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新曲 "AOU" と 歌う瞑想 "SINGA"

いつか夢に見たこの道を歩いている
生まれる前からここに来ること知っていたみたい

不思議なこの世界はつながっているから
またどこかで必ずあなたに会える

めぐりめぐる時のいたずらに身を任せて
重ねた手と手を合わして
今日の日の終わりを迎えるその時まで

僕らは夏のきれっぱしを投げかけて
夢を渡り歩いた一輪の花さ
咲くときにもう一度
僕は君に出会うだろう
というのは
小さなこの手を抱きしめたいから

何にも見えなくなる
ゼロになるその時を探して
輝いたかげろうを掴み損ねた

不思議なこの世界はつながっているから
この旅も続いていく
あなたと僕と君で歩いてこう
どこまでも続いてくこの世界を旅して
めぐりめぐる時に身を任せて
どこかで必ずまた会いましょう



music by maishinta
Jacket Design & Art by paco


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新曲 "AOU" と 歌う瞑想 "SINGA"

<AOU リリースの覚書>


2024年8月12日にmaishintaの新作"AOU"の音源verをリリースした。

AOUという曲自体は、すでに2020年の夏頃にすでに書き上がっていた。詩と曲は、ある日まだベビーベッドでゴロゴロしている娘を前にしてほとんど一筆書きで出てきた。
その後、日々の中で、歌いながら、育ててきた。

この夏の日から、4年の歳月が流れた。

娘は、4歳になって、走り回り、喋りまくり、おもいっきり泣いたり笑ったりしている。日々が永遠のように見えて、また一つ一つと、進んでいく。


待てないね
待ってはくれないね
進んだらあと戻りできないね
幸せな一方通行ね

と、AOUの次にくる曲の歌詞が浮かんでくる。

この4年間のことを思うと、娘の誕生からすぐにコロナが始まり、全く新しい世界が現れ、私たちを容赦なく飲み込んでいった。

僕とMaiとSoraという3人家族も、これまでの住んでいた土地を離れ、新しい場所で暮らし始めた。

それ以前のことはもうほとんど前世のような感覚が浮かぶ。それほど、濃密なこの4年間であった。
もちろん、今、僕らは、まだこの4年間を、一番近しい記憶として、時間的な隔たりを持たずに見ているからこそそう思うのかもしれない。
しかしながら、このコロナという地球規模の事態がもたらした人類的な記憶が、きっとこの時期のことを、不思議な時として、振り返る未来があるだろうと直感している。

このAOUという曲ができた2020年の夏は、コロナが始まったばかりで、緊張が特に高まり、その後、繰り返し訪れる波のように、事態に慣れが含まれたものでなかったと記憶する。

その時期は、ステイホームや、マスクといった人と人が外に出て会うことへの制限が物理的にも、そして精神的にもなされたタイミングであった。

このような時に、生まれてきた生後6ヶ月の娘を前にして、僕はふと自分が、この肉体での生を終えていく時に、娘に何をいうのかということを想像した瞬間があった。そしてそれはただの想像におわらなかった。
本当に私は、その時空に立って、娘と出会いなおしているのだった。

その時の言葉にならない感覚。
はるか未来の時空と今が、繋がっている感覚。

近くの特産市に野菜を買いに行った帰り道、ベビーカーを押しながら3人で、雄大な蔵王を眼前に、歩きながら、驚くほど鮮明なデジャブに出会った。
隣で歩いているMaiが、これから言うであろう言葉が、音になる前から心に浮かんで、そっくりそのまま彼女は言葉を発していった。

「・・・・全ては繋がっているから・・・・」

僕は、呆気に取られてしばらく黙っていた。こんなに鮮明なデジャブを体験したのは初めてだった。

何度も何度も、無限に繰り返される生の中で幾重にも聞いてきた言葉のように。それは、僕の魂のどこかに埋め込まれた鋳造される時を待っていた活版印刷用の文字組のように、とてもはっきりとした形として存在していた。

「・・・・全ては繋がっているから・・・・」

その予言めいた響きに誘われ、その二週間後にギターでFM7を鳴らした時に、その時の感覚であり同時に言葉である「全ては繋がっている」ということそのものの全体性に耳を澄まして、そのまま一気に歌が生まれた。

その後、日々の中で歌ったり、ライブでも演奏したり、バンドスタイルでレコーディングにトライしたりしてきたが、何かしっくりくるところがないまま時は流れた。

2024年6月18日に、『一定のテンポとドラムマシーン的なリズムでAOUを紡ぐ』というアイデアがやってきてすぐさまトラックを作ってみた。そこで、この曲のなるべき物理的な形が見えてきた。

これまで、maishintaで作ってきた作品は、コンピューターを使って制作する際にほとんど当たり前になっているクリック(一定のテンポ)を鳴らして曲を制作することをしてこなかった。それよりも、人間が演奏することで生じる自然な揺れというものを優先してきた。

しかしどうやら、このAOUという曲は、ある種の人間離れであるこの一定のテンポによる時間的な広がりを必要としていた。

その後、およそ2ヶ月間、少しずつ音を重ねながら、最後に声を入れていった。

最後のパートで、ただただ母音を思いっきり響かせる声を入れるところで、「全ては繋がっている」ことを、さらに感じることとなった。

maishintaが、この6月からスタートした「歌う瞑想 S I N G A」は、母音を発声するという瞑想法が核となっている。
日々オンライン・セッションをクローズドのコミュニティの皆様に行う中で、私たち自身も、普段以上に母音を響かせていた。

その心地よさに、そして、無意味なこの母音という音を身体に響かせていくだけで、どれほど人々が解放され、そして生きている喜びに直結するのかということを目の当たりにしてきた。

その風景と、このAOUという曲の制作は呼応していた。

この曲を聴きながら、一緒に声を出してみてほしい。
歌詞を一緒に歌ってみてもいい、勝手な音でただ「あああああ」と出してみても、「おおおお」でも「うううううう」でもなんでもいい。小さい声でも大きい声でも、音程が外れていようと、合っていようと、上手い下手なんて本当はない。命の発動として、歌が、音楽がある。誰にどう思われようとか、人をどうこうしようとかそういう分離の感覚から、この世界に生まれてきた時の赤子の時のように、無意味に、世界に溶け出したままに、ただ音を発する。

とにかく、私たちが普段生きている現代の社会は、あらゆるものに意味がつきすぎ、ぽかんとした"空"の体験をとることの難しくなっている。
この無意味の母音をただただ発声するだけで、実に不思議なほどに内なる野性が発動する感覚がある。人間のより原始的な一面が引き出されていく。
その単純さの中に浸る時、私たちは自らの生命の力で自らを癒す。

それが、私たちの本体である”生命”の声の力だ。

母音はその呼び水のような存在である。赤子の時、私たちは意味のない音しか出すことはない。それは、未だ分節不可能な領域に存在していることを意味する。

母の胎内から生まれ出て、臍の緒を切り、一つの生命として宇宙を抱き始めた時、私たちは「オギャー」と叫ぶ。その叫びの中に、天上天下唯我独尊がある。
その圧倒的なまでの自信の尊さ。
唯我の"我"は矮小な近代的な自我ではない。
この世界の本体である不可思議、無であり有である色即是空、この世界そのものと溶け合う全体性を帯びた"我"なのだ。それはつまり、この世界の尊さと一体のものなのだ。

命の深い蠢きに気がついて、私たちは、自らの本当の声、生命の声をこの地球に響かせることで、起こるべき癒しが起き、そして、子どもたちが素直に喜びに生きることが当たり前になる地球がやってくる。

それが、このAOUという曲を成り立たせている、生命圏全体から聞こえる声だ。

Essay 
Written by Shinta 


歌う瞑想 SINGAについてオンラインのセッションが気になる方は、こちらからご連絡ください。詳細のご案内いたします。
https://www.8thmayrecords.com/contact



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