「山本有三記念館春の朗読コンサート2024」に寄せて②
「山本有三記念館春の朗読コンサート2024」に寄せて②
今回の演奏会は
山本有三の文学作品朗読と一緒に
ヴィオラダガンバを弾きます。
以前に、この企画でお声掛けいただいた時は
アーベル、ドゥマシ、ヒュームを弾きました。
最初から無伴奏の曲です。
今回は、チャレンジしたい意味もあり
フォルクレ、シェンク、キューネルを選びました。
🌿🌿🌿
先日、他の演奏会で
マレのことを話しました。
マレは、リュリの亡きあと
オペラの作曲、指揮及び指導を担ったことに
軽く触れました。
何気なくした話でしたが
数日後、よく考えてみたら
そういった、大編成を従えるポストに
ヴィオル奏者が就任するのは
珍しい気がしてきました。
普通は、チェンバロの人ではないかと。
では、チェンバロの何が特別なのかというと
音域の広さと出せる音の多さから来る
オーケストレーションなのだなと
改めて、思いました。
そして、マレは
ヴィオルの中に、
一つのオーケストレーションを
見出していたのだろうなと。
🌿🌿🌿
それは、ドゥマシが
ヴィオルを完全楽器として世に紹介し
認知されるべく
「ヴィオル曲集」を出版したことと
発想が重なるようにも思えます。
一般にヴィオラダガンバ史の認識では
ドゥマシは、同時期のサントコロンブと
奏法及び作曲法において対立し
ドゥマシの方法論は複雑だったため
継承されることなく、
廃れたことになっています。
しかし、サントコロンブの育てたマレが
ヴィオルの中に
オーケストレーションを見出す中で
沢山の偉業を成し遂げたのだとしたら…
対立を越えた、ワンネスを
その根底に感じてしまいます。
いずれにしろ
当時のヴィオル奏者たちが
音楽作品の一端や上澄みに触れるのではなく
ヴィオルの幅広い音域や
重音による表現力
そして、楽器の持つ利便性すらも超えて
音楽作品を総合的に捉え
表現することを目指していたとしたら…
過去の先達の志に沿って
自分の演奏姿勢を見直していきたいと
思ったのでした。
🌿🌿🌿
話は逸れましたが
今回は、無伴奏として作曲されていない作品を
朗読と一緒に
無伴奏で演奏します。
私の中では
ヴィオラダガンバで
「朗読する」イメージです。
キューネルは、通奏低音譜と伴に
出版されてはいるものの
本人による序文の中で
無伴奏でも演奏可能なことが
記されています。
そういった序文はなくても
ヴィオラダガンバの曲には
通奏低音ラインとのユニゾンが
かなり出てくるものが沢山あります。
その中から、プログラムを組みました。
手探りではありますが
ヴィオラダガンバのオーケストレーションを
もっとはっきり感じていかれる奏者になれるよう
今回の、無伴奏のよる「朗読」で
挑戦してみたい思っています。
🌿🌿🌿
三鷹市山本有三記念館
第15回春の朗読コンサート
朗読:野田香苗
ヴィオラダガンバ:藍原ゆき
随想『竹』他
Aフォルクレ
『ヴィオルと通奏低音の曲集』
(1747年パリ出版)より
第1組曲から「ラボルド氏のアルマンド」
第2組曲から「ブレイユ氏」「ルクレール氏」
Aキューネル
『1台もしくは2台のヴィオラダガンバと通奏低音のためのソナタ、パルティータ集』
(1698年カッセル出版)より
ソナタ11番ニ短調
Jシェンク
『楽の戯れ』
(1701年アムステルダム出版)より
組曲ヘ長調より「ガボットのテンポで」
2024年5月24日(金)、25日(土)
18:00開演
詳細はホームページをご覧ください
↓
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/event/20240524_25/