自由とは正しいから自由なのである
今回は愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展」についてどうしても言いたいことがありましたので投稿しました。
表現の自由などの「自由」という言葉について、まだまだ世間では正しく理解されていません。私は漢字はこう書くから、その意味はこういう意味なのだ、というのはあまり好きではありませんが自由とは「自らに由る」と書きます。由るのは何に由るのか、それは良心です。良心とは本能であり、みんなが生まれつき持っている善なる心です。自分の善なる心に由るのが本当の自由なのです。
動画などを見ていて感じるのは「この人は賢い人である」と思っている人でもまだ自由を正しく理解されていません。
「表現の不自由展は公共の場、公共の金を使っているからいけないのであって、やりたいなら朝日新聞社の前で自分たちの金を使ってやればいいのだ」などと発言している。これは間違いである。たとえ朝日新聞社の前であろうと正しくないことは行ってはならないのです。やるなら人目につかない朝日新聞社内でこっそりとやると言うならまだ許されるでしょうが、一般社会に対して間違ったことを発信してはならないのです。自由とは正しいからこそ自由なのです。このことを皆さんはしっかりと認識してください。
また自由についての名言「君の意見には全く反対だが君が意見を発表する自由は命にかけても守る」という言葉を金科玉条の如く信じて「これが民主主義の根幹なのですけれどもね~」なんて賢ぶっている人もいる。しかしその名言が絶対的に正しいならば今回の「表現の不自由展」も私たちは命を懸けても守らなければならなくなるではないか。「君の意見には全く反対だが君が意見を発表する自由は命にかけても守る」というのは基本的には正しいが黄金律などではないのです。
権利とは正しいから認められるのです。自由とは権利を行使することです。ですから自由もまた正しい事ならば自由なのです。
要するに「正しいとは何か?」が本当に分かっていないから知識人と言われる人たちでさえ自由や平等、平和などの大事な言葉も正しく理解することが出来ないのです。絶対的に正しいことは「社会の安寧秩序を守る事」です。つまりこの社会が平穏で秩序があり、みんなが安心して幸せに暮らしていけること、これこそ私たちにとって最も大切な事なのです。基本的に秩序を乱すことはやってはならないのです。
絶対的に正しい事とは「社会の安寧秩序を守る事」これに合致することが常に正しい事なのです。世間では「正しいとは人それぞれである」と信じられていて「本当に正しいとは何か」を皆さん知らないから間違った考えが跋扈するのです。
私は一応、絶対善の定義をしました。ゆえに「絶対的に正しいことが分かったのであるから、正しいが分からなかった時代の思想は総点検をすべきである」などと傲慢なことも主張しています。皆さんも世間で正しいと言われていることでも疑いの目をもって、まず自分自身で考えてください。正しいとは「社会の安寧秩序に合致することである」これを基本として考えれば、それほど間違った考えになることはないでしょう。
この社会で大切なことは正しいとは何かを知り、正しいことを行い、もし正しくないことを行ったならばしっかりと責任を取る、これさえ守れればこの社会はうまく回っていくのです。
絶対的に正しいことは「社会の安寧秩序を守る事」です。そしてそのために絶対的に正しい行為は「私より公を優先すること」なのです。簡潔に言えば「善とは公(みんな)の為である」ということです。いろんな社会的問題に対して「それは本当に公(みんな)の為なのか?」とまず考えることです。それさえ知っていれば物事を正しく考えることが出来るようになるのです。
今回の表現の不自由展の騒動も彼らが公(みんな)の為の心でやったのか、私の為の心でやったのかです。サヨクが日本を貶めてやろうと言う私欲の心をもってやったということが見え見えではありませんか。展示を再開すべきであると言う人もいるが、そう言う人は全く道理が分からない無能な人たちである。
自由とは正しいから自由なのであり、みんなの為になるから自由なのである。自由の本当の意味が分かる為には絶対善が分からなければならないのです。