友だち付き合いに疲れているひとへの言葉のお薬。
どうも、別格です。
ことばの薬剤師をしています。
今回のお薬ことばはこちらです。
この言葉に出会ったのは割と年若い思春期のころだったと思う。
「ともだち100人できるかな♪」と歌われていたように漠然と友だちは多い方がいいと思っていたわたしには衝撃的な言葉だった。
と同時に「なんだ、それでいいんだ」と、すごくほっとしたのを覚えている。
友だち作りが苦手だったわけではない。
女子小学生あるあるに出てくるような自分だけお誕生日会に招待されていなかったという悲しい思い出もない。
ただ余所の大人に人懐っこく話しかけるほどではない、そんな普通の子どもだった。
中学に上がってもそれは変わりはせず、行動を共にする仲の良い友人もすぐにできた。
今ほど「陰キャ陽キャ」という括りや「スクールカースト」などもない時代であったが、修学旅行のグループ分けでハブかれる心配をすることとも無縁だった。
その後も友だち作りに苦労することなく現在に至っている。
こう書くと友だちが多いように思われるがまったくの逆だ。
少ない。極端に少ない。
友だちをたくさん作ろうと躍起になったことがないのだ。
友だちが増えるのも減るのも無頓着になったという方が近いか。
でも自分を変えてまで友だちなんていらない!と意固地になっていたわけではない。
自分なんて変わっていくもんだ。
多少のキャラ変で自分が変わってしまうならその程度の自分なんだろうと思うだけだ。
新しい自分が見つかるかもしれない可能性として新しい友人とも付き合いはする。
その一方、同意しかねることに協調性を求められたら距離を取る。
距離を取るとは言っても、明日から友達やめるね、と宣言するわけではない。
わたしはこっちに行くね、と進みたい方向へ行ってしまうので自然と距離ができるんだと思う。
ただ、仲間外れになってしまうことや友達が減ることを恐れていると、なかなかそうはできない。
わたしだって流されてしまったことはあるし、本当に疎遠になってしまうこともある。
でもそんな時に、冒頭の言葉がわたしを楽にしてくれるのだ。
友だちは少なくてもいいんだった、って。
量より質を重んじてあるわけではない。
量が大事な時だってあるし、量を確保できるのは才能だと思う。
ただわたしの友情の適量はこのくらいですっていう話。
今日、明日あたりから新学期という人も多いかなと思うんだけど、人間関係には人それぞれ楽につきあえる適量があるんだよってことを知っておいてほしいなと思います。
ではお大事に。