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自分がわからない

自分のことがよくわからない。


人に言われたり、占いで知ったり。

時にいろんな現象を通した時に出てくる見たことのない自分にびっくりしたりすることもある。

いつまでたっても、どこまでもわからないのが自分だ。

けれど、それでいいのだと思う。


人に言われた自分も、
占いで発見できる自分も、
現象を通して知る自分も、
ほんの一握りの自分に過ぎないのだ。


結局、人生のほとんどが自分を知るための、自分をとことん探していくための、その為の人生みたいなところもある。


いつまでたってもわからない自分だけど、自分を探し続けることは、自分というものをとことん自分として、よりズレのない自分で生きていけることになるのだろうと思うし、探した先の新しい顔の自分を発見し続けられるということには個人的に人生においての面白味をすごく感じてしまう。


そうやって自分を面白がっていられれば、大なり小なりのあらゆる逃げたくなるような嫌な出来事が起きても、真正面から立ち向かう勇気にもなると思うし、大抵の荒波だって面白がってサーフィンしているうちに気がついたらクリアしていた、みたいなことになるのだろうと思う。


きっと、死ぬまで全ての自分を知ることはない。


だからこそ、自分をとことん生きて、その都度出てくる自分をたくさん見つけ続けて、その都度出てくる自分をたくさん知り続けて、自分というものを制限なくどんどん大きくし続けていけば、その先のまた先の先に、キラキラと光り輝く揺るぎないもう一人の自分が大きく手を振って待っているのだろう。

人生にゴールというものがあるのだとしたら、今世はそんな光景に出逢える最後にしたい。

その日がくるまで、ゲームをするように面白がって自分を生きて生きて生き抜きたい。

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