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変えるべきは「つくり方」なんじゃないか

2025年になった。年末も年始も、なにか文章を書きたいなぁと思いながら、やる気が起きない。考えていることはないわけじゃないんだけど。ここ数年で、書くこと以外の仕事が増えた。プロマネをしたり、企画を考えたり。文章が書けないのは、こういう仕事の変化に起因しているのかもしれない。

たぶん、書くこと以外の表現方法を知らなかったんじゃないだろうか。いろんな人と関わり、いろんな人の仕事を見て、実際に関わる領域も広がったいま、考えていることの表現方法は文章だけじゃない。何かの企画に反映させたり、プロマネとしての自分の仕事の方法をアップデートしてみたりすることで、表現できることも消化できることもある。

なんとなくしんどいフェスの未来

こうしていろんなことに関わると、ずっと仕事のフィールドにしていたフェスに「視野の狭さ」を感じてしまう。2024年はいろんなフェスが終わっていった。新しく始まったフェスより、終わってしまったフェスのほうが多いんじゃなかろうか。わかんないけど。気分としてはそんな気がする。

なんとなく、しんどい── 。思っていたことを無邪気にSNSにポストしたら、それなりにリーチした。少なくない人が同じような思いをいただいているからではなかろうか。

フェスにはステージしかないんだっけ?

ただ不思議と、上記のポストの反応もだいたい「ステージ」の話になってしまう。

ブッキングで勝負するとなると、人気アーティストの取り合いになり、結局は予算勝負になる。どこも同じようなブッキングになり、出番が集中するアーティストの中には心も体も壊してしまう人も出てくる。

本当はいろんな要素がありえるはずなのに、主催者も参加者も関心を持っているのはステージばかり。まぁ、そうやってつくってきてしまったんだからしょうがないのかもしれない。

ただ僕は運良く、札幌国際芸術祭(SIAF)を通じて「芸術祭」というものを事務局の中から眺めることができた。同じ「祭」でもずいぶんと違った。そして、フェスの参考になることがいろいろあるんじゃないかと思った。なんといっても、グラストンベリー・フェスティバルだって、正式名称は「Glastonbury Festival of Contemporary Performing Arts」だからね。

結局大事なことは、フェスのつくり方のアップデートなんじゃないかなぁと思ったりしている。

誰とつくるか
何からインスピレーションを得るか
どういう座組でやるか
どういう体制図を描くか

こういったことをもう一度再構築したほうが良いんじゃないかという気がする。

芸術祭にはディレクターがいて、キュレーターがいて、アーティストがいる。作品の形態はさまざまなで、いろんな人が仕事して関わる。フェスは多様だなぁと思っていたけど、芸術祭はもっと多様だった。

こういう「みんなでつくる」ということに可能性を見出しているのは、SHIROの会長、今井浩恵さんの考えや実践をそんなに遠くない場所から見せてもらっている影響もあると思う。

今年は、新しくはじまるフェス的なイベントに企画の初期段階から参加している。果たしてどんな景色がつくれるか。とても楽しみ。

加えて今年は、最近手伝っている家具のブランドのリブランディングのローンチ、友人のおかけでまたしても行くことができるグラストンベリー・フェスティバル、そして何よりどんどん進歩していく子どもの成長が楽しみ。

頑張りたいことは、引き続き英語の勉強と、習慣的な運動の再開。本の出版も目標。

2024年はSIAFの記録集の企画や執筆もさせてもらって、これはけっこう手応えがある。芸術祭に興味ある人だけでなく、フェスに興味がある人もぜひ読んでほしいです。自分で書いた編集後記、載せておきます。

編集後記──つくる、本を書く、またつくる

記録集のようで、how to本のようでもあるこの書籍の企画を任された僕は実のところ「アート業界」の人間ではない。普段は企業のオウンドメディアの執筆や編集、野外フェスティバルの運営や企画などに関わっていて、芸術祭はもちろん、展示会やアート系メディアでの経験もない。半ば素人みたいな僕だったが、さっぽろ雪まつり大通2丁目会場のプロジェクトマネージャーなんて大役を任せてもらい、約2年間のマラソンのような日々を終えて、ふと「新しい景色がつくれたのかもしない」と思った。恐る恐る会議に提案したそれなりに大胆な書籍タイトルは、意外にもすんなり受け入れられた。

SIAF2024では「未来」というキーワードが度々登場した。未来劇場、とある未来の雪のまち、未来の札幌の運動会……。アーティストが想像した「未来」が、目の前の景色として現れる。「存在するかもしれない未来を先取りすることは、変化の多いタフな時代を生き抜くヒントになるのではないか。市民、とくに子どもたちをエンカレッジできる芸術祭になりそうだ」という予感がしていた。実際、未来劇場でも、さっぽろ雪まつり大通2丁目会場でも、多くの子どもたちが訪れ、縦横無尽に駆け回っていった。きっとアーティストのメッセージも受け取ってもくれただろう。気候変動、紛争、加速するテクノロジーの進化……不安定なこれからの世界を生きる子どもたちが、たくましくサバイブできるように、と願う。

せっかく森であたらしい生活をはじめるのなら、古い本を保存するよりも、自分たちの本をつくったほうがいい。
──津野海太郎『編集の提案』(黒鳥社)より
 

尊敬する編集者の若林恵さんが、こんな一文を紹介していた。うむ。SIAF2024では「あたらしい景色」を生み出せたように思う。さらに、次回に向けて学校訪問などを継続し、新しい日常や「あたらしい生活」をはじめようとしている。それらをつくる過程を振り返り「自分たちの本をつくる」ことで新しい芸術祭の輪郭がはっきりしてきて、さらにあたらしい芸術祭をつくっていける。そんな気がする。次回の芸術祭ではいったいどんな景色がつくれるだろう。そういえば、若林さんはこんなことも言っていた。

「いつも未来に驚かされていたい」。

葛原信太郎

「新しい芸術祭のつくり方」札幌国際芸術祭実行委員会/札幌市

全文はここからDLしてね!
https://siaf.jp/pdf/2024/newartfestival.pdf

というわけで、2025年もサバイブ!!!

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葛原信太郎
将来的に「フェスティバルウェルビーイング」の本を書きたいと思っています。そのために、いろんなフェスに行ってみたい。いろんな音楽に触れてみたい。いろんな本を読みたい。そんな将来に向けての資金にさせていただきます。