私の犯罪経歴証明書(中国への道①)
ベトナムで働いたのが私の海外就職の初めだったが、そのときに就労のために【犯罪経歴証明書(渡航証明書)】というやつが必要になるということを知った。これは早い話が「前科ないです」という証明書であり、
(ああ、無くてよかった前科!)
と改めて思ったものだった。
当時は東京に住んでいたため警視庁に申請に行ったのだが、無事発行され受け取りに行った日がよりによってトランプ大統領(*当時)の来日と重なっていたため、日比谷周辺は凄まじい厳戒態勢だった。
実に今から思えば、
「これならアベも撃たれまいに」
というぐらいの物々しさだった。
しかし、そのために致命的な方向オンチの上にガラケーしか持っていなかった私は、次から次へと肉体派の警察官の皆さんに、行きは警視庁、帰りは駅への道を教えていただくことができて非常に助かった(*二度目の来訪でこの始末だったということから、私の方向オンチのレベルが知れるだろう)。
あからさまに私は不審者だったが、
(窮鳥と猟師の例えのように、思い切って相手の胸に飛び込んだ方が怪しまれないのかなあ。いや、あんがい『虚を突かれて、どうしたらいいかよくわからなくなって鳥を助けてしまった』というのが猟師の実際の心情だったのかもしれない)
などと黒味がかったことを思ったものだ。
そんなことばかり覚えている。
ともあれ今回も中国で働くために犯罪経歴証明書が必要となり、
「ちゃんとこの時のために」
自分の気持ちに素直になることを封殺してきた私は、足取りも軽く谷町四丁目の大阪府警察本部へと向かったのだった。目標があれば人間は頑張り耐え抜けるものだ。前回とは違って私の装備もそれなりに時代に合うものとなっており、スマートフォン(Google Maps)のおかげで道に迷うこともなかった。
担当の鑑識課の男性は相手が私だというのに、懇切丁寧に手取り足取り(*足はなかったが)指紋採取を指導してくださった。
今回も無事に発行の運びとなり、私は安堵とともに大阪府警を再訪した。
そして渡された訪問者番号札の番号が【1983】だった。
私の生まれた年だった。
(トランプもそうだったけど、もうちょっと、こう……)
こういった無駄な引きの強さを、わかりやすく華々しい形で発揮してくれないものだろうか、自分の人生に対してそんなことを思った。