあそこから天空にはなたれるのだ。
 東屋に向かって三方から白い上がり段がかかっていた。欄干も白かった。合掌してサンダルを脱ぎそろえ、手近な南の階段を登った。
 炉が二つ切ってあった。ノクはどちらで焼かれたのだろう。
 瞑目し、耳を澄ませた。ノクの声は聴こえなかった。そこで最初に左、次に右の炉に手を合わせた。左を先にしたのはノクが左利きだったからだ。
 階段の下で運転手が待ち構えていた。
「そこではありません」
「どこなんだ」
 まわりを見渡した。それらしい小屋も設備もなかった。
「あっちです」
 二十メートル南の盛り土の上に、正方形の工作物が見えた。置き舞台のようでもあるし、聖壇のようでもあった。全体がコンクリート製で一辺が六メートル、地面からの高さは一メートル、やはり三方から勾配のゆるやかな白い橋がかかっていた。欄干は青かった。
 しかしあれは裸出した空間である。遺体を焼けば一部始終が丸見えになる。タイはヒンドゥー教の国でもないし、ここはガンジスの河畔でもない。
 石橋を渡った。足下のコンクリートが黒く焦げてひび割れていた。灰がすみに掃き寄せられていた。
「そこでもありません」
 運転手が近寄ってきた。
「こっちです」
 運転手が石橋の手前を示した。そこは厚さ五、六センチのコンクリート板を一面に敷き詰めた、がらんとした空所だった。これでは野辺の焚き火ではないか。
「ここで焼いたんです」
 うらめしさに総身が震えた。ノクを地べたで焼いたのか。
 いつか読んだ書物の一節がにわかに現実になった。京都大学の教授がタイ北部の伝統的な葬礼について書いた本だった。チェンマイ近郊のある農村では自然死と変死は峻別され、後者は正式な荼毘にはふされないという内容だった。
 ねずみ色の砂山があった。セメント粉にも似た細微な灰の小さな山だった。底径四十センチ、高さ二十センチ、すり鉢を伏せたような形状だった。頂上から焼け錆びた針金が数本突き出ていた。片脇に、一端が焼け焦げた竹の棒と、長手の炭鋏がうっちゃられていた。工事現場で見かける土砂運搬用の手押し一輪車が灰にまみれていた。
「これがノクか」
「いいえ。それは二、三日前のものです」
「きみはここにいたのか」
「はい」
「ノクはどう置かれていた」
 運転手が指先を下に向けて左右に振った。
「こうでした」
「頭はどっちだ」
「そっちです」
 その場所に膏がにじんでいた。かがんで左手を伸ばし、黒ずんだしみにあてがった。右手を躯の位置に置き、コンクリートの地肌を撫でた。焦熱が伝わってきた。
 これを昔ながらの変死者の火葬ときめつけるのは早まった判断ではないか。ここはチェンマイ近郊ではなく、ラムプーン市内だ。それに街の中心までたった二キロしかない。住民の大部分が離農して久しい。農地は激減している。多くの勤め人が住み着いている。もはや農村とは呼べなくなっている。
 むしろ松竹梅と解釈する方が理にかなっている。火葬が三等級に分かれているのだ。貧乏人は地べたで焼かれ、金持ちは炉の中で骨になる。それだけのことだろう。炉のような閉所は息苦しい。この世での終幕の一場としては広々としたところも悪くない。これがノクにふさわしいとむらいなのだ。
 横風が吹き抜けた。灰の山の表層が捲き上げられ、あの火炎樹の根方に吹き寄せられていった。ノクもこうやって風に舞い、火炎樹に抱きとめられ、炎の花の一房になったのだ。
「そんなに悲しんではいけません」
 運転手の声が聞こえた。彼はしばし黙考し、英語で言い添えた。
「ノク シー ユー イン ヘウェン」
 ノクは天国があることを信じていたろうか。私はあの世の存在を信じていない。極楽も地獄も信じない。私たちに再会の場はないだろう。
「ノクを愛していたのですか。でも、悲しむことはありません。タイにはまだいい女がたくさんいます」
 私を慰めようとする心配りはありがたかった。一方で、これがタイ人の楽天なのだと承知していても、黙っていられなかった。思わず声がとがった。
「ちがう。ノクはタイで一番いい女だ」
 歯がゆかった。私は、ノクは二人といない女だと叫びたかったのだ。
 運転手はノクが私のめかけだったときめ込んでいる。この男ばかりではあるまい。隣り近所がそう見なしている。だが、叱責する余力は残っていないし、今さら訂正する必要も感じなかった。
「悪かった。きみにはとても感謝している。この百バーツはチップだ。取ってくれ」
 運転手は破格の心付けを受け取っていいものか、思い惑っている。
「どうか取ってくれ。そのかわり、教えてほしい。ノクはシンナーをやめられたか」
「やめられませんでした」
「子どもはいたか」
「いません」
「フェーンはいたか」
「いません」
「ありがとう。帰っていいよ」
 サムローが去った。
 薪の上にすわって灰の山を眺めた。ノクは考えに考えた末に、自死を選び取ったのだ。けれども、それが二週間前の出来事だと思うと、胸がつぶれそうだった。
 十五分ほどたったとき、けたたましいブレーキ音がして自転車が急停止した。さっきのサムローだった。降りてきた客が私を見るなり嗚咽をはじめた。ノクの祖母だった。
「ノクが死んじゃったんだよ」
 老女が腕にすがった。
「聞きました」
「うちに来なさい」
 サムローに揺られながら、私たちは短い会話をかわした。
「ノクはいつ」
「三月十九日」
 そう耳にしたと思うのだが、数秒後、祖母が口に出したのがミーナーだったのか、メーサーだったのか、あやふやになった。「ミーナー」は三月、「メーサー」は四月。
 運転手が振り向いて祖母に話しかけた。
「あれ、そうでしたっけ」
 いずれにせよ、二週間前ではなかった。私に捕捉できたことはそれきりだった。
 父さんの家のソファーに三人の男女が腰を据えていた。右の中年女がノクの伯母、真ん中の若い男がその息子だ。この二人には八カ月前に顔を合わせている。ノクを踏みにじり背を向けた連中だ。あとの一人は見知らぬ老爺だった。
 茶褐色に焼けた肌に深いしわが走っていた。一目で農民と見分けられる顔立ちだった。骨太の短躯はいかにも働き者らしい朴訥な印象を与えた。きのう会った中年男の姿が見えなかった。
 祖母にうながされて、向かいの安楽椅子に着席した。それにしてもこの家は、訪れるたびに新顔が登場する。狐に化かされているような心地がする。きょうのことざまは白昼夢ではないのか。私は膝の肉をねじ上げ、目をしばたたいた。
 いとこの男が席を立ち、そこに祖母がすわった。老爺の面差しがノクと重なった。そうか、ノクの祖父だったのか。
 祖父が口を開いた。
「ノクの母が死んだ。二週後にノクが死んだ」
「ノクはどこで」
「この家じゃ」
「あんたがもっと前に来ていたら、ノクは死なずにすんだのに」
 ハンカチを目に当てた伯母が私をなじった。
 その通りだろう。私が一月か二月に来ていたら、ノクはきっとまだ生きていた。
「おじいさん、ノクはいくつでしたか」
「二十二。いや、二十四だったかな」
「たしか二十四ですよ」
 祖母が話を引き取った。
「おばあさん、ノクのメェーはいくつでしたか」
「四十九だった」
 よどみのない答えが返ってきた。
 壁にメェーの写真がとめてあった。母屋のサイドボードに飾ってあった白黒のスナップだった。ノクの写真がなかった。この家族にとって、ノクはその程度の存在だったのか。
 祖父が文庫本くらいの小さな写真帳を差し出した。
「何ですか」
「ノクの写真じゃ」
 私は高校時代に警察庁科学警察研究所で数多くの現場写真を見た。多数の変死者のなかには縊死した若い女が含まれていた。それだけに、ノクがノクでなくなった写真はできれば見たくなかった。おそるおそるめくった。
 蓋を閉じた柩の前で四人の僧侶が読経していた。二人は成人の僧ではなく少年僧だった。タイ仏教は引導を渡す僧の数を四人と定めている。人数では基準が満たされていた。
 白い柩に抵抗感をおぼえた。やや色がくすんでいるが、しっかりした造りの寝棺だった。ノクには分不相応ではあるまいか。この一家には、すぐにも灰になる木箱に大枚をはたく意気も余裕もないだろう。それとも、貧民用のレンタルの柩があって、火葬のときは遺体を柩から取り出すのだろうか。
 柩が高さ一メートルの葬車に安置されていた。コンテナ運搬用の鉄道貨車を小型にしたような台車だった。北タイでは柩の上に屋根形の派手派手しい飾りを付ける例が多いが、ノクの柩には薄紫の造花が数本置かれているばかりだった。柩の前にモノクロの写真が掲げてあった。ノクがほほえんでいた。私が持っている誕生日の写真と同じ髪形だった。十九歳の頃だろう。
 柩から三本の引き綱が伸びていた。引き手はまばらだった。猛烈な照り返しからして、この日もさぞかし暑かったに相違ない。ここから火葬場までは五百メートル、ゆるゆる行進しても二十分かからない。尋常な葬儀であればことさらに遠回りして町内を練り歩くはずだが、ノクの葬列はどこまでも短く簡略だったことだろう。
 しまいまで目を通した。死に顔が写った写真は一枚もなかった。見終わった瞬間に気力の最後の一滴が蒸散した。
 視点がエレベーターのようにするすると上昇した。室内の全景が俯瞰できた。安楽椅子にすわった中年の男が見えた。男は膝に手を置いて五体をふるわせ、顔をゆがめていた。
 一人になりたかった。
「ノクの家へ行きます。ひとりで行きます」
「あとでわしも行く」
 ノクの家に来た。この部屋のたたずまいはノクが出ていったときのままなのだ。ベッドに腰かけると、その日の場面がありありと思い浮かんだ。
 夜はいまだ明けていない。ノクはベッドを離れ、マッチをすって蝋燭をともし、タバコに火をつけた。マッチの燃えさしが一本しかないのは、手が震えていなかったあかしとみてよい。ノクは飲料水のボトルの封を切り、口をつけてごくごくと水を飲んだ。階段を下り、裏手に回って用をたした。
 空が白んできた。ノクは手首のカシオに目をやった。指先で歯をこすって口をすすぎ、残った飲み水を片手の窪に受けて顔を洗った。洗濯しておいた替え着を身につけ、髪をとかした。ブラジャーはつけただろうか。女として死ぬことを嫌悪しただろうか。ここからは私の想像だ。ノクは少時躊躇し、ブラジャーをつけ、紅を引き、蝋燭を吹き消した。
 二〇号の絵に目が行った。下の余白から書き込みが消えていた。そこにはたしか「サムラップ」と書いてあった。ノクは口元をほころばせて、あなたのためよと最初で最後の甘言を口にした。なめるように凝視したが、文字を抹消した跡は認められなかった。はじめからそんなものはなかったように見えた。
 赤い木箱の横の大判の黄色いノートを手に取った。A4判のタイ製品だが、表紙のデザインに「手作り人形の新技法」「インテリアの小物」など脈絡のない日本語が配されていた。ノクはこれが日本語であることを見定めたうえで買ったのだ。下部に白抜きのレタリングでARTS/DESIGNと印刷されていた。スケッチブックだった。
 ほとんどが空白のままだった。三ページの下半分に稚拙な素描があった。髪を真ん中で分けた男の顔が青いボールペンで描かれていた。幼稚園児に『わたしのおとうさん』を描かせるとちょうどこんなふうになる。ぎごちない筆づかいだった。
 ラムプーンでこんな髪型のタイ人を目撃した記憶はない。指が思うように動かなかったのか、あるいはモデルの顔を呼び起こせなかったのか。似てもいないし、言い切る根拠もないが、この男は私だ。次のページからはずっと白紙が続いていた。
 ノクは苦しくなったら手紙を書くと言った。私はその願いをしりぞけた。すぐ来てと泣きつかれても、希望に添うことは難しかったからだ。あのとき名前と住所を残しておいたら、ノクはきっと手紙を送ってきた。訪タイが無理だったとしても、私の返信でノクの絶体絶命をほんの一瞬でもそらすことができたかもしれない。
 階段を下りて裏庭に回った。前後左右がごみの山だった。過半が小屋の改修に使った用材の残片、あとは干からびたマンゴーの実と落ち葉だった。この高木はやっぱりマンゴーだったのだ。枝が黄緑色の果実でたわんでいた。落ち葉の赤茶けた色が奇っ怪だった。朽ち葉というより天日に焼かれて墜落した緑葉の残骸だった。
南の窓の下に行ってみた。群生していた雑草が酷熱で立ち枯れていた。去年、私たちはここで一輪の薔薇色の花を咲かせた。ノクの門出を祝った名残りの花びらは、一片すらとどめていなかった。
 半分に引き裂かれた写真が裏返しになっていた。少女のノクがよそゆき顔で写っていた。隣りで笑っていたはずの人物はメェーである。
 深緑色の小さな缶が散乱していた。拾い上げて見ると、肉太の白いイタリック体で「RUBBER CEMENT」と刷ってあった。背面の細字の注意書きは日本語だった。メーカーの所在地は大阪だった。
 持っていたメジャーを当ててみた。直径が五センチ、高さが六センチだった。ざっと見回しただけで二十個以上ころがっていた。どの缶にも蓋がしてあった。ノクの几帳面な性格が出ていると思った。
 蓋をこじ開けて鼻を当てた。強く息を吸い込んでいると、かすかな余香が伝わってきた。その日の朝、ノクは心ゆくまでシンナーを吸っただろうか。解放されるとき、ノクが苦しまなかったことを思い思った。
 老人がやって来て、黙々と部屋を取り片づけた。背中を見ていてようやく呑み込めた。この年寄りは私を待っていたのだ。私のためにこの部屋を保存しておいてくれたのだ。
 はっとした。この老人には会っている。昨年の八月末だった。バスを降り、ノクの父さんの家を目ざして歩いていたとき、道端の畑から出てきて私をどやしつけた老人だ。
 老人は蚊帳をはずし、寝床を上げた。マットレスの下の果物ナイフが消えていた。遅まきながら見当違いに気がついた。あの刃こぼれしたステンレスナイフは、護身用の武器ではなく、実際は接着剤の蓋をこじるための道具だったのだ。
「あんたに見せるものがある。来なさい」
 老人は私の返事を待たず、さっさと階段を下りた。早足で突き当たりを右に曲がった。グーチャーンが目前に迫った。
「そのひとは誰かな」
 黄色い祭壇の横から老翁が顔をのぞかせた。机の上にジャスミンの白い花輪と赤紫の線香が並んでいた。日曜日の参拝客を見込んだ辻あきないだった。
「ノクのフェーンだよ」
 老人が答えた。
「そうか、この人だったのか」
 老翁は穏やかに受け入れ、何度もうなずいた。
 老人は象の墳墓の左側の脇道に入り、敷石を離れて左へ数歩進み、一本の低い立ち木の前で立ち止まった。父さんの家からは目と鼻のあいだだった。
 老人が根元にうずくまって、枯れ葉をどけている。白いものが見えた。
 骨だった。
「やめてください。見たくない」
 私はかたく目を閉じ、合掌した。
 老人の目は、そんなはずはない、あんたはノクを見てやるべきだ、ノクに触れてやるべきだとさとしていた。しかし、私にはその意気地がなかった。
「ほんとうです。見たくないんです」
 ノクの遺骨は雑木の根っこに葬られている。落ち葉の墓標の下でノクは土に還るのだ。「少ないけど、受け取ってください」
 老人に三千バーツ手渡した。ノクに渡すつもりで取り分けておいた金だった。
「帰ります。おじいさん、お元気で」
「あんたも元気でな」
 足が重かった。ようよう火炎樹にたどり着いた。
「ノク、ラムプーンにはもう二度と来ないよ」
 炎の花に別れを告げていると、老女が息せき切って駆けてきた。
「葬式のお布施は五千バーツだよ」
 この欲かき婆さんはちっとも変わっていない。まだまだ長生きしそうだ。
「悪いけど、お金はもうありません」
「そうかい。わかったよ」
 老女は回れ右をし、すたすた歩きはじめた。
 バス停まで来て、ノートが借りっぱなしだったことに気づいた。このまま日本に持ち帰ってよいものか、思い迷った。
「こんなものに誰が関心を持つものか。ほかならぬ私が大切に保管するのだ。誰にも文句はつけさせない。ついでにあのスケッチブックももらっておこう」
「思い上がるな、やめておけ」
「ノクは私に読ませるために、このノートをわざわざあの場所に置いたんじゃないのか。きっとそうだ」
「気持ちはわかるが、横取りはよくない。ノクのものはノクに返すべきだ」
「だけど、これがあればノクの心奥がのぞけるかもしれない。あとでノクを書くとき、欠かせない素材になる」
「書きたいのなら書けばいい。だが、どぶねずみのような真似はするな」
「ノク宛ての手紙と封筒はどうする」
「それもすでにノクの所有物だ。まるごとノクの家に残すしかない」
 ノクの家に取って返した。太陽が樹葉に反射してまぶしかった。
 誰もいなかった。腕の時計を見た。一時半だった。
 きょうは十時四十五分にバスを降りた。あのサムローの運転手に会っていなければ、十一時にはここに着いていた。
 手紙にきょうの到着時刻を書き加え、航空便の封筒におさめ、ノートに挟んでベッドの上に置いた。
        *
  きょうは仏歴2535年5月10日です
  とても暑い
   きのう 11時10分 私はノクに会うためにここに来ました
   きょう 11時00分 私はノクに会うためにここに来ました
  ノク、元気ですか
  会えなくて残念です
  手紙を書いてください 
  封筒に私の名前と住所を書きました 
  切手が貼ってあります
  ノクの手紙をこの封筒に入れて、郵便ポストに入れれば日本の私につきます
  チョーク ディー ナ
  追伸 キッ・トゥン ノク
        

第六部 若木

 白いミニバスは国道106号線の並木道を走っている。陽がかげってきた。昨夜おそくバンコクに着き、朝一番の飛行機でチェンマイに飛んできた。今回は正味五日の短い滞在になる。散髪後に昼食をとり、宿で沐浴を済ませ、ラムプーン行きのバスに乗った。最後の訪問から一年四カ月が経過していた。
 火葬場の出入口に大きな看板が立っていた。半透明の長々しい袋を頭からかぶったすりこぎ小僧が、悪童の一群に向かって通せん坊をしている漫画だった。エイズから身を守るためにコンドームを使いましょうという、ラムプーン市からの公告だった。
 火炎樹はおびただしい数の黒い糸くずを枝から垂らしていた。近くで仰ぎ見ると、糸くずの正体はサヤエンドウに似た長さ三十センチの墨色のさやで、同じものが足下に折り重なっていた。火炎樹はマメ科の植物だったのだ。
 最近になって白い柩の疑問が氷解した。二年前に一時出家したタイ人の友人によれば、あれは組立式の寝棺で、寺が無料で貸し出す葬具の一つだそうだ。柩の内側に別の質素な木棺があり、そこに遺体が横たえられている。こちらの棺箱は低廉な費用で調達できるという。焼き場で外棺が取りはずされ、内棺が荼毘にふされる。ノクが納まっていた白い柩は、貧者の最期を飾る借り着だったのである。
 雑貨屋の前の十字路に道しるべが立っていた。「グーチャーンに至る」と読めた。グーの語意が判明した。「グー」は主として北部タイで使用されている用語で「廟・寺」を意味するという。「グー・チャーン」は「象廟」または「象寺」である。
 道標にしたがって左に折れた。舗装が新しいので道幅が広く見えた。気のせいか、ときおり刺すような視線が飛来した。観光客が増えたらしく、二軒の食堂が店開きしていた。息を殺し、小走りに父さんの家の前を通り抜けた。
 ノクはグーチャーンの境内の若木の下で眠っている。敷石から左に三、四歩入ったところだった。特徴のない立ち木だったが、一目で識別できるはずだ。根元が「く」の字に曲がっていたこと、この映像が網膜に焼きついている。
 ノクの木が見当たらなかった。ここだと思うあたりを捜し回ったが、生木が引き抜かれた痕跡もなかった。目前の景色に異同があるのではなく、記銘の段階で不正確な情報が混入したのだ。熱帯の苛烈な日差しにひとしきり直射されると、いつしか視感が変調をきたしていることがある。皮肉にも、それは目を凝らしているときに頻発する。
 敷石との距離から判断して候補は二本しかなかった。根幹の細部までつぶさに見比べたが、どちらも決め手に欠けていた。ただし総合的に判定すれば、受け入れたくはなかったが、左の木に分があった。
 ノクがごみの下敷きになっていた。根回りが瓦礫に埋めつくされていた。投棄されたときにコンクリート片が幹に当たったのか、ところどころ樹皮が剥がれていた。痛ましく、やり切れない光景だった。
さっきバスを降りたとき、私は一つの決心をした。ノクの墓前に立ったら、とことん直情を野放しにしてやる。慟哭しようが、狂乱しようが、醜態をさらそうが頓着しない。生涯にそんな日があっていい。
 喉の奥でむせるような感覚が湧き上がったが、それはさざ波のように全身に伝播し、ほどなくしずまった。この一週間は多事と母の介護で充分な睡眠が取れていない。頭のなかに霧が立ちこめ、体感がおぼろになっている。疲労で情動がなえているのかもしれない。
 グーチャーンから細道をたどり、ノクの家へ急いだ。
 ノクの家のまわりは草藪に立ち返っていた。塀づたいにノクの家へ続くはずの獣道は姿を消していた。身丈をしのぐ草が密生し、見通しがきかなくなっていた。
 両手で草を掻き分けて地面を見たが、靴を踏み入れる余地はなかった。体調を考え合わせると強行突破はおぼつかなかった。おとなしく引き下がることにした。
 隣家の前を通りすぎた。白壁が黄変して見すぼらしくなっていた。真っ白だったブロック塀もかびに蚕食されて黒ずんでいた。
 横道から飛び出してきた黒犬が私を見て吠えたてた。この袋小路に枝道が一本あることは気づいていたが、一度も歩いたことがなかった。ふと探検してみる気になった。
 左折すると両側は果樹園だった。うらなりのラムヤイがぽつぽつと枝に居残っていた。ラムヤイはライチーより一回り小さなラクダ色の甘い液果で、ラムプーンの名産品として知られている。日本では竜眼と呼ばれている果物である。
 百メートルで丁字路に出た。左に行けばノクの家の裏手に出られそうな予感がした。野道を進むと人家が出現した。高塀で仕切られた長方形の新開地に、平屋の一戸建てが立ち並んでいた。そろいもそろって赤い屋根と白い壁の当世風の家だった。
 ぴんとくるものがあった。表門を走り抜け、北側の塀に駆け寄って背伸びすると、はたして見覚えのある高木が視認できた。
 あのマンゴーだ。ノクの家に添うように直立していたマンゴーの木だ。脇にパパイアの木もある。ノクの家は、葉むらが邪魔で見えない。
 雑木林を造成した土地に家屋を配列した小さな団地だった。小豆色のスレート屋根、白いペンキを吹き付けた板壁、ガラス板をはめ込んだ格子窓がことさらめいていた。どの家も高さ一メートルの白いコンクリート塀で囲まれ、敷地いっぱいに建てられていた。小さな家は五十平方メートル、大きな家でも七十平方メートルどまりだった。
 ノクが「あんなきれいな白い家で眠りたい」と駄々をこねた白い家だった。もうあれから二年になる。
 壁板にひび割れが走り、白ペンキが剥離していた。大がかりな補修をするか、捨て値で売らないかぎり、さばけそうにない物件ばかりだった。
 団地の中に人影はなく、世帯特有の生活臭は皆無だった。コンクリの路面の亀裂から雑草が噴き出していた。洗濯物を出している家が一軒あった。家内から話し声が漏れていたが、私の足音が近づくと声がやみ、衣類が取り込まれた。
 不法に居着いた人びとに相違ない。せっかくの新屋がまっとうな住人を迎えないまま立ち腐れようとしていた。
 ラムプーンに大規模工業団地が登場して町はとみに活気づいた。十三軒の白い家は、一攫千金をもくろんだ不動産業者が急造した建て売りなのだろう。
 通り風が吹いてきた。夕陽が西に傾き、夕闇が迫っていた。
  
 午前十時、きのうより日射が強かった。袋道の入口で足がとまった。六年半のあいだ、この小道を幾度となく右往左往したが、それがはるかな過去であったかのような感懐にとらわれた。
 行く手をはばむ草の障壁は高さ二メートルに近かった。この障害物を踏み破らなければノクの家に行き着けない。七時間の熟睡で体力は回復していたが、まともに手向かうのは無謀だった。攻め口を模索しているうち、南北に走る黒い電線が目にとまった。ケーブルの真下に目をやると、そこだけ草丈が半分になっていた。
 草のジャングルに突入した。一歩踏み出すごとに草色のバッタが四方八方へ飛んで逃げた。膝をへそまで振り上げながら十メートル前進すると、廃墟に行き当たった。
 六本のコンクリート柱が空に向かって突き立っていた。錆びた鉄筋の上端に赤とんぼがとまっていた。大小さまざまな砕石が飛散していた。カツサンドのような破片だった。
 コーヒー色の空洞煉瓦を積み上げ、モルタルを塗り重ね、クリーム色のペンキで彩色した壁を、大ハンマーでたたき割ったのだ。ここにあったのはメェーが住んでいた母屋だ。屋根材や床板が消失しているが、再利用できるとみて運び出したのだろう。
 ノクの家は霧散し、草むらになっていた。雑多な野草がからみ合って、見上げるほどの繁みを形成していた。腹ばいになって奥をのぞいた。竹のむしろの片端が草にもたれていた。壁材として使われていた網代だった。ペンライトで照らしてみたが、高床小屋を支えていた柱は一本も見えなかった。
 草間に頭を突っ込んで周囲をさぐったが、二本の椰子とつがいの鹿が描かれた扉は見つからなかった。ノクがこの場で生をいとなんでいた証跡は消滅していた。階段があった場所にこごんで草を払っていると、数個の小さな茶色の丸い缶と空色のサンダルが現れた。
 どっちもノクが愛用していたものだった。缶は赤錆がざらめ様に盛り上がり、印刷面が剥落していた。サンダルは左足だけでもう片方がなかった。
 真上から照りつけてくる白日が熱かった。汗が間断なくしたたり落ちた。胸につかえていた内憤が解凍し、大気に拡散していった。上空は白みがかった青空だった。トンビが二羽、高空で円を描いていた。鳴き声は聴こえなかった。
 背筋を伸ばし、見えないノクの家に向かって手を合わせた。合掌を終えて目を上げると、飛鳥は視界から掻き消えていた。

 疲れが重なったのでこの日は休養した。町はずれのチェンマイ動物園に出かけ、猿と象の檻の前で半日ぶらぶらした。平日の園内は見物客もまばらだった。

 雨は降りやんだものの、雲が低迷していた。けさのミニバスは寒かった。はじめてこの路線バスに乗ったとき、運賃は五バーツだった。二年前に七バーツに値上がりした。
 今年は中古のエアコンバスが投入され、料金は十バーツになっていた。今まで通り冷房なしのバスに乗れば七バーツなので、乗客は数人しかおらず、車内は冷えきっていた。一バーツは四・三円である。
 ノクの木の前に立ったとき、何かしら胸が騒いだ。右隣りの木の根方を見下ろすと、赤褐色に錆びついた小さな円盤が目に飛び込んできた。ブリキの蓋だった。
 三日前は見のがしたものだった。本体はほとびた土に埋もれていた。つまみ上げると、ぼろぼろに腐蝕した接着剤の缶だった。こっちがノクの墓場なのだ。
 あの老人の仕業だ。こんなことをするのはノクの祖父しかいない。私が立ち去ったあと、
ノクの家からこの缶を拾ってきて、わざとここに据えたのだ。
 つかの間の慰安を与えたかもしれないが、このちっぽけな缶はノクの人生を破綻させた悪魔じゃないか。それを墓標にするなんて……、なぜノクをここまではずかしめるのか。憤激に駆られ缶を投げ捨てようとしたせつな、老人の善意が伝わってきた。
 じいさんは私のために目印を置いてくれたのだ。
 つる草が木の根にからみついていた。葉陰に、泥にまみれた枯れ枝のようなものが隠れていた。手のひらにのせて見ると、内部は中空になっていて、軸に沿って深いひびが走り、一端がぱっくり割れていた。
 長さ十二、三センチ、骨なのか木質の残骸なのか見分けがつかなかった。風化が進んで、土の色になじんでいた。
 ノクの木は地上五十センチ付近で松葉のように分岐していた。丈はせいぜい四メートル、見ばえのしない若木だった。数歩さがって緑樹に目をそそいだ。ノクの木は両腕をひろげ数えきれない若葉をかかえていた。
 とりどころのない、どこにでもある雑木だった。ただ、新葉はこよなく温柔だった。双眸にしみ入って、見る者を恍惚とさせた。重ねて新緑に触れるということは、生きながらえるということなのだ。
 柔らかな緑が、葉っぱのへりからしみ出していた。私は葉末に鼻をくっつけ、何度も何度も深呼吸した。
 ノクの木は格別にういういしく見えた。いつか花が咲いてほしいと願った。できたら黄色い花がいい。
 帰りがけ、父さんの家の玄関先に目を走らせた。以前のままのベニヤ板の表札が掲げてあった。居間の押し窓が半開になっていて、人の動く気配がした。錆びだらけのトタン屋根の向こうでバナナの葉が揺らいでいた。

 きょうがラムプーンですごす最終日だ。
「さようなら。ノク」
 二本の幹を握り締めて力まかせに揺さぶった。ざわざわと葉の擦れ合う音がした。
 ノクはラムプーンの太陽と雨にはぐくまれ、ふるさとの緑土に戻りつつある。死は無であると同時に自然の循環に回帰する家路でもある。ひとは本来こうやって土に帰るのだ。
 墓はなくてよい。墓標もいらない。
 桔梗に似た薄紫の花が二輪、地表すれすれで開花していた。
 中天にレンズ状の雲がかかっていた。
「私はもうすこし生きてみるよ」
 銀白に照りかがやく横雲を眺めながら、私はノクに向かってながながと放尿した。

いいなと思ったら応援しよう!