ぽん太の甲州街道歩き旅(6)相模湖(与瀬宿)→野田尻宿
こんにちは。ぽん太です。今年の秋は短く感じられますので、どんどん先に進みたいと思います。今回は相模湖から野田尻宿まで歩きました。甲州街道は宿場間の距離が東海道と比べて短いところが多く、与瀬宿→吉野宿→関野宿→上野原宿→鶴川宿→野田尻宿と一気に6宿歩きました。
本日の行程
旅日記
2024年11月4日、今日は秋晴れの歩き日和だ。前回の終点JR相模湖駅には10時前到着。今日は国道20号線沿いが基本であるが、途中旧甲州古道にも入る行程となっている。
与瀬宿
20号線を歩いて5分くらいのところに「明治天皇與瀬御小休所跡」碑がある。かつての与瀬宿の本陣(坂本本陣)跡だ。与瀬は、京都の「八瀬」の風景に似通っていることからネーミングされたという説もある。ちなみに前回通った小原宿は京都の「大原」から来ているとも言われる(注)。
ぽん太は八瀬にも大原にも行ったことはあるが、山里の雰囲気が残っている点は似ているのかもしれない。
(注)大高利一郎『新版 街道を歩く 甲州街道』(揺籃社)89頁
しばらく歩くと中央自動車道の高架をくぐり、少し山道に入り、与瀬の一里塚への道を探したがわからず、結局国道20号線に戻る。その後また甲州古道に入り、交通量の少ない道を歩く。すると、相模湖の絶景が目に飛び込む。また石佛石塔や土蔵などが現れ、なかなか趣深い。
吉野宿
途中またもや迷いながら、次の吉野宿本陣跡に11時過ぎ到着。吉野家は承久の乱(1221年)の時に一族が天皇方に従い宇治勢田で北条義時を討ったが戦いに敗れ、この地に住み着いたと解説板に書かれている。
本陣跡には聖蹟碑が残るのみだが、その向かいには旅籠ふじや跡が残されている。現在は藤野町郷土資料館として活用されているが、時間がないので、入らずに先を急ぐ。
12時前、JR藤野駅に到着。駅の観光案内所「ふじのね」でゆず坊サイダーとパンをゲットし、ここで20分ほど小休止。藤野はゆずの産地のようだ。
その後旧街道は国道20号線から少し離れ、南側の住宅地を通る。そして若干未舗装道路に入る。
関野宿
12:30、関野本陣跡に到着。ここも解説板があるのみだ。関野宿は江戸から約18里(72km)の地にあり、甲斐の国へ通じる最後の宿場であったことから重要視されていたようだ。そして名倉入口からまた旧道に入り、境川橋を渡る。ここから山梨県(旧甲斐国)へ突入だ。
上野原宿
上野原から旧甲州街道はJR沿線から離れ、内陸に入っていく。
上野原は甲斐の国最初の宿場で、かつては織物の生産地として栄えたようだ。大きな蔵を有する古民家などが今でも残されている。
13:30頃、疱瘡神社・塚場の一里塚で小休止。お腹がすいてきたが、今回はお店で食べるためお弁当を用意していないので、上野原まで頑張ることに。ここには木はないが、立派な塚のある一里塚が残されている。東海道では塚のある一里塚を多くみてきたが、甲州街道ではこれが初めてではないだろうか。
さて、14時前にようやく上野原の町に入り、レストランを捜索。信玄餅で有名な桔梗屋の直営レストラン(菓々寮)に入る。せっかく山梨に来たので、ほうとうをいただく。かぼちゃがたっぷり入り、おいしかった。
上野原は酒まんじゅう屋が多く、お土産に少しばかりゲット。
鶴川宿
食後は鶴川方面に向かう。鶴川宿は、鶴川がかつて徒渡しであったことから、川留になることから設けられた宿場で、上野原とは2km程度しか離れていない。町にはそれほど古民家は見られないが、落ち着いたよい雰囲気だ。
間の宿、大椚
鶴川から徐々に高度を上げ、山間に差し掛かる。そして視界が突如開けたと思ったら、中央高速が出現。なかなか不思議な旅路である。
そして大椚(おおくぬぎ)の集落に入る。大椚はかつて間の宿であった。間の宿は、宿場と宿場の間に興り、発展した休憩用の施設が置かれていたが、宿泊所を置くことは禁じられていた。
野田尻宿
日も陰ってきた16時頃ようやく野田尻宿に入る。ここからJR鳥沢駅まではまだ8kmほどあり、ぽん太の足だと2時間以上もかかるため、今日はここからバスに乗ることに。野田尻宿は、中央高速の談合坂サービスエリアの近くにあるため、新宿まで高速バスが出ているのだ。高速バスは満員でなければ予約なしでも乗車可能で、席は結構空いていたので無事乗ることができた。
実はこの情報は、先行して甲州街道を歩かれているnoterのばーどさんの記事より教えていただいたものだ。ばーどさん、貴重な情報提供ありがとうございます。
結局、今日は連休ということもあり、中央高速は大渋滞で、新宿まで2時間以上もかかったが、ぽん太は爆睡していたのは言うまでもない。
記録
総歩数:33,848歩
実際に歩いた距離:20km
訪れた宿場:与瀬宿、吉野宿、関野宿、上野原宿、鶴川宿、野田尻宿
宿泊:なし
おわりに
今日は6つの宿場を訪問し、それぞれの宿場の味わいを楽しめる歩き旅でした。この道を歩いていて気付いたのは、川より高いところを歩いていることでした。地形的に河岸段丘状になっているからだと思いますが、それを利用して石垣を築いた家も多く、工夫をこらして住んでおられるのだなと思いました。東海道には見られない光景で、やはり実際にその土地を歩いてみないとわからないことも多いなと感じた次第です。まさにこれが歩き旅の醍醐味だと思います。それでは、ごきげんよう。