「厄年」まで生きてこられた奇蹟/パソコン、いまだ壊れず
偉大なる大谷翔平選手が40-40の偉業を達成された。
パソコンの画面越しにでも、また1つユニコーンの飛翔を見ることができて、生きていてよかったなあと感じた。
自己卑下でもなんでもなく、事実として21~25歳の私はアル中だった。そして26~34歳は本当にギリギリのギリで、あるいは恐るべき強運と周囲の慈悲によって生かされ、人間社会に踏みとどまれたアルコール依存症だった。「それ以外はまともといえるのか」ということはともかくとして、病的飲酒の期間が13年ばかりあったことになる。
13年間。
「俺たちにはあと5年間しかない」
デヴィッド・ボウイの鬼気迫る傑作“5 years”の2倍以上の13年間、私は脳みそと内臓を酒によって痛めつけ倒した。身体を壊しておかしくなく、むしろ壊れるのが当然だったのだが、爆裂に運よく生き延びている。
私は例外というか論外の存在だが、蓄積された過去の無理や無茶が爆発するあたりの年齢が「厄年」といわれるのだろう。特に私の場合は、「過去のツケが回ってくる」という表現がぴったりだと我ながら思う。まさに「飲み代のツケの取り立てに追われる」という構図だ。
と、そのような事情があるため、
「確かに、まちがいなく心身にガタがきているとは思うが、はたして、このような自分勝手から陥った状態を『厄年』と呼んでいいのだろうか?」
という疑問が常にある。(*それはまあ、アル中にはアル中なりの事情があるのだが)
真っ当なカタギとして生きるため、自分や家族のために頑張って無理を重ねてきた人々には「厄年」と言う資格なり権利なりがあると思うのだが、私の場合は自業自得というべきだろうという気がしてならない。
そしてまた——
厄年であれ何であれ、私にとってはこの年齢まで生きてこられたこと/生かしていただいてきたこと自体が有難いことなので、口では「いやあ、厄年で」なんてことを言いながら、本心からそうは思っていない節がある。
パソコンで考えてみればわかりやすい。
そもそも40年以上もつなど奇蹟にほかならない。
経年劣化など無いわけが無い。
そう思えば、私のポンコツと化したOSだって大したものだ。
そのように考えれば、老化を嘆くどころか「シャンパンでも開けて祝おうかい」というような心境にさえなる。
100まで生きればそれこそ神話だが、そちらはユニコーンたる大谷翔平選手に、伝説の総仕上げとして達成していただければ幸いだ。
こっちはこっちで、まだ生きている。
今もこうして——
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