【コラム】日本の近代彫刻の巨匠 平櫛田中《良寛上人》と佐藤玄々《鼠》
こんにちは。
11月も後半となり、いよいよ秋が深まってまいりました。
丸の内の街路樹も色づきはじめ、先日から名物のイルミネーションも点灯しています。
さて、今週23日(土)は、近代美術/近代美術PartⅡ/コンテンポラリーアートオークションを開催いたします。
今回は出品作品の中からおすすめの木彫作品を2点ご紹介いたします。
佐藤玄々(1888-1963)は、東京・日本橋三越本店のホールを飾る極彩色の巨大な木彫像《天女像》でおなじみの彫刻家です。
1888(明治21)年、福島県の宮彫師の家に生まれた玄々は、幼い頃から木彫の手ほどきを受け、17歳の時に彫刻家を志して上京し、山崎朝雲に入門します。1913(大正2)年の独立を機に朝山と号し(1948年に玄々に改号)、翌年から日本美術院に参加。1922年、同院の留学生として渡仏し、ブールデルに師事するとともにエジプトやエトルリアの彫刻を研究しました。帰国後は西洋の彫塑表現を伝統的な木彫に取り入れ、日本の神話や動物などを題材とした作品を追求しました。
玄々といえば、精緻な観音菩薩像のイメージがありますが、猫や鳥、兎などの小動物を中心とした動物彫刻もまた重要な主題の一つです。野鼠を題材とした本作は、下部に刻まれた「玄々作」の銘より、1948(昭和23)年以降に制作されたものでしょう。両手でどんぐりをしっかりと抱え、頬張る姿が愛嬌たっぷりに表されています。量塊感と丸みのある造形、全身を覆う被毛と手足の緻密な表現が巧みで、小さな体のぬくもりや小刻みに体を揺らして無心に食べる様子を想像させます。さらに、特筆すべきは玄々の動物彫刻の特徴の一つ、動物本体と一体となり、モティーフの一部として彫刻が施された台座でしょう。本作では、野鼠が土の中に長く伸ばした尾や食料として貯蔵したどんぐりを台座に彫出し、彼らの暮らす地中の断面を表しており、玄々の機知に富んだ構成と卓抜した技術が発揮されています。
平櫛田中(1872-1979)は明治、大正、昭和を通して日本の近代彫刻を牽引し、100歳を過ぎても現役で活躍し続けた彫刻家です。その長きにわたる制作活動は、日本の近代彫刻の歩みを体現するものと言っても過言ではないでしょう。
1872(明治5)年、岡山県に生まれた平櫛田中は、22歳の時に大阪の人形師・中谷省古に入門し、その後上京して高村光雲の指導を受けました。光雲のもとでは、西洋の塑像の研究にも励みながら写実を追求し、やがて岡倉天心や禅僧・西山禾山の知遇を得て、仏教や中国の故事を題材にした精神性漂う作品を制作していきます。1914(大正3)年、再興第1回院展から日本美術院に参加し、昭和期には彩色像や寄木造りに挑み、107歳で没するまで数多くの名作を生み出しました。
本作は1968(昭和43)年に制作され、「パリ展帰国記念 生誕125年平櫛田中展」(日本橋三越)に出品された作品です。モティーフの良寛(1758-1831)は江戸後期の禅僧・歌人で、生涯寺に属さず諸国を行脚し、後に故郷の新潟県・国上山の庵に隠棲して和歌や書、漢詩の創作を行った人物。田中は仏像だけでなくこうした肖像彫刻を得意とし、中でも良寛の無欲高潔な人柄を尊敬し、度々題材としました。本作では良寛の自画像を参考とし、畳に座して万葉集を読みふける姿とその飄々とした細面の風貌が巧みに表されています。わずかに頭を傾けて視線を落とし、右手で本を抑える様子は、静かな夜に灯りの下で読書に集中する良寛の存在感を感じさせ、田中の徹底したリアリズムをうかがわせます。
下見会場では、二人の木彫の巨匠の優れた彫刻技術をぜひ間近でご覧ください。
オークション・下見会スケジュール、オンラインカタログはこちら
※22日(金)、23日(土)は下見会を開催しておりませんので、ご注意ください。
ご入札は、ご来場のほか、書面入札、オンライン入札、電話入札、ライブビッディングなどの方法でも承っておりますので、お気軽にご参加ください。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
(佐藤)