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京都へ行こう

終わりの始まりでもあり、
始まりの終わりでもある、

そんな12月が始まった。



旦那が「日曜日は予定がなかったらどこかへ行こう。」と珍しく提案をしてきた。

わたしは1日考えて、
「みんなで京都へ行きたい。」と返事をした。

数日前に、友達から教えてもらったグッチの日本上陸60周年記念展に行きたくなったからだ。

いつもなら即答で「無理!」と言われることなのに、旦那は少しだけ迷ってから「いいよ。行こう。」と答えてくれた。



家族でお出かけの日は、いつもならマイペースに自分時間を過ごし続け、出発時間になっても準備をしない旦那にわたしがイライラをぶつけ、喧嘩しながら遅れて出発するのが常だったのに、早めに準備をしてくれていた旦那のおかげで、予定より早く出発することができた。

秋空の広がる京都までのドライブは、終始無言でハンドルを握る旦那を横目に、足早に通り過ぎる山々の景色を追いかけていたわたしは、いつのまにかウトウトと寝てしまい、気がついたら紅葉の少しだけ残る京都に着いていた。

安くてちょうどいい場所にあったコインパーキングに車を停めると、旦那は娘と美術館の隣にある動物園へ、わたしと息子はグッチ展のやっている京セラ美術館へと向かった。

当初、旦那は美術館にも行きたいと言っていたのだが、娘だけは動物園へ行きたいと頑なだった。

いつもの旦那なら、無理をしてでも自分の意見を通そうとして、わたしや子供たちと言い合いが始まるのに、あっさり娘と動物園へ行くことを受け入れたから、言い合いになることはなかった。

集合時間と場所だけなんとなく決め、二手に分かれたわたしたちは、家族みんながそれぞれの場所で、それぞれの時間を楽しむことができた。

息子と行ったグッチ展は、見事なまでに素晴らしいの一言に尽き、グッチワールドそのものをテーマパークのようなワクワク感としかけで楽しませてくれて、最後まで飽きることなく終始息子とはしゃぎきった。

展示を見終わってもなお、家族の集合時間までに余裕があったわたしと息子は、併設のカフェでアイスを分け合いながら残り時間を楽しんでいた。

「アイスを食べたことは二人には内緒にしとこうね!」などと、他愛もないおしゃべりを繰り返していたら、ふいに旦那と娘の姿が遠目に視界に入る。

どうやら旦那もお茶をしようとカフェに寄ったところだった。

息子と約束をしたばかりの秘密が、簡単にバレてしまった気まずさは残しつつも、連絡を取り合うことなく自然な形で再会を果たしたわたしたちは、時間もちょうどお昼をまわっていたので、みんなでランチをしに美術館を4人で後にした。

通りすがりに見つけたそば屋がたまたま4人とも気持ちのタイミングがあったのでランチはここにしようということになり、数人待ってはいたが、さほど待たされることなく店内に案内されランチと会話を思う存分に楽しんだ。

ランチの後はすぐ目の前の平安神宮へお散歩がてら4人でむかい、4人揃ってお参りを済ませ、その後のプランは、わたしと子供たちは再び動物園へ、旦那は一人ショッピングをしに祇園へ行くということで違和感なく意見が一致。

携帯の充電がお互いに残り少なくなっていたので、連絡が取れなくなったら集合場所は車ということだけは決めて、再び二手に分かれた。

動物園での子ども達は、ただただ見たい動物を見たいだけみて、ただただいたいだけいて過ごしていた。

わたしはそんな子供たちと、ただただ過ごしたいだけ過ごし、一緒にいることをただただ楽しみたいだけ楽しんだ。

帰り道は、お土産を買ってもらえたことによるハイテンション気味な子供たちとわたしで、車の停めてある駐車場へとキャッキャしながら歩いていた。

すると、前方からふらっと旦那が現れた。

またしても偶然の再会だ。

コンビニへ行く途中だったと言う旦那に、「まだ寄りたいところがあるから行きたいのだけど。」と言うと、いつもなら「疲れるからもう帰ろう。」と言うのに、「いいよ。」と言うから、結婚前に友達と行ったことのある"タルトタタン"で有名なラ·ヴァチュールという思い出の喫茶店へ20年ぶりくらいに行くことができた。

帰る時間になって、駐車場に着くや否や、車の鍵がないことに気づき、最後に行った喫茶店へ置き忘れた鍵を取りに戻らないといけないハプニングがあったが、いつもなら怒って感じ悪くなる旦那なのに、怒るどころか「俺が走って取りに行くから待ってて。」と冷静に言うから、感じ悪くならなかった。

お出かけ中の会話も、いつもなら必要以外の話はしない口数の少ない旦那なのに、食事中も、並んで歩いている時も、帰りの車の中でも、途切れることはなかった。

それは

本音で話して本音を聞く。
本音を聞いて本音を知る。

わたしがずっとしたかった言葉のキャッチボールが終始続いていた。


こんなに最初から最後まで違和感なく楽しめた家族のお出かけは今までになかったのかもしれないと思えるほどに楽しかった。

こんなにもたくさんおしゃべりしたのも初めてなのかもしれないと思えるほどに色んな話しをした。

喧嘩や言い合いなど起きる余地はなかった。


向き合うこと。
寄り添い合うこと。
理解しようとすること。

簡単なようで難しくてずっとできなかったこと。
馴れ合いからずっと見過ごし続けてきたこと。

いつもなら一方的だったのに、ここにきてやっと旦那とできたことは素直に嬉しかった。




終わりの始まりでもあり、
始まりの終わりでもある12月。

それは自分の中で何かが完結をし、何かが始まろうとする新しい予感のようなものでもあり、そんなスタートを12月入ってすぐにきれたことは、この上ない幸せの始まりの始まりでもあった。

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