演奏解釈の理想と本音
今日、とても嬉しいことがあった。
私が以前YouTubeで公開した
アーベルの無伴奏に
"sincere"と、好評コメントをいただいたのだ。
あの録音は、今から振り返っても
大きな葛藤のなかで弾いたことを
よく覚えている。
こういうアーティキュレーションで
こういう音色で
こんな風にディナーミクをつけたらいいと
形にするイメージは見えていたものの
心と身体がそこにどうしても沿わない。
人にもよると思うけれど
私は、音の形だけ理想に合わせて
作ることは嫌だった。
その時には、内面になにがあったのか
掘り下げれば、色々出てきたのかも知れない。
でも、そこまで余裕がなくて
なんとか自分と音が分離しない所を
探りながら弾いた演奏動画だ。
だから、器用な演奏ではないと思う。
でも、あの時の、葛藤の上での表現を
その様に捉えていただいたのだから
感じたことのない、新しい喜びになった。
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生命の樹には縦に3本柱があり
右の柱が「慈悲」、左の柱が「厳格」を
それぞれ表すと言われる。
演奏で、音色を決めたり
演奏解釈を持っていくのは
いわば、左の柱による作用になる。
右の柱は
形にならないけれど、広がるイメージ。
楽しく、心地よいものだけれど
形を持たない以上、
演奏としては伝わりにくい。
この柱を繋ぐのが
「女帝」「力」「塔」のカードになる。
「女帝」はもっとも穏やかに
「力」は力強く
「塔」は半ば強引に
この二つを繋いでいく。
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この両者を繋げる大切さは
表現においても
昔から、大切にされていた
エネルギーだったのだろう。
そう思うと、勇気づけられる。