人権とは何か?を考える
法律を学んだ人たちと議論していると、彼らは人権こそ至上の理念だと考えています。とにかく彼らは一番大事なものは人権であると頑なに信じて主張してきます。「民主主義の本質は人権だ!」「死刑など非文明的で人権侵害だ!」と何でもかんでも人権を絡めてきます。もちろん西洋人から与えられた人権です。
私たち一般的日本人は「我々人間は神の子であり、生まれながら自由や理性や人権を授けられているのだ」などと言われてもピンときません。何故、彼ら人権屋は神から授けられたという非科学的な人権を疑おうとしないのだろうか。
西洋人の言う人権とは一体何なのでしょうか。あれだけ世界中で残虐非道なことをやってきた白人たちに「本当の人権」など分かるのだろうか? そのように考え西洋思想に対して少しは疑いを持つのが地頭というものではないだろうか。
勿論、人権はとても大切です。しかしその人権というものを考えるにしても神などという非科学的、非論理的な考えを含まない本当の人権でなければならないと思うのです。やがて将来キリスト教などが衰退して神を信じ無くなれば私たちの人権はどうなるのでしょうか? 憲法はどうなるのでしょうか? ですから私たちは神に依らない人権を見つけなければならないのです。
私の考える人権とは何か、を簡潔にいえば「たった一度の人生を有意義で幸福な人生を送りたいというのは全ての人々の願いであろう。そうであれば、そのみんなの願いが叶うように協力し、お互いを尊重しましょうと約束すること」です。これが人権の本質ではないでしょうか。ゆえに人権とは与えられるものではなく自分たちが努力し創っていくものなのです。人権を考えるにおいて神など必要はないのです。本当の人権とは本来、みんなの安心・幸せであり、憲法に言うところの公共の福祉こそが本当の人権なのです。自由権が人権と考えるのは間違っているのです。自由権は公共の福祉の下位に当たる概念なのです。
人間に生まれると言うことは本当に奇跡的なことだと思うのです。ハエや虫、植物や動物に生まれず人間に生まれた、それは仏陀も「盲亀の浮木」で喩えているように本当に奇跡的なことなのです。その奇跡的存在を尊重することがとても大切だと思うのです。だからこそ人間の命は尊いのです。
昔、テレビで新緑の森の中で若い鹿が何度も何度もぴょんぴょんと大きくジャンプしている映像を見ました。「あ~、生きているということが嬉しくてたまらないのだろうな」と感動したことがありました。私はあれほど生命の喜びを表現しているものを見たことがありません、いわゆる生命の讃歌です。このように私たち一人一人が人として生まれた奇跡を喜び、これをお互いに尊重することが人権の要だと思うのです。
またその奇跡を例えれば、全世界で五、六人だけが宇宙旅行に当選したようなものです。その宇宙の旅に当選した人たちはみんなでその幸運を喜び合い「みんなで良い旅にしましょうね」と話し合うことでしょう。このように奇跡的な幸運を素晴らしいものにしましょうとみんなで約束する事、これがいわゆる人権なのではないでしょうか。
自分が人として生まれた奇跡、相手もまた人として生まれた奇跡、その貴重な短い人生、存在をお互いに尊ぶことこそが人権を考える上で最も大切なことなのです。ゆえに人権には個人の尊重が謳われているのです。
勿論、個人の尊重とは自分も尊重される代わりに相手も尊重しなければならなということです。いわゆるギブアンドテイク、権利と義務、自由と責任が原則なのです。「権利と自由は無条件に神より与えられていて義務や責任は伴わないのだ」などと無責任なことを考えてはならないのです。常に人権を守る為には各自責任感を持たねければならないのです。西洋人の言う「人権とは神から与えられた」と言う無責任さこそが社会にひずみを生むのです。
世界人権宣言をまともに信じてはなりません。私たちは生まれながらに自由ではなく、平等でもありません。自由も平等も理性も尊厳も与えられているものではなく責任感を持って作り上げていくものなのです。
子供達に人権を教えるならば、個人の権利ばかりを教えないで「私たちは同じ時代に生まれた奇跡のような存在なのです。ですから自分だけでなく相手の人生も尊ぶようにしましょう。良い人生になるようにお互いに協力し合いましょう」とまずこれだけをしっかりと教えればいいのです。子供たちが相手の存在、人生というものを尊重できるようになれば、それだけでイジメも少なくなるのです。
絶対的に正しいことは種族(民族)保存です。しかし現代においては民族が滅びるということはあまり考えられませんので、絶対的に正しいのは社会の安寧秩序、みんなの幸せに移っています、これは言い換えれば人権ということです。
憲法に言う「公共の福祉」とは絶対善である「社会の安寧秩序、みんなの安心・幸せの為」を言うのです。人権とは侵すことのできない永久の権利などと絶対善のように書かれていますが、決して人権は絶対善ではありません。間違った人権(自由権)を最上のものと考えていれば私たちは滅んでしまうことでしょう。
今は個人の人権尊重の世の中ですが、戦争になれば人権などと言ってはおられません。やはりなんといっても種族(民族)保存こそが最も大切なことなのです。本来、種族(民族)保存、社会の安寧秩序、公共の福祉、みんなの安心・幸せが人権なのです。そして個人の人権の尊重ではなく、みんなの人権の尊重「みんなの為」こそが絶対善なのです。
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