掌編小説 outburst


 お前は人を殺してきたんか。ハイそうですけどなにか。と言いたそうなクッソ汚え顔をあと15分も見てなきゃいけないのか。吊り革の掴み方までだらしないフリーターに自惚れやがって。ちったあ目の前で熟睡してるサラリーマンを見習え。ああ座れたら良かった。
 イヤホンの充電が切れている。ああ、cabsが聴きたい。役立たずの中華製イヤホンめ。二度と買うか。Amazonのレビュー欄に草生やしてやろうか。ふはっ、と腐ったような笑い声が漏れ出る。隣に立つ、化粧臭そうな女の持つカバンが俺の左腿を打つ。別にどうでもいい。
 「おい。何か聴きたい」
 車内のくたびれ切った豹どもが一斉にこちらに突き刺すような目を向けてくる。俺は声がでかい。何に腹が立ったわけでもないけど、ますますでかい声が出したくて、スマホに向かって叫ぶ。
「なんか聴かせてよ。できれば歌って」
 ちょっとの沈黙の後、「いかにも」な歌謡曲がスマホの向こうから聞こえてきた。大しておもしろくないのに笑う。
「なんそれ。ウケる。ねえ歌ってよお願い」
 え、俺叱られたの?絶妙なタイミングで遅延のお知らせが車内に流れる。
「そうだよ。電車の中」
 それなら、また、と言って悠樹は電話を切りたそうな雰囲気を滲ませた。
「うるせえ無視んなこのクソ童貞が」
 どっかの図書委員してるアニメキャラみたいな笑い方で悠樹は笑った。

 起きたらストロングゼロとサッポロ黒ラベルの缶合計12本に身の回りを囲まれていた。一瞬頭が固まる。やべえ、バカか俺。まってろエグチ。俺はお前を宇宙一愛している。今日のために昨日からコーデも考えてたんだよ♡最高にかっこいい俺がお前の新宿ANTICNOCKでの勇姿を見届けてやる。
 
 できれば最前を取りたかった。最前からエグチの顔にアルコールぶっかけてやりたかった。背の低いのび太くんみたいな男とやたら背の高いモアイみたいな顔の男に挟まれて立つ。女子が前より増えたな。まぁ、あいつ顔面偏差値で言えばどっかの国公立大学くらいはあるもんな。女にエグチアキラの良さが絶対に分かるものか。
 ステージの照明が落とされる。サポートメンバーが出てくる。サポートメンバーが出てくる。サポートメンバーが出てくる。俺の最愛の、エグチが、俺と、2時間、濃厚な、アンプロセッスド接触を行うために、Gibson ES-335を携えて、やって来る。
 俺は籠絡されている。

 愛した君が たとえ一輪の花に化けようとも 僕は 都合のいい 前から3両目のこの優先席を 譲るつもりはないよ
 愛した君が たとえ排水溝に絡まって沈んでいっても 僕は 永遠に 不愉快なこの日記帳を 誰にも譲らないで このまま…

 愛している。愛している。エグチを愛している。この空間を愛している。この時間を愛している。右手に握りつぶしたアサヒスーパードライの缶も愛している。左隣のお兄さん、愛している。右隣のお兄さん、愛している。寒いこの部屋も愛している。背中を流れ落ちていく汗も愛している。
 心地のいいめまいを感じる。主張のあるベース音が腰のあたりを震わせる。エグチが60フィート先にいる。エグチが目の前にいる。首筋から俺は舌を這わせる。白くて美しい顔を両手で包み込む。まぶたに幾度となくキスを落とす。エグチはなにも言わない。言われなくても分かる。見てくれてるんでしょ、俺のこと。ねぇ、キスしてよ。エグチが微笑む。俺はあの子とキスしたいから。

 目を開けると汚いビルの壁と、そこに挟まれたものすごく色の薄い空があった。服はちゃんと着ていた。転んで打ったのか、頭が痛い。信じられないくらい激しい尿意を催している。
 くしゃみをした。その勢いで漏らした。ははっ、どうでもいいやと頭の中で呟く。硬い路面に寝っ転がったまま、俺はジョロジョロと排尿し続けた。尻が冷たい。雀が1羽とんでいって、そのあとをカラスが1羽追いかけていった。スマホはトートバッグの中に入っていた。
「おい。俺今排尿中」
 悠樹はかなり眠たそうだった。
「今終わった。ねえなんか歌ってよ」
 ちょっと向こうのほうで、声の高い女が楽しそうに笑っている。たまにギャハギャハと下品に笑う。
「ねえってば。歌ってよ」
 ゴソゴソと布の擦れる音が聞こえた。しばらく、俺は黙ってスマホを握っていた。ちょっと寒くて身震いした。

 屋根より高い僕の夢 大きいかもねと人は言う
 小さい夢ならつまらない おもしろそうに見えるでしょ

「眠い。おやすみ」
「うん、おやすみ」


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