「働く」ということ。
光希重名士の姓名判断的ココロ(47)
最近スマニューを昼間見ていたら『就活生の多くが、〈何か知らんけど雇ってください〉的な考え方で、〈大学では○○をやってましたので、御社の役に立つと思います〉というスタンスでいるようだ』というような話を発見。有料の方のスマニューで、有料会員ではないため本文を全部読んだわけではありませんがちょっとビックリ。昔もそんな感じで真剣に仕事と対峙していない学生や就活生はいましたが、むしろ少数派だったような気もします。
決して優秀ではありませんでしたが、私は学生時代「何で飯を食うか」をかなり真剣に考えていました。何故かと言うと高校生の頃にはやりたい方向性がいくつもあり、自分に出来るかどうかではなくその仕事を一生やりたいかどうかを、決めかねていたからです。結局高校時代には3つにしか絞り込めず、浪人中にも考えあぐね、取り敢えず3つの内2つに関係がありそうな学部に行くことにして、大学に行ってからも考えあぐね、3年次に漸く残りの一つに絞り込んで、大学の学部はその方向性とは直接関係が無いので中退しました。だって、必要なくなったんだから、もはやお金と時間が無駄になるに決まっているからです。金も時間も有限ですからね。
人の人生は、姓名判断的に言えば自分の【本質】を如何に正確に捉えるか、にかかっています。【本質】に沿った人生を送る事が一番大切であり、本人の満足度も高いからです。逆に言えば【本質】とかけ離れた仕事を選んでしまうと、生き甲斐を感じられないから、会社を辞めたくなり、頑張る気も失せる。そして人生を無駄に過ごすことになる…と、私は思っています。
何年か前、東大出身の女性が大手の広告代理店に入社後、「働かされすぎ」で疲れ果て、自殺してしまったことがありましたよね。思うに彼女は自分の【本質】に沿った職業選びをしなかったのではないか? 自分の【本質】に沿った仕事ならば、特に入社後数年くらいは「働きたくて働きたくて仕方が無い」からです。覚える事が多いのも楽しい、残業するのも楽しい、上司に叱られるのも楽しい、おまけに(大手だから)人並み以上の給料までもらえて、楽しさの極致でしょう。自殺してしまったのは恐らく本人の中に「やらされている感」が強かったせいではないでしょうか。
実際、苦労の末に【本質】に沿った業種に潜り込んだ私は、入社後ずっと、残業も休日出勤も全然へっちゃらでした。むしろ経験値を増やせることが嬉しくて仕方が無かったですよ。転職もその意味で、何度もしました。そのたびに違う環境で、同ジャンルの異なる仕事が出来たから。楽しかった~!
今は「何のために転職するか分からん」と同僚と話す女性社員がCMになる程、「取り敢えず転職」を勧めているような世間の風潮ですよね。転職なんか考える前に、徹底的に自分の【本質】と向かい合え!と言いたい。それを経ないで転職したところで、悪い意味での《転石苔を生ぜず》になるだけ。
《転石苔を生ぜず》という諺には「落ち着いて仕事が出来ないヤツはモノにはならん」というネガティブな意味と、「環境や取り組み方等を常に変え、努力してこそ発展できる」というポジティブな意味の、2方向があるようです。転職にもそれは当てはまるような気がするのは私だけでしょうか?
そう言えば転石と転職って、語感が似てますよね。偶然ですが意味も似ていますな。イギリスのローリングストーンズは、どうもポジティブな意味の方の転石らしいですね、昔誰かに聞きました。因みに「転石苔を生ぜず」という諺は英語の「A rolling stone gathers no moss.」が元のようですね。