ブレブレの変節者、河野太郎
本日(8/1)付けの読売新聞朝刊によれば、河野デジタル相がエネルギー政策を巡り、最近原子力発電所の必要性を積極的に発信しているそうな。9月に予定される自民党総裁選への出馬に向け、これまでの「脱原発」重視のイメージを払拭したいとの思惑があるとみられる、と記事にはあります。
この人、「原発はなくなっていく」と語り、原発ゼロを目指す超党派議員連盟の共同代表だったことは衆知の事実。特に太陽光エネルギーには肩入れを強くし、自身のファミリーが中国で行う事業との関連からなのか、中国製(つまりウイグル族の虐待で安く作り、世界中のシェアを奪った)太陽光パネルを、日本中に広げまくろうとしていたお人。中国との怪しい関係がバレそうになった途端『私は無関係!』といけしゃあしゃあと開き直ったお人。
嘘八百を並べた他民族の圧迫に負け、国賊ものの「河野談話」を公式発表してしまった「大馬鹿野郎」の息子だからなのか他国への忖度が激しいこと。
彼が原発ゼロを目指した真の理由は分かりませんが、3.11の原発事故はそもそも原発そのものに原因があったわけではない。原発のシステム自体には問題はなかったと私は思っています。ただ、導入時に教えを請うたフランス人技師が日本側の「非常用電源は崖の上の高いところに置きたい」という希望を却下し、「そんな必要はない」と原発のすぐそばに設置させたことに事故の原因はあります。あれほどの津波でなかったとしても、海の近く、しかも原発のすぐそばに非常用電源を設置したら、海の近くで何かが起きたら原発と共倒れになる危険性が高いことくらい、素人だって分かる話です。
その意見に反対出来なかった東京電力にも問題はあるにせよ、東電側の意見通り崖の上に非常用電源を設置していたら速やかに冷却し、少なくともあの原発の事故は起こらなかった筈。新型コロナの騒動でもそうでしたが、事の本質を見誤る人の何と多いことか。安定化電源としての原発の地位は揺るがない。電力の必要性は上がることはあっても不要となる事はあり得ません。自然エネルギーや再生エネルギーなどは安定化せず、出入りを同じにしなくてはならない交流電源では、不安定な自然エネルギーだけで電力をまかなうのはそもそも不可能なのですが、そんな事は昔から分かっていたことです。
周囲の風向きから〈原発ゼロは非現実的な理想論〉との見方が増えるのをみて、原発肯定へ舵を切ったとみられる河野大臣。次期総裁候補としていつも名前が挙がっていることが、本当に不思議です。こんな背骨がぐにゃぐにゃで、周囲と未来を読む力もなく、そのための知識もろくに持たず、浅い方針で、だからこそすぐに節を屈する人に、本当に国を任せるつもりですか?