日記 - AOU制作記
ここ数日、いよいよ僕にもアルバム全貌というものが見え始めてきた。
まだ、未定な部分や、これからさらに深化・進化する部分もあるが、このアルバムによって僕の中の何かが引き出されている感覚があり、それを「人々の中に表していきなさい」と内なる声が囁く。
今回のアルバムタイトル「AOU」
これは、ア・オ・ウという日本語の三つの母音のことでもあり、またシンプルに「会おう」という言葉でもある。
この表題曲"AOU"は、娘が生後5ヶ月の頃に生まれた。
2020年の初夏、ちょうど緊急事態宣言が発令され、最初のステイホームのような時期と記憶している。
まだベビーベッドでゴロゴロしている娘を前にして、ギターを弾いていた。
FM7のコードを鳴らした時、予感が僕の中に走り、自分がこの肉体での生を終えた時に、娘に何をいうのかということをチラリと想像した。
その瞬間、私は音楽に乗って、宇宙の彼方へと飛ばされ、私たちの世界と重ねあわせの死後の世界へと誘われ、その景色を見て、そして我に帰ってた。
その時見えた景色が歌詞と音楽になっていた。
この曲は、疫病の流行という地球的な出来事と、僕個人の身に起きた新しい命との邂逅が、深いところで呼応していると感じていた。
それは、人と人が、実際に物理的に出会うことの圧倒的な奇跡へ目が開かれた瞬間でもあったとおもう。
「この世界のどれだけの人が会いたいひとに、ほんとうに魂が会いたいと願う人に出会うことができるのだろう。」
誰かが僕の耳元で、囁く。
この世界でどれだけの人が会いたいひとに、ほんとうに魂が会いたいと願う人に出会うことができるのだろう。
また誰かが囁く。
物語の中に、差し込まれた誰かの小さな声が、今、私の脳裏で響き、腹の底を揺らす。
私たちは、なんとなく、とてもなんとなくコロナ禍という時期を通り抜けたように見えて、その余波は、実に私たちの意識深くまで浸透している。
それ以前と以後では、具体的に何がと言えないもの多いけれど、私たちの意識の前提が変わっていた。
そこには痛みもあり、癒しもあった。
多かれ少なかれ、私たちは、自分たちがなぜ生きているのか、そしてこれからどう生きようかということを考えずにはいられなかった。
それは僕自身もそうだった。
僕らが、この4年間で、紡いできた曲たちは、来たる時代における一つの暖かな可能性を示唆するものであるという確信がある。
それは、人と人が出会うことの本当の意味に気がつくということでもあり、あるいは、地球上のみんなが本当は大きな家族、ネオ・ファミリアであることに気がつくことでもある。
互いの違いを愛でる寛容さと、共に生きる友愛の感覚を抱いて、次の世代に喜びの星としての地球を差し出していく。
その暖かな未来の景色とこのアルバムの曲たちはがっちりと繋がっていると僕は思っている。
この混迷する時代において、本当の人間性、愛、友愛、博愛の支えとなる作品を思いっきり作ってきたと、僕ははっきりと言おう。
なぜなら、このアルバムに現れた曲たちは、全て、私心を超えたところで誕生し、人がそれぞれに皆抱いている神性を通して紡がれたと言う体感があるから。
AOU
いつか夢に見た
この道を歩いている
生まれる前から
ここに来ること
知っていたみたい
不思議なこの世界は繋がっているから
またどこかでかならずあなたに会える
めぐりめぐる時のいたずらに身を任せて
重ねた手と手を合わせて
今日の日の終わりを迎えるその時まで
僕らは夏のきれっぱしを投げかけて
夢を渡り歩いた一輪の花
咲くときにもう一度
僕は君に出会うだろう
というのは
小さなその手を抱きしめたいから
何にも見えなくなる
ゼロになるその時に
輝いた陽炎を掴み損ねた
不思議なこの世界はつながっているから
この旅も続いているあなたと僕と君で歩いてこう
どこまでも続いてくこの世界を旅して
めぐりめぐる時に身を任せて
どこかで必ずまた会いましょう
制作日記 by Shinta SAKAMOTO
2023年12月11日