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【130人の「嘆きが 響いてるよ」】

奇しくも再び緊急事態宣言が発出された1月7日、秋学期の演劇公演『三文オペラ』は千穐楽からちょうど14日間が経過した。

本番が終わって翌日のクリスマスから大学は冬季休暇。大晦日に跳ね上がった感染者数に気を動転させながらも、平静を装って新年を迎え、そして戦々恐々と新年最初の授業が始まった。

正直何をしていても常に不安で心ここに在らずだった。
今日、無事だったからといって明日はその保証はない。それの繰り返しだ。

ようやく10月からオンラインの稽古に混ざって、12月からようやく連日での対面稽古が可能になったとは言え、スタッフキャスト含めて130名前後の学生とそれを支える教員が毎日のように夜まで稽古やスタッフワークに勤しんだ。

オンラインライブ配信公演とはいえ、舞台づくりはいつもオンラインではない。1人感染者が出れば、1人濃厚接触者の疑いが出れば、その時点で予定通り公演を行うことはできないし、場合によっては即中止もあり得る。命あっての演劇である。

ただ、彼らはプロフェッショナルではない。学年が変わればその年の学生たちは巣立っていってしまう。気にかけているのは彼らの顔色ではない。彼らの人生に対する責任を、教員たちは常に感じている。今年は特に重圧だったと思う。
演劇人の集団である実習指導の教員だからこそ「言霊」を信じているからか、決して互いに口に出すことはなかったが、11月末の舞踊公演の本番あたりから、実習指導の教員間にはある種の覚悟めいたものがあった。

僕自身も演出家の端くれとして、格差広がる混沌の極みと化した社会の鏡として、踏みにじられた「若者」と一括りにされる彼ら特有の嘆きや叫びを徹底して描くことにした。描きたいのはコロナ禍ではない。むしろ「禍」を生み出した社会と「無力」な彼らとの「距離」である。ブレヒトのことばを、大岡淳さんのスピード感あふれる日本語を通して、とにかく自分のことばに置換出来るよう、自分たちと社会のつながり、その「距離」や「ズレ」について意識を巡らせることを繰り返し説いた稽古だった。

ストレートすぎる社会風刺や怒りがこもり過ぎて全力でボケ倒す必要がある現実の状況を踏まえ、ともすれば単なるシュプレヒコールになってしまう。
それほどエネルギーは鬱積していた。取り組む舞台がブレヒトの芝居であることに、そして圧倒的なヴァイルの音楽であることに、そして技術的にも本気で取り組まなければ成立しない高度なミュージカルであることに意味があった。

「心を震わす」と「気に障る」はおのずから別物だ、あんちゃん。そう、おれが必要としているのは芸術家だ。芸術家だけが、今日なお、人の心を感動させることができるんだ。おまえらだってきちんとこなせば、観客は拍手してくれるに決まってんだ!少しは頭を使え!(3景、ジョナサン・ピーチャムの台詞抜粋)

そうか、感動させられれば芸術家になるんだ、などと単純に考えて結局感動の押し売りをするような「気に障る」舞台作りをし始めるような学生は、もはやこのプロダクションにはいなかった。

思い出に残るのではなく、記憶に残す作品にしよう。

僕が繰り返し語りかけたスローガンだ。春学期をいろいろな想いを抱えながら、オンラインでリモート演劇を創り苦労を重ねた学生たちとて最初から同じことを胸に秘めていたように思う。

オンライン配信公演だったこともあるが、演出家としてのことばをどこにも記す機会がなかったので、近いうちに別の記事として残しておこうと思う。

とにかく学生の、特に4年生の熱量が凄まじかった。
それに呼応して2、3年生も目の色が変わっていったのはある意味痛快だった。

自分たちで検温表を作成し、稽古前には再度計り直し、寒い中定期的に換気とその度に手指の消毒を流れるような連携で行い、終了後には入念に道具や稽古場を清掃・消毒をして、酒を飲みにも行かずに帰宅し、翌朝黙々とオンライン授業を受け、稽古に出てくる。

それを130人全員が忠実に守った。もちろん怠けたいのやサボる学生も出てくる。それを野放しにすることが、今回は人の命を脅かすことに直結することを、周囲が知っていて、さらに当のサボった学生もその重大性には気づいていて、なんとか軌道修正をしようとする姿が見て取れた。

特別な取り組みがあったわけではないと思う。どこの現場でも、またどこの大学でも実施されていることをやったにすぎない。

ただ一つ自信を持って言えることは


どれだけ自分たちの学びに誇りを持つことができるか。
そのために必要な責務を、あるいは当たり前のことを、当たり前にやりきること。

それに尽きると思う。

根性論は僕自身が嫌いだし、集団の持つ異常性や排他性の持つ危険性には人一倍敏感である。ただ「集団が個を支える」こと、「集う」ことの意味と大切さを一つの「必ず舞台を成功させる」という大きな目的のために全員が出来る限りの形で取り組んだその創り手の「精神」のようなものが、この作品の血となり肉となったのだと思う。身を削って命がけで芸術を生み出す、それがプロの念持だとしたら、それに近い迫力は、確かに持ち合わせていた。今振り返るとそんな気がする。

プロの現場を見ても、他の大学の舞台づくりを見ても突出した大所帯である。誰一人欠けることなく、画面の向こうにいる同級生や多くのお客様に「作品」を届けることができたのは、ひとえに学生諸君を支え励まし、そして彼らを信じて実習に向かわせてくださったご父兄の皆さま、そして厳しくも暖かい感想をたくさん届けてくださった観客の皆さまの
ご支援、ご協力あっての「公演」でした。

初日23日はのべ1868回、千穐楽24日は12日間のアーカイブ配信を含めてのべ4886回の視聴回数となりました。心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


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