谷本潤様よりご感想をいただきました
ヴァイオリニストの谷本潤様より
「フランスいにしえの吐息」について
丁寧なお言葉をいただきました。
ご本人のご了承を得て
こちらにご紹介させていただきます。
自律的、他律的とは
最近、私も
演奏に関わらず、生き方のアプローチとして
意識することが多いです。
ユング心理学や、ほかの古典的な思想でも
「一即多」のようなものがありますから
最終的には、向かう先は同じようにも思います。
こちらの、いただいたお言葉
私に対して、ということを越えて
作品の聴き方を提案する
鋭い視点だと思います。
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寒中お見舞い申し上げます。
寒に入ったとはいえ、毎日寒いですがお変わりありませんか?
藍原さんの演奏の感想を改めてと言いながら、遅くなってしまいました。
何度か聴かせていただいていますが、何しろ古楽器奏法や古楽そのものについても知識があまりないので、見当はずれの感想になってはいけないので、いわゆる音楽批評家とは違う視点から書かせてください。
藍原さんの演奏は、前に中野でライブを聴いたときにも思いましたが、僕の演奏と共通点があるかもしれません。
以下は推測なのですが、藍原さんの演奏は「自身の音楽に対して自律的である演奏」に聞こえます。
それは誰でもそうではないかと思われるかもしれませんが、少なくともヴァイオリンで言えば、例えばパガニーニの難曲を例にとると分かりやすいですが、パガニーニの24のカプリスが名演に聞こえるためには、いくつか必要な条件があると思います。
一定の広さの会場で後ろまではっきり聞こえる音量、
粒立ちのいいスタカート、明るく響く重音などでしょうか。
これらは先ほど書いたように「名演に聞こえる必要条件」であって、必ずしも各奏者の本当に表現したい演奏であるかは分かりません。
むしろ名演奏に認められるような演奏でなければならない、という他律的な演奏である可能性があります。
僕は必ずしも、このような演奏や表現を目指していないですし、それが演奏の目的でもなく、自分がどういう音楽を表現したいのか、そしてそのためにはどのような音がふさわしいか、など突き詰めて考えて演奏するタイプだと思っています。
藍原さんの演奏にも、そのようなものを感じます。
間違えていましたら申し訳ありません…
ただ、それを少なくとも僕は独善的な演奏とは思いません。
先に書いたように「自身の音楽に対して自律的な演奏」として、とても惹かれますし、当然ほかの誰でもがなしうる演奏ではない、だからこそ他ならぬ「その演奏家」を聴く意味があると思っています。
「自身の音楽に対して自律的な演奏」を目指すのは、独善的で楽などころか、大変な努力や忍耐力を要する、尊い行(ぎょう)だと思います。
他者の物差しに従うほうが楽なことは、
演奏以外でもよくあることだと思いますから。
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「フランスいにしえの吐息」
本日、全国で発売開始となります。
応援よろしくお願い致します。
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「いにしえの吐息」
France, the ancient sigh
ヴィオラダガンバ 藍原ゆき
チェンバロ 渡邊温子
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