6年生のとき死んだ父のこと
1番忘れたくないことってやっぱり父のことだと思う。
父が生きていた頃は今みたくスマホもないし、ビデオだってそんなに各家庭に普及してなかった。
父は写真を撮られるより撮るほうが好きだった。
だから、忘れたくないと思って父の声を死んでからずっと、ふとした時に思い出してみる行為を、もはや今となっては無意識で繰り返している。
でも、脳内で思い出される声は、もう正しかったのかどうかはわからない。でも、思いだすのは優しかった父の雰囲気まるごとなのだ。ゆっくり歩く姿や、優しく話をきりだすあの感じとか、タバコの煙とか、笑った顔とか。
長生きしてくれていたら、反抗することもあったのかもしれないけれど、私は大好きな父のまま大好きな父が死んだから、ずっといまでも大好きのまま。
自分の根っこにいつも父はいるなぁと感じる。
演劇の脚本を書き、演出をし、音響効果をやり、絵を書く仕事もしてた父。
私は書くことも描くことも好きだ。
父が残した作品から、父の考えていたことを今なら読み取れる。それはとってもありがたいことだなぁと思う。
父が死んだことをどんなふうに自分の中に整理しているのか自分でもわからないけれど、改めて言葉にしていくことでなにかわかることもあるのかもしれないと思って書いている。
12歳で人は死ぬんだと思った。いなくなる。
そのあとだんだんと歳をとってから、人には気持ちを伝えなければ、会えなくなることがある。としっかりと思うようになった。
だから私は、本当の気持ちを、本当のときに伝えたいと強く思っている。正直に。
そのせいで傷ついたり、傷つけたりすることはもちろんあるんだけれど、伝えたいと思う。思ってしまう。
1つだけ、父は物書きをしていたくせに、子どもたちに手紙も残さず闘病の末死んだ。シャイな人だったから、や、自分が死ぬことは考えていなかったんだろう、とも考えられるけど、
何もないんかい。と思ったのも事実なのですよお父さん。
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