多拠点生活という生き方〜ADDress〜
|はじめに
2022年1月よりスタートした多拠点生活という
新しいライフスタイル
ひとつの地域や賃貸に定住せず
行き先も決めず
ぶらぶらと思いつくままに全国を旅しながら
1年間、仕事をして、自然に触れ、人と接してきた
多拠点生活をスタートして1年という節目に
この生活を始める前の生活
始めて1年経った後の心境の変化や気づき
印象に残った出来事など
思い出のアルバムがわりに
残したいと思う
自然と湧き出てきた感情や思いついた表現を
可能な限り優先したいと思っている
一部綺麗な文章や言葉でないことろもあることは
ご了承願いたい
1年分を簡略にまとめるとはいえ
長くなる予感しかしないので
多拠点生活って何?ってことを知りたい人は
中の項目はすっ飛ばして
最後のまとめ的な部分だけ読んでもらっても
もちろん構わない
そしてこのブログを読むことで
多拠点生活の魅力に気づいたり
こんな生き方もありだよねと
読んだあなたの
生き方の選択肢を増やすキッカケとなれば幸いだ
|人工衛星から社会を見つめる
2018年くらいから2021年の3年ほど
僕は東京で一人暮らしをしていた
葬儀屋で派遣スタッフとして働きながら
現在の仕事でもある
iPad講座の先生やイラストや動画編集のクリエイターとしての
活動の準備を進めていた
格好つけた表現になってしまったが
要するに、30代になっても安定した職につかずフラフラした
単なるフリーターだった
僕はこの旅を始めるまでの人生において何一つとして
何かを成し遂げた記憶がない
学歴も高卒で、20代のほとんどをフリーターとして過ごし
運転免許証以外の資格も持たないまま生きてきた
人生初のバイトも、嫌になって仕事の途中で逃げて家に帰ったしまった記憶が
鮮明に残っているくらい
嫌なことから目を背けて逃げる癖がついていた
どうしようもない社会不適合者だった
そしてそんな落ちこぼれに限ってタチが悪いのが
態度だけは偉そうでプライドが高いことだ
こんな不景気で生き辛い時代に生まれたのだから
逃げたって仕方がない
そんな悲観的マインドで
社会で活躍するために必要最低限のステータスが欠如したまま
30代を迎えようとしていた
きっと今後
経済的・社会的な成功なんて言葉とは、ずっと平行線のままの世界線を
人工衛星のように重力に逆らわず公転軌道の慣性に身を任せて
明日生きるための生活費を時間給で間に合わせる日々を
死ぬまで続けることを覚悟し始めていた
|シェアリングサービスの搭乗チケット
時代は、IT革命から第四次産業革命へと移ったらしい
それを言われてピンと来る人なんていないだろう
僕も小耳に挟んだ情報を
さも自分が考えたかのように自慢げに発音してみる程度だ
僕は、人生のほとんどの時期を大阪で過ごしていたが、
東京に引っ越す1〜2年ほど前から、
シェリングエコノミーという名前を目にするようになった
シェアリングエコノミーの時代の波が来ている
要するに
<ヒト・モノ・スペース・オカネを、自分だけのものとして溜め込んでないで、余った分はみんなでシェアし合う方がハッピーだよね>というムーブメントらしい
着てない服をフリマでシェア
車を使ってない時間に誰かにシェア
空いている部屋を宿泊先や会議室としてシェア
そして
自分の持っているスキルをシェアできるというサービスも現れ始めた
自分で思いついたサービスを作り、自分で価格を決めて販売し
お客さんからダイレクトにサービスの良し悪しのフィードバックの声を
受け取ることができる
自分自身で直接積み上げた評価によって
信頼に繋がっていくシステムだ
本来なら
社会に役立つ実績もステータスも何もない自分にはこんなムーブメントは
無関係であるように思えたが
社会に役立つ実績もステータスも何もない自分だからこそ
やる価値があるのかもしれないともその時に考えた
そう思い始めると
段々とこれまでにない魅力と
すぐさま行動に出るほどのモチベーションが自然と湧いてきた
地球の自転に平行してダラダラ飛び続けていた衛星の元に
シェアリングエコノミーという新時代のムーブメントを迎えた
地球行きの搭乗チケットが届いた瞬間だった
失うものがない人間にとって
時に、定めた目標に向かって
とてつもない集中力を発揮することがある
その集中状態では人が口を挟む隙もなく
とにかく周りが見えないほどに一直線に向かう
この時の僕も同じく
搭乗チケットを握り締め
ただ必死に地球行きの宇宙船へ乗りこんだのだった
|多拠点生活がスタート
「僕は、サッカーアルゼンチン代表のメッシ世代」
「毎日メッシの方角を向いて3回は礼拝をする」
「もちろんメッシに足を向けて寝れない」
僕の同世代がどんな世代かを表現するのに
これ以上のものはない
2022年サッカーワールドカップで優勝した国
アルゼンチン代表のフォワードのメッシと言えば
サッカーのにわかファンの僕でも知っている
僕は、30代半ばまで生きてきて
学校行事以外で、大阪から外の地域に出たことがなく
ずっと大阪で過ごしていた
その大阪ですら
さらに自分の住んでいる区域から出ないくらい
他の区域もよく知らない
例えるなら
セルフ保護観察所状態
とはいえ
大阪から一歩も外に出なくても
中途半端に物も食も交通も揃っていたので
さほど生活には困らなかった
それが外に出ないことを
後押ししていたと言えばそうだが
本当に外に出る選択肢がなかった
想起すらしなかった
人の土産話にも
自分とは無関係であるかのように聞いていた
あまりにも世間知らずで生きてきた
飯さえ食えてれば
それで良いと思っていた
そんな状態で20代を過ごし
30代も目前という時に
地球行き搭乗チケットが届いた
もちろんただの言い回しだ
単に大阪で過ごしてきた人間が東京へ引っ越しを決めたという
大学生の上京エピソードと何ひとつ変わらない話である
しかし
目の奥に宿る意欲は
これまで生きてきたものとは違っていたことは
自分自身感じていた
それから
東京に引っ越してから3年目
とうとう準備してきたものが形になって
ついには決まった職場に出勤する必要がなくなった
今まで選択する権限すらなかった一本の人生の道に
選択肢が生まれた瞬間だった
リモートで仕事が成立するようになった今
いっそ住む場所を変えるか
なんなら転々と移動しながらでも生きていけるかも
とにかくワクワクした
そうして
Googleの検索エンジンに乗って運ばれてきたのが
47都道府県で200ヵ所以上提携している古民家やゲストハウスに定額で住み放題
ADDress(アドレス)というサブスクリプションのサービスだ
あきらかに
大阪や東京で住んでいた賃貸の家賃よりも安くなる上に
全国を旅までできるのだから
決断するまでに時間を有するはずがなかった
そして2022年1月
僕の多拠点生活は始まった
メッシからパスが回ってきた瞬間だった
|ADDressライフ
ADDressを使っての多拠点生活は刺激そのものだ
全てを処理しきれないほど
新鮮な体験に溢れている
不満も何もない
いったい誰がこんな生活を予想したか
20代の自分へ言ってやりたい
「今後、君の人生は最高になる」
きっと20代の自分のことだからこう返ってくるだろう
「クソ喰らえ!そのイスはお前が座ってるから俺が苦しい思いをしてるんだろ、未来じゃなくて今すぐさっさとお前が引退して椅子を空けろ!」
30代の今の僕ではきっと20代の僕を説得するのは無理だ
人生は成るよう成る
「そのままでいい」が正解だ
とにかく今のこんな生活スタイルが
信じられない
こんな幸運なことはない
セルフ保護観察所を30年経験した男
そんなデフォルト設定で
旅生活が始まったのだから
すべてが最高に感じないわけがない
旅行好きの人は
もしかしたら行く先の地域の
ご当地グルメや建造物やイベントなどを下調べするのだろう
今は体験者の感想付きで情報が得られる時代
その方が失敗しないし
予定通りに効率良く最高の体験ができると信じているからだ
そのスタイルはそのスタイルで良いし
実際に僕もその一面がある
だがこの旅に限っては
僕は世間知らずであることを逆手にとって
下調べなく旅をすることに決めている
みんな思い出してほしい
なんの前情報も知らずに
たまたま見つけた物事、体験したことが
とても最高だと感じた時のことを
例えるなら
<君はきっと騙される!大どんでん返しの結末のミステリー>
という情報を知って読む小説と
なんのジャンルかわからず適当に手に取って読み始めた小説
大どんでん返しの展開でよりビックリする確率が高いのは後者だろう
現に、実体験として
神奈川県藤沢市の江ノ島に行った時に
たまたま見つけた魚見亭というレストランのテラス席から
眺めた海の景色がめちゃくちゃ最高で圧倒された思い出がある
後で調べたらやはり有名な場所だったから
「お前が最初に見つけたみたいなテンションで語るな!」と言われそうだが
その瞬間に湧き上がった幸福度は
紛れもなく本物の感動体験だ
瞬間最高幸福率は、年末格闘技イベントで戦った
曙VSボブサップの瞬間最高視聴率のパーセンテージをはるかに超えただろう
あの喜びに変えられるものはなかなかない
良い物事や体験の一番贅沢な出会い方は
それらがどれぐらい偉大なことかでも、どれぐらい歴史的なことかでも
どれぐらい高級であるかでも、万人が良いと言っているからでもなく
自分の視界の外側からたまたま目に映り込んで来るからこそ
最高なんだということに
旅を経験して気づいたのである
僕はこの旅で得た価値観を大切に
今も優先順の一番上にしている
|僕にとってのADDress
もうひとつ
ADDressで多拠点を旅する上で
ぶれずに持っている価値観がある
それは多拠点生活は旅行ではないということ
旅行気分ではあるかもしれないが旅行ではない
そこにあるのは地に足ついたリアルライフである
全ての拠点が自分の家だ
たくさん自分の家があって
そこに帰る
料理をして
洗濯をして
掃除をする
動かす筋肉は賃貸で定住していた時と一緒だ
そこにプラスアルファで
違う景色の街を散歩をして
海や山を眺め風の音を聞く
このいつもの生活プラスアルファという価値観を
とても大切にしている
旅を特別な体験だと位置付けることを
最優先に置き過ぎていると
多拠点生活は地に足つかずに
たちまちコントロールが効かずに疲弊してしまうだろう
といっても人の目的は様々
始める動機も違う
前提条件も違う
楽しいと思う価値基準だって違う
自分の個人的な価値観を少し紹介しただけである
なので押し付けがましくなる前に
この話題は終わりにしたい
次の章からは
実際にADDressを使って多拠点生活をする中で
深く思い出となった出来事を3つほど紹介する
■1つめのエピソード|大阪で会ったアメリカ人
2022年3月に1ヶ月ほど大阪の拠点を転々としていた頃
福島区のカレー&珈琲店でテレビ取材が入るほどの人気のスポット
ゲストハウス由苑に宿泊していました
そこで出会った
アメリカ人の住み込みスタッフ
急に道の角を曲がった時に
ばったり人とぶつかりそうになるかの距離で
イングリッシュは突然やってくる
イングリッシュは唐突に必要となる
僕たちは教育現場から大人になって英会話教室やワークブックでもずっと
イングリッシュが唐突に必要になることを想定して学んでいない
案の定
過去に1〜2回挫折した頭の中の
イングリッシュのフォルダを開いてみても
ファイル名が散らかりすぎて
必要なファイルが見つからない
こんな時に限って検索エンジンは
90年台のウィンドウズ並みの遅さになる
僕は早々にイングリッシュを諦めた
しかし彼も同じであった
ニホンゴのテキストブックを開いて
フォルダにファイルを詰め込んでいる最中だったのである
これならいける
彼のニホンゴのテキストブックを取り上げて
「こんな文章使う機会ないよ」
「こっちを覚えた方が楽しいよ」と言って
いたずら心に火がつき
「クソ」という言葉を教えた
最悪なニホンゴ講師だ
でも何故かこの地域ではそれが正解になる場合もある
彼はその1日
「クソ」を連発するようになった
楽しくなったのか
その日の夜
彼は日本人のガールフレンドに
電話で「クソババア」と言ったらしく
ひどく怒られて
次の日一緒に謝った
ニホンゴを教える代わりにイングリッシュを教えてもらったが
お互いに言語を流暢に交換できるには
時間と練習量が圧倒的に足りなかった
しかし唯一
とある非言語のフォルダだけは共有していた
ジョークだ
言葉は通じていないが何故かジョークは通じる
こうして僕たちは
初日から「クソ」と「アスホール」の言語エクスチェンジを交わした親友になった
お互い単語レベルの
イングリッシュとニホンゴ
重要なのはタイミング
思いついたフレーズをぶつけ合う
それだけで笑い合える
きっと
アメリカのジョークと
大阪のお笑いは
文法が同じなのかもしれない
"知らんけど"
この共通したジョークという非言語で
僕たちは会話していることに気づいた
毎晩、コンビニで買った酒で晩酌を共にした
缶ビールや酎ハイのロング缶のことを
アメリカではトールボーイと呼ぶことを教えてくれた
それが僕の中で気に入ったので
それ以降
「飲みに行く?」の代わりに「トールボーイ?」と言うようになった
そして自分達のことをコンビ名のようにトールボーイズと名付けた
あれから9ヶ月
未だに僕たちは親友として
連絡を取り合っている
イングリッシュのフォルダにも整理されたファイルが増えた
検索エンジンもアップグレードされて
他の拠点でも
出会った観光客とご飯に誘って一緒に出かける経験ができるようになった
大阪から出たことがなく
旅行に興味がなかった人生で
初めて海外に行ってみたいという心が芽生えた
■2つのエピソード|岡山で会った職人
2022年4月
岡山県倉敷市の古民家の拠点で出会った大家さんの73歳のおとっつぁん(ADDressでは家守と呼ぶ)
見た目はただのおじいちゃん
ファーストコンタクトは
僕が宿泊する予定だったその古民家の部屋に到着した時だ
部屋のドアを開けるや否や
何故かその73歳のおとっつぁんが
部屋の椅子にちょこんと座っていた
部屋を間違えたのかと思って
何度か周辺をキョロキョロと見回したが
間違いなく
73歳のおとつぁんが座っている部屋が
僕の部屋だ
「ああ、今日か…」
静かにそう言って
腰をゆっくりと持ち上げて立ち上がった
腰が曲がって動きに機敏さがなかったが
73歳のおとっつぁんとはそういうものだ
気にはならなかった
何者か知らないおとっつぁんの正体は
この家の大家さんだった
家のルールや周辺情報を教えてもらってる最中に
僕が関西弁で話すことに気づき
急に目の色を変えた
おとっつぁんは岡山で生まれ育ったけど
大阪の人間やノリの波長が合うらしく
僕が大阪の人間であることがわかった瞬間に
いちいち言葉に皮肉が混じった
「近くにラーメン屋があるよ、マズいけど」
「八百屋もあるけど、あそこは何もないで」
何ひとつ有益な情報を教えてくれなかったけど
楽しそうに喋っていたので
ひとつひとつのボケに
ツッコミで合いの手を入れて応戦した
関西人が使う皮肉が混じった笑いが好きらしい
そして大阪から来た客が僕で初めてだったらしく
ファーストコンタクトこそスピリチュアルな何かが見えるのかと思ったけど
5分ほど喋ってすぐ仲良くなった
僕も遠慮なく口悪い関西弁で話すと
ゲラゲラ笑ってくれた
ある程度拠点情報の説明を受けた後
おとっつぁんが
「趣味で絵描いてるんよ、見せるから待ってて」っと言い出した
その時の僕の心の中では
「はいはい、どーせ趣味で始めたばかりの水彩の風景画とかやろ」
とか思いながら待っていた
すると
よちよちとMacBookを抱えて戻ってきた
人は見かけで判断してはいけない
それはもちろん肝に銘じている
でもどう見ても好きな食べ物は
おはぎと芋ようかん顔
そんな73歳おとっつぁんがMacBookのディスプレイを広げて
タッチパッドで起用にフォルダを開いてファイルを探し始めた
「これこれ」
見せてもらった作品に驚愕した
想像してた200倍は超えてくる現代アート作品で
ビックリする以外の選択肢が全て奪われた
イラストレーターで3ヶ月かけてようやく1つの作品ができるペースで
これまでに50作品作り続けてきたらしい
既にお酒の瓶のデザインやグッズ化したいと
多方面から声もかかってるらしい
実は73歳おとっつぁんの正体は
デザイナー歴30年のプロ中のプロで
誰もが知る大御所アーティストとも繋がっている
本当にすごい人だった
ただのすごい人
なんでこんな岡山の古民家に…
ちょっと顔利かしたら
世間が求める金持ちの成功者になってただろうに
そんなことには興味がないらしく
生活必要最低限のお金だけあれば
あとはずっと自分のアートを作り続けたいのだと
生粋の職人だ
僕もイラストを描いたり動画を作ったりと
クリエイターの端くれとして活動しているだけに
余計に作品の凄さとその裏にある努力と苦労が伝わってきた
73歳になっても
自分のアートに夢中で
人生捧げられる環境がある
これが作品を作る人間にとって
どれだけ幸せなことか
僕の理想の老後の生き方のレールの延長線上に
おとっつぁんが立っていた
倍以上も年が離れてるのに
そういった職人気質的な点でも息が合った
その晩、
料理を振る舞ってくれて晩酌を交わし
深い時間まで語った
お互いの持ってる人生の美学が似てた
もちろん
全然僕の生きてきた経験なんてまだまだぬるい
普通
歳を重ねるほど
他人との違いに歩調を合わせることができなくなる場面も増えて
考え方を改めたり
自分のわからないことを追求したりせず
頑固になりがちだけど
ちゃんと僕の話にも黙って耳を傾けて
「確かにそうやわ!」
「そうなんや、それは知らんかったわ」
って相槌を打ってくれる
たまにジョークを交えると
口から米粒飛んでくるほど笑ってくれた
意見を尊重して
知らないことを認めて
頭ごなしに否定することもない
きっと30年のデザイナー経験の下地が
あるからだと納得した
デザイナーは
人や動物の動作、映画やドラマや本、あらゆる物事に広く情報にアンテナ張って
インプットしデザインに落とし込んでいく仕事だ
常に観察することが
叩き込まれて染み付いてる
話を聞く時の姿勢がまさにそれだ
すごい
お酒が進んだ深い夜の時間に
おとっつぁんが急に口を開き
「オレなぁ 夢があるねん」と
嬉しそうに口を開いた
70歳を超えたおじいちゃんの口から
米粒以外に、こんな言葉が飛んでくるとは思わなかった
聞いてみたら
大したことない
小さい小さい中身だった
でも
めちゃくちゃ胸に刺さった
なぜかというと
それと同じような小さい小さい夢を
実は僕も掲げて生きてきたからだ
わざわざ人に話すほどのことでもない
でも自分たちの中ではとても大きなこと
周りの一般の人にとっては
手を伸ばせばかんたんに届く距離にあるもの
夢を語ってくれたお返しに
僕の夢も聞いてもらった
「うわーええ話やなー」と言ってくれた
お互い夢叶えられたらええな
生きていくためには
お金を稼ぐための小手先のテクニックも大事
でもたまには
もっと自分の人生の小さい小さい一歩に目を向けていこ
SNSで見た素敵な投稿よりも
自分の生活の中の米粒みたい小さい魅力に
もっと気づいていこ
おそらく
おとっつぁんは職人すぎて
自分の作品
別に誰に知られてなくても良いと思ってる
自分から頭下げて
絶対売り出していけない
職人は裏方で陽の目は浴びにくいし
やってることが直接自分に評価されない世界
でもそれがいい
ずっとそれでいて欲しい
それが職人としての生き様なのかもしれない
だから
「おとっつぁんの漫画みたいな人生の物語は
僕みたいな関西人に喋らせるのが一番輝くと思うわ」
と言ってまた爆笑された
たっぷり皮肉とユーモアで脚色したエピソードを
ここで紹介している
おとっつぁんの今の姿なんて
表面的に見たら
質素な生活で
腰痛そうにして
体も思うように動いてなくて
頑固な爺さんにしか見えてないかもしれない
今の時代の若者が目指したい生き方のお手本には
なってないかもしれない
けど
少なくとも僕の目には輝いている
ほんまにありがとう
おとっつぁん
■3つめのエピソード|祖父の背中
2022年10月に僕のおじいちゃんが他界しました
本当にたまたま旅の道中に大阪に寄ったタイミングだった
東京で葬儀屋さんで2年ほど働いていた経験もあり
毎日何かしらの理由で人がなくなり
その葬儀やお見送りの準備、残された家族たちの悲しみなどに触れてきたので
死生観はだいぶ自分の心の中でアップデートされてきた
でもやはり身内の死は特別だ
僕は小学生だった頃の6年間
両親の離婚を理由に
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしていた
父子家庭で実の父も健在だが
僕にとってはおじいちゃんも父のような存在だったからこそ
そんな存在の別れは特別だ
おじいちゃんの葬儀は身内だけで20〜30人ほどで行なわれた
小さい頃に見たことがある親戚などが数十年ぶりに顔を合わせて
おじいちゃんの棺桶に手を合わせた
関西の葬儀は特殊だ
いや、僕の家系が特殊なのか
親戚から兄弟まで葬儀の場で
笑いの爪痕残そうと式場をうろうろ歩いては
小ボケを仕掛けてくる
先祖代々色濃く人を笑わせたい細胞が散らばっているのだろう
やはり僕も小さい頃から今に至るまで
人を笑わせるのが好きだった
紛れもなく同じ細胞を分けた家族であることは間違いない
だからこそ笑いが起こる葬儀は
この家系においてはあるべき姿なのだと
おじいちゃんもきっとそれを望んだだろう
多拠点生活始める直前の正月に
大阪の実家で過ごしていたが
すでにその時から
おじいちゃんは寝たきりだった
一度だけおじいちゃんとしっかりと話をしたかったので
今話してる会話が最後になるかもしれないことを想いながら
一生懸命耳を傾けた
布団から顔だけを出して
身体はきっともう自力では動かせないのだろう
覇気のない声で
弱々しく語りかけていろんな話をしてくれた
僕は普段からあまり
自分から積極的に写真を撮ろうと提案することがない
でもこの時だけは
おばあちゃんにスマホを渡して写真を撮ってもらった
僕はすっかり弱って身体もろくに動かせなくなったおじいちゃんの
枕元まで寄り添って
カメラのレンズに向かってピースをした
するとおじいちゃんも布団の奥から
手を出してピースした
その時僕はこう思った
「なんやねん、身体動かへんのかと思ったら、手動かせんのかい、しかもしっかりピースしてるやん」
「ワシは首から下、全く動きまへん」みたいな雰囲気を全面に出しといて
割としっかり目にピースする
死の間際まで
本人は意識してか無意識かは
今となってはわからないが
マニアックな笑いを徹底しとるなと
感心した
おじいちゃんは
親戚が集まると
隙を見てはギャグでボケて笑いをとりにくるお調子者だ
正月はそんなおじいちゃんの隣に座って
僕はいつも静かに鼻で笑ってた
そんなおじいちゃんは
僕と2人きりでいる時や家族だけでいる時は
実は口数が少なく緊張感のある厳しい雰囲気で
少し話しかけるのが怖いくらいだったが
時折、家にいる時に
家に帰ってきたものの、足音も立てずに静かに近寄ってビックリさせてニヤッと笑うことがとても多くあった
可愛がってくれたわけではないが
悪いことはしない良い子だ、賢い子だ
未来に対してとても希望のある言葉を投げかけてくれた記憶がある
そして親元を離れ
大人になってから社会に揉まれ、いろんな経験をしだしてから
おじいちゃんという存在や立ち振る舞いはなんだったのか?
という答え合わせをする時間もあった
考えれば考えるほど
僕はこのおじいちゃんの背中を見て育って
いろんな部分を吸収しまくっていた事に気づいた
葬儀を終えて心の中でつぶやいた
素晴らしい生き様
見事な散り方
少しでもこの生き様に近づきたい
逃れられないDNAの螺旋階段を
なぞるように歳を取っていくことを誓い
葬儀場を後にした
ありがとう
|すでに最高!これからも最高
ADDressを利用した多拠点生活も1年
とりあえず飽きるまで続けようと思って
スタートしたけど
今の所飽きる気配がない
それどころか
1年目の経験を活かして
もっと荷物を減らせる
もっと工夫して生活ができる
そんな気持ちさえ湧き上がってきている
もしこれから多拠点生活をしたい人がいるなら
数ヶ月体験してみて
「もっとここを改善していきたい」
こういう気持ちが芽生えたのなら
あなたはきっとこの生活スタイルに向いているかもしれない
次はどこに行くか
先の予定は相変わらずないが
その時その時の感覚に身を任せて
行ったことがない地域に初めて足を踏み入れることもある
行ったことがある地域で見落としていた新しい発見もある
行った先が失敗だったなんてことは
何ひとつない
そんな感性は旅をする前に捨ててきた
下調べも計画も立てない
他人のレビューで期待値を上げない
ただ全国に帰れる家がたくさんある
ちょっとした仕事の合間の息抜きの散歩が観光の時間で
普段聴こえない種類の鳥の鳴き声が聴こえてくるだけで
その程度で
十分に最高な体験なのだ
|シェアされたものはシェアして返す
僕の今の生活は全て
シェアサービスで囲まれている
仕事はストアカやココナラ
そして日常生活はADDress
人のカラダの細胞は1週間程度で頭の先からつま先まで全部入れ替わる
1週間前の自分と今の自分とでは細胞レベルでは別人ということだ
となると
シェアサービスによって1年生活した僕のカラダの細胞は
すでに過去の僕のものではないのかもしれない
色んな物事や情報にシェアされて血と皮と骨と筋肉
そして思考が形成されている
それらがシェアされたものであるなら
社会にシェアして返していかないといけない
このブログの冒頭にも書いたが
こんな素晴らしい生活がスタートしたのも
メッシからパスが回ってきたからで
自分でドリブルして一点突破してきたわけではないことを
とっくに自覚している
なおさら人の力によって自分が立っていることを強く感じる
「このカラダは、この体験は、自分だけのもの」
そう思った瞬間に
たちまち見栄や欲望で目が霞んで
手枷足枷となって行動の自由を奪う
10代20代は実際僕もそうだった
借りて返して
そこで初めて自由がこの社会で許容されるのかもしれない
多拠点生活の経験は
そんなことに気付かされる1年だった
大阪から一歩も外に出ないセルフ保護観察所時代から
シェアリングエコノミーの時代によって引っ張り出され
文字通りシェアに囲まれた生活を送る
そこは自由な世界
つまりはシェアしてシェアされる世界
次の人が気持ちよく誰かにシェアできるように
僕は綺麗にこの体験をシェアしていかなければいけない
|多拠点生活を通して伝えいたいこと|
僕がこの旅を通して
そして自分の人生を通して
伝えたいこと
世の中は
生まれてから家庭の環境や
身体的、精神的なハンデキャップを背負っている人
人生マイナススタートの人がたくさんいる
生憎この社会は
マイナスなことは見てみぬフリして
フタをする時代だ
徐々に時代は変わってきているが
まだまだ根強くその傾向はある
一度大きな失敗をしてマイナスを背負った人にも
世間の目は厳しい
信頼を回復することや社会復帰すら厳しい
この見えない社会の空気感は
生まれながらにマイナスを背負った
社会的マイノリティーに
過剰にアレルギー反応を起こす
だからこそ言いたい
僕自身
マイナスを背負って生きてきたからこそ
言いたい
これまで
ゼロから100へとプラスを積み上げることこそが
誰もが羨む成功だと思い込んできた
だが実際そんな余裕なんてない
僕は自分のマイナスと向き合うことに必死だった
マイナスを背負い続ける未来が怖かった
何度も絶望を抱いた
それでも
マイナスに向き合った
時間はかかったがゆっくり向き合った
結果
マイナスはゼロになった
そう
プラスではなく
ゼロ
マイナスをゼロにした程度では
社会のお役には立てない
「それで君は何ができるの?」
「それで君はどこの学校を出てるの?」
「それで君はなんの資格を取得したの?」
「それで君はどこの会社に勤めてきたの?」
こんなことを聞かれようものなら
その場で立ち尽くすしかない
まだゼロだから
でもきっと
マイナスを背負ってきた人なら
全員知っている
このゼロの価値を
そうか
僕はきっと
マイナスをゼロに克服した成功者なんだ
普通に歩けるようになること
普通に人前で話せるようになること
普通に家族と一緒にご飯を食べること
当たり前すぎる景色が
当たり前すぎる日常が
僕たちにとっての夢であり目標だ
たかがゼロ
でも大きなゼロ
自分の人生を通して
マイナスがゼロになることの価値を
深く理解し体験した
ゼロの成功者
「それで何ができるの?」という質問に
答えることができない成功者
プラスを積み上げるためのアドバイスは
何ひとつない
同じようにマイナスを抱えている人になら
力になれるかもしれない
小さくて埋もれてしまうような声に耳を澄ませる
意識をそこに向けるだけで
報われる人はたくさんいる
そんな価値あるゼロにスポットライトが当たる社会
僕はこの旅を続けながらそれを表現していく
僕はいろんな価値観や経験をこの社会や人から
シェアされてこのマイナスを克服してゼロにした
だからシェアしたい
すべての埋もれたゼロを目指す人たちへ
|さいごに
大人になってやっと理解したこと
いや
理解してやっと大人になれたこと
居心地の良い環境は
自然発生的にできるものでも
競争で勝ち取るものでもなく
先人たちの知恵と努力が加わった下地によってできているということ
"好き勝手発言できるのは自分の身が守られてるからだよ"
とある本に書かれていた言葉
ハッと気付かされて
今も変わらずその言葉を忘れずに胸にしまっている
であるなら
この多拠点生活が居心地が良いと感じるのは
守られてるから
何に?
人の親切心に
これまで築き上げた先人たちの努力に
ありがとう
もらったものは
また人に返す
シェアされたものをシェアして得られるものが
自由と定義づけたが
シェアされたものをシェアする
その姿勢こそ道徳ではないか
そんなことを胸に
僕の旅は続く
#ADDresslife2022
#多拠点生活
#シェアリングエコノミー
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