これは お稲荷さんからの『御礼』なんだな。と思うことにした。
2023年1月25日の午後からの出来事はきっと、お稲荷さんからの御礼なんだと思うことにした。
昨年11月7日。いつも歩く散歩コースを大きく変え、私は三津の町に来て初めての道を歩いていた。
すると、もう随分ほったらかしにされたような錆びた鉄の鳥居が、急斜面に向かっていくつも建っている場所に出くわした。
手すりも錆びつき、危険な急斜面の階段を慎重にあがってみると。
どなたかが御世話してるんだろうな。という雰囲気が感じとられる小さなお社が建ってあった。
ポッケの中にいまは使われていない昔の百円玉をたまたま忍ばせていた私は、それをお供えして手を合わせ帰った。
新年明けて1月1日。
なんとなくあのお稲荷さんに会いにいきたくなったり新年の挨拶も兼ね足を運んだ。
すると、やはりどなたかがお世話されているようで、飾りしめ縄が飾られ、松山名物の揚げが封を切ってお供えしてあった。
それをみて私はただ、嬉しいという気持ちになった。
旧正月(1月22日)。
この日もお稲荷さんへ足を運ぶ。
斜面の階段を気をつけながらあがる私はふと。
すごくざわついた気持ちに襲われた。
1月1日に私が供えたお酒の瓶が割られてあったのだ。
ざわざわした気持ちを誤魔化すみたいに「そうか。お世話されてる方が飲んで、それをここで割る風習なんだ。」と無理やり思うことにした。
だけどざわざわした気持ちは到着するや否や、いっぺんに心が折れた。
獣ではなく、あきらかに人間の手で社が一部壊されていた。
中にあったロウや、小さな八咫鏡もあったような気がしたんだけど、それも無くなっていた。
あたりをうろうろしながら壊された破片を拾い集めたり、投げ飛ばされていたロウを元に戻したりしたあと、長い時間手を合わしていた。
だけど残念なことに そこにあった(いた)だろう何がしはもう、いなくなっていた。
悲しい気持ちに決別できない私は1月25日水曜日、またお稲荷さんに足を運んだ。
悲しい気持ちはずっと悲しい気持ちのままだ。
あった気がした小さな八咫鏡をまたウロウロ探したけれど、見つけられない。
(後日、コーナンで売ってないか探したけど売ってなかった)
いや、『あった気がした』なので最初からなかったかもしれないけど、八咫鏡を置き飾る木彫りの台だけ新しいものだったからあったはずなのだ。
この日も私は長い時間手を合わせ、ある言葉をずっとつぶやいていた。
帰宅途中、出くわした近所の方にあのお稲荷さんをお世話しているのは誰なのかを訊ねると誰も知らないという。
一度だけ、車に乗った男性がやってきて水と榊の木を持って上がっていくのを見たという方がいた。
車に乗ってくるぐらいだから、少し離れたところに住んでいる方なんだろうと、その方と話し落ち着いた。
そしてこの日の午後。
決して晴れ晴れしていない気持ちではあったけれど、茶舗の中で縫い物に精を出していた。
店は定休日だった。
にもかかわらず、ひとりの男性がタロットをしてほしいと訪ねて来られた。
手には美味しそうなたこ焼きを持って。
「よかったら一緒に食べませんか?」と。
4時を過ぎると、近所の子供らがわらわらわらわらとやって来て、私の気持ちとは裏腹な騒ぎで盛りあがっている。
その中のひとり、小2のこっちゃんが
「キャンベル!これあげる!キャンベルのために買ってきた!」と三津の商店街の人気パン屋さんから買ってきたパフェ缶を私に差し出した。
まぁまぁ清水の舞台から飛び降りる値段の代物である。(私にとってはね)
「美味しいよ!食べっ!」
腹の底から力強い声で言った。
夜…。
この日の出来事を感じていた。
休みの日に人が訪ねて来ることはよくある。
家兼店だし、店の前を歩いて気になった人が入って来ることなんてよくある事なのだ。
ただ、『お土産』がそこにあった。
そのお土産だって、持って訪ねて来られる方だっている。
学校を終えた子供らが遊びに来ることだって日常茶飯事だ。
こっちゃんが私にお土産を買ってきてくれる事だって初めてじゃない。
だけど私は。
1月25日の午後からの出来事、男性が訪ねて来てタロットしたり、子供がわちゃわちゃやって来たことやこっちゃんが私にくれたお土産。
それらはきっとお稲荷さんからの御礼なんだな。
と思うことにした。
そんな雰囲気をまとったような午後だったから。
こっちゃんが私に買って来てくれたパフェ缶を、紅茶と一緒に頂いた。
甘くてうめぇ〜
いちご最高〜
ちなみに。の話し。
私は決してスピ人間ではない。
なんてったって座右の銘は『下ネタこそが国境を越えるっ!』(どぉ〜ん‼︎)