子どものいない母乳育児
今日は産後、私をかなり悩ませた母乳について少し…。
母乳で育てるのか、ミルクで育てるのか、
それとも混合なのか、
ママたちはみんな、子どもを授かった時から、
育児中も、いろいろ悩み考え、自分に合った方法を選択していると思います。
私も同じでした。
私の場合は双子だったので、体力的にも量的にも完全母乳は厳しいだろうと考えていました。
でも、母乳が出るなら出来るだけ与えたい気持ちもあったので妊娠中から混合を想定していました。
双子だと哺乳瓶は何本いるんだろう、、、。
粉ミルクはどのメーカーにする?
消毒は煮沸、薬液、電子レンジどの方法?
自分なりにたくさん調べて情報収集を進めていました。
そんな中、出産準備もそこそこに緊急入院となってしまい、そのまま帝王切開による出産を迎えました。
ありがたい事に、出産当日から母乳が出てくれたので、初乳を2人に与える事ができました。
3ヶ月も早く、さらに陣痛などはなく、急な手術での出産だったにも関わらず、人間の体は良く出来ていますね。
術後、麻酔が残っていて身動きのとれない私の代わりに、助産師さんが私のおっぱいを絞って
赤ちゃん達のいるNICUに届けてくれました。
といっても、3ヶ月も早く外へ出てきた赤ちゃんたちはまだ自分で飲むことは出来ないので、
綿棒に染み込ませ、与えてくれました。
そこから母親としての最初の仕事。
搾乳の日々が始まりました。
産後すぐは母乳量が安定していないため、
約3時間ごとの頻回授乳が基本です。
ですが、赤ちゃんたちはNICUの保育器の中にいるため直接授乳することが出来ません。
赤ちゃんに飲ませる代わりに、おっぱいを絞って母乳を出す、「搾乳」をする必要がありました。
私の入院中は、搾乳後すぐにNICUへ届けることが出来たので、新鮮な母乳をすぐに与えることが出来ましたが、私が退院してからは、それが出来ないので、家で3時間毎に搾乳し、冷凍したものをまとめて病院に届けました。
自宅から病院までは車で片道1時間かかるので、
母乳が解けないように保冷バックにこれでもかと保冷剤を詰めて、持って行きました。
3時間毎に搾乳をして冷凍する。
そしてそれを片道1時間の病院へ届ける。
これが産後の私のルーティンとなりました。
しかし、これがなかなか辛かったです。
産後は寝られないとよく聞きますが、
それは赤ちゃんがそばで泣いて、
おむつを替えたり、授乳をしたり、寝かしつけしたり。
でも私の場合は、赤ちゃんたちは側で泣いてくれません。
夜中も自ら起きて、搾乳しなければなりません。
帝王切開の傷もまだまだ痛むので、初めのうちは起き上がることも一苦労でしたし、
12月の末の出産だったので、寒さも相まって、
起きるのが本当に辛かったです。
きちんと夜中も起きられるようにと、
階段の上り下りも辛かったので、
2階の寝室ではなくリビングで寝ていました。
またその頃、乳頭も頻回の刺激と乾燥で
血が出るほどに荒れていました。
寒さも厳しい中、産後でボロボロの体。
細切れ睡眠で寝不足なうえ、
乳頭トラブルで強い痛み。
この頃は今思い出しても泣けてくる程、過酷で辛かったです。
何とか頻回搾乳を続けていましたが、
母乳量はある一定のところから増えなくなりました。
一方で赤ちゃんたちは1回に飲める量がどんどん増え、届けている母乳だけでは足りなくなっていきました。
赤ちゃんたちの成長に嬉しい反面、焦りと不甲斐なさを感じていました。
何とか母乳の量を増やしたくて、1日に2リットル以上の水を飲んでいました。
これだけの量を飲むには、かなり意識しないといけないので、これも地味に辛かったです。
赤ちゃんたちは、ぐんぐん飲む量を増やしていくので、私の母乳だけでは到底追いつかなくなったので、どこからか諦めがつきました。
それでも今出ている分だけでも維持するために
頻回搾乳は続けました。
そんな辛く苦しい搾乳の日々も、
赤ちゃんたちの退院に合わせて、必要がなくなりました。
代わりに、いつでも直接授乳が出来るようになりました。
といっても、現在は結局ほとんど粉ミルクに頼っています。
直接授乳は栄養投与ではなく、母にしか出来ないスキンシップのひとつとして、気楽に続けています。
入院中の我が子たちに唯一してあげられることが、母乳を届けることでしたが、
夜中起きれない事も多々ありました。
寝過ごして、まだ暗い明け方静かなリビングでひとり、罪悪感と不甲斐なさで泣きながら搾乳したことも、将来良い思い出になると思います。
もちろん今でも寝不足は続いていますが、
夜泣きでしんどくなったとき、
泣いて起こされることがどれだけ幸せなことか、
時々この経験を思い出そうと思います。
長くなってしまいましたが、
ここまで読んでいただきありがとうございました。