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父親としての自分から離れて、自分は何になっていくのだろう。

最近いろんな方に「note見てます」といっていただけるようになってきた。

それはとても嬉しいことなので、noteに考えていることを書き続けていきたいし、「社会起業環境論」のような「知ってほしいこと」を書こうと考えている。今少しずつ書き溜めているので、また公開したら読んでください。

でも、ちょっとそれが手を止める言い訳になってきているところもあって。そんなときにnoteの新規ページを開くと「ご自由にお書きください。」と書いてあるのがありがたい。


ああ、そうやんな、自由に書けばいいんだった。

ということで、たわいもない日常のことを。

昨日は娘の小学校の参観に行ってきた。「見に来てほしい」といわれることももう最後かもしれない。

学校で友達ととても楽しそうにしている娘は、家で見せる顔と少し違ってきていて、友達の存在が彼女にとってとても大きなものになってきているのだと感じた。外ではそんな風に笑うんだな。

僕と一緒に外出しているときは、娘はあまり他の子にも積極的に話す方ではないので、どこかそんなイメージで彼女をとらえていたけれど、学校にいるときの彼女は無理をしている訳でもなく、とても積極的で楽しそうだった。

彼女のなかで、家族の中の自分から、社会の中での自分が大きくなってきている。

それは、彼女もそうだけれど、私も父親という役割から一歩離れた気がした。寂しくもあるけれど、より対等な関係になっていく。

そんな日が来ることはまだまだ先だと心の中のどこかで思っていたけれど、昨日はその日がもう目の前に来ていることを感じた。

父親としての自分から離れて、自分は何になっていくのだろう。

30代も後半になり、気づけば周りに年下が増えてきた。

ただひとつ実感していることは、じっくり道筋を考えることよりも、直感的に踏み出す一歩を重ねていく方が遠くへ行けるということ。どちらか迷ったらおもしろそうな方に早く一歩を踏み出すこと。

娘と同じように、自分の知らない世界はとてつもなく広がっている。娘に負けずに新しい挑戦を重ねていこう。その方がより対等な家族の関係になっていける気がしている。







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田中 慎
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