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【エッセイ】 ある日の、夜空|AOU 覚書
この日のことについて書こうとすると、僕は、またしても途方もなくなる。
それはまさに夜空の星たちを一つ、また一つと、名前をつけて、数え上げていくことのように、際限がなく、終わりのないことのようだ。
そう、僕の中のロゴス的な機能は、もはやお手上げであるのだ。
これについては、わからない。
論理的には、あるいは、因果の理法では、あるいは、もっと別の言い方をすれば、左脳的な思考では、決してわからない。
だが、その諦めの状態から、おずおずと動き出すものがある。それは、論理を超えた超論理であり、日常的な意識状態を超えた領域から、降り注ぐ全体性を伴う知性の眼差しである。
それを、”僕”と呼ぶには、少々無理がありそうだけれど、僕という個体を通して、それらはこの世界に表出を始める。
僕は歌の作者であるが、歌そのものを作ったという感覚はほとんどない。それは、あたかも意識の古層に埋まっていた縄文土器を掘り起こしたような心持ちである。(掘り起こしたのは僕であるという感覚はあるが)
それは、人類の意識の層に、すでに埋め込まれて、鋳造されていた何かであり、歌の形は、ほとんど僕の意思を撥ねつけて、自律的に展開される。
僕にできることといえば、その自律性の邪魔をしないことだ。
それが、もっとも創作において”妙”なところであるとも感じる。
そして、AOUアルバムに収録した全作品が、そのようにして、ある自律性の中で、展開されていった私たちの意識の様々な層への旅のフットプリントでもある。
それらは、すでに、僕らの中に、あらかじめ埋まっていた何かであり、それを歌の形で、掘り起こした。
僕のイメージでは、その領域において、手を触れる存在によって、形が変わるのである。
あるものにはそれは絵のアイデアとして映るだろう、またあるものにとってはそれは踊りの始まりに見えるだろう、またあるものにとっては、物語の全体性を象徴する何かに感じられるだろう。数式に見えるものもあれば、未来のデバイスの設計図の朧げな概要に見えるものもあるだろう。いずれにせよそれらは、形のない微睡の空間であり、過去や未来を含む全ての時間であり、宇宙の果てすらを含む空間である、すべての可能性といってもいいようなものである。
ある時から、僕は、自分自身というものほど面白い存在はないのではないかと思い至った。それは自我という檻に閉じこもった"僕"ではなく、もっと全体性を帯びた存在としての僕である。そこには、数十兆個の細胞も含まれるし、僕を宿にする微生物の存在もそうである。
それらもまた別のレイヤーから見て、素粒子の集まりであると感じるとまた別の世界がそこから垣間見える。
僕として意識される領域には、ほんの氷山の一角であることは間違いないが、その一角を自分と誤認することは、多くの現代人が陥る偏りであろう。
芸術は、深層から、立ち上ってくる。それらは、海のようにこの世界をつなぐ。
あの日の、夜空について、話そう。
2020年の6月の終わりの頃だったか。
前日の夕方、私たち(妻と僕)は家の前の畑から空を見上げていた。一日中、不思議な雲がずっといることを観測しながら、最終的に黄昏時の、今にも溢れそうな青と薄紫の色の中へ、歩いていった。
その日の雲はNEWという作品のヴィジュアルにも起用したほど印象深いものであった。
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そして、翌日の朝、私たちは、未確認飛行物体を見た。
それは、一般にもニュースに取り上げられた東北地方で見られた物体であった。結局それについて、確証のある結論は出されず、様々な憶測が飛びかうだけで、コロナの報道に飲み込まれていった。
そしてのその日の夜に、私たちは、異様なほどに夜空で点滅する無数の星々を見たのだった。
街灯もついていて、普段であったら、家から見て北の方角の空には、星は見えにくい。にもかかわらず、驚くほど明るく星々が輝っていた。
僕らは、それを星と呼ぶのが適切であるのかもわからなかった。一様にこちらに向かってビカビカと光続ける、”彼ら”は、強烈な信号を送っているかのようだった。
僕は、初心者向けの一眼レフを、持ってきて夜空も撮った。北の方角を撮ろうとしても、街灯の光が邪魔をして、カメラにうまく収めることはできなかったから、その日の天空にカメラを向けた。
その時の写真は、アルバムの2曲目となる、"1000 Women"のビジュアルに起用した。
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この写真を見ても、その日自分が感じた光量や、ビカビカと蠢く光の感覚を伝えるのは難しい。それらは、きっとカメラのレンズには映らない種類の光であったのだ、と僕は思うしかない。
その日に、僕という個体の眼差しと、夜空に浮かぶ星の光が、出会う場所において、それらは内側と外側の境界上に迸る暗号として、僕の眼前に現れたのかもしれない。
その意味は、僕にしかわからない種類の光であり言葉であり、命であった。
マクロコスモスとミクロコスモスの間で執り行われた、見つめあいは、僕という意識では捉えきれない何らかのやり取りが、その瞬間に行われたのだと、僕は思うのだった。
その光は、僕らに何かをもたらした。
それが何かはやはりわからない。
わからないづくしだ。
そして、僕らは、1000Womenと、Space Bar、NEWという三つの曲をこの時期に一気に作った。他にも多数の曲が、この時期に生まれたが、AOUアルバムには、特に象徴する3曲を収録した。
僕は、これらの現象が何であったか、何を意味するのかという解釈はしない。いくらでもそこからドラマを作ることはできるだろうし、無数のストーリー仕立てに理解した気になることも可能であろう。
だが、僕は、それらをそのままの光景として、ここにおいておく。
僕は見た。それを体験した。そして、僕は音楽を掘り起こした。
そこに解釈の隙はないのだ。
2024/12/23
written by Shinta SAKAMOTO
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