叔父さんがくれた時間
空っぽの体をみたとき、
あぁー、やっぱり魂ってあるんだなぁて思った。
ほんとうに、ほんとうに、ただの容器となったような叔父さんの体が、箱の中に横たわっていた。
母の兄が亡くなったと連絡をもらい、少し遠い町まで夜の高速をひとり車を走らせる。
叔父さんはとても優しい人だった。
世帯は持たなかった叔父さんは、姉もわたしのことも成人過ぎても子供扱いで、本当によく可愛がってくれた。
"ありがとよー"
"ありがとさん"
"ありがとねー"
叔父さんの優しい声が繰り返し聞こえてきた気がして思わず涙があふれた。
"地球で生きてみて楽しかった?"
こんなときは、亡くなった人にしかわからないことを聞いてみたくなる。
叔父さんの通夜には、同じ県内に住んでいる親戚数人も集まり、病気してただの、離婚しただの、なんか同窓会みたいだねぇと、久しぶりの再会に話の花を咲かせた。
通夜が終わってみんなが帰った後、斎場で一泊することにしていた母と私は、空っぽの叔父さんと同じ部屋で夜を過ごした。
「夜中に棺がガタガタうごいたりして!」とか、「なんか旅行してるみたいで楽しいね!」とか、一番星を一緒に探しながら近くのコンビニまで散歩したりとか、久しぶりの母との二人っきりを過ごす。
翌日の朝は、遠くの山々の影がとてもきれいに見える見事な秋晴れの空が広がっていて、旅行気分の抜けない私たちは、昼までの空いた時間を利用して観光することにした。
向かった先は「桃太郎神社」というところで、少し前に、わたしの大好きな人から教えてもらった神社で、後に色んなシンクロが続き、とっても行きたい神社のひとつになってはいたものの、住んでる場所から微妙に遠いのがネックで、なかなか行けずにいた神社だった。
秋の気持ちがいい風の吹く中、母とのドライブデートがはじまった。
30分ほど車を走らせて着いた神社は、噂に聞いてた通りのめちゃくちゃ個性的な神社で、いたるところにシュールな置き物や、桃のマークやらがわたしの大好きゾーンをいちいちついてくる神社だった。
境内や神社の後ろにそびえ立つ、山々からのエネルギーも凄まじいものがあって、終始高鳴る胸とエネルギー酔いに軽くクラクラしながらそれぞれ思うままに過ごした。
神社を堪能した後は、駐車場までの道のりにあった旅行気分高まるお土産屋さんも忘れずにチェックし、行きとは違う道で見つけた小さな川で小魚の群れを見つけては2人はしゃいだり、今まで聞いたことのない姉の最上級の伝説な話を母が教えてくれたり、叔父さんがくれた母とのかけがえのない二人時間はとても楽しく穏やかに過ぎていった。
母といると、わたしはいつも子どもの頃のわたしにもどる。
親子って不思議だなぁと思った。
同窓会のような、旅行のような、叔父さんのお葬式も、叔父さんがそういう人だったように、明るく楽しい雰囲気のまま終わり、昼下がりの高速をまたひとり車を走らせる。
痛め直した膝は、いつのまにか痛みを無くしていた。お気に入りすぎてエンドレスで聞いてしまう歌に、重なるようにカラオケしながら車のスピードを乗せて、いつもの家へと帰っていった。