記事再開 東京都八王子市戸吹町 【武蔵国戸吹城】
戸吹城の概要
場所は、東京都八王子市戸吹町
小規模な城跡または狼煙台跡の可能性。
曲輪や空堀や土塁が残っている。
江戸時代から崩落が進んでおり現在、行けるのは南曲輪のみ。
滝山城、高月城とともに滝山三城の一つ
全体的に大変危険なので、散策は南曲輪のみがおすすめ。
築城時期・役割
築城者、築城時期は不明。
近くには真城寺と寶泉寺がある。
興國山真城寺
創建は観応2年(1351)に足利基氏が開基
天正7年(1579)に八王子城主北条氏照によって再興
龍淵山寶泉寺
北条氏照の父である小田原城主北条氏康が天文年間に建立した。
天正17年(1589)に現在に位置に移動した。
秋川流域の城郭と滝山城との位置関係
(対甲斐武田氏)
これは、甲斐武田氏の侵攻を瞬時に察知するために、この間隔でお城が作られたと思われる。
北条氏照が、この間隔で甲斐武田氏がどこまで進軍してきたかを確認するためかもしれない。
その答えは旧甲州道が通っていたからだ。
戸吹城の直線距離3.16km先に網代城
網代城から戸倉城が直線距離で4.16km
戸倉城と甲斐国との境目にある檜原城が直線距離が46.8km
戸吹城から高月城が直線距離で3.44km
高月城と滝山城が直線距離で1.69km
青梅三田氏や越後上杉氏の動向意識?
青梅の三田氏または越後国上杉氏の動向を意識しているのか、戸吹城周辺には、意図的に、5つの城跡や屋敷などが築城されている。
【引田城】、【網代城】、【阿伎留城】、【唐松山城】、【伊奈城】、【幸神屋敷】
それぞれの城が三田氏の領地の方向を警戒してるように思える。
三田氏は越後上杉氏が小田原北条氏の本拠地【小田原城】を攻める際に、北条氏を見限り、上杉氏に従っている。
その為、5つの城から情報を得て、三田氏の動きやその後の越後上杉氏の動向を瞬時に察するために使用されたかもしれない。
戸吹城と引田城が直線距離で1.42 km
網代城と引田城が直線距離で2.07 km
網代城と唐松山城が直線距離で2km
網代城と阿伎留城と伊奈城がそれぞれ直線距離で1.76km
網代城と幸神屋敷が直線距離で2.87km
最後に地形図
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