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2025年!初note

2025年になっていつの間にか10日が過ぎた。

昨年から金刀比羅宮のカメラマンをしていることもあり、年越しは琴平で過ごした。日付が変わってから怒涛のように行われる極寒の中の神事、寝ぼけ眼だったが確かに見た薄曇りからの初日の出。意識は朦朧としていたが、神々しさの体験だけはハッキリと覚えている。

そんな感じで仕事しながら年を越したせいか、あまりにも新年という意識がまだ希薄だ。それでもぼやぼやしていると1月すら終わりそうなので、何か脱皮の巳年に相応しい新しいことをしたい。特に今年は乙巳(きのとみ)という60年に一度の縁起の良い年というではないか。

そんな時に友人から届いたのがmixi2のお誘い。懐かしく思ってmixiに久々ログインしてみる。あー、こんなのあったなあという懐かしい感覚が一気にフラッシュバックしてきた。日記、足跡、コミュニティetc…

東京から香川に帰ってきて暇だったこともあってmixi、livedoorblog、そして初期のFacebookなど当時は長文を書き散らしていたことを思い出した。ブログは確か「四ツ國日記」というタイトルだったがすっかり放置している状態だ。

翻って今の自分を見るに、特にコロナ禍以降はネット動画にすっかりハマっていた。最初の方はAmazon prime videoやNetflixといったもので映画やドラマを見ていたのだが、真に恐ろしいのはyoutubeだった。
特に広告が鬱陶しいからとプレミアムに加入してからというもの費やす時間は膨大に。バックグラウンドでも再生できるため、車の移動中でもずっとyoutubeを聴いている始末。完全に依存症である。

最初はカメラ機材や写真の動画、編集や映像のハウツーなどを見ていたが、すぐにAbemaなどのネットニュースや各種ユーチューバー、そしてビジネス系の動画や自己啓発まで見て、行き着く先は日本凄い系や陰謀論・・。
気がついたらすっかりコロナも明けていて、時間だけが溶けていた。

solowというスペースを営むくらいに、10代〜30代はメチャクチャ本を読んだ。雑誌も当時は多種多様で、そこでサブカルな人格形成をされ、SFや精神世界に旅、写真集や数多の画集に漫画など、人生で影響を受けた本は数えきれない。

翻ってYouTubeを3年間見続けて自分に何が残ったのかと振り返ってみると、見事に何にも残っていなかった。あれだけハマったチャンネルもユーチューバーもそんなに思い出せない。その瞬間は勉強になった気になっても全然覚えていない。不思議とBGM変わりに聴いていた音楽の動画はすぐに思い出せるのに。他人の養分になって、クリエイティビティは確実に下がっている。

これはヤバいのではないか?令和になって僕らはコスパもタイパも最適化して生きているつもりだったのに、気付いたら無料エンタメコンテンツとは結局他人の人生に付き合わされているだけだった。世に溢れるビジネス本と同じだ。経験の無いただの情報は、ただただ自分の上を流れてゆくのだ。

人間のエネルギーの総量が100として、それは基本的に有史以来変わらないと思う。その内容がどこに配分されるかで、その時代は決まってゆく。

これだけバーチャル空間に人々が夢中になっている現代。そりゃ現実や存在は希薄になるはずである。まるでマトリックスかソイレントグリーンかのよう。人の魂は電脳空間に散らばりつつある。

早々にYouTubeは困った時のハウツーやBGM代わりに使うだけとし(いきなり断つのはさすがに依存し過ぎた・・)長文を書いていたあの頃のマインドを取り戻さないといけないなと。

まだ間に合うはずだと自分に言い聞かせて。
蛇は古来より復活と再生を象徴する生き物なのだから。

リアルを取り戻すために。

象頭山で寒さに震えながら見た御来光のように。


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