日記 8.28

私は過剰なほどに抽象的なものか過剰な光、みたいなものにしか興味を持たなくなった。私が語るべきことはおそらく哲学史の中に答えのように全てが書かれているだろう。私は真実を掴んだようにそれらの事実を私自身の力で獲得した。社会問題や俗的な心配事は私にとってノイズでしかなくなる。私は表現をやりたいと思っているのだろうけど表現は、表現されないうちには表現ではないだろうか。無意識は私の頭に散乱しててそれらが全て真っ白な砂漠のように平になる瞬間を私は求めている。優れた芸術作品にそれらはしばしば現れるのを私は確認している。音楽でも詩でもコンピューターにもそれは現れる。抽象的な文章を読んでいるときにもそういう感覚になることがある。芸術は生への唯一のチャンスである。私の頭はいつでもイデア論に向かっているように、何か一つの素晴らしい砂漠を探しているようである。そんな作品がつくれたらいいと思う。結局語るべきことは一つもなくて私の生や死に対する認識はこれからますますリアリティを持ち始めるだろうが私はいつそれを解り始めるのかわからないし、解り始めた頃にはもう手遅れなこともあるだろう。私は、全てを掴んでいながら、全てを掴めていないような感覚に陥る。それは当然リアリティがあまりにも欠けているからだ。
psまれにこの問題を克服している表現をみつけてびっくりする.


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