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明日40歳になるということで、以前にも増して本格的に老いの道を進むのだと改めて感じている。上るのか下るのかはわからないが、生きている限り進むことだけは確かだ。

老いていくいう意識は以前からあったし、事実として甥と姪がいることもあって自分を「おじさん」と30になったころから称してきた。

そんな今、誕生日前に思うことは、「語感的に『おっさん』と呼ばれるのは嫌だなあ」ということぐらいのもので、「これからも『おじさん』と呼んでもらえるように頑張ろう」と感じている。

その辺はまだマトモなのだが、頭はというと老化うんぬんの前にバカに至る道を突き進んでいる。苦悩や葛藤や憂いなど――そういう文学ブンガクした成分は著しく減退し、「そんなことより今日の大谷翔平選手の成績が気になる。あと『ガラスの仮面』に完結していただかないと死ぬに死ねない」という感じだ。

じきに中国に飛ぶ。
働くかたわらGhostGoldとして活動し、香港やその近辺でライヴをして有名になる野望を燃やしている。
いうまでもなく本気だ。
不惑もクソもカオティック。

まさか自分が40にしてこうなるとは予想もしていなかったが、そもそも生きられる保証などないから予想自体をしていなかったわけだ。だから、とりあえず生き延びられてラッキーだと心底から思う以外には特にない。

更にありがたいことに、人生は昔よりも更に退屈と縁遠く、バカとロマンに満ちている――あるいはバカなロマンに満ち満ちている。
バカまみれのバカ尽くし、というところだ。

そういえば、かつての私はこういう造語を発明していた。
「バカオス(=バカ + オス(雄)+ カオス)」
まさに私の、私による、私のための言葉といえるだろう。

40にしてバカオス。
これからどうなるか、楽しみで仕方がない。
まあ死ぬまでバカオスなことは間違いないが。


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