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【エッセイ】 命の不思議 | AOU 覚書
AOU アルバムの一曲目に収録した"AYAME"という曲は、娘が一ヶ月半の頃に書かれた。
そして、それから十ヶ月後にレコーディングを行った。
僕が抱っこしながら曲を書き、録音の時は、Maiがおんぶしながら歌った。
溢れるばかりさ
とめどなく私の
心の真下から
空の果てまで
広がる海
砕けた氷河の奥に
小さく咲いた
あやめの花を摘みにいこう
2019年の初冬、妻の実家の一室で、Maiと僕と助産師さんの三人で、新たな生命をこの世に迎えた。
今も、思い返すと不思議な感覚が湧いてくる。
特に出産を実際に行うMai自身が、もっとも、ビビットに感じていたことだと思うけれど、僕もまた、その意識に同調するように、その当時は気が付かなかったけれど、明らかに何かしらの神経物質がいつもと異なるパターンで、巡る心身の状態であった。
この世とあの世の間に、私たちは立っていた。
それについて書こうとすればするほど、僕は言葉を失う。
外見を記述したところで、僕が体験したことの何も、書き記せないことがわかっているから。
うむ。
という黙り込む音しか発せない。その時の感覚を、言葉で語ることは、ほとんどできない。少なくともこのような日常意識における言語では。
だからこそ、作品はうまれる、神話的な物語が発生する。
人の命が、この世に現れ出るその一連の時間の中で、自分自身の出自を感じた。
「私たちはどこからきて、どこにいくのか」
その根源的風景は、生命が生まれるという今もこの地球で至る所で起きているその風景の中にある。
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「私たちは、どこからきて、どこへいくのか。」
この問い自体が、すでに、世界から分離した意識の中から生まれていることに気が付く。
「私たちは、ここにいて、ここにいつづける。」
命の不思議は、はいこういうものです、と黒板に書き記し説明できるものではない。
私たちの存在そのものの不可思議にそれは、拮抗するから。
その不可思議を自らの体験として、生きる時、それは自然と了解されることだ。
正解などない。一定の答えなどない。
全ては変幻自在な、この世界の賜物であり、私たちは、それぞれの命の眼差しでそれを時として体験する。
それ以上に私は語ることはできない。
だが、体験を経て、私は、歌わずにいられなかった。何か、その全てに対して、私は嗚咽のように声を出さずにはいられなかった。
歌は、生まれる時に、私に流れ込むもの、歌に降り注ぐもの。
それは、果てしない祝福であり、目に見えないはからい。
2024/12/20
written by Shinta
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