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#フェスがこれからもずっと続いていきますように

2015年くらいからずっとスタッフとして行っているフジロック。純粋な参加者として行ったことはなく、ずっとスタッフとしてあの場に参加している。主催企業や団体に所属しているわけではない。でも、一緒にあの場所をつくっているメンバーのひとりだ。

2021年のフジロックが始まった今日、実は家にいる。事前に現場に行き、準備を進めている最中、現場入りする前に寄った実家に住んでいる家族が、コロナの感染したと連絡が来たから。(原状、軽症です)

保健所への確認したところ、僕は「濃厚接触者」には当たらない条件だった。事前に受けたPCRは陰性だし、現地での2回の抗原検査も陰性。体温ももちろん平熱。自販機で買った不味いコーヒーの味もしたし、2年間使われなかったスタッフ宿泊場所のカビ臭さもしっかりと感じた。頭痛、のどの痛み、鼻水もなかった。でも、本部との確認で帰宅となった。一度町に出てPCRの陰性証明が出たとしても、潜伏期間である可能性も否定できず、苗場に戻ることは許されなかった。(帰宅してPCRを受けて、現時点では陰性であることがわかっています)

これは正しい判断だ。この状況では当たり前に粛々とくだされるべきジャッジだ。でも、帰りにひとりで泣いた。気持ちのやり場がなさすぎて。なんなら、いまもメソメソしている。今年のフジロックを目に焼き付けたかった。どんなことを思うのか実感したかった。困難な開催の実現にむけて自分の力を使いたかった。でも、今年はダメだった。しかたない。


フジロックの開催に関して、いろんな意見がある。もちろん、世の中の状況はわかっている。でも、ぼくはフジロックの開催を支持する。両手をあげて支持なんてできるわけない。自分のエゴと、非情さを自覚しながら、それでも、なお心が傾く点を結論とするしかない。

開催を支持するというと「支持するか・しないか」の二択から選んだように見えるけど、実際はあらゆること想像したり自分と向き合うグラデーションの中で、あえて決めるならこの "点" ということ。言葉で表せば「支持」だけど、そんなに単純じゃない。多くの人がそうだと思う。人の心は、ゼロヒャクじゃない。


「なぜフジロックは無観客にしないんだ」という声が挙がっている。カルチャーに関わるライターさんも「無観客配信にしたら”カンパ”する意思表示をしたい」というようなことをTwitterに投稿していた。

そんなこと、簡単に言わないでくれよ。

リアルな場の体験をつくる職能と、映像体験をつくる職能は違う。

建築家に「フランス料理のコースをつくってくれ」って頼むか?
医者に「新しい遊園地のクリエイティブディレクターをしてくれ」って頼むか?
エンジニアに「ビンテージのソファのリペアしてくれ」って頼むか?
ライターに「オリンピックの開会式で国歌斉唱してくれ」って頼むか?

フジロックは、小さな会社と個人事業主が集まり続けてきた「リアルな現場をつくるプロフェッショナル集団」だ。

無観客配信に切り替えるなら、舞台をつくるスタッフ以外、ほとんどのスタッフは不要になる。膨大な数のテントを立て備品を納入する会場設営チームも、広大な会場を夢の世界に仕立てるデコレーションチームも、ひとつひとつが何百万と売上を立てるたくさんの出店も、近隣の宿泊施設も、人や物を運ぶ交通関係も、すべて必要なくなる。これまでの準備も食材の仕入れも、必要なくなる。

すべて、この1年半、徹底的に痛めつけられ続けてきた、イベント業界と飲食業界と観光業界だよ。どれだけの人が経営に苦しみ、職を離れたか。どれだけの場が失われたか。「そんなの知らない」なんて言わせない。

"カンパ"でいくら集まる?100万だろうか?300万くらいなら集まるだろうか。500万くらいいけるか?奇跡が起きれば1000万円くらいいけるか?億単位のカンパが集まったら少しは助けになるだろうけど、そんなの絶対に無理でしょう。



「遥かに規模が大きいオリンピックのほうが、フジロックよりも”複雑”なはず。そんなオリンピックが無観客でやれたんだから、フジロックでやれないわけない」と、食って掛かってきた人がいる。

そんなこと、なにを根拠に言うんだろう。

予算や関係者が多ければ複雑なのか?

大企業の経営と、スタートアップの経営の”複雑さ”を比べられるのか?人口2000人の町の運営より、人口100万人の街の運営のほうが”複雑”なのか。

そんなわけない。規模が大きければ大きいなりに、小さければ小さいなりに、複雑さと困難さがあり、単純比較なんてできない。

潤沢な予算と人脈があって権力もある国家プロジェクトと、小さな会社や個人の集合体であるフェスでは、そこで大切にされるものもやり方も全然違う。

規模が小さいからこそ、ひとり一人の顔が浮かぶ。困っているのを知っているからこそ、簡単にその人の仕事をなくすことはできない。

規模が大きいからこそ、トップダウンで決めてしまえば、非情さをもって実行できてしまうだろう。(そんな大きな仕事したことないのでわからないけど)そこで泣くのは、政治家にとって対した票田にならない人々でしょ?無観客を決めた人たちの懐は痛まない。予算は税金だもの。そういった路線変更で増えた分の工数をD社は請求してたりしてね。知らんけど。

そもそもオリンピックには、マスメディアという放送のプロが別チームでいて、粛々と準備していたわけでしょ。それとフジロックと比較すんの?マジで?

加えて言えば、オリンピックが無観客になり仕事がなくなったのも、同様にイベント業界と飲食業界と観光業界だよ。これらの仕事は「人が動く」ことで経済が回る。今回のウイルスとまったくもって相性が悪い。それなら、そういう業界は滅んでいいんだろうか。適者生存だろうか。それぞれやれることはやってんのよ。当たり前でしょ、誰も助けてくれないんだから。自分たちのことは、自分たちで守るしかないって、みんなも実感しているでしょ。



簡単に言わないでくれ。簡単に無観客配信にすればいいなんて、言わないでくれ。そんな簡単じゃない。だから、みんな、苦しいんじゃないか。世の中、そんなに簡単じゃないってみんなわかってるでしょ?簡単に言わないで。簡単なわけないんだから。


それぞれが、それぞれの立場でしか、物事は判断できない。それが自分にとって大切なことならなおさら。社会的な正しさと自分の正しさが重ならない、という感覚はこれまでになかったかもしれない。

フジロックが好きだ。でも、今回の一連の流れを当事者として受け止め、新しいフェスを主催したいという思いも抱くようになった。いま、目撃していることがどうしたら防げたのか。自分の意思表示をフェスを通じてやってみたいと思った。そのときは、新しい社会の息吹をまとっている友達のみんなに手伝ってほしい。



今回のフジロックは、おそらく本番が終わってもその評価をするのはとても難しいと思う。しばらくあとから振り返ったとき、自分がどんなことを考えるかわからない。もしかしたら、自分では背負いきれないほどの責任を感じるかもしれない。批判を受け取るなんて言えない。それぐらい無責任な自分が恥ずかしい。


それでもとにもかくにも、今思うのは
#フェスがこれからもずっと続いていきますように
と、いうことだ。

自分に正直でエゴイスティックで非情な、それでもなお沸き立つドロドロとした感情であり、心の底からの願いだ。


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葛原信太郎
将来的に「フェスティバルウェルビーイング」の本を書きたいと思っています。そのために、いろんなフェスに行ってみたい。いろんな音楽に触れてみたい。いろんな本を読みたい。そんな将来に向けての資金にさせていただきます。