「いじめ」は動物に必ずあるという真実
昨日(11/1)付けの読売新聞朝刊によれば、不登校の小中学生が2023年度は346,482人に上り、過去最多となったことが10/31、文部科学省の問題行動・不登校調査で分かったとのこと。前年度比47,434人(15.9%)増で、初めて300,000人を超えたらしい。いじめは、小中高校などが認知した件数は732,568件で、生命や心身への被害や長期欠席などの長期欠席などを含む「重大事態」は1,306件と、いずれも過去最多だったとあります。
記事には、いじめ増加の原因として《集団生活になじめない子供が増えている》ことも挙げられ、その背景には幼稚園や保育園に通っていた時期にコロナ禍で集団生活を送る機会が減ったからだとの見方もある、とされています。その結果として幼い子供が我慢や忍耐の力を養えず、不満をうまく処理できなくなった可能性も指摘されているようです。
不登校の児童生徒の増加を受け、2017年に施行された「教育機会確保法」は学校以外での多様な学びを認めました。「無理をしてまで学校に行かせなくてもいい」との認識が広がったことも影響しているとみられる、とも。
空き教室を利用して不登校傾向にある児童が過ごす〈特別な部屋〉を設けている学校もあり、「教室に通うのはしんどいがここは落ち着く」と話す生徒もおり、学校内に子供達の居場所を確保することの必要性を説く人も。そういった様々な対応は重要ですが、そもそも「いじめ」とは何でしょうか。
いじめ
【天命】7画
7系列数は自分自身の優先度が高く、意地悪く言えば「人の事なんざ知ったこっちゃない」という考え方。良くも悪くも個人主義ですし、自分と異なる考え方や行動規範の持ち主を許せず、攻撃する面が強いのです。短気で喧嘩っ早い特性を持ちます。人の行動や考え方を気にしない特性は、別の面ではユニークで人とは違う発想の持ち主という言い方もできます。その結果アート方面や開発・発明、歌手など、単独で完結するような系統に才能を発揮する人が多いのが、7画の持ち主です。子供は未完成な精神ですから「何かアイツは許せない」との考えに偏ってしまうのが「いじめ」の本質でしょう。
人名ならば5種類の画数を持つので、7系列の悪い面をカバーすることも可能ですが、「いじめ」というワードは短すぎて【天命】の7画しかありません。成長途中の子供にとっては、何であれ自分とは違う相手に対するイライラや不満が、7画の持つ攻撃性としてダイレクトに出てしまうのでしょう。
しかし、対応策の中にある「無理をしてまで学校に行かせる必要はない」という方針は如何なものでしょうか。子供はある意味野獣と同じ。様々な教育や経験をさせないと、〈人として〉正しく育つことはない気もします。サルトルのパートナーだったボーボワール女史は昔「人は女に生まれない。女になるのだ。」と言ったとされていますが、同様に考えれば「人は人間に生まれない。人間になるのだ。」ということ。その考え方で言えば、いじめに遭うことも成長への一つの経験でしょう。勿論程度の問題や、本人の精神的な強さの違いもあり、そこを見極めるために教師がいるのだと思いますが。
例えばソフトバンクの孫正義会長。今月号(2024年12月号)の月刊Hanadaの中の「そこまで書いて委員会」という記事で知りましたが、在日朝鮮人である彼は、子供の頃は地元佐賀県で10円ハゲが出来るほど虐められていたそうです。昔は、在日朝鮮人に対しての差別だけでなく、様々な差別が日本中にまん延していたと思います。孫正義氏は今ではその10円ハゲを〈勲章〉と意識し、差別への対抗心を燃やし、エネルギッシュに人生を切り拓き、功成り名を遂げたのです。(因みに孫会長は日本国籍を取得済みだそうです)
勿論、誰でもが彼のようなパワーや反逆心を持てるわけではないかも知れませんが、人は大なり小なり差別を受け、馬鹿にされ、時に大きな失敗を重ねて「人間」になっていくのでしょう。それを考えた時に、幼い頃から反逆する経験を奪うことが、果たしてその当人の為になるのでしょうか。守るのは最後の最後で良いのではないか、甘やかしすぎてはいないか、そんな気がする最近の風潮です。「いじめ」は野生動物も含め、全ての高等動物に見られる現象です。問題になるのはその程度問題だけなのではないでしょうか。