粉砕
挫折を味わう時、心は壊れる。
それが数個の破片であれば、継いで元に戻すこともできよう。
しかし、文字通りの「粉」になるようなこっぱみじんの粉砕だったらどうか。
継いで元通り、というわけにはいかない。
私が離別で感じたのは、心の粉砕だった。
小手先の言葉でちょいと継げば元通りになるような傷ではなかった。
もう元には戻らない粉々の心を抱えて、どうすればいいのか右往左往。涙に暮れる日々。
神様がいるかどうか知りませんけど神様、あと何百cc涙を流せば私は泣かなくなりますか。
何箱のティッシュを空にすれば私は瞼を腫らさずに済むのですか。
どれほど問うたかわからないが明確な回答はなかった。
自死をしない1日、を1日1日更新した。
来週のこと、来月のこと、来年のこと、そんなことは私の頭にはなかった。
明日生きているかさえわからなかった。
経済基盤の再建、生活の再建、そういったことをしながらも、涙は流れ続ける。
精神科の先生は眠れない者に眠れる薬を処方するだけであり、涙が止まらない者の涙を止めることはできない。
カウンセラーは愚かなことに、自分語りをし始めた。
私を否定したカウンセラーさえいた。
助けを求める手は何度もぴしゃりと叩かれてしまうのだった。私の口はやがて何も語らなくなった。
自分から目を逸らす時間が必要だと思ったが、
あいにく、本を読めば文字が目を滑り、ラジオをひねれば音がうるさくてかなわない。映像など、もってのほかだ。詰んだ。
しかたがないのでインターネットの深海を泳いだ。苦しい、つらい、それだけをただひたすらつぶやいた。それ以外、手段がなかった。返事はないが、発信していることで、外在化させたと思いたかった。
具体的にいつ泣き止んだのか、記録しなかったためわからない。だが、生き続けた者だけが、泣き止む日にたどり着く。
昨日がすでに過去であるように、離別した日も涙に暮れる日も1日1日、過去になる。終わる。終わるのです。永遠じゃない。
いつかなんてものは信じられるものではないことくらい知っている。残念ながら早送りもできない。それでも。