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運転士の生き様2

第8話: 戻る勇 

勇は、田村所長の頼みを断ることはできなかった。なぜなら、田村所長には、入社の時から、目をかけてくれた恩義があったからだ。勇は、運転士とはいえ、これが会社の組織の歯車として生きるバスの運転士の宿命なのだと、あきらめにも近い気持ちになった。

リムジンバスの新しい営業所への思いを残しながらも、田村所長の命令であれば、前の営業所に戻らざるを得ないだろうと、勇は覚悟した。

再び、前の営業所に戻った初日、勇は懐かしい顔ぶれに出会った。
かつての同僚たちの中には、彼を温かく迎えてくれた者もいれば、快く思わない者もいた。

「おう、中村!戻ってきてくれたんだ。俺が大変な時、代わりに入ってくれたよな。また一緒に仕事できて嬉しいよ」最初に声をかけてくれたのは、同僚の鈴木だった。

体調を崩した鈴木の代わりに、勇は、休みの日にシフトに入ったことがあった。
そのことを恩義に感じてくれてたらしい。

「大変な時はお互い様だよ、鈴木!俺だって代わってもらうことがあるさ」と勇は言った。
人手が足りなくなると、休みの日でもシフトに入れられることはよくあることだ。

だが、リムジンバスの新しい営業所に行けた勇に対して、嫉妬や羨望から、田村所長からひいきされて
いるという噂をするものもいた。 
 
『なんであいつ戻ってきたんだ…?』 
『どうせあいつ田村所長にひいきされて、リムジンの新しい営業所に行ったんだろ…?』
『だけど、また田村所長に呼び戻されて、いい気味だ』 

冷たい視線とひそひそ話す声が勇の耳に刺さる。
 
勇は、かつての同僚たちと再会しながら、どこか居心地の悪さを、懐かしさと同時に感じとっていた。

『俺は戻りたくなかったけど、田村所長に頼まれて、仕方なく戻ってきたんだよ!』
 勇の心の中は、どこにもぶつけようのない憤りと複雑な感情が渦巻いていた。
 
複雑な気持ちのまま、むかえた休憩時間、

「田村所長が中村のこと呼んでいるみたいだぞ」同僚の鈴木が勇に耳打ちした。

「え?マジで?またかよ」勇は、他の同僚たちに、田村からひいきされてると思われるのが
嫌だった。

第9話: 勇の決断 

「今度は何で呼び出されるんだろ…?俺にリムジンの助勤に行けと言ったかと思ったら、
すぐにここに戻って来いと言ったり、おかげで、こっちは振り回されっぱなしだよ!』

と、勇は、内心毒づいていたが、

「田村所長、中村です。お呼びですか?」勇は平静を装いながら、田村に声をかけた。

そんな勇をよそに、田村は笑顔で言った。

「よう、すまんな、中村君。リムジンの助勤に行ってもらったばかりなのに、ここに戻ってくれなんて、無茶言って悪かったな。どうだ?リムジンの仕事は?」

勇は田村の真意を測りかねて、言葉に詰まっていると、

「リムジンの仕事は早朝深夜の勤務で大変なんじゃないか?」とたたみかけてきた。

勇は一瞬、戸惑いを感じたが…姿勢を正して答えた。

「大変ですが、リムジンバスの運転士としての仕事にやりがいを感じています。
私が、リムジンの営業所を希望したのはご存じのはずです。それなのになぜ、田村所長は、
リムジンの営業所に、助勤を命じておいて、すぐにここに戻ってくるように言うのですか?
田村所長にはお世話になっているから、戻ってきましたが、人手が足りないからって、
すぐ私を呼び戻すなんて、あんまりです。新しい運転士を雇えば良いじゃないですか!」

勇は抑えきれずに、語気を荒げて言った。

田村は、無言でうなづいていた。心なしか目がうるんでいるように見えた。

「中村君、君がそう思うのも無理はない。私のことをさぞ恨んでることだろう。
実は私も異動が決まってね。以前から、次の所長には、中村君をと思っていたんだ。
ここに戻れば、君は、次期所長になれる。中村君、ここに戻れば、所長になれるんだよ。
君がリムジンの営業所に行ってしまった後に、私の異動が決まって、ここには君が必要なんだと気づいた。無茶なことを言っているのは百も承知だが・・・悪い話じゃないと思うんだがね?」

田村が自分を高く評価してくれていることには感謝をしている。
『だが』自分の心に嘘は付けなかった。
そして、勇は深呼吸をし、田村に向かって丁重に答えた。 

「田村所長、申し訳ありませんが、今は新しい営業所でリムジンの業務につかせていただいて1か月たって気づいたんです。リムジンバスの運転士としての仕事にやりがいと生きがいを感じてることに。
こちらでの経験が、将来的に自分にとっても、営業所にとっても、大きな力になると信じています。」

勇は、自分の言葉が、田村との決別を意味することになるとは思わなかった。 

「・・・そうか、中村君。君の決意は固いんだな。残念だが仕方ない。頑張ってくれよ。」

勇の肩を叩いて、去っていく田村の背中が、心なしか、今までになく、小さく見えた。

第10話: 新たな挑戦への帰還 

勇は、再びリムジンバスの営業所に戻った。
《別れもあれば、新たな出会いもある》田村とのことで、勇はある考えが浮かんだ。

《人との縁は、人生の選択において、職場が変われば、自然に離れてしまうこともある。
だけど、一度離れたとしても、どこかで、またつながることもあるだろう。
それまで、自分の選んだ道で、新たな縁を大事にしていくしかないのだ》そう思った。

勇は、新しい仕事への挑戦に向けて気持ちを新たにした。勇は、リムジンについて親身に教えてくれる
先輩の田中さん、新しい同僚たちに再会し、再びリムジンバスの運転士としての業務に全力で取り組んだ。 

『これからも、リムジンのお客様に気持ちよく乗っていただくために、安全に最善を尽くしていくぞ』
勇は心の中でつぶやき、リムジンバスの運転席に乗り込む。

勇の未来には、まだ多くの困難と成長が待っている。
そのすべてを受け入れ、前へと進んでいく決意を胸に、
勇は、今日もハンドルを握るのだった。



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